第33話 魔術師見習いは、決意する

「ミラ!」

「——っ」


 リッタとミラがそれぞれ左右に飛ぶ。

 魔王フェルメノクを名乗る男の手から飛来した黒い魔弾を、室内に並ぶ墓標を盾にしつつ距離をとって回避しようとしたのだ。


 だが。

 魔弾が命中した墓標は、いとも容易く粉砕された。

 粉々になった破片が飛び散り、その一部がリッタの頬を掠める。


「……っ……」


 ピリッと走る痛みに頬が切れたことを理解する。

 肩に落ちていた別の破片を触って確かめるが、かなりの硬度がある素材だ。

 敵が放った魔弾の威力は、<火球>か、それ以上。

 墓標を盾にするのではなく、魔術障壁で防いだほうがよさそうだった。


「……合流しないと……」


 咄嗟の判断の違いで二手に分かれることになったが、盾を張るなら、一箇所に集まった方がいい。とはいえ、敵への攻撃を考えると守勢に固まるのも……。

 逡巡しているうちに、ミラがいる方角から声が飛んできた。


「リッタ、アレを使うから、援護して!」

「……ん。分かった」


 ミラが口にすると言えば、一つしかない。

 決断の早さには驚いたが、確かにこの相手が本物の魔王ならば、消耗する前に最強のカードを切るのは正しい。

 幼なじみの決断を信じて、リッタは墓標の陰に隠していた姿を現した。


「おや。隠れなくてよいのか?」

「……かつて、魔王を倒した勇者の仲間だった魔術師がいた」

「ふむ……魔術師は、我の記憶にはないが」


 突然語り始めたリッタに興味を引かれたのか、男は次弾を放とうとはせず、会話に乗ってきた。

 先のミラとリッタのやりとりを聞いていたのなら、あからさまな時間稼ぎだと分かるはずだったが、余裕からの行動だろうか。


「……当時の、この迷宮を攻略する過程で、途中脱落した」

「ふっ……であれば、我が知るはずもないな」

「その血を引くのが、私」


 男が表情を動かした。片眉を上げて、面白そうに笑みを浮かべる。

 

「ほう……数奇なことよ」


 リッタは頷いた。


「だから、私には義務がある」

「義務、とな?」


 物音。

 リッタと男の会話が続く中、距離を詰めようと走るミラのものだ。

 彼女は、斥候スカウトの技術を持つわけではないし、これだけの距離を縮めるのであれば、足音を消す余裕もない。

 男の視線が動きかけたのを見て、リッタが続けた。


「次に魔王が現れたとき——私は、勇者を助けて、それを倒す!」


 そして即座に詠唱を開始。

 今のリッタが使える中で、最大の効果範囲と威力を兼ね備えた魔術——<氷の嵐>だ。これなら、この距離からでも男に直撃させることが出来る。


「ほほう……よかろう。その魔術、受けてやろう」


 何の魔術を使おうとしているか、遠目に見抜いているのかいないのか。

 仮に、何の魔術か分からないとしても、集めている魔素の量が膨大なことは理解しているはず。

 にも関わらず、余裕の態度を崩さない男の様子に、若干の苛立ちと——魔王であるならばそれも当然かという思いを感じつつも、リッタは詠唱を続ける。

 相手が余裕を見せているのであれば、それを利用するまで……。


「……とこしえの氷雪、死の氷化粧、輝ける氷結晶——歌え、<氷の嵐アイスストーム>」 


 宣言通りに、男はこちらの詠唱を一切阻害しようとしなかった。

 リッタの魔術が完成し、男を中心に氷雪の嵐が展開された。

 大気が凍り付くほどの冷気は、床に薄氷の層を広げていく。

 男の周囲を含めた一帯が白く染まった。


 対象物を冷凍して破壊するに至らない場合でも、吹き荒れる風に乗った凍てつく氷の刃が敵を切り裂く、二段構えの攻撃——


 だが、突如生まれた嵐がすぎた後、そこには変わらぬ男の影があった。


「この程度か」


 片手を持ち上げた男は失望したように呟いた。

 魔術が発動する寸前に、彼が展開した魔術の障壁を貫くには、リッタの<氷の嵐>の魔術では不十分だったのだ。


「……もう一度……」

「温すぎる。今度はこちらの番だ」


 宣言した男の手元に、魔素が急速に集まっていく。

 それを見て、リッタは感じ取った。


 この構成は——自分と同じ、いや、それ以上の氷雪系の魔術……?


「まずい」

「手本を見せてやろう」


 リッタの呟きに、魔王を名乗る男の声が重なった。

 ——そこに。

 

「一対一じゃないのに、余裕を見せすぎよっ!」

「む」


 男にほど近い墓標の陰から、赤い髪の少女が飛び出した。

 少女——ミラはすでに細剣を抜きはなっている。


 以前にウィルが見抜いていた通り。

 ミラの所有する細剣は、遺跡から発掘された古代魔法王国期の魔剣だ。魔力を注ぐことで炎を生み出す魔術が付与されている。

 そして、注ぐ魔力の量によって、その火力は上がっていく。


 これまでの冒険では若干の炎を纏う程度だった細剣は、今や太陽のコロナのように溢れ出る炎が、大剣のような大きさになっている。

 仮にこの相手が魔王なら——

 ミラ自身が扱える魔術を小出しにするより、全ての魔力を剣に注いで一撃必殺を狙って、それで通じるか否か。


 細剣を大剣のように振り上げて、ミラは笑った。


「魔王を名乗る輩に、尋常の勝負を挑む気なんてないの——」


 しかし、男もまた笑う。

 病的なまでの白皙が、照り返しの炎で赤く染まっているが、それを気にした風も無く。


「甘い——我のこの魔術が何か、見抜けなかったのか」

「ミラ……!」


 不意打ちをすることで意識がいっぱいだったミラと違い、離れた位置で、見守るしかないリッタは気づいていた。


「食らいなさい!」

「——尽きせぬ氷の盾よ」


 ——男が準備していた魔術が、攻撃のためのものではないことに。


「っ……」


 ミラが叩きつけた炎剣は間一髪のところで阻まれる。

 薄い、嘘のように薄い、氷の結晶にも似た形の盾が、男とミラの剣の間に生成され、それが男を切り裂くはずだった剣を阻んでいるのだ。


 一瞬の硬直状態が生まれて——

 

 ピシ、と男が生み出した氷結晶の盾に亀裂が入る。

 ミラはそれに気づいた瞬間、さらに腕に力を込めた。

 一旦ヒビの入った盾は、瞬く間に亀裂まみれとなり——


「もらった——」

「……甘い」


 ミラの歓声に反して、すぐさま形成された、もう一枚の氷結晶の盾が剣の行方を阻む。


「——この氷の盾は、無限に連なる守護の結界。その程度の攻撃で打破できるものではない」


 男は、攻防の最中であるにも関わらず、淡々と解説してみせた。

 それは余裕の表れ以外の何者でもなかった。

 そもそも彼は片手に生み出した魔術のみで、ミラの渾身の一撃を凌いでいるのだ。


「……無限だなんて……」


 燃えさかる剣と、疾走の影響で、ミラの頬には汗が伝っている。

 魔力を注ぎ込んだ剣の火焔は、離れている皮膚をあぶるほどの強さだ。暑いというより、熱い。

 おとがいを伝って、汗の雫が地面に落ちる。

 押し込み続けている魔術の炎剣が、砕いた氷の盾は五層を超えた。


 しかし、それと引き替えに——

 一時あった灼熱の火勢が、弱まっている——


「ミラ! そこから一旦離れて体勢を——」


 日頃は大声を上げないリッタが、珍しく焦燥した叫び声を上げた。

 状況は不利の一言。

 このまま衝突しつづけても、敵の護りを打ち破れる保証はなく。

 一方で、敵には反撃の手段がある。


 ——


「ううん、これは——仕方ないわね」


 ミラは、億劫そうに首を一振りして。


「やめて! それは——使って決めたはず!」


 リッタが叫ぶ。


「なんだ——?」


 男が首を傾げた。

 少女達二人の会話を聞くだけの余裕が、フェルメノクにはあった。

 だから、理解出来ないやりとりに興味を持ったのだ。

 そしてそれが、本来の男にはありえない隙を生むことになる。


「アンタ、言ってたわよね」

「——?」

「聖剣の一撃で死にかけたって」

「ふ、何を言うかと思えば……我は滅びぬ。あくまでも打撃を受けたにすぎぬ」

「……勇者様が持っていた聖剣には、特別な魔術が付与されていた」

「む?」

「人の魂の力を消費して、強力無比な剣撃に変える魔術が」

「……まて、貴様」


 男が眉をひそめた。

 ミラは燃える剣に残り僅かな魔力を最後まで絞り出すようにして、剣を押し込んでいく。

 あと十秒すら持たない、一見すれば、意味の無い行動。

 だが——氷の盾の魔術を展開し続ける限り、男はここから離れられない。


「聖剣を手にしていた勇者様の、仲間だった魔術師の子孫があの子——」


 視線を向ける余裕すらないミラだが、その言葉の意味は伝わる。


「まさか」

「ふふっ、さてここで問題です。勇者様が聖剣を手に入れたとき、その遺跡で見つかった武器は……一つだけ、だったでしょうか?」


 男は表情を歪める。思わず、


「馬鹿な」


 と呟いた。

 その表情にミラは溜飲を下げて、目の前の敵に説明してやることにした。


「その剣の銘は火葬インシネレータ。かつて魔王を倒した聖剣と、同じ魔術師によって同様の魔術を付与された、もう一本の聖剣——」

「馬鹿な、馬鹿な、馬鹿な——あれが、あれと同じものが存在するはずがない! 霊子エネルギーを利用する魔導兵器なぞ、この時代に何本もあるはずが——!」


 男の叫びに、もう一つ被さった叫び声。


「ミラ、駄目——っ!」


 リッタの悲痛な思いを載せたそれが、広い部屋の隅々まで響く。

 ミラは、男を睨み付けたまま、短く返した。


「貴方を守るって約束したもの」


 そして、彼女は魔剣発動のための命令を紡いだ。


「我が魂をここに捧げる。——全てを焼き払え、火葬インシネレータ!」


 閃光と共に生まれたのは、まさに爆炎だった。

 衝撃で、男が生み出し、無敵の防護を誇った氷の盾は雲散霧消した。

 至近距離で生じた火焔の爆発を受け、弾き飛ばされた男の姿はもちろん。

 ミラの背中まで、リッタの涙に濡れた瞳には眩しすぎて見えなくなるほどの、灼熱の業火が瞬間的に生じた。


 火焔が生じていた時間は、ほんの数秒だったはずだが、男がいた側に立ち並んでいた墓標の大半はあまりの熱に溶け、融解している。

 きな臭い、空気そのものが焦げ付いた匂いがする。


 それを感じとれる頃になって、白く染まっていたリッタの視界が回復し、像を捉えることが可能になっていた。

 ミラの背中が見える。


 火葬、の銘を持つその細剣は、自爆のための兵器ではない。

 あくまでも、敵を打ち倒すための武器だ。

 使ったからといって、即座に命が奪われるわけでもない。


 しかし、寿命は確実に縮まるはず——それは、かつての勇者が証明している。


 だからリッタは言葉に詰まった。

 どんなふうにミラに声をかけたらいいのか、それが分からなかったのだ。

 自分の未熟が、彼女に自己犠牲にも似た決断をさせてしまったことを——

 

「嘘、でしょ……?」


 リッタのその思考を断ち切るタイミングで、ぽつりとミラが呟いた。


「……危ないところだった」


 掠れた声が聞こえてくる。

 火の粉が舞い、煙が立ちのぼり、融けた墓標が燻り続ける部屋の奥で。


 動く影があった。


「……そんな……」


 リッタも呟いた。

 その影が何者なのか、頭で理解していながら、心が理解できない。


 煙が晴れていく——


 現れた影は、異様な姿をしていた。

 人の姿形をしているものの、その身は半ばまで焼け焦げ、黒く炭化しているように見える。

 だが、それはあくまでも表層のことで、日照りで乾いた土のようなひび割れた黒い層がパラパラと剥がれ落ちるごとに、その下から傷ひとつない白い肌が覗く。


「確かに驚かされはしたが——その剣では我を殺傷するには力不足だったようだな」


 黒く染まっていた層が一通り落ちてしまえば、そこに残ったのは、変わらぬ男の姿だった。

 唯一、着ていた服だけは炎熱の影響から逃れられなかったらしく、上半身は裸体になっていたが——それだけだ。


「……倒したと思った、のに——」

「ミラ!?」


 呻いたミラの手から、細剣が滑り落ちる。

 それとほぼ同時に、彼女はその場に崩れ落ちるように倒れた。

 魔剣に魂——男が霊子エネルギーと呼んだ、生命力の源——を注ぎ込んだ結果、姿勢を維持するどころか、意識を保つことさえ、ままならなかったのだ。

 

 リッタが駆け寄る。

 先ほどの一撃で、男は部屋の壁際付近まで吹き飛ばされていたから、ミラとの距離はリッタのほうが近い。

 男が再び近寄るよりも、先に辿り着けると——そう、冷静に判断したわけではなかったが、結果としてそうなった。


「ミラ……よかった……」


 リッタが床に倒れたミラを抱きかかえて、そう言った。

 彼女は、倒れはしたものの、呼吸は確かだった。

 十分な休息さえ与えられれば、意識を取り戻すだろう。

 しかし——


「さて。もはや諸君に打つ手はないだろうが——続きをするとしようか?」


 ミラに休息を取らせるための、支障が残っている。

 ただの支障ではない——巨大な脅威が。


 リッタはミラを床に横たえ、楽な姿勢を取らせる。


 そして、彼女に駆け寄る際にも離さなかった、愛用の杖を握りなおした。

 ——利き腕ではない左手で。

 ——空いた右手で、床に転がったミラの細剣の柄を掴む。


「ほう……?」


 男は興味深げに声を上げた。

 くっ、と喉の奥を鳴らす笑いを漏らしてから、続けてきた。


「娘よ。見たところ、そなたは剣士ではないだろうに……慣れぬ剣を握って、我に立ち向かえるなどと考えたか?」

「……分からない」


 リッタは短く応えた。

 そんな確信、あるはずもない。


「ふ……仮にそなたが剣の達人であったとしても——その剣では、我を滅するには不足だと、先の一幕で理解したであろう?」

「……そう、かもしれない……」


 不承不承ではあるものの、リッタには頷くしかない。

 指摘自体は正しいのだから。


「ふむ……勇者の仲間であった魔術師の血を引く——だったか。そう名乗ったそなたが……勇者を助け、我を倒す、だなどと啖呵を切っておきながら……効果の無い魔剣に頼るとは」

「……」


 リッタには、返す言葉がなかった。

 魔術師として——自身の魔術の能力ではなく、魔剣の力にすがっているのが情けないことなのは、事実。


「——やれやれだ。興も冷めてしまったが……まあいい。所詮、この遊戯は我にとって回復具合の確認にすぎぬ。——終わりにするか」


 言葉通りに、興味を失った冷たい男の瞳が、リッタを睨みつけた。

 先のやりとりで、目を伏せていたリッタは、小さく呟いた。


「……させない……」

「ぬ?」


 少女は顔を上げる。


「終わりには、させない」


 <火葬>の銘をもつ魔剣の一撃は——特に、魂の力を注いだそれは、リッタとミラにとって切り札中の切り札。

 不意打ちからぶつけたそれで届かなかった以上、もはや勝ち目はない。


「絶対に——」


 魔剣を代わりにリッタが扱っても、ミラとの剣技の差だけではなく——迷宮の探索で魔力の消耗を繰り返している現状では、自身の魂を全て消耗したとしても同等の威力を生み出すことは無理だろう。

 先の一撃を凌がれた相手に対して、それでは可能性も皆無。


「できると思うのか?」


 ——無理だ。

 男の問いかけがなくとも、それぐらいのこと、理解している。

 だけど。それでも。


「諦めたりなんか、しないッ!」


 胸の奥からこみ上げてくる思いのままに咆哮した。


 ——倒れたミラを助けなければいけない。

 ——復活した魔王の目論見を挫かなければいけない。


 そうだ。

 いまとなっては、確証を持って言える。

 <火葬>の一撃を受けて、なお無傷なこの男は、確かに魔王そのものだ——。

 

 姉のステラが、いま、勇者と共に大魔王を倒す旅をしている。


 ならば私は——たとえ勝てるはずがないと知っていたとしても。

 この魔王には、抗わなければならない。

 単なる悪あがきに終わるとしても。


 それが、リッタの——アンリエッタ・ハーウェルという少女が、ずっと目指していた在り方なのだから。

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