花乱〜からん〜 9


 確かにそうかも知れない……。

 ジュマは、心臓が苦しくなってきた。思いもよらない展開に、筋書きがついていかないのだ。マナの金切り声が頭痛を誘発させる。


 ――目障りなレグラス・リューマを、闇に葬れ……。


 それが、ジュマの使命であるが、ウーレン第一皇子の身柄確保は、暗殺者・間者を問わず、与えられた命令なのだ。

 セルディを連れてウーレンに戻れば、ジュマは一躍英雄だろう。しかし、聡明なウーレン皇子が、たかがリューマの族長ごときの命と引き換えに自分を売って、何の得があるというのだろう?

 得なことなどありえない。ただ一つの理由以外に……。

 くだらない妄想が頭を駆け巡る。


 ――まさか、やっぱり恋仲なのか? この二人……。


 ジュマはあわてて妄想を打ち消そうとした。女は妄想が大好きなのだ。

 美貌の皇子と成り上がり平民の、禁じられた恋?

 聡明な少年の心を狂わせる情熱的で激しい思い。その美しい喉元を切り裂かれても、相手のためならいいというのか?

 うう、まさか? 

 口元から漏れた吐息、滴り落ちる汗……。

 日焼けした腕の中で、白い肌を桃色に染めてもだえる少年の姿が目に浮かぶ。

 汗も激しい呼吸も本物だった。

 しかし、それは妄想の少年のものではなく、ジュマが発したものだった。 

 長く花街に潜入しすぎたらしい。マナとトップを争う間に、あの女に感化されたに違いない。

 剣を握る手も汗ばむ。


 体調が……? おかしい?


「お、おだまり! 下手な時間稼ぎなど考えるんじゃないよ。ただ、時間とともに毒が回るだけだ。ヘンな真似をして私に手を出してみてごらん。この男は死ぬだけさ!」

 かすむ目でジュマは叫んだ。

 

 その時だった。

 あっという間の一瞬だった。


 突然、顔に押し当てられた枕で、レグラスがジュマの剣を払った。

「それは嘘だな! 毒は激しい運動さえしないでおとなしくしていれば、自然と消えてゆくヤツだろう?」

 その隙に、セルディはすばやく移動すると自分の短剣を拾い、おそらく反撃してくるだろうジュマの動きを頭の中で描いていた。

 しかし、その必要は無かった。

 ジュマが呆然としている間に、レグラスは飛び起きると、ジュマの腕をひねって押さえつけていた。

 通常、このような隙をウーレン族が見せるはずはない。セルディは目を丸くした。

 ジュマは激しい息遣いをしながら、レグラスを憎々しそうに見あげた。

「ま……まさか?」

「そう、さっきタンブラーを取り替えておいたんだ」

 レグラスは、ベッドの横に投げ捨てられていた自分の腰紐で、ジュマを縛り上げながら微笑んだ。

 後ろでマナがへなへなと崩れ落ちた。緊張が解けてしまったらしい。

 花街の捕り物は、何ともあっけなく終わったようだ。


 セルディは短剣を鞘に収めて、元気そうなレグラスの様子に、やはり崩れ落ちそうになっていた。

「レグラス……なぜ?」

 レグラスは立ち上がると、はだけていた下衣を整えながら、にやりと笑った。

「このような手口で暗殺されている要人が何人かいたからな。もしかしたら……と思ったらそうだった」

「でも……どうしてこの女がそうだとわかったの?」

「いや、俺はまったくわからなかった」

 レグラスだけではない。数ヶ月一緒に働き、競い続けていたマナだって気がつかなかった。それだけジュマは巧妙だった。

 ベッドの上で、朦朧としながらもジュマが悪態を突く。

「ち、畜生!」

「おとなしくしていないと、心臓が止まるぞ?」

 レグラスが優しくジュマに言葉をかける。

 セルディはこの展開がまったく信じられず、よろよろとレグラスのほうに歩み寄った。その肩にぽんとレグラスが手を掛ける。

「俺は気がつかなかったが、おまえは気がついたんだろ?」

「え?」

「おまえが気がついたことに、俺は気がついただけさ」

 

 ――意味がわからなかった。

 だって、レグラスは楽しそうだったし、僕は忠告し損ねたのに……。


 レグラスはそそくさと上衣を着始めている。そして、腰紐を使ってしまったことを思い出して、あぁ、とか言ってガッカリしている。

「もう外しても大丈夫じゃない? 意識無くなっているみたいよ?」

 マナがそういいながら、ジュマの様子を探っている。

 服を着かけて立ち尽くしているレグラスの胸に、こつんとセルディが頭を当てた。

「どうした?」

「だって……本当にレグラスが死んじゃうのかと思ったんだ」

 そんなはずはないだろう? とばかりに、レグラスは微笑んだ。

「おまえ、酒を飲まなかっただろ? あの時に気がついた。単にふてくされただけで嘘つくようなおまえじゃないからな」


 ――それはそうだけど……レグラスは、なぜ僕の心が読めるのだろう?


 あの緊張を思い出すと、涙が出てきてしまう。

 レグラスは僕を信じていてくれたのに、僕は信じられなくて……。

 あんなことで、この人を失っていたら……僕は……。

 このぬくもりを失ってしまったら……僕は……。


「バカだなぁ、泣くな。男だろ?」

 そういいながらも、レグラスは頭をくしゃくしゃ撫でてくれる。

「きゃぁぁぁ!」

 突然、マナが叫び声を上げた。レグラスとセルディに緊張が走る。

 マナは、レグラスの腰紐をもって真っ赤になって震えている。

「あなたたち、やっぱりそういう関係だったのね!」

「ご、ご、誤解だ! マナ!」

 レグラスが汗をかきながら弁明した。

「マナ!」

 セルディが叫んだ。

「何よ! ひっ……」

 頬につめたい剣先を感じ、マナはひきつった。

 ジュマがふらつきながらも起き上がり、マナを盾にとっていた。

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