第21話 錯乱
院内の台所へ真っ直ぐ戻る。ディノスが割ったと思われる血の付いた皿の破片や、自分を傷つけるために使ったであろう鋭利なフォークやナイフの類は、綺麗に片付けられていた。おそらく、ロミオがディノスと話している間にトアンクがやってくれたのだろう。彼女は既にいなかった。エルフのところか、レアティカのところか。
ロミオは、自分らが出ていった時と同じ場所に座り込み、両手で顔を覆っているフェイデルに遠慮がちに声をかけた。
「……フェイデル」
おそらく、ずっとこのまま泣いていたのだろう。ゆるゆると上げた彼女の顔は、目元が赤くなっているどころではなかった。瞼は腫れ、唇は噛みしめたのか、血まで出ている。痛々しかった。
ぼんやりとロミオを見つめていたフェイデルだったが、その背後に佇むディノスを見て、がばりと立ち上がる。
「ああ、無事でよかった!早く手当てをしましょう、まだ傷が完全に塞がっていないわ」
よろけながらもディノスのもとへ辿り着き、彼女の身体にフェイデルは縋りつくようにして抱き着いた。
ぎゅっと大切そうにディノスを抱きしめるフェイデル。その様子に、やはりディノスが接触を一方的に拒んでいただけだと、ロミオも安心した。
「早くお家に帰りましょう、お父さんも待っているわ」
「え?」
お家、お父さん。フェイデルの発した言葉に、ロミオは違和感を覚えた。二人にとっての「お家」がここであることはわかるが、帰るべき家にいるのに「帰る」とはどういうことだろうか。それに「お父さん」はどこを見ても見当たらない。二人の他に神樹孤児院に住んでいるのは、エルフ、トアンク、レアティカの三人だけだ。父と呼べるような大人の男性などいない。
抱きしめられたまま微動だにしないディノスの肩が、ピクリと震えた。
「ああ、もう二度と離さないわ……私の可愛いティアクル」
その場の空気が変わったのが、事情をよく知らぬ部外者同然のロミオでもわかった。
ディノスの二つに束ねられた紫の毛先が、うようよと宙を彷徨いだす。それはぶるぶると小刻みに震え、やがて強く床を何度も打った。毛の束が地面を叩いているだけなのに、床はバシンバシンと今にも突き破れそうな音を立てる。まるで髪の毛が、感情を表に出さないディノスの気持ちを代弁しているかのようであった。
両拳を震えるほど握りしめ、これまでとは違ってあからさまに怒りの表情を浮かべたディノス。それを見たロミオは、ひとまずこの場を収めようと口を開いた。
「ちょっとフェイデル?その、ティアクルって……誰?」
「何を言っているの?ティアクルは私の大事な一人娘よ」
当たり前のことを質問された時のように、怪訝な顔つきで、フェイデルは答えた。
おかしい。フェイデルはディノスのことを「ティアクル」と呼び、それが間違っていることにも気づいていない様子だ。ディノスは歯ぎしりをしていた。目は見開かれ、表面の膜が微かに揺れていた。
(このままじゃ駄目だ……とにかく離さないと)
ロミオはディノスとフェイデルの間に割って入り、渾身の力を込めて彼女らを引きはがした。ディノスは力を失った人形のように後ろへしりもちをつき、フェイデルの方は中途半端に手を広げたまま、ぼうっと虚空を見つめていた。
しばらく室内を、沈黙が支配する。
「……やっぱり、わたしのことを否定したまま」
ディノスはゆらりと立ち上がると、震える声で言い捨てて台所を出ていった。
神の樹の子供たち 羽壬ユヅル @meisyoudotou273
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。神の樹の子供たちの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます