第三十三章 大団円?

 解せぬ。

 誰しもの脳裏に浮かんだのは、細かい言い回しやニュアンスは違っても大体そんな感想だったろう。


 誰一人、動こうとも語ろうともしない中、しくしくと泣き続ける心を締め付けられるような哀し気な囁きが聴こえてくる。ただし、それを発しているのはあの英雄神・アルヴァーなのだ、となると状況はかなり変わってきてしまう。


「お、おい、マリー!」


 俺は出来る限り声のトーンを抑え、喰い入るように事の成り行きを見つめていたマリーに尋ねた。


「どうなったんだ、この状況!? 何か変わったことや気付いたことはあるか!?」


 俺の科白を耳にして、何処か遠くを見つめたまま茫然としていたマリーの目に光が戻った。


「あ――あるわ! あるに決まってるじゃない!」

「ホ、ホントか!?」


 いつの間にか解けてしまっていた拘束に驚きつつも、自由になった両手でマリーの肩を掴む。


「さすがはマリー様様だぜ! さ、教えてくれ!」

「ほら、見て!」


 マリーが指さすまま、俺たちはアルヴァーと魔王のいる方向へ目を向けた。






「ショタのドS眼鏡が攻めで、いつもは強気の俺様英雄神が受け……これ、やばい! 超とうとい!」






 ていっ。


「ちょっと! 何で今、ぽいっ、ってしたのよ!」

「するだろ、この腐女神っ! この非常事態に何腐った妄想浮かべてハァハァしてやがるんだよっ!」

「い、いやいやいや! ……だってね? だってだよ!? 葵さんが言う『ショタ萌え』なんて物がまるで理解できなくて、やっぱ『俺様受け』一択よねーとか思ってたあたしがですよ? あの眼鏡という単なる視力矯正器具でしかないお堅いシロモノがトッピングされたことで気付いちゃった訳ですよ!」


 そこでマリーは顎先に手を添えるようにしてポーズを取り、男っぽく声色を変えて言い放った。


「ショタ攻め……アリだな、と」


 すぱんっ!


「ひゃん!」


 咄嗟に手が動いてしまい、盛大な音を立ててマリーのお尻を引っぱたいてしまった。そこにエロさなんてものは微塵もなく、ただ純粋に腹が立ったからやった、それだけであった。


「い、痛いじゃない! しかも乙女のお尻を叩くなんて――!」

「うっさいわ、ボケっ!」


 少し頬を桃色に染めているのが怒り倍増である。こっちにはそんな気はさらさらないし、そもそも今の状況ではそれどころではないのだ。


「アリだな、じゃねえよ! 無駄なイケボやめろ! ……それよりも、どうしてアルヴァーは儀式を止めちまったんだよ? 誰かが魔法でも使ったのか?」

「そ、それは……ないわよ?」


 ぎくり、とマリーの口調がぎこちなくなったが、考えを巡らせている俺はそのことに気付かなかった。


「だよな……そもそも天界の頂点に立つ神の中の神に対して魔法が通じるとは思えないし。……なあ、マリー? 例えばだけど、神の持つ御力や女神の加護はどうなんだ? あのアルヴァーに対しても、ちゃんと効果を発揮できるのか?」

「モノによるんじゃないかしら」

「……ほう?」

「例えばだけど……アルヴァーの力を奪ったり、弱体化させるような技や魔法は一切通じないと思うよ。だって、とにかくずば抜けて強い!って定められているんだから、それが具体的にどのくらいかなんて誰にも計れないんだもの」


 数値化できない程途轍もなく強大な力なのだから、逆を返せば、どのくらい減らせば弱くなるとも言い難い。そんな相手を弱体化させることなどできる訳ないじゃない、そういうことを言いたいらしい。えへん、と慎ましやかな胸を張りつつ、マリーは続ける。


「その点、あたしの加護とかは別だけどね。今だって見てたでしょ? まあ、自分の意志では――」




 俺は、すうっ、と息を吸い込み、




「今・す・ぐ・そ・こ・に・正・座・し・ろ・!」

「………………はぁい」




 しゅん、と肩を落としてマリーは即座に正座の姿勢をとった。その正面で腕を組み仁王立ちをした俺は、静かな中にも凄みを漂わせながら尋ねた。


「お前だな? お前なんだな!?」

「ナ、ナンノコトカナー?」


 凄え目が泳いでる。


「正直に言え! 嘘を吐けば俺には分かるんだぞ! つまらない嘘を吐けばコロス! このカオス状態がお前のせいだと分かってもコロス!」

「ど、どっちでも殺されちゃうんですけどっ!?」


 女神絶対殺すマンと化した俺が一歩踏み出すと、マリーは恐れ戦いて逃げようとする。が、早くも足が痺れたのか、はたまた俺の浮かべるあまりの形相に腰を抜かしたのか、マリーは正座を崩した程度の体勢のまま固まって、がちがちと歯を鳴らしていた。


「やはりお前だったのだな……」

「あわわわ! あたしのせいじゃないいいいい!」


 ひぃっ、と顔を両腕で庇うようにして弁解する。


「あたしの加護、あたし自身の意志じゃコントロールできないんだもの! 無理なんだもん! だって、発動しないんだもんっ!!」




 ……はい?




「お、おい……今何と申された、そこの腐女神」

「あたしの加護は、あたしが萌えたら使えるの!」


 マリーの言葉がゆっくりと俺の中に沁み込んでくる。十分な時間をかけて、ようやくマリーが言った意味を理解することができた。


「ええと……確かお前の《加護》って、互いを愛しいと思い慈しむ、純粋な心を思い出させる……とかいう奴だったよな? そいつを喰らったアルヴァーは一体どうなっちまうんだ!?」

「喰らった、って失礼ね! 攻撃とか呪いじゃあるまいし! ……普通なら、少しばかり友好的になって仲が良くなるくらいよ? 普通なら――ね」


 そういってマリーは振り返った。俺もその視線の先に目を向ける。しかしアルヴァーは、取り落とした剣を拾う素振りも見せず、その場にぺたりと座り込んだまま、両手で顔を覆いしくしくと泣き続けている。


「あれ……どう見ても普通じゃないじゃん……」

「あ、あたしに言わないでよ! あたしだって何が起きてるのかちっともわからないんだってばっ!」


 慌てた口調でマリーは顔の前で手を振ってみせ、もう一度振り返って、今度は別の方向にいる者に視線を向けて呼びかけた。


「ね――ねぇ! まおたん! ……大丈夫?」


 その呼びかけに、少し焦点がブレたようになっていた魔王の瞳に光が戻ってきた。


「あ……? ああ、大丈夫。僕は大丈夫だよ。でも、さっきからアルヴァーの様子がおかしくて……」


 マリーの加護の影響を受けた筈の魔王でもこの反応ということは、アルヴァーの今の状態が極めて特殊で異常なのだということが改めて分かる。


「アルヴァー、君は一体どうしちゃったんだよ?」


 魔王がそっと尋ねると、アルヴァーは、びくり、と肩を震わせてから、か細い声で呟いた。


「……うるさい。何でもないったら何でもない」


 何処か、癇癪を起して拗ねているようにもみえる。魔王は俺たちの方を見て肩を竦める素振りをしてから、もう一度アルヴァーに向かって語りかけようとしたのだが――。


「お前は……酷い奴だ」

「え?」

「お前は酷い奴だと言った」


 魔王はそれを耳にするとしばし考え込む。それから言った。


「あ、あのさ、アルヴァー? ……どっちかって言うと、それ、僕の科白じゃないかなって思うんだけど? だってさ、今まさに封滅されて二度と転生できないようにされかかったの、僕なんだし」


 確かに。だが、アルヴァーは首を振った。


「……違わない。お前はさっき言ったじゃないか。俺様のことは、もう二度と思い出さない、記憶から綺麗さっぱり消し去ってしまうと。違うか?」

「そ、そりゃ言ったけどさ――」


 アルヴァーの口調は真剣そのものだ。それだけに魔王は見るからに狼狽してしまったようだ。


「それは君が、僕の大事な物を馬鹿にしたから――あ、あれ? おかしいな……?」


 そこで魔王は自分でも気付いていなかった違和感を見つけていた。


「僕は何で、、なんて言ったんだっけ……?」


 魔王がその科白を繰り返し口に出した時、ようやくアルヴァーはそれまで地に落としていた顔を、はっ、と上げた。


「やっぱりそうだ……そうなんだな……?」

「な、何を言ってるのか分かんないんだけど!?」

「魔王、お前は……転生前の記憶を思い出したんだろ? そうだろ? そうだと言ってくれ!!」

「そんなこと、あり得ないよ!?」


 魔王は縋るようなアルヴァーの潤んだ視線を掻き散らすように両手を振って叫んでいた。


「いやいやいや! ……僕たち魔王はね、神である君たちと違って、転生前の記憶は持ってないんだ! そんなこと言われたって………………え?」


 そこまで言いかけた魔王の表情が、ぎくり、と硬く強張った。

 しばし沈黙した後、恐る恐る尋ねる。


「何だか、ちょーっとだけ嫌な予感するんだけど、聞いても良い、アルヴァー?」


 こくり。


 魔王は続けた。


「君の持ってる記憶の中の僕って……一体何者?」


 そこでアルヴァーは重々しく一つ頷くと、血を吐くような切なげな表情とともにこう言った。


「俺とお前は……愛し合う恋人同士だったのだ」




 ……え?




 えええええええええええええええええええええ!




 驚きのあまり、かくん、と音まで立てて、俺の口が全開放された。閉じたくても俺の意志ではもう言うことを利かなかった。


「キ――キマシっ!!」


 と、隣でアホなことを言い出した奴がいる。


「キ、キマシタわー! 公式キタこれえええっ!」


 すぱぁん!


「や、止めろ、腐女神っ!! 奇声を発するな!」

「うぇいっ! お尻叩くなって言ってるでしょ!」


 尻の痛みにその場で飛び上がったマリーは真っ赤になって睨み返したが、それも長くは続かなかった。瞬きもしないうちに、でろん、と表情に締まりがなくなり恍惚とした笑みを浮かべてあらぬ方向に視線を上げて呟き始めた。


「ぐふふふ……やはりあれこそは神の啓示だったのね……。最高神と魔王の許されざる恋! っていうかそんな生易しいモンじゃなくって、むしろ生々しいまでのねっとりぐっちょりした濃密な愛のカタチが実在していたなんて……おっと、涎が……!」


 もう隠す気ないだろ、こいつ。いつぞやの《職人マイスター》さんより目が危ない。


 それはさておき、俺には是非とも確かめておかねばならないことがあった。見るからにヤバい世界に精神旅行中のマリーの肩を掴んで揺さぶり、すぐさま現世へと引き戻しながら俺は耳元で囁き尋ねた。


(お、おい、マリー! ……これってまさか、全部お前の《加護》のせいなのか!? そうじゃないと言ってくれ!)

「うえっへっへ……え? え? 違うわよ!」


 半ば覚悟を決めていたのだが、マリーは意外にもあっさりと首を振って否定した。


「あたしの《加護》に、他人の精神を支配するなんて大それた効力なんかある訳ないでしょ。だったらとっくに使って、この場をうまいこと切り抜けてたわよ。それがその場しのぎに過ぎないとしてもね」

「だったら、何でこうなる!?」

「た、多分、だけど――」


 マリーは横目で、互いに見つめ合うアルヴァーと魔王に視線を向けて、少し口元を緩めて続けた。


「――本当に、二人はかつてそういう仲だったのね。まおたんはもう覚えてないのかもしれない。けれど、アルヴァーは覚えてた。忘れられなかったんだよ。……言ったでしょ? 互いを愛しいと思ってた頃の純粋な心を思い出させる――思い出させる《加護》なんだって。だから――」


 その想いの純粋・不純の度合いはさておき、長き時と神と魔王という運命に引き裂かれていた二人の再会という光景を見つめるマリーの表情は、何だか羨ましそうに、照れ臭そうに、何処までも優し気に俺の目には映った。




 こいつはやっぱり凄い女神様だ――改めてそう思ってしまった。


 俺なんかの手の届く奴じゃない。

 眩しくって仕方ない。




 勇者だなんて息巻いて、お前の望みを叶えてやる、などと恰好の良い科白を口走っておきながら、俺には何一つできやしなかったじゃないか。葵さんや、マクマスやカラフェン、いろんな人に助けられながら、やっとのことでここまで来た、ただそれだけの男だ。


 何も――。




 その時、マリーは俺を見つめ、にかっ、と笑った。


「ね? やっぱりあたし思ったよ! ショージを信じて、ここまで来て良かったって!」

「………………え?」


 ぐっ、と俺の中から何かが込み上げてきた。それが粒となって零れ落ちてしまう寸前に、俺は何度も何度も首を振ってそれを否定した。


「や……めろ……やめてくれ……! 俺が何をしたっていうんだ! 俺なんかに何ができたっていうんだよ! 皆の力じゃないかよ! 俺なんて、結局何も――」

「違うっ!!」

「………………え?」

「違う違う違うっ! ショージのおかげなんだって、何度言ったら分かるの、もう! ……ショージはずっと信じてたじゃん! あたしのことだって、マリッカのことだって。葵さんのこともそう、マクマスやカラフェンのことだってそうだよ! まおたんのこともそうだし、アルヴァーのことだって、きっと分かってくれる筈だって、ずっと馬鹿みたいに信じてたじゃん! この世界の誰もが忘れかけてた『誰かを信じること』を、きっと誰もが変われるんだってことを信じてたのはショージなんだよ!」

「俺……が……?」

「何より……あたし自身がそれを知ってるもん」


 そう言って、照れ臭そうにマリーは笑った。


「ありがとね、ショージ! あたし、ショージのこと、大――!」


 むぎゅっ。


 マリーの言葉は最後まで聴こえなかった。


「やったわね、あまったかちゃん!」


 このはやみんボイスは!

 つーか、乳圧で……死ぬ……!


「シ、ショージっ! 勇者・ショージですってば! っていうか、良いんですか、そんな口調になって」

「あら、いけない! ……ま、もう大丈夫じゃないかしらね?」


 アオイデー――葵さんに促されるまま窮屈な視線を動かすと、ようやく自分の足で立ち上がったアルヴァーと魔王が対峙する光景が目に入る。途中、不機嫌丸出しでぶんむくれているマリーの表情が目に入ったが、怖いので見なかったことにしておく。


 アルヴァーは泣き笑いの表情で震える声で告げた。


「やっと……やっと会えた……。俺は信じていた」

「……でも、ごめん。僕は良く覚えてないよ」

「いいさ。それでもお前は俺様の目の前にいる」

「……嬉しい?」

「き、聞くなよ馬鹿! ……恥ずかしいだろ」

「……可愛いところもあるんだね?」

「!? またそうやってからかうんだな……!」


 ちょっと拗ねてみせる。


「でも……もう俺様は終わりだ。こんな奴が天上神だとか、他の神々は決して許しはしないだろう」

「……それはちょっと違うんじゃない?」


 魔王は悪戯っぽく笑って、広場に集まった面々の方へ視線を向ける。それに釣られたようにおずおずとアルヴァーもそれに倣うと、彼らを見守っている顔に浮かんでいたのは嫌悪でも憎悪でもなかった。




 そしてアルヴァーは天を見上げた。




 天頂で輝きを増した太陽はすでに黒き陰りを失い、眩いばかりの神々しい暖かな光で皆を照らしていた。


 そこから目を落とし、静かに見上げている魔王と見つめ合うと、どちらともなく自然な微笑みが浮かび上がった。そして、どちらともなく頷き合う。


「俺様はここに宣言しようと思う――」


 静かに優しくアルヴァーは言った。


「もう争うのは終わりにしよう。これからは神と魔王、ともに手を取り合って生きて行こう。もちろん、異論があるものは言ってくれ。その時は、俺様は潔くこの地位を退こう。今はただ……ようやく見つけたこの幸せを大切に生きていきたい。どうだ!?」




 しばしの沈黙。




 そして――《カンピドーリ》は大歓声に包まれた。



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