最終章 さよならは言わないで

 俺は迷っていた。


 迷いながらも身の回りの物の整理を黙々と続けていた。とはいえ、元々着の身着のままでこの《ノア=ノワール》に連れてこられた身なので、大して詰める物もない。あまり考えもなしに通学鞄に放り込んでいたハンカチやら何やらを洗って乾かして、綺麗に折り畳んではしまい込む。それくらいだった。




「お、おい。もう行っちまうのよ?」


 珍しく声をかけてきたのは、何とあのアルヴァーだった。その隣には魔王もいる。


「ええ。そうですね……もう勇者は本当に不要になった。違いますか?」

「まあ、それはそうなんだけどよ……」


 何故か魔王の方でもなく、後ろをちらちらと気にする素振りを見せるアルヴァー。それから、少し目線を下げて、魔王と目くばせをする。リア充め。


「何もそこまで急ぐ必要はないだろう? せっかくまおたんも友達が出来て喜んでたのに。な?」

「……僕のせいにする気?」

「ち――違う! 違うぞ!?」


 じろり、と魔王に睨み付けられ、アルヴァーは真っ赤になって激しく首を振ってみせる。受け攻めの関係では、やっぱり俺様英雄神は総受けらしい。


「俺様だって……寂しい。決まってるじゃないか! お前は、俺様たちの恋のキューピッドでもあるんだからな。それに……お前に会って話をしておきたいって奴らだってたくさんいただろう?」

「もう、一通り話は出来ましたから。大丈夫です」


 葵さん、マクマスとカラフェンの元・勇者コンビ。驚いたことに、ぼーぱるさんや舞亜さん、織緒さんまで来てくれた。あの竜心王のおじいちゃんは歳も歳なので手紙だけだったが、それでもじんわりと優しさが伝わってくる良い文章だった。


「ほ、本当にいいのかよ、それで?」




 言いたいことは分かっているつもりだ。




 その中に、マリーの姿だけがなかった。




 あの時、《カンピドーリ》でのアルヴァーによる神と魔王の永年の争いの終結宣言の直後から、マリーの姿は忽然と消えてしまったのだった。


「……いいんです」


 心の何処かにぽっかりと穴が開いたような空虚さを抱えながらもそう応えた。


「全てが終わった後に、やっぱり俺はこの世界に必要がない、間違った存在なんだ、ってことがはっきりしたら、俺はこの世界から消えなきゃいけない。元の世界に戻らないといけない――そう俺は、予めあいつにも言ってありましたから」


 それを聞いた途端、アルヴァーと魔王は沈んだ顔付きでうつむいてしまった。その沈黙が堪らなく嫌で、俺はわざと明るい声を出して逆に尋ねてみた。


「え、えっと……。で、結局、この後どうすることに決めたんですか? 争いのなくなった世界で?」

「お、おう。それなんだがな――」




 魔王の好きなことはとことん理解したい、とアルヴァーは言い出したかと思うと、魔王の居城の彼の部屋にたんまりと溜め込まれていた漫画や本の類を持ち出し、昼夜を問わず読みふけった。そして、今まで喰わず嫌いで遠ざけているばかりだったいわゆるオタク文化に傾倒してしまい、とうとう天界公認のイベントを年に二回開催することとしたんだそうだ。


 もちろんそればかりではなく、今まで不浄であり邪悪であると決めつけていた魔王側にしか存在しなかった文化や習わしの研究を推し進め、良い物は進んで取り入れようとする流れも出来つつある。おかげで天界の人々もただ無為に日々を過ごすばかりではなく、生き甲斐や目標、夢なんて物を取り戻すことができたと言う。


 また、当然のように《女神ポイント》システムは廃止されることになった。代わりに万人に有益であると認められた《加護》は、粘膜接触――キスなどという方法を取らずとも、予防接種のような形で希望者に対して付与するサービスも開始される予定らしい。


 さらに、一部の魔物に関しては、閉鎖的だった魔界とのゲートを緩和してこちらの世界にも移住する計画もあるんだそうだ。彼らも魔王という旗印が意味をなさなくなった今、誰彼問わず襲いかかる必要でもなくなったので、よほど凶悪な意志を持つ者でもなければ許可は下りるらしい。




「あ、あれだぞ? お前の世界ではそっちの方が一般的のようだが、男女の間での恋愛も認められるようになったんだぜ? な?」

「そうだったね」


 魔王は頷いた。


「まあ、僕みたいな魔王は元々両性具有の者が多いからね。見てくれがどっちだって大きな意味はないんだよ。今のところは男だけど……アルヴァーがそっちの方が良ければ、絶世の美女にもなってあげられるんだけど……?」

「ま、まおたん……?」

「嘘、嘘。冗談だってば」


 悪戯っぽく笑って言う魔王の肩を掴まえて、俺はずっと気になっていたことをそっと囁いた。


(まあ、まおたん? お前……本当にアルヴァーとのこと、全部思い出したのか?)


 すると、案の定、まおたんはぺろりと舌を出した。


(いいや、ちっとも。……でもね、こうでもしないと僕、消されちゃうでしょ? それに……意外と僕、アルヴァーのこと嫌いじゃないんだよね。驚いた?)

(お前なあ……)


 そういって悪びれもせず笑ってみせた魔王は、文字通り小悪魔っぽくみえた。


 そうこうしているうちに、儀式の準備が出来上がったようだ。見たこともないほど巨大な魔法陣が《カンピドーリ》の円形の舞台上に青白く浮かび上がっている。


「勇者・ショージよ! そろそろ元の世界へと戻る準備ができましたぞ!」

「あ、はい! 今、行きます!」


 何人かの老神が呼びかける声に叫び返し、俺はもう一度天界の景色を振り返る。




 そこにはやはり、あの姿は何処にも見えなかった。




 最後に……いや、これでいいんだ。




 俺が使い慣れた通学鞄を取り上げたその時だった。


「ま、待って! 待ってくださいっ!」




 振り返る必要なんてなかった。

 そこに誰がいるかなんて、確かめる必要なかった。




 そこにいる誰もが色めき、ざわつくのを感じながらも、俺はぼそりと呟いた。


「……遅かったじゃねえかよ」

「これでも精一杯急いだんだってば! でも、時間がかかっちゃって……!」


 ととと、と駆け寄ってくる足音を知覚しながらも、俺は後ろを振り返ろうとはしなかった。




 きっと――。




 きっとその顔を、その姿を見てしまえば、俺の決心は鈍る、それが怖くもあったからだ。




 と――とすぐ後ろで足音が止まる。

 そして、くすぐったいような囁きが聴こえてきた。


「……ねえ、ショージ?」

「馬鹿、は付けなくていいのかよ?」


 くすくす、と小鳩のように笑いが返る。


「今はいらない。もっと伝えたい言葉が他にあるんだもん。……ね? こっち向いて?」

「……」

「お願い」


 俺は目を閉じ、深々と溜息を吐いた。そして口腔に溜まった唾を呑み下し、ゆっくりと振り返り――。




 ぶふーっ!!


 噴き出した。




「お、おま――っ! この晴れの舞台に何でジャージ姿なんだよこの野郎! し、しかも……目の下のくまは凄いし、髪の毛ぼっさぼさだし、何だか――すんすん――何処となく甘酸っぱいような獣臭さが俺の鼻腔をダイレクトに刺激するんだけどっ!?」

「う、うぇっ! だ、だから時間がないから超急いでたって言ったっしょ!? この際多少の身なりは気にしないでよっ!」


 ふと周囲に目を向けると、一斉に視線が合わないように次々と反らされていく。この場にいるのは少なからず俺とマリーの関係を知っている者ばかりなのだから、彼らなりに気を遣ってくれているらしい。しかしまあ、そりゃ確かにこんな風体の奴が喚き散らしながら乱入してこようものなら、色めき、ざわつくのも無理はなかっただろう。しばしマリーは左右の腕で交互に鼻先を拭うような仕草をしていたが――そんなに臭いか確認していたんだろう――その手に握り締めた紙束の存在を思い出したかのように俺に向かってフェンシングの技のごとく突き出した。


「こ、これっ! こ、これをショージに渡したくって、そ、それで寝ないで、が、頑張ってたのっ!」




 お、俺に……手紙を……?


 俺に対するマリーの思いがここに?




 つい、俺の瞳が潤みかけたところで、






 ………………多くね?






 受け取る寸前の手がビビッてフリーズしたくらいの枚数だ。無言のまま、ぎこちなく強張った笑みを向けると、真剣そのもののマリーが、こくん、と頷く。そうなると俺の方も受け取らざるを得ない。


「……読んでもいいのか?」

「うん。……読んで。こ、声に出しちゃやだよ?」


 もじもじと真っ赤になる。




 ごくり。

 物凄い音が出た。




 マリーにも聴こえてしまったんじゃないかと思う。


「こほん……じゃあ、読むぞ」




 ぺらり。




 ぺらり。




 一枚、一枚、噛み締めるように俺は読み進める。




 ああ、そうか。

 そうだったんだな。




 俺の中でさまざまな感情が、さまざまな記憶が鮮明に蘇る。ときにはカラーで、ときにはモノクロで、次々と今までの出来事がプレイバックされていく。




 それからどれくらいの時間が経っただろうか。




 ぺらり――。


 遂に残るページはゼロになった。




「……」


 言葉が出なかった。




 自然と浮かび上がった表情はどういう感情によるものか、俺自身には分からない。それでも、俺は心から一つの結論と決意を胸にしっかりと抱いていた。


「……マリー?」

「なあに、ショージ?」


 そこで俺は、すうっ、と息を深く吸い込んでから、天空に広がる澄み渡った青空に向けてあらん限りの声を振り絞って高らかに叫んでいた。






「これ……っ、新作のネームじゃねえかああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」


 あああ……。

 ああ……。

 あ……。






 俺の叫びの余韻が青空にすっかり吸い込まれて消えていった。ぜいぜいと肩で息を継ぎながら横に視線を向けると、あまりの声量に目を丸くしていたアルヴァーと魔王が揃って腹を抱えて笑い始めたのが分かる。それ以外の神々も顎が外れたような間の抜けた品位の欠片もないアホ面を浮かべて呆れている様子だった。


 俺は、ずごぉっ、と息を吸い、一気に放出した。


「ななな何だこれ何だこれぇっ! 遂に天界を去る日を迎えた俺に、最後に心のこもった感謝の手紙とか気持ちを伝える手紙を送るって奴じゃなかったのかよ、この腐女神! よりにもよって、コッテコテのBLのネームとか寄越しやがって! 感動的なシーン台無しじゃねええかよおおおおおっ!」

「ちょ――ば――っ!?」


 言われたマリーの方も今更になってとんでもない事態を引き起こしつつあることに気付いたようで、真っ赤になって言い返した。


「中身について言わないでっていったでしょうが! 馬鹿なの!? 馬鹿なの死ぬの!? この前の一件で天啓を得たのよ!? 神の啓示なのよ!? 俺様受けだけじゃ萌え足りなかったのよ!? これからは眼鏡ドSショタが来るのよ。今、私には来てる! 次のコミゴマに間に合わせるには、完っ璧なネームが必要なの! あの葵さんを超える壁サーを目指すには、『だかおれ』を超えるネームが絶対必要!」

「アホですか馬鹿ですか、この腐女神! 大体、この前の時も言ったろうが! このネーム、一体全体何ページあるんだよこの野郎! しかも、ネームの段階だっつーのに無駄にカラ―とか入れやがって! この前は、舞亜さんや織緒さんのおかげで何とかかんとかほぼ完売になったってだけだろうが! この前がラッキーだったってだけなんだぞ!? 第一、コミュ障のお前がどうやって事前の宣伝とか当日の売り子とかこなす気なんだよっ! サークル参加の申込みすら一人じゃこなせなかったじゃねえか!」


 何とまあ、実に情けないことに、そこで二人とも呆気なく息が上がってしまい、膝に手を突いて、ぜいぜいと息を吐くばかりになる。


 ようやく呼吸が落ち着いて、その姿勢のまま俺が顔を上げると、ちょうど同じタイミングでマリーが顔を上げたところだった。その少し上気したように頬を染めた顔が、にへっ、と笑いかけてきて、俺はどぎまぎしてしまった。


 そしてマリーは言った。


「あたし一人じゃ……できないもん。ショージがさ……いてくれないと……できなかったもん。だから、ね? あたし……ショージにここにいて欲しいの」

「……え? あ、あの……?」




 俺は――。




「あたし……大好きなんだよ? ……知ってた?」


 はにかんだように甘い囁きが聴こえた。






 お、俺だって――俺だってな!!






 危うく口走りかけたところで、マリーは続けた。


「あたし、BLが大好きなんだよ!」

「そ――そっちかいっっっっっ!!」

「………………そっち、って?」

「う、うるさいうるさいうるさい! 黙れ黙れ!」


 自分でも嫌になるくらい頬が熱い。顔中がどくどく脈を打ち、湯気まで立ち昇っている気さえする。視界の端に映ったまおたんの顔がやけににやついているように思えてしまい、ますます尋常じゃない熱さが襲いかかってきて、少しでもその熱を冷まそうと両手を狂ったように振り回しながら俺は後ろを向いてしまった。あいつ、後で覚えておけよ。


 こほん、と咳払いを一つ。


「……俺は何度も言った筈だぞ? 努力したのはお前、頑張ったのもお前だ。俺のやったことなんて大したことない。……だがな? やっぱりお前だけじゃまだまだ半人前だ。すぐに暴走しちまうし、とんでもないところに突き進んじまう――」


 一つでは足りなかったので、念入りに咳払いをしてから俺はこう続けた。


「だ、だからだな? 誰かがお前をサポートしてやらないと駄目だ。お前の作品をすぐそばで見て、駄目なら駄目、良い物なら良いと遠慮の欠片もなくずばりと言ってやれる奴がいなけりゃ、壁サーなんて夢のまた夢だ。思い上がるなよ、腐女神!」

「……え? ……え?」

「ああ、もう!」


 まどろっこしくなった俺はなりふり構わず振り返って叫んだ。


「ここにいてやる、って言ってるんだよ! 俺たちの『まりーあーじゅ』のサークル代表は俺だ! それに、まりりー☆先生を壁サーになるまでやってやるって言ったのは俺だ! 他の誰でもない俺だ!」


「シ――ショージっ!!」

「わ、ぷっ!?」


 柔らかい塊――マリーが飛びついてきた。


 その思ったより細い腰に両腕を回してしっかりと引き寄せながら、そのぼさぼさした頭を撫でながら、その感触を全身で味わった。




 そして――。

 すん、と鼻を鳴らしてから囁いた。




「ごめん。やっぱ………………臭い」


 蹴られました。




               <完>

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女神マシマシ勇者抜きっ! ~俺と腐女神の同人活動~ 虚仮橋陣屋(こけばしじんや) @deadoc

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