魔王再来編

第32話 魔術師見習いは、墳墓で魔王と遭遇する

「……迷った……」

「最初に跳ばされたときから迷ってたわ」


 リッタが呟くと、ミラはため息交じりにそう応じる。


「近づいてくる何かから逃げたのはよかったと思うけどね……」

「……別の転移の罠に引っかかるなんて……」


 最初に魔術で感知した存在から距離を取ろうとして、移動を開始したところ、他にも複数の反応を発見することになった。

 それらが何かは分からなかったが、ウィル達といたときに遭遇したのと同じような敵であるならば、見つからないのがベストだ。


 そう思って、進路の変更を繰り返している中で、通路に仕掛けられた罠への注意が散漫になっていたのか、また別の転移の罠を踏んでしまったのである。


 いま、二人の前には、これまでにないような光景が広がっている。

 五層にあった森林とは違う意味で、だだっ広い空間。

 壁と床は相変わらず、つるりとした陶器のような謎の素材で、そこには違いがなかったが——


「ねえ、この柱みたいなのって、いったいなんなのかしら?」

「……分からない……」


 彼女達のいる場所には、多数の直方体が一定の間隔で立ち並んでいた。

 色は黒。リッタが魔術で生み出した光を反射しない、漆黒の物質だ。

 数は——ざっと見て、百やそこらはあるように思えた。

 

 ミラが口にした「柱」という表現は、正しいようで正しくない。なぜなら。


「……けれど、天井に届いていない『柱』なんて、柱のはずない……」


 リッタの言葉通りに、それらの直方体は天井の半分ぐらいの高さしかなかった。

 彼女達の背丈よりは高く、手を伸ばしても天辺には届きそうにないので、上部がどうなっているかは分からないが、想像するに、たぶん側面と同じように切り立った岩のようになっているのだろうと思える。


 彼女達が過去に見た中で、これと同様のものはない。

 それでも、あえて近いものを探すなら——


 そう思って記憶に思いを馳せるリッタだが、比喩に使える適切な何かを思いつかなかった。だが……。

 

 ミラとリッタの会話や歩行音を除くと、辺りはしんと静まりかえっている。

 そのせいか、一つの着想がリッタの脳裏を過ぎる。


「墓標——?」


 単なる思いつき。意味の無い独白。

 そのはずの呟きに、どこからともなく、ミラ以外の誰かの声が返ってきた。


「——墓標、か。言い得て妙であるな。そこな少女の言葉通り、此処を今の言葉で定義するなら墓地であろう。死せる技術の墓標グレイブストーン——敗者たる我には相応しき宮殿である」


 ミラとリッタは一瞬、顔を見合わせて、そしてミラが応えた。


「誰よ?」


 リッタは少し遅れて、


「……この声、どこから聞こえて……?」


 疑念の混じった声を出す。

 百を超える直方体——声の主が言うには墓標——が建ち並び、その間を通り抜けるのに支障にならないぐらいの幅がある、とても広い空間だ。

 どこかから音が聞こえてくるなら、その発信源は分かりやすいはず。

 なのに、リッタにもミラにも、声を出した者の所在が掴めなかった。


「闖入者たちよ。しかし、歓迎しよう。此処はいささか以上に退屈な土地である。長き無聊を慰めるにはちょうどよい」


 再びの声とともに、二人の目に白い光が焼き付いた。

 驚かされたものの、何らかの攻撃というわけではなかった。

 部屋の壁面に設置されていたらしい、魔術式の照明器具が一斉に点灯したのだった。


 自分達が生み出した魔術の光だけでは見えていなかった、部屋の全容が明らかになる。


「これって……」

「……広そうだとは思っていたけれど……」


 そこには、百どころか、数百。いや、千を超える墓標があった。

 魔術の光が照らしていたのは、ほんの一角にすぎなかったのだ。

 学院の試験会場よりも広い。

 この魔王迷宮の入り口に覆い被さるように建てられた支城の一階ですら、ここまでの広さがあるかどうか。


 そんな巨大な部屋の最奥に、声の主が座していた。

 その人物が座っているのは、部屋に立ち並ぶ墓標と同じく、リッタやミラの目では椅子には見えないような乳白色の台座ではあったが、にとってはそれを椅子として使用するのに違和感がないようだった。

 そう、声の主は、拍子抜けするぐらい、一見したところでは普通の男性の姿をしていた。


「……このような土地で、もてなす術があるわけでもないが……」


 独り言めいた呟きとともに、男が立ち上がる。

 気負いのない様子で、挙動に違和感は感じない。


 背丈は高く、長い髪を後でひとまとめにして括っている。丈の長い、コートのような服装。色は黒。肌の色が病的なくらいに白いが、不死生物アンデッドというわけではなさそうだ。このような地下で暮らしているのであれば、むしろ自然だが——


「……貴方は、何者なの?」


 リッタの問いかけは、男に対する警戒が露わだった。

 ミラも、いつでも抜き放てるようにと、細剣の柄に手をかけている。

 こんな迷宮の奥底で、普通に人間が暮らしているはずもない。

 

「はて? 人の名を問うのであれば、自ら名乗るのが礼儀ではなかったか? 時の流れで変わってしまったのやもしれぬがな……」


 男は、リッタとミラがいる方に向かって歩き始めた。

 ブーツの底が金属か何かの硬質な素材で出来ているのか、一歩ごとにカツン、コツンと高い音が響く。


「……私の名前はリッタ」

「ミラよ」


 言葉の通じる相手だ。

 迷宮を徘徊する魔物や、こちらを見つけると襲いかかってくる古代兵器よりもよほど与しやすい。

 そのはずだったが……。


「そうか。我が名はフェルメノク。違う名も持たないわけではないが、最後に使ったこの名がもっとも知られているはずである」


 リッタは短い吐息を漏らした。

 ミラは一声、


「……まさか」


 と呟いて、口を呆然と開いたままにする。


 フェルメノク——魔王フェルメノク。

 三〇〇年前に現れ、初代勇者に退治されたとされる、魔王の名。

 それがここで出てくることを、ミラもリッタも予想はしていなかった。いや、より正確には、リッタの脳裏を一瞬過ぎってはいた。

 迷宮の深部で道に迷い、最悪の事態を考える中で、ほんのひととき。

 この迷宮を根城にしていた魔王が復活し、それと遭遇する、などという万が一どころか、与太話あるいは妄想にすぎない事態が起きたらどうしよう?

 などと、ちらりと思って即座にありえないと打ち消した想像だったのだが。


「……魔王フェルメノクは、死んだはず」

「ほう? やはり伝わっていたか、我が名は。それでこそ魔王などと名乗った意味もあるというもの……」


 リッタの否定を、フェルメノクを名乗る男は軽く受け流した。

 そこにミラが突っかかる。


「仮に魔王が勇者の目を逃れて生き延びていたとしても、三〇〇年前の話でしょ。魔物だってなんだって、そんなに長く生きていられるわけないじゃない。ゴーストとかスケルトンみたいな不死生物アンデッドならともかく」


 男は歩みを止めた。


「ふ……ふふ……」

「何がおかしいのよ」


 こみ上げる笑いに肩を揺らす男に、ミラが追い打ちをかけるように言った。

 ミラは、すでに細剣を抜きはなっている。

 ただの人であれば、敵対の意志を見せるにはまだ早いが、魔王を名乗るような相手だ。それだけで、剣を抜くだけの理由になる。


「いや、何。かなりの時が経過したのであろうとは思っていたが……三〇〇年とはな。不滅たるべく定められた我にしても、あの剣の一撃は痛恨であったようだ」

「……剣の、一撃……」


 リッタは、彼が口走った言葉の意味を理解した。


「聖剣……」

「それだ。滅びぬはずの我を滅ぼしかけたあの光——今でもこの目に焼き付いている」


 足を止めていた男が、再び歩き始める。


「——それ以上、近寄らないでよね」


 まだ彼我の距離は開いているが、男の行動に脅威を覚えたミラが警告する。

 魔王を自称する相手が、何を考えてこちらに近づいているのかは分からないが。それが望ましいことである可能性はまずない。


「復活に三〇〇年かかったのは予想以上だったが——」


 だが、男は歩みを止めない。

 リッタも、手にした杖を持ち上げた。

 警告の意味もあったが、それ以上に内心で次に起きることを予想していたのが大きい。


「蘇ったからには、続きを始めたいと思っていたところよ——なにぶん、我が生は長すぎてな、遊びでもせずにはおられん」


 男は止まらない。

 靴音は高く。

 ゆっくりとした歩みではあったが、一歩一歩確実に距離を縮めてくる。


「この遺跡の深層まで辿り着いたのだ。我の力がどこまで戻っているか——その試しの相手としてはちょうど良いだろう」


 お互いの距離はまだまだ離れている。

 <火矢>のような魔術で届かなくはないだろうが、射程範囲とは言いづらい。

 それほどの距離であるにも関わらず、男は不意に片手を上げた。


「魔王の名に相応しき、魔術の神髄を現世の人間どもに見せてやろう——抗うが良い。その命でもって、我の無聊を慰めよ」


 詠唱は無く。

 周囲の魔素が動いたとリッタが感じた直後。

 その魔弾が射出された——

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