終:あなたの傍で、小さな夢を一つずつ叶えていこう

 あの後は、騒然としていた。


 聖女だとバレたのだから、このまま聖女として生きていかねければならないのか、と思ったのだがロタールがどうにかしてくれた。


 その場にいた者に箝口令を出し、聖女の存在を表に出さないよう、その場に居合わせた警備兵全員に口止め料を出した。


 おこりんぼうが率いっていたチームは、全員御用となり、前歴を調べているようだ。


 ちなみにセリウスには、聖女のことをバラさない限り誘拐の件は黙ってあげるよ、と脅していた。


 誘拐の件を知っているのは、警備兵と屋敷の者、そしてアルファしかいない。アルファにも説明して、母親を含めた街の人たちにも黙っているようにお願いした。


 アルファは最初、納得していなかった。誘拐犯を野放しにするのが不満だと訴えるアルファに、ロタールが。



「弱味を握っておいて、あとあと利用するのが貴族というものさ」



 と、言って納得させられたらしい。アルファが後に、貴族おっかねぇ、と呟いていた。何に利用する予定なのか。彼の家が造船会社を運営しているらしいので、その辺りかと思うが、後々分かるだろう。


 あの人、本当に領地運営の才能ないのだろうか。そんな疑問が浮かんだが、敢えて問い出さないことにした。面倒くさいからだ。


 セリウスとエマの婚約も続行しているらしく、エマの手紙には少しずつ歩み寄っている二人の様子が書かれていた。



「足下に気を付けて」


「うん」



 漆黒の帳が下りた頃。明かりは星と、小太郎の手に持っているランタンしかない。


 珊瑚は、小太郎に手を引かれながら、森の中を歩いていた。虫の鳴き声と夜風が優しく木の葉を奏でる音に耳を傾け、珊瑚は澄んだ空気を肺に溜め込んだ。



「怖くないか?」


「怖くないよ」



 珊瑚はにっこりと笑いながら、返事をした。


 珊瑚と小太郎は、ヴァーランスの下層にある森にいた。小太郎が、そこに見せたいものがある、と言ったからだ。



「ここだ」



 辿り着いたのは、綺麗な小川だった。せせらぎの音が心地よい。

 珊瑚は小太郎を見上げた。



「ここになにがあるの?」


「もうすぐ出てくる」



 珊瑚が首を傾げると、小太郎が、あそこ、と指した。


 そこに目を向けると、一粒の淡い水色の光が、ゆらりと浮かんでいた。それは一つだけではなく、たくさんあった。

 それは小川に集まっていき、小川が淡い水色の光に彩られていく。



「蛍……?」


「蛍じゃない。タタルっていう虫だ」


「タタル?」


「ぱっと見蛍みたいだけど、生態が違うんだ」


「へぇ……」



 珊瑚はタタルを見つめる。



「蛍を見せたかったけど、この世界には蛍いないから」



 小太郎は苦笑しながら、珊瑚と同じようにタタルを眺める。珊瑚は小太郎を一瞥した。


 昔、蛍を見に行こう、と約束したことは覚えている。小太郎は、約束を果たそうとしている。


 きゅう、と胸が締め付けられた。俯いて、小太郎から視線を逸らす。



「……小太郎」


「ん?」


「守れないって分かっていたのに、約束しちゃってごめんね」



 ずっと言えなかった、謝罪の言葉だった。


 守れないと、その前に死んでしまうと分かっていながらも、自分は彼と約束を交わした。


 純粋に自分の生を望んでいる子と、約束を交わすことが、あの頃の自分にとって生きる糧だったのだ。



「たしかに、珊瑚が消えてしまった時、虚しくなったけど」



 そう言いながら、小太郎は小指に視線を向けた。その小指は、珊瑚と約束を交わした指だ。珊瑚との約束を刻んだ小指を、軽く動かす。



「この小指が熱くて、疼いて、どうしようもなかった。けど」



 小太郎が珊瑚の手を握る。珊瑚は小太郎を見た。



「今は違う。珊瑚が生きている。一つずつ、約束を果たせるのが、嬉しいんだ」



 言いながら、小太郎は微笑んだ。



「そんなこと言って……全部果たしたらどうするの?」


「また新しい約束をする。その時間はたっぷりあるから」


「そうね……」



 珊瑚は健康体になった。もう、十五歳まで生きていないだろうと言われていた身体ではない。


 いつ死ぬか分からなったけれど、だからあの時に比べると時間がある。


 それに、小太郎が珊瑚から離れていくなんて、死ぬまでない。


 無情にも家族を置いてきたとはいえ、今までの生活を捨ててまで、左も右も分からない異世界までその身一つで自分を探しに来てくれたのだから。外国とは訳が違いすぎる。


 だから、小太郎が心変わりすることはない。珊瑚は、信じている。



「ああ、でも……花火は、小さいのか遠い街で見ることになるかな。犬がびびってしまうから」



 エバン畑の番犬たちのことを言っているのだろう。あっちの世界でも、小さな花火でも音が鳴ったら近所の犬がびびっていた、と小太郎の兄が言っていた。大きな花火の音に驚いて、脱走する犬もいたという。


 番犬が逃げたら大変だ。



「小さくても、遠い街でもいいよ。小太郎と一緒に、見れるんなら」



 小太郎と一緒ではないと、意味がないのだから。


 小太郎の身体にぴたっと寄り添う。すると、小太郎の身体がびくっと跳ね上がった。そのまま固まってしまったのを感じて、珊瑚は小さく笑った。


 ほんとう、初い。そこが可愛くて愛おしいけれど。



「ねぇ、小太郎」


「な、なんだ?」


「わたしね、夢を見つけられたの」


「夢?」



 小太郎が首を傾げる。


 病院にいた頃は、夢を描けなかった。夢を持っても無意味なことだと、諦めていた。


 こちらに来てからも、前も見れなくて、夢も見れなくて。

 けど、今は違う。


 小太郎がいる。小太郎が、自分のためにここに来てくれた。

 そのおかげで、夢を見つけられた。



「聞いてもいいか?」


「もちろん」



 ぎゅっと小太郎の手を握り締める。



「あのね、わたし、小太郎との約束を全部果たしたい」



 小太郎が目を丸くする。



「小太郎との約束は、わたしの夢でもあったの。だから、全部果たしたいの」



 守れないと分かっていたが、同時にやりたいなと思っていたことだ。たとえ他の人が小さいことと笑っても、まずはその小さいことから一つずつ叶えていきたいと思う。



「俺、さっき新しい約束をするっていったけど」


「あら、小太郎ったら。裏の意味も考えてよ」


「裏の、意味……」



 しばらく黙り込んだ後、みるみるうちに赤くなった。


 裏の意味を、正確に読み取ったのだろう。顔が林檎のようだ。


 珊瑚は笑声を上げた。小太郎がわなわな、と肩を震わせ、珊瑚を凝視している。顔が真っ赤で、口も忙しなくぱくぱく動いている。


 その姿がおかしくて、さらに大きな笑声を上げた。


 心の底からの、屈託のない笑顔を浮かべながら、ずっと。

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【完結】君の愛を信じて 空廼紡 @tumgi-sorano

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