第31話 魔術師は、決断する

「仕方ない、か——」


 ウィルは呟いた。

 ミラとリッタの二人が姿を消した十数秒後のことである。


 往路と復路の双方から、自分達を挟み撃ちせんと現れた魔術師殺しは、全部で十機いる。直前に傷を負っていた一機をマリエラが撃破したとはいえ、残りの九機はいずれもほぼ無傷だ。

 マリエラが引きつけてくれてはいるが、ウィルも牽制の魔術を連発する必要がある状況だった。


 こちらの戦力はウィルとマリエラを除けば、当てにはできない。

 少し前に魔力切れを起こしたばかりのジギーと、その戦闘力の程度をウィルも把握していない風精霊のシルフィだけだからだ。

 数の上では圧倒的に不利——


 しかし、戦闘そのものよりも重大な問題があった。

 ミラとリッタの二人の行方だ。

 転移の魔術による罠で飛ばされた二人の転移先は、ウィルにさえ分からない。

 探索魔術を使うために集中するには、襲いかかろうとしている魔術師殺しの存在が邪魔すぎる。


 前評判では魔物がいないとされていた深層だったが、階層の崩落がきっかけなのか、単なる魔物よりもよほど厄介な——少なくとも魔術師にとっては——魔術師殺しがうろついている状況である。

 こんな中では、二人の少女の安全は保証されるはずもない。


 ウィルとしては、ただちに駆けつけたいところだが。


『——すまん、シルフィ。俺は今から……手加減を、捨てる』

「っ……。でも、仕方ありませんねー……」


 念話で断りを入れると、逡巡したシルフィもすぐに頷きを返してきた。

 偶然知り合っただけとはいえ、仲間を犠牲にしてまで手加減の修行をしていては、リオに顔向けできない。

 魔術師殺しを即座に一掃した上で、急いで二人を助けにいくと決めた。

 だが、そのためには——


「マリエラ! 頼みがある、ジギーを連れて上層に戻ってくれ」


 ジギーを連れていては、逆に手間がかかってしまう。


「!? 何を言い出すんだね、君は……。ここは、なんとか切り抜けて全員で二人を追いかけるべきでは——」

「——<催眠ヒュプノシス>」

「? ……これは……何、を……? む……? ここは一体……私は誰だ……?」


 この<催眠>は、精神に影響して、一時的な混乱を招く術だ。

 突然この魔術をかけられたジギーは抵抗することすらできなかった。

 すぐに彼の意識は混濁状態になった。周りで起きていることがまるで理解できない水準だ。

 そこに、前線で戦っていたマリエラが戻ってきた。


「敵の魔術防御は強力みたいっすけど……ウィルくんはここに残るんすね?」

「ああ、そのつもりだ。こいつらを片付けて、二人を助けに行く」

「んー……まあ、ウィルくんなら大丈夫とは思うっすけど……彼を上に送り届けたら、自分も戻ってくるっすよ」

「……む」


 ウィルは少しだけ考えて、結論を出した。


「ああ、そうしてくれ。探す人間の手が多いにこしたことはないからな」


 マリエラの実力であれば、仮に深層で危険な敵が現れたとしても、逃げ切ることぐらいはできるはずだ。

 そう判断したのだった。


「それじゃ、アタシは行くっすよ。気をつけてくださいっす、ウィルくん」


 ふらついて座り込んだジギーを抱えて——強化外骨格での腕で保持されれば、人の力では抜け出せない——マリエラはそう言ってきた。


「ああ——ところで」

「……どうかしたっすか?」

「二人だけのときぐらいは、『くん』付けするのはやめて欲しいが」

「……あはっ」


 破顔一笑、というところだろう。

 強化外骨格の向こうの表情は分からないが、笑顔の気配をたしかに残して、マリエラは駆けだした。

 元来た道にも魔術師殺しがつめかけているが、マリエラのほうが素早い。速度に対応出来ずにまごつく魔術師殺しの間を抜けるようにして、ジギーを抱えた彼女は去って行った。

 崩落が起きた場所まで戻って、上層にあがるつもりなのだろう。

 機体の性能を考えれば、特に問題なくそれが可能なはずだ——


 そこまで考えてから、ウィルは魔術師殺しに視線を定めた。


「さて。こっちを片付けていかないとな……」

 

 チチチチチ……。

 現代では完全に廃れたと言って良い、魔導科学の産物である魔術師殺し。

 一部の機体はまだマリエラを追尾する様子を見せていたが、大半の機体は殲滅対象をウィルに切り換えたらしく、赤く光るレンズがこちらを向いている。


「——魔術師殺しと交戦する際の鉄則なんだが——」


 独り言のように呟く。

 今、ここにはウィルの他にもう一人だけそれを聞く者がいた。


「沢山の敵に見つめられていると、威圧感がありますねー……」


 シルフィの身を隠す精霊術の効果は、魔術師殺しの索敵センサーにも引っかからないようだ。

 それが分かったことによる余裕か、シルフィは他人事のような合いの手を入れた。


「耐魔術装甲を持っているこいつらは、威力の低い魔術では傷一つ付かない。よって、物理的な作用を持つ魔術で足止めをしつつ、多数に囲まれないように立ち回り——」


 ターゲット変更に伴う再計算か、ごく僅かな時間だけ動きを止めていた魔術師殺しは、ウィルを囲むように動き出した。

 前後から挟撃を受けてしまっている現状で、包囲を破るチャンスがあったとしたら、先の静止時間だったろう。


「強力な魔術を練り上げて、一体ずつ撃破していく」


 こちらは一人なのだから、連続でかかってこられるだけでも対処するのは難しくなる。

 強力な魔術にはそれ相応の準備時間が必要だからだ。

 だが、魔導科学による演算によって、人間以上に冷徹な判断を下す魔術師殺しは、より確実な手段を選択したようである。


「遠距離攻撃の兵装がない魔術師殺しで、なおかつ、拓けた場所で遭遇しているのであれば、この手を使えば互角以上に戦える——一流の魔術師なら、という条件はあるがな」


 魔術師殺しは、ウィルを中心に、同心円を描くように周囲を包囲する。

 ここにある機体は、これまで遠距離攻撃はしてこなかった。

 それは、機体が軍事用というよりは警備用に調整されており、その手の兵装を持っていないためだとウィルは考えていた。


「しかし……」


 フィィィィィィン。

 機体に搭載された放熱用のフィンが回転を始める。

 同時に、ボディの一部がスライドして、そこから鈍色の筒が姿を現した。

 筒は機体本体とは独立して動いて、ウィルの足元を向くように微調整された。


「あれ? 何が起きてるんです?」

「どうやら、連中には魔導砲が搭載されていたようだな」

「魔導砲、ですか? それって——」


 きゅいん。

 それは聞き逃してしまいそうな小さな音だった。

 だが、その音とともに砲口から放たれたのは強力な熱線だ。


 立ちすくんだウィルの、数歩先に黒い焦げ跡ができる。

 いや、それは焦げ跡ではなく、拳大ほどの黒い貫通孔だった。

 魔術殺しの持つ砲は、ウィル達が瞬き一つする間に行った一撃で、古代魔法王国期の堅牢な建材で作られた床を易々と貫通してのけたのだ。


「えっ……ちょっ、ウィルさん、これってやばいんじゃないですー?」

「一発目は単なる威嚇射撃だ。次から当ててくる。……そうだな、間違っても当たらないように気をつけろよ? 高度な分解系の術式がかけられているはずだから、物理的な影響だけでなく魔術的な作用もあるぞ」

「えっえっ、ええーっ! 今までとなんか動きが違いすぎるじゃないですか! 殺す気満々って感じですよー……?」


 シルフィが慌ててウィルから距離を取ろうとする。

 敵がシルフィを認識していないなら、目標になるのはウィルだ。

 正しい判断だが——


「先ほどまでの戦いと……マリエラが離脱に成功したことから、脅威認定レベルが引き上げられたんだ。防衛ではなく殲滅に目的が切り替わって、全兵装の利用が可能になった……というところか」

「いや、いやいや、落ち着いてないでですねー……うわっ、また来そうっ」


 今度はシルフィにも予兆が見て取れたようだ。

 砲が発射態勢になり、いざ放たれようという瞬間に、金色の粒子が砲口の近辺にちらつくのだ。

 魔術による砲撃ならではの魔素マナの励起反応だが——


「わっわっわっ」 

 

 きゅぃん。

 パキン。


「……その程度の砲撃では、俺が常時張っている防御結界術式を貫けないな」


 発せられた光線は、ウィルの直前で魔術の防御壁に当たって、赤く光った。

 ……それだけだった。

 半径二メートルほどの周囲に張り巡らしてある、小規模な光学兵器向けの防御壁だが、この手の砲撃には相性がいい。

 一定以上の打撃力がある攻撃以外には反応しないので、日常生活にも差し支えがない辺りが特に。


「……ちょっとー……ウィルさん、安全ならそう言って下さいよー……」


 離れていたシルフィが、ウィルの側までふわふわと浮かんで戻ってきた。


「現金なやつ……」

「何か言いましたかー……?」


 いや別に、とウィルは呟いた。

 目標にならないようにウィルから離れるのは正しい判断だが——目標になっても別に問題などない。『当たらなければ問題ない』よりも『当たってしまっても問題ない』のほうが上策なのだ。

 サポート役であるシルフィが、サポート対象のウィルを見捨てて逃げようとしたことへの抗議で黙っていたわけではないのである。


「さてと——元の話に戻るが」

「……ええと……何でしたっけ?」

「魔術師殺しを倒す鉄則の話だ。覚えているか?」

「攻撃が通らないとはいえ、囲まれているのに悠長すぎません? いや、ウィル様のことは信じていますけどー……」


 ……本当か?

 ウィルはそこを疑問に思ったが、ツッコミを入れるより先にシルフィは続けた。


「えっと、装甲が厄介だから、囲まれないように——つまり、攻撃を受けないようにして、時間を稼いで火力がある魔術を準備して倒すんでしたっけ?」

「そう。それが基本だ。よく覚えていたな」

「え、ええまあ……」


 褒められたシルフィが照れて頭をかくような仕草のイメージが、彼女の姿隠しの影響を限定的にしか受けないウィルには伝わってくる。

 その間に、敵は再び砲の照準を定めていた。

 今度は複数の機体の一斉射撃で、こちらの障壁を打ち破るつもりらしい。


 火力の集中による障壁突破は基本ではあるが——


「——基本があるということは、応用もある」

「なるほど?」


 ウィルは、床に突いていた杖を掲げて、練り上げていた魔術の起動詞を呟いた。


「<氷炎回廊アイスフレイムコリドール>」


 ウィルを中心に、まず生じたのは強烈な冷気だ。

 波にも似た衝撃が一瞬でウィルの周囲を駆け抜けると、通路の壁や床はおろか、大気中の水分さえも凍り付いてしまう。


 が、そのすぐ後を噴き上がる炎の嵐が追いかける。

 ウィルの周囲数メートルは術式の効果範囲ではない上、術式に伴う保護結界が張られているのだが、それでも、一瞬で肌寒くなっていた空気が、まるで夏の太陽で炙られたような熱気に変わったのが分かる。


 しかしそれも一瞬のことで、再び冷気が駆け抜ける。氷点下どころか、大気が液体になりかねないほどの温度の低下だ。仮に自らへの防壁を貼り損ねていたら、ウィル達もともに凍り付いただろう。


 と、考える間もなく熱気が襲う。燃焼とは酸化反応であり、そこには必ず酸素が必要だが、一度目で辺りの酸素は消耗しきっている。温度としては数千度を超えていたとしても、もはや炎は発生しない。ただ単に焼けつくだけだ。いや、この熱の中では金属すら溶け出す。


 魔術による耐熱装甲が張られている魔術師殺しや建材を融かして、蒸発させるには至らないのだが——冷気だ。触れるだけで人体に回復不能なやけどをもたらすほど熱せられた装甲が、再び氷点下よりも冷やされる。


 熱の波が来た。分子の運動が鈍り、気体が液体に、液体が固体になる寒さだったところに、大量の熱エネルギーがぶちまけられ全てが元のように、いや、それ以上に——冷気が襲う、熱気で塗り変わる、冷気が、熱気が、冷気、熱気、冷、熱、冷、熱、冷熱冷熱冷熱冷熱冷熱冷熱冷熱冷熱冷熱冷熱冷熱——


「……つまるところ、耐魔術装甲をぶち抜くことさえできれば、細かいことはなんでもいいってことなんだよ」

「……は、はあ——なんか、辺りが地獄みたいになっていますがー……?」


 シルフィの言う通り、魔術の効果が切れた後でウィルが周囲を確認すると、くずおれている魔術殺しの群れはおろか、通路の建材に至るまで細かなひび割れだらけだった。

 建物としては再起不能と言っても過言ではない。

 魔法王国期の建材なら自然修復機能があるから大丈夫なはずだが……。

 詠唱を破棄して威力を抑えて、なおかつ効果範囲もうまいこと絞ったつもりだったが、それでもちょっとばかしやりすぎたらしい。


「耐熱衝撃性という概念があってな。急に冷やしたり温めたりを繰り返すと、一見すると強靱そうなものも案外脆いんだ」

「ええと……」


 まごついたような反応を返すシルフィに言う。


「ガラスとか陶器とか、熱した後に冷たい水を入れると割れるだろ、あの原理だよ」

「ああ! って、ほへー……すごいですね、それでこんなになるんですかー……」

「数百度以下の差で数回、程度じゃ無いからな。その十数倍の効果が——ともかく、あいつらを追うぞ。急がないとそれだけ危険が増えるんだからな」


 ウィルの言葉に、シルフィは「はい」と勢いよく返事をした。

 しかし、そのすぐ後で。


「ところで今の魔術、あれってどの程度の魔術なんです? ランク的に言うとー……?」

「ん。あれは一応、第七階梯だな」


 詠唱破棄で本来の威力は出ていないが……と付け加えるより先に、シルフィが呆然とした様子で呟いた。


「今のより上があるんですかー……。手加減の修行が必要なわけですよねー……」

「そういうことだな」


 ウィルは生返事をしつつ、二人が姿を消した転移魔術の罠に飛び込んだ。

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