第12話 カメと特殊相対性理論


―――

目前で、燃え盛る炎。

その奥には、横たわる影と、伸ばされたまま動かない腕。

『…お母さん、ねえ、お母さん! ねえってば!』

少女の声が…聞こえる。

『お母さん!おかあさ…ねえ…誰か…だれか助けてぇ!』

悲痛の声が、炎の中で響く。

固まった腕が揺さぶられたように動いたのが見える。

『…お父さん、お父さんは?どこ、どこなの?お母さんが…お母さんが起きないの、ねえ、』

今にも泣きそうな見えない声の主の方へ、少しでも手を伸ばそうとする。

その伸ばしかけた自分の手の甲が視界の端に入る。

「……あ、」

…赤黒く汚れ、擦れた手。

指先は腫れ、赤っぽくなっている。

だがその色も、まわりの炎の色に感化されてよく見えない。

そこで始めて、暑さというものを実感する。

「…あつい」

起こせない体に無理やり力を入れ、首から上だけを持ちあげる。

熱気でかげろうのようになった水蒸気に遮られ、ぼやぼやとしか見えない。

『痛い、痛いよ…』

炎の先に、いる。生きている。

「ふ、う…」

呼ぼうとしても、喉がやられているのか、空気がすり抜けて声にならない。

バキッバキッと、木が折れるような音がする。

…本棚が崩れる!?

「あぶ…な…!」

かすれかけの声で叫ぶ。

炎を跨いだ先で、丸い影が振り返った気がした。

『お姉ちゃん……!!』


力の限界で首をもたげ、頭を床に打ち付けた私には、棚が崩れ落ちた瞬間を見ることはできなかった。








(…や……みや)


…声がきこえる。


ああ、そうだ、助けなきゃ。



(…や、あ…みや…)


私が……私が、守らなき…





「おいっ天宮! 起きろ!」

「…え?」


重い瞼を開けて、眩しすぎる光に手をかざし遮る。


「あ、起きた!先輩、起きましたよー」

「おー、よかったよかった!」


…夢か。


「…嫌なこと思い出させられたな」

「ん?なんか言ったか?」



やっとまともに目が開くようになって最初に見えたのは、薄汚れたベージュ色の天井。ではなくて、その天井より手前に見える大きな顔だった。


「おーい天宮ー、大丈夫かー?」

「……」


だれだっけ、こいつ。

ああ、確か、同じクラスになったクソ五月蝿い…


「…うっうわああ!!」

「おい、ちょっと待っ、うおっ!」

「痛っ!」


考えなしに反射的に起き上がったため、頭と頭を打ち合わせる。

…痛い。ジンジンする。


「もうちょっと考えてから動けよ!いってえなぁ」


あんたにだけは言われたくない、と言い返したいところだが、頭が混乱している上にぶつけて真っ白になりかけているので、言葉が出てこない。


「なん…で…」

「ん? どした?」

[……どうして…こんな状況になってたのかしら]

「それは、先輩が魔法見せてたらお前がいきなり倒れこんで」

「…ちがう」

「違うってなに…」

「…なんで私があんたに膝枕されてたのかって聞いてんのよ!!」


大きな声を出しすぎて、部室内の視線が集まる。


「おお、おっはよー月華ちゃん。元気なお目覚めで!」

「ああ、はい…おかげさまで」

「大丈夫?どこか痛いとこない?」

「頭が痛いです」

「薬あげようか?どこが痛い?外側?それとも内…」

「どっちもですね」

「俺も痛いんですが」

「あんたは我慢しなさいよこの石頭」

「なっ、なにを根拠に石頭と!」

「うるさい、頭かち割るわよ」

「二人ともほら、仲良く仲良くー」


そう言われ、頭を優しくポンポンされた。

が、振り払うことよりも、目線の先のモノに意識が持っていかれた。


私の頭に手をのせている部長さんの頭の上。そっちはそっちで小枝ちゃんに頭ポンポンされているものに釘付けになっていた。


「あの…部長さん」

「はい、何でしょう?」

「あなたの頭上にいるその…小さなマフラー的なものを首に巻いている亀はなんなのでしょう」

「さっきのイヤリングなのでしょう」

「…意味が分からないのですが」

「そして、私のパートナー!」

「ペットですね、分かりました」

「ちょ、ちょっと待って、ちがうんだって、呆れて部室を出て行こうとしないでー!」

「じゃあちゃんと説明してくださいますか?」

「わかった、わかったからその冷めた目で睨むのはやめよう、ね?」


この部長さんは、ちょくちょく文脈が崩壊しすぎて理解不能になることが分かった。

彼女には毎度毎度きちんとした説明をしてもらうための時間を設ける必要があるらしい。


はあ、とため息をついて椅子に座り直す。


「えーっと…どこから説明したらいいのかな…?」

「ともかくもう全部です、全部。と、言いたいところですが、そうすると確実に話が崩壊しそうなので、とりあえずその亀からお願いします」

「はい…」

「私の記憶によれば確か、イヤリングの形を変えられるとかいうことを言っていましたよね? あれはどうなったんですか?」

「あ、ああ、だから、それがこれ!」

「……?」

「イヤリング型だった七星の宝玉を、一番自然体のカメちゃんにしたの」

「?????」


不憫に思った小枝が二人の会話にフォローを入れる。


「月華ちゃん、眉間にシワよせて睨むのはやめてあげて? 水城さん、これでも頑張ってくださってるから…たぶん」

「た、たぶんって!? 私ちゃんとがんばってるよ!?」

「そうは言うけど小枝ちゃん、この部長さんとの会話が全く持って通じないのだからしょうがないじゃない。あと睨んではいない。凝視していただけ」

「うぐっ…全く通じない言われたぁー…」

「それは…そうですけど…」

「なぬ!? も、もうちょっと私のこと庇って…!」


・・・

そのまましばらく不毛な会話が続いた。

・・・


「で、で、で!! そ・ろ・そ・ろ、本題をお願いしたいのですがー」

「はっはい…」

「なんか月華ちゃんと水城さんで立場が逆転しつつあるような…」


やっと話が聞けそうだ。ああ、やっとだ。たった一人から話を聞くのがここまで大仕事だとは知らなかった。


「では。イヤリングをどうしたらカメになったんですか?」

「カメの姿を想像しました」

「それだけでなぜそうも変化するんですか? ていうか、その亀生きてますよね、動いてますよね!? トロいけど」

「生きてはいないんですよー!賢いAIちゃんですから。言ってしまうと悲しいけど、機械です…。で、どうしてイヤリングがこうなったのか…ですよね!えっと、まず、質量保存の法則は、厳密に言えば成り立たない、ということはご存知かと思いますー」

「え、まじで?」


バカ日比谷は黙ってて。


「質量がエネルギーに変換されるときなんかは良い例です。そんなわけで、その法則は完全無視です。時代遅れになりつつある法則ですもんね。大事なのは、特殊相対性理論のひとつ、『光速に近づくと、質量(=エネルギー)が増える』です」

「???」


日比谷陽生の脳内に?が大量発生、増殖している。

それを見てか無視してか、部長さんwithホワイトボードによるお勉強講座が始まった。小枝ちゃん、金田先輩、土御門先輩も覗き込む。


「質量とエネルギーは同じもの。これは特殊相対性理論において忘れてはいけないことです。E=mc2ってやつです。質量とエネルギーは完全に対応する関係にあります。そして質量とはすなわち『動かしにくさ』を指します。この理論によれば、光速に近づく、つまり速く動くと、質量は増加します。速く動くほど動かしにくさが増す。なんとなく分かりますよね?」

「いや、わからん」

「あんたちょっと黙っときなさい」

「だから『光速に近づくと質量(=エネルギー)が増える』わけです。ですが実際に光速ほどまで速く動かして質量を増やすというのは無謀です。そこで、光速に近づける、という部分を補うのが、魔法です」


科学と魔法が…結びついた???



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セブンデイズ・パラレル 一ノ瀬りの @rin-skyblue

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