花乱〜からん〜 10
すっかり毒で意識が無くなったと思い込み、マナはレグラスの腰紐をとろうと、ジュマの束縛を解いてしまったのだ。
レグラスに服を着させるためとはいえ、おせっかいもはなはだしい。だいたい代わりの腰紐くらい、持っていないマナではなかろう。レグラスは頭をかいた。
「マナ、君は相変わらずせっかちだな……」
「あ、相変わらずって何よぉ、私のどこがせっかちですのぉ?」
泣き声になりながら、マナが叫んだ。
「いや、その、あの……あの時が……」
口元でもそもそとレグラスが呟く。セルディの手前、はっきりとは言いにくい。
「ふん、色気一転倒で押しまくるしか脳がないから、相手を見極める目が未熟ってことよ」
かつての好敵手であるジュマが、息を荒げながらもマナの耳元でささやいた。
ジュマの毒は切れていない。
目は朦朧としたままだったが、ジュマにはこのまま拘束され、尋問されては困ることが目白押しだった。
それに、暗殺という使命を最後までまっとうすることも捨てられない。毒に慣らされた体が、辛うじて今のジュマをささえている。
暗殺の手段は最悪だが、心がけはウーレン族として恥ずかしいものではない。
セルディにとっては、好ましい態度でもある。
「ジュマ、あなたの負けだ」
レグラスの前に、セルディがかばうようにして立ちふさがった。
目の奥に赤い光が灯る。逆手に構えた短剣に、刻印されたウーレン文字が光る。
「それがわからないあなたではないはずだ。せいぜい、殺れてその女一人がいいところ、レグラスを殺すことは出来ない」
セルディの言葉に、ジュマよりもマナの怒りが爆発した。
――かわいい顔して鬼だわ、鬼!
愛するレグラスだけが助かれば、私はどうなってもいいわけ?
この私の危機に何も思わず、そんな計算しているわけ?
セルディが攻撃、ジュマが反撃? ならば、私は逃げれるけれど、セルディが攻撃、ジュマが私を刺し、セルディがジュマを刺す……じゃあ私、死ぬのよ!
「なによ! 人でなし! 一瞬でもあなたがかわいいと思った私がバカだったわ! あんまりよーーーー!」
その悲鳴が、ジュマの頭痛を促進させる。とても耐えられたものではない。
「ちっ!」
ジュマは小さく舌打ちすると、マナを突き飛ばして、二階の窓から身を躍らせた。
リューマでは高級品の硝子が割れ、大きな音を立てて砕け散る。
レグラスが慌てて窓辺に走りよった。
高さがあるとはいえ、ウーレン族のジュマは身軽だった。猫のように回転して、芝生の上に着地した。
しかし、体の自由は利かないらしい。
「ジュマ! 走るな! 毒が醒めてからにしろ! 死ぬぞ!」
毒は激しい運動をともなうと、心臓を止めてしまう。逃げるために動き回れば、それだけでジュマを死に至らしめるだろう。
気遣うレグラスの声が、ジュマを逆に奮い立たせた。
三人が窓から見ている中、ジュマの姿はよろよろと闇の中に消えていった。
どやどやと足音がする。
花宿の主人が、窓が割れる音を聞きつけて、慌ててやってきたのだ。
「ど、ど、どうしたのです? 一体これは???」
部屋の扉は壊されているし、窓はめちゃくちゃ。娼婦が一人行方不明。お客はリューマ族長ときたものだから、主人が動揺するのも無理は無い。
「どうもこうもないわよ。ジュマのヤツ、お客を嫌って窓から飛び降りて逃げちゃったの!」
困り果てていたセルディとレグラスの前に、マナが出てきて大きな声で説明し出した。
「ジュマが??? は、花抜けか?」
主人は目を丸くした。
花抜け――それは娼婦が客を嫌ったり、もしくは客と恋に落ちたりして、花宿を逃げ出すことである。
商品である体を外に持ち出すことはご法度であり、見つかった場合は二度と日の目を見ることはない。
「ちが……」
言いかけたレグラスをセルディが止めた。
「……そうしたほうが、いい……」
ウーレンに逃げ帰っても、失敗した暗殺者には不名誉な死が与えられる。リューマで身柄を拘束しても、彼女は死を選ぶだろう。下手にウーレンを刺激するのも、この時期あまり好ましくはない。
「お、お見逃しを。こ、このことは……」
主人は支払いの倍ほどの金を、レグラスの懐にねじ込もうとした。しかし、その腕をレグラスはねじり返し、金ははらはらと床に散った。
「俺は何も被害はこうむってはいない。だが、この花街は一度実態調査をしたほうがよさそうだな」
主人は真っ青な顔になり、あとから入ってきた部下たちを怒鳴りつけた。
「すぐにジュマを探さんか!」
バタバタと走り去る音。あわただしい夜だった。
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