花乱〜からん〜 11


 主人が呼んだ貸し馬車に乗って、レグラスとセルディは帰ることになった。

 マナが馬車まで送ってくれた。

 雨はすでにやみ、星空が輝く。外は静かなのに、夜を徹して花宿の騒がしさはかわらない。建物の中から下品な声が響いてくる。

「ジュマはきっと、今頃どこかの川辺で息絶えているでしょうね」

 マナが呟いた。

 うつむいた顔が少しだけ可憐に見えたのは、闇のせいかもしれない。

「運がよければ生きているさ」

 馬車に乗り込むときに、レグラスはマナに口づけした。

 マナは軽く首を振った。

「いいえ……。花抜け狩りの男たちが、彼女のしかばねを見つけて運び込むの。誰もがみんな、彼女の華やかだった頃を思い出し、なぜ、花抜けをしようなどと思ったのか、噂するの。恋をしていたのだろうか? それとも愛を拒んだのだろうか? って……。明るい中では忘れられても、闇の世界では悲劇の主人公として、彼女は語り継がれることでしょうね」

 さすがにお別れのキスをためらって、セルディは握手を求めた。 

「ジュマは幸せ者よ。娼婦として華々しい生涯。名をなすことの出来ない者の、伝説となる最高の栄誉! どう? これが花街の世界、実態なの。あなたも勉強になったでしょう?」

 マナは笑った。

「……またきます」

 それは明らかに社交辞令だった。マナは怪訝そうな顔をした。

「いやよ、あなたみたいにかわいくない客はもううんざり。似合わなすぎよ、私の王国にはもう来ないで」

 通常、このような時には、『またきてください』というものだ。泣き笑いしているようなマナの顔が、どこか年よりも若く見えて、馬車で運ばれてきたという六年前を彷彿させる。

 この道一本、一歩進んだら、マナも花抜けと見なされて、命を失うことになる。しかし、彼女は小さな闇の王国に留まり、凛と美しく咲くことを選んできた。

 たとえ、毒花と言われようが……。

「だから坊やとは、永久にさようならね」

 セルディは、握手した手を引き寄せて、マナの額にキスをした。



 馬車は動き出した。

 ガラガラと石畳を行く。

「ふう……」

 レグラスが大きな息を吐いた。狭い馬車の中に入って気がついたことだが、少し酒臭い。

 毒入りは飲まなかったものの、かなり酒を飲んでいたことにセルディは気がつく。どうやら、緊張が解けて酒が回ってきたようだった。

「俺を軽蔑するか?」

 突然、レグラスが言い出した。

「え?」

「俺は、金で女を買う。軽蔑するか?」

「……」

 しばし、無言になる。

 昼の質問の答えだった。

「俺は逃げているんだ。たぶんな」

 レグラスは少し目の視点があっていない。いつものレグラスとは違った。

「俺は逃げている。緊張の連続の毎日から……。女のもとへいけば、バカになれたし、日常を忘れられる。女は柔らかくて気持ちいい。俺にとっては唯一の安らぎの場だった」

 しんみり語るレグラスに、セルディは何もいえなかった。


 レグラスは妻子を遠い地に置いてきている。

 もう何年も会っていない。離縁してこなかったのは、わずかながらの土地を妻子に残してあげたかったからだ。

 しかし、風の噂では、その家に別の男が入り込んでいると聞く。レグラスに帰る家はない。


「花街は現状を考えると絶対悪ではない。むしろ、娘を売らなくてもすむようにすることが大切だ。だが、ある程度の規制は必要だった。俺は間違っていた……。自分の居場所を求めるあまりに、目が曇っていたな。セルディ、おまえの言う通りだ」

「……レグラス」

 しばらくだんまりが続いた。

 馬車の音だけがガラガラと響く。今のリューでは珍しい、静かな、平和な夜だ。表面的には。

 レグラスは背もたれに寄りかかり、目をつぶって呟いた。

「俺はもう、女を抱く時も命の心配をしなきゃならんほど、追い詰められたんだな」


 いろいろありすぎてセルディも困惑していた。

 昼間よりは、レグラスやトビの言い分がわかるような気もするけれど、納得したわけでもない。

「僕にはわからない。レグラス。もしかしたら、僕もいつか人の上に立つようなことがあったなら、同じように思うかも。その立場にならないと、わからないことってあるだろうし……でも」

 知らないうちに、セルディは自分の左腕をさすっていた。

 服の上からもわかるほど、そこに深い疵をもつ。セルディは、辛いことがあると逃げ場を自分に求めてしまう。


 ――自分を切り刻む快感は、女を抱いているのと同じ感覚なのだろうか?


 やめようと思っても、なかなかやめることが出来なかった。レグラスと出会って、セルディは初めてこの癖から逃れられた。

「でも……。きっと僕は、お金では女の人を買わない。もしも万が一、愛とかじゃなくて、逃げ道みたいなもので、女の人を抱くことがあったとしても、きっとその人を大切にする。だから……」

 言いにくそうに、セルディはうつむいた。

「あの……もしも、マナがそういう人だったら、会いに行ってもいいと思う」

「バカ」

 あっけないほど、簡単に返事が返ってきた。

「俺は、今夜という今夜こそ、気がついたぞ」

「な、何?」

「俺の側におまえがいることの重要性だ」

「はぁ?」

「おまえは腕が立つから安心できる。女みたいにきれいだから目にもいい。頭がいいから仕事も助かる。おまえは誰よりも俺の癒しになる」

 そういわれると悪い気はしない。でも、やや据わった目でいわれると、何だか嫌な予感がする。


 その予感は的中した。


「俺はおまえを愛しているぞ!」

 突然叫んだかと思うと、がばっと、レグラスはのしかかってきた。

 あっというまに、セルディは馬車の座席に押倒された。

「うわ、やめて! レグラスは女専門でしょ?」

「いや、今から両刀になることにした」

「ちょ、ちょ、ちょっと……ま……」

「いや、待てない。今日は発散できると思っていたのに、出来なかったから押さえ切れない」

「ふ、ふざけないでって、レグラスーーーー!」

 いかにスピードで敵なしのセルディでも、力ではレグラスにかなわない。

 じたばたと、レグラスの体の下で暴れているしかない。

 が……。

「???」

「……ぐうう……」

「レグラス?」

 寝ている。

 セルディはレグラスの体を思いっきり押し戻すが、どうも戻らない。

「起きてよ、ねぇ、重いよ……」

 起きない。

「仕方がないなぁ……」


 本当に、女癖・酒癖が悪いところが、レグラスの唯一の欠点かもしれない。

 これが明日になってしまえば、今日の告白は覚えてはいない。

 たぶん、「水……」が、レグラスの明日の第一声だ。

 必死になって重たい体の下から這い出すと、レグラスは無意識のまま「うむむ……」と声をあげて、セルディの服を掴む。

 そっと指を開かせると、レグラスはそのまま手をたぐってむにょむにょいいながら寝返りを打ち、セルディの膝を枕にする位置で再び動かなくなってしまった。

 女性の膝よりは固くて骨っぽいに違いないと思いながらも、安心しきった寝顔を見ていると、歳を重ねたものでありながらも子供のようで、そっとしておいてあげたくなる。

 いつもはレグラスがセルディにする癖を、セルディは真似した。つまり、髪を撫でてみる。髪は見かけ以上にばさついていて、まるで馬の鬣みたいだった。

 でも、なぜかうれしかった。

 レグラスが髪を撫でてくれる時、やはりこのような心境なのだろう……と実感したから。

 たよりにしてくれているし、信じてくれているのは事実だろう。愛してくれているのも間違いない。


でも、『愛の告白』はすこしだけ違う。


 酔っ払った勢いで、数多くの女を口説いてきた男だから、別に本気にはしない。

 うっかり酒の席での言葉を信じてしまい、押しかけてきた女性を、レゴラスは何人覚えていただろう? ほぼ皆無だ。

 が……。

 貸し馬車の御者が、ちらりとこちらを見ていた。セルディと目があうと、慌てて前を向き、馬に気合を入れた。その声も妙に裏返っている。


 ――絶対に誤解した……。


 この男は、間違いなくレグラスの告白を本気にし、数日中に『リューマ族長の愛人』という噂は、ますます盛んになるだろう。

「仕方がないなぁ……」

 その声に答えるかのように、膝の上でレグラスが「うが……」と声をあげた。本当におかしな男だ。

 それでもレグラスは、そんな噂など豪快に笑い飛ばすのだろう。

『ははは、いいたいヤツには言わせておけ! 俺はおまえを愛しているぞ!」

 まぁ、それも悪くないかも……。


  

 =花乱〜からん〜/終わり=

 

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花乱〜からん〜 =火竜と呼ばれた少年= わたなべ りえ @riehime

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