第30話 魔術師見習いは、深層に惑う
「これは——仕掛けられていた、罠」
奇妙な浮遊感の後、リッタは着地しつつ、口にしていた言葉を最後まで言い終えた。
着地した理由は簡単だ。
ほんの少しだけ、地面から浮き上がっていたのだ。
つまり、この罠は——
「ねえ、リッタ。いったい……どうなったの?」
「……多分、転移魔術でどこかに飛ばされた」
同じように、通路に飛び込みかけた体勢のまま着地して、つんのめっていたミラの問いかけにリッタは応えた。
単なる推測だが、正しいと思えた。
魔力の高まりの後、何らかの術式発動の感触をリッタは感じていたからだ。
「転移魔術? そんな魔法みたいな魔術が、単なる通路に仕掛けられてたの?」
「……ん。多分、そう」
「そういや、ウィルが古代魔法王国時代の遺跡だって言っていたけど……」
「……ありえる話だと思う……」
だが、ここがどこかはまったく分からない。
周囲の光景自体は先ほどまでとあまり変わっていない。
「……元の場所に、戻らないと」
「こっちに行けば戻れるのかしら?」
転移してきたときに向いていた方向とは逆を指さして、ミラが言った。
「可能性はある……待って」
「? どうして?」
「別の罠があるかも知れない……」
リッタが端的に説明すると、ミラが息を飲む。
細い喉が動く様子を見ながら、リッタは詠唱を囁く。
「——隠されし波動、潜められし脈動……此処に顕せ、<
柔らかな青い光が輪になって、リッタの周囲に同心円状に広がって、すぐに消えた。
「……おかしい」
リッタは、首を捻った。
「どうしたの?」
「魔力は強く感じるのに、術式の反応がない……」
瞑目する。
リッタの感覚は、確かに魔力がここにあると感じている。
一様に広がっているわけではなく、濃いところと薄いところが存在している。
均一ではない魔力の存在は、魔術の術式の存在を示唆するものだ。
しかし、<術式感知>の魔術を使っても、何も感じ取れなかった。
目を開いて、リッタは呟いた。
「もしかして……高度な魔術で、隠蔽されてる?」
「リッタでも分からないの?」
ミラの問いかけに、リッタは小さな頷きを返す。
「少なくとも、ここには魔力を感じない……」
そして、先ほどミラが足を踏み出そうとして止められた場所——転移してきたのとは逆方向に、リッタが移動する。
「ちょっ……」
止める暇どころか、声を上げ切ることもできなかったが。
ミラは、リッタの姿が変わらずそこにあることを確認して、安堵のため息を漏らした。
「びっくりさせないでよ」
「……ん、ごめん……」
リッタは頷いてから、
「……さっきの罠は、一方通行だったと思われる」
そう続けた。
それを聞いて、ミラもまた頷く。
「元の場所に戻れる罠はあるかしら……」
「分からない」
「リッタが分からないんじゃ、私には無理ね……。すぐに戻るのが無理だとすると……どうする? 助けが来ないか待ってみる?」
細剣を抜いて、刃の状態を確かめながら、ミラがこれからの行動の指針を確認する。
ミラが使っている、この細剣はリッツ家に伝わる魔術の付与された逸品だ。
与えられたのは魔術学院へ旅立つ前のこと。
迷宮探索ではずっと使っているが、流石というべきか、刃毀れ一つない。
……いざというとき、私が頼りにできるのはこの剣ぐらいね。
感じた想いは口に出さず、ミラは細剣を鞘にしまった。
その確認作業の間、沈思黙考していたリッタが、それを機に口を開いた。
「……私も、すぐには動かないほうがいいと思う……」
「男連中——と、マリエラさんもいるのにこの言い方は酷いわね。……あの三人を、手助けにいかなくても大丈夫かしら?」
その方法はさておいて——だが、ミラは質問した。
つい先ほどまで戦っていた、謎の敵——ミラはゴーレムの一種ではないかと思っていたが——は、かなり手強い相手だった。
それこそ、マリエラがいなかったら全滅しているのではないかと思うほどに。
リッタはともかく、自分が戻っても足手まといになる可能性もあるが——
——放置していいものとも思えない。
そんなことを考えながら、ミラはリッタの表情を見る。
だが、銀髪の少女の顔には、仲間を案じる様子は見られなかった。
「本当に危険になったら……転移魔術の罠にわざと引っかかれば、敵から逃げられると思う」
「……なるほど。それもそうね」
「それに、あの敵は脇道を通れそうになかった……」
ミラはリッタの言い分を理解した。
確かに、通路の幅を考えれば、ウィル達がこっちにやってきても、連中を引き連れてくることはないはずだ。
「ん? じゃあ、なんでこっちに来ないのかしら?」
「そう……そこが問題」
その言葉を発したとき、リッタの表情が曇った。
反応して、ミラが眉を上げると。
「……転移の罠が一度きりだったり、行き先が違っているのかもしれない」
「それは……まずいわね」
「……ん。まずい」
よく見れば。
リッタがいつも持っている大きな杖。
それを握りしめる手が白くなっていた。力が入りすぎている。
——相変わらず、この子は顔に出にくい性格してるわね。
ミラは思わず微笑んだ。
きょとんとした顔でリッタが見てくるが、特に説明はしない。
「じゃあ……しばらくはここで待って、彼らが来ないようなら……こっちでも移動を開始する方針でいきますか」
「……それがいいと思う。それと……近くに敵がいないかは調べるべき」
「そうね……でも、罠がある可能性が高いのよね」
隠された術式があるということは、そういうことだろう。
ミラが確認すると、リッタは頷いた。
「魔術で確認するしかない」
「魔力は大丈夫? 私がやろうか?」
第五階層での爬虫類、先ほどのゴーレムのような敵。
いずれも強敵で、間に休憩らしい休憩を挟まない連戦状態だ。
魔力そのものは、ある程度の時間が経てば自然に回復するものだが、ジギーが早々に魔力回復の水薬に頼っていたように、短時間での魔力の大量消費は、精神的な疲労にも繋がる。
眠気や倦怠感が起きる程度に留まればよいが、極端な場合は突然気絶してしまうこともある。
温存できるものなら温存したほうがいいのだが——
「いい。……さっきの戦いでは大した魔術は使っていないから、まだ余裕」
リッタがそう言うのであれば、大丈夫だろう。
すでに詠唱を開始したリッタを、ミラは見守りつつ、周囲を警戒する。
彼女が使おうとしている魔術は近くで動くものを一定時間感知するものだ。
リッタの実力であれば、かなりの距離でも感じ取れるが、自分ではそうはいかない。
多分、その事実もリッタが魔術を使おうとした理由の一つだろうと思うと、ミラは複雑だった。
実家を出て、リッタと同じ学校に通うことが決まったときに、親から言い含められたことを思い出す。
——何かあったときは、リッタお嬢様をお前がお守りするのだよ——
そう言われたことについて、異論も反感もない。
ミラの実家であるリッツ家からすれば、リッタのハーウェル家は主筋だから、両親がそう言ってくるのは当然だ。
——でも、そんなことがなくても。
ミラは、瞑目して魔術を使用しているリッタの整った顔立ちを見た。
髪の色も体格も違うが、彼女の姉——ステラの面影がある。
ミラとリッタの年齢はほぼ同じで、まるで姉妹のように育てられた。
リッタにとってステラが姉であるように、ミラにとってもステラは姉のような存在だ。
姉妹の、いずれかを悲しませるようなことはしたくない。
「……これはいけない」
「えっ?」
リッタの呟きが、考えごとに耽っていたミラの思考を中断する。
「……何かが近づいてきているのを感じた……」
「魔物……かしら」
「魔物はいないはず……いや、ここが同じ迷宮内とも限らない」
リッタの言うことが一瞬分からなかったミラだが、すぐに理解した。
あの通路から転移した先が、同じ迷宮だという保証はないのだ。
それに、魔物が出ないと聞いてはいたが、ここはあくまでもかつて魔王がいた迷宮——
「予断は禁物ね」
リッタが静かに頷いた。
「……反応は、五つか六つほどある」
「ウィル達ではありえないわけね……」
「……こっちに近づいてきている……」
ミラは考えた。
「隠れるのはどうかしら?」
「……悪くない……待って」
「どうしたの?」
「さらに大きな反応が、その後ろに二つある……これは——さっきの敵とほぼ同じ大きさに思える」
ミラは思わず細剣に手をかけた。
もちろん、二人だけで戦える見込は薄いと分かっていた。あくまでも反射的な動作だ。
諦めて、ミラは柄から手を離す。
「——移動するしかなさそうね」
逃げを提案するミラに、リッタも頷いた。
そうして、どちらからともなく動き始めて——
少し経つと、リッタは思い出したように言った。
「……ミラクルなんとかの人達から、もっと下の話も聞いておけばよかった……反省」
「こんなに奥まで潜る気はなかったんだもの、仕方ないじゃない」
余裕のない状況で、こんなことをリッタが言ったのは、場の空気をほぐすため。
それを察して、ミラは微笑んだ。
二人だけの深層探索は、こうして始まった。
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