花乱〜からん〜 8
ドーーーーーン!
ものすごい勢いで、タンスがひっくり返り、ジュマは驚いて振り返った。
一瞬、埃が立ち、目をあけていられないほどで、ジュマはごほごほと咳き込んだ。おそらく、このタンスの裏は長い間、掃除もされたことがなかったのだろう。目の前の
タンスは無残にも引き出しがいくつか飛び出してしまい、豪華な衣装の中で人がもぞもぞと動いている。
「いやーーーん! いったーい! 何するのよぉ!」
タンスの裏板にひっかかったままのマナである。
「何するのは、こっちのセリフよ!」
ジュマは大声で怒鳴った。
あと一歩というところで、物語が完結する。
その手前でとんでもない邪魔が入った。三角関係のもつれ……という新たな筋書きを作らねばならない。
しかし、それも違っていた。三人ではない。四人だったのだ。
綿埃の中にまぎれて、銀の巻き毛が踊っていた。
一瞬、マナに気をとられ、見逃すところではあったが、ジュマもウーレンの暗殺者である。セルディの動きを読んでいた。
「お待ち!」
セルディの動きがぴたりと止まった。
ジュマの手前、わずかというところで短剣を抜いたまま、おそらくあと数秒でジュマの喉を掻き切っていたに違いない。
ジュマはブーツに隠し持っていた暗殺用の尖剣を、レグラスの胸に突き当てていた。たとえ、先にセルディがジュマの首をとったところで、彼女は死んでも自分の体の重みをかけて、剣を突き刺すに違いない。
すばやく状況を先読みして、セルディは踏みとどまったのだ。
「おまえは隠密の刺客・静かなる暗殺者ではないのか? その剣でレグラスを刺してみろ! ウーレンの汚名は免れない!」
もとよりジュマが命ごいするはずもない。ウーレンの暗殺者にとって失敗は死を意味する。彼女は死んでも任務を遂行するはずだ。
レグラスを一気に殺さなかったのは、やはり直接手を下したとは思われたくはないのだろう。ウーレンは今、エーデムとの関係も怪しくなっており、政治的な難題が多い。
セルディの読みは当たった。
「そう……だからね、あまり血は流したくないわけ。だからおとなしくしていてちょうだい。おっと!」
ジュマが枕をレグラスの顔に押し付けようとした隙をつこうとして、セルディがぴくりと動いた。その動きを、ジュマは見逃さない。
「私を刺してもいいわよ。ああ、いい筋書きを思いついたわ。『ウーレン第一皇子、愛憎のもつれから、リューマ族長とその愛人を惨殺』って、どう?」
自分の創作に感動して、ジュマは微笑んだ。
「きゃー! あなたって最悪よ! さ・い・あ・く! そうは思っていたけれど、やっぱりそうだったのね。だいたい、なんであなたがレグラスの愛人として死ぬわけ?」
やっとタンスから抜け出したマナが真っ赤になって叫んだ。
「その悲劇の主人公は私でなくちゃ、ダメなのよ!」
対照的に、セルディは透き通るほどに青くなって、押し黙っていた。
ウーレン皇子の誇りを捨てないセルディにとって、その筋書きはまさに最悪だった。
ジュマに向けた短剣の刃先が、かすかに揺れた。そこには、ウーレン王族である『セルディーン・ウーレン』の名前が、はっきりと刻まれている。
幼い日……もしかしたら、王族ならば誰しもが持つこの短剣を、自分は与えられないのでは? と、不安になったことがある。
しかし、実の父であるウーレン王は、慣例に従い、アルヴィよりも先に兄であるセルディにこの短剣を手渡した。
あれは六歳になった日のこと。弟と二人、並んで短剣を胸に抱き、父の言葉を胸に刻んだ。
「名誉を守れ。ウーレンの誇りを忘れるな」
その証である短剣を、セルディはゆっくりと鞘に収めた。
――筋書きなんてどうでもいい。
自分の名誉なんて、地に落ちたって血まみれになったてかまわない。
一番大切なのは、レグラスを殺させないということなのだから……。それこそが、本当の誇りなのだから。
「リナに……私を献上したほうが、リューマ族長ごときの命より面白くはないか?」
ウーレン王母・リナにとって、一番の目の上のコブ。どうにか始末してしまいたい少年。それが、ウーレン第一皇子・セルディーン・ウーレンなのだ。
あまりに美味しすぎる話に、一番驚いたのは、ジュマだったかもしれない。
「ちょ、ちょ、ちょっとぉ! あなたバカじゃない? こんな
マナがあわててセルディにすがりついた。
今回ばかりは、マナの顔に下心はなく、本当に心から心配してくれていることがわかる。でも、それしかレグラスを助ける方法が浮かばない。今のままならば、すべての切り札はジュマが握っているのだ。
そのうえ、毒だ。早くしないと、レグラスはそのまま死んでしまうかも知れないのだ。出来るだけはやく取引をするために、一気に譲歩する必要がある。
いてもたってもいられなくなったのだろう、マナが部屋を飛び出していこうとした。
応援を呼べば、この状況は変わるかもしれない。しかし、そのようなこともすべて予測しているのが、暗殺に携わる者なのだ。
「マナ! あなたも動いちゃだめ! この部屋から出て行ってごらん。私とレグラスの心中事件を見ることになるわよ」
マナに向かって、セルディが首を振る。
無駄だという合図だ。
セルディは短剣を外すと、ぽんとジュマのほうに投げて渡した。
「毒は何を用いた? 解毒の方法を教えてほしい。レグラスの命の保障をしてくれるならば、あなたとともにウーレンにでもどこへでも行ってあげるよ」
ジュマは、まだ何か裏があるのでは? と、疑っているようだった。ウーレン皇子が、本当に丸腰になったものかも疑わしい。
「ジュマ! 聞いちゃダメよ、あなたも頭があるのなら、わかるでしょう? こんな美味しすぎる話は裏があるのよ! 乗っちゃダメ! ちょっと冷静にかんがえなさいよ!」
マナが叫んでいる。
セルディを助けたいがためとはいえ、困った意見だった。
しかし、マナの言葉は、実はジュマを悩ませていたのだった。
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