第16話 わたしが愛した斎藤君
あれからすぐに、三つの世界は正式に協定を結ぶことになった。
それぞれが頼りにしていたものが消え、悪霊という驚異だけが残った今、それらにどう対処するかという大きな問題が浮上したためだ。
幸い、斎藤陽一捕獲作戦で三つの世界が一致団結できたことで、その協定はすんなりと可決された。
わたしはというと、中立な立場でみんなをまとめあげた功績が評価され、協定親善大使というアイドルやお笑い芸人がやるような肩書をいただくことになったが、現在保留中だ。
お給料も出るということで、辛く苦しい大学受験や過酷な就職活動から逃げられることを思えば、すぐにでも飛びついてしまいたい気持ちもなくはない。が、やはり今は、そんなことをしようという気分じゃない。
わたしは自宅にある自分の部屋の机に突っ伏していた。
あれ以来、未だにわたしは放心状態が続いていて、何をやってもぼーっとしていた。
もしかしたら、これが失恋というものなのかもしれない。
「斎藤君……」
何の気なしにその名前をつぶやいて、じんわりと涙がこみあげる。
あれだけがんばって、たった一言も言葉を交わせないでお別れなんて、そんなのないよ。
わたしは上体を起こし、涙を拭いながら机の引き出しを開けた。
そこには、斎藤君にあげたラブレターがあった。
せっかく渡したのに、何故か返却されてしまった手紙。
わたしは何の気なしにその手紙を取り出して、開いた。
わたしは目を見開いた。
何のことやらわからず、じっとその手紙を見つめていた。
やがてようやく思考の整理が終わると、わたしは慌てて立ち上がり、夜中の家をこっそりと抜け出した。
◇◇◇
わたしが息を切らしてやってきたのは、斎藤君に告白した歩道橋だった。
学校で渡すはずだったのになかなか勇気がでなくて、帰宅途中だった斎藤君を追いかけて、その勢いで告白した場所。
わたしは呼吸を整えながら、歩道橋を登った。
心臓がドキドキと鳴っている。
それはなにも、ここまで走って来たからというわけではない。
一歩、二歩と噛みしめるように登っていき、ようやく橋の上に立つ。
そこには、一人の男の人が立っていた。
イケメンで、背が高くて、同じ年齢なのに大人びていて。
彼はゆっくりとこちらに振り向いた。
そして、いつものようにニヒルな笑みを浮かべた。
「……猫姫ちゃんからのメール。あれって斎藤君だよね?」
斎藤君は答えない。
わたしは続けた。
「悪霊と爆発をぶつけるっていう作戦を、わたしが思いつくように仕向けたんでしょ? 違う?」
「どうしてそう思う?」
斎藤君の声は、まるで何年も聞いていなかったような新鮮さがあった。
「猫姫ちゃんは面倒くさがりなの。だから高卒認定なんて取るわけないし、大学なんて行くはずない。ユーチューブで稼げてる間は、ダラダラ動画投稿しながら生きていくに決まってる」
「……なるほど」
「一緒に帰った時、猫姫ちゃんの動画を見せるために斎藤君にスマホを渡した。その時に細工したんでしょ?」
斎藤君は魔法戦士だ。諜報員だし、銀河英雄でもある。
それくらいのことは簡単にやってのける。
「ぜんぶ教えて。斎藤君が一体なにをしたかったのか。わたしには、それを知る権利がある」
斎藤君は、歩道橋の欄干に腕を乗せ、遠くの景色を見つめた。
「結論から言えば、世界は二つも三つも存在しない」
「え?」
「世界は一つだ。それを君達が勝手に勘違いした」
「でも、実際に現実世界とは違う文化を持つ、異世界とか銀河世界が……」
「僕達は同じ地球に住んでいる。けれどそれぞれに層が違っていて、向こう側が見えない薄い膜のようなものが張られている。……と言えば、分かりやすいかな。厳密に言うとその層というのは同じ場所にあって、次元が違うだけで、みんな同じところで生活しているんだ」
わかるような、わからないような……。
「肝心なのは、唯一この世界に、膜によるフィルターがかからないものが存在するということだ」
わたしは目を見開いた。
「『いろは歌』のこと?」
「もしくは『生命の泉』、『銀河の欠片』とも呼ばれている。あれは本来、一つしか存在しないものなんだ」
一つしかない?
でもみんな、自分たちの世界はそれによって成り立っているって……。
「そう。だから問題なのさ」
斎藤君は、心を読んだかのように言った。
「遅かれ早かれ、その事実に気付く者が現れる。そうなったら、自分の文明を成り立たせている強大な力が、まだ三分の一程度の力しか発揮していないことに気付く。そして気付いた者は、それを独占するべきだと考える。そうでなくても、相手が同じように考える可能性は非常に高い。ならこちらから先に攻勢に出た方が良い。囚人のジレンマってやつさ」
その囚人のなんちゃらはよく知らないが、非常に危うい状態であることはわたしにもわかる。
「無理があったんだよ。元々ね。未確認生命体……七海にとっては、悪霊と言った方が分かりやすいかな。その悪霊は、人々が文明を発展し過ぎないように監視するある種のシステムだ。『いろは歌』を使い過ぎれば悪霊は大量に湧くし、使わなければ消滅していく。どの世界も、文明の発展を急ぎ過ぎたんだよ」
「……じゃあ、斎藤君のご家族が巻き込まれたっていう事件は?」
「彼らは文明の力に反応する。異世界と銀河世界は初めて別世界にコンタクトを取るために、多くの技術を費やしてこの現実世界にやって来た。悪霊が大量に湧くのは当然の帰結さ。そしてそれは、別に異世界や銀河世界から渡って来たわけじゃない。あくまでも現実世界で湧いたものだ」
自分が被害にあった凄惨な事故のことを、斎藤君は淡々と、あまりにも淡々と語った。
まるで他人事のように。
「……今回の事件は?」
「『いろは歌』が一つしかないという事実を隠すためには、それを消滅したと思わせるしか手立てはなかった。本当のことを言って仮にそれが信じてもらえたとしても、『いろは歌』によって得られた技術を完全に使用禁止できるほどの理性を、彼らは持ち合わせていない。だから現状の技術を使用して悪霊が湧いても対処できるように、彼らの言う三つの世界に協力関係を結ばせる必要があった」
実際、斎藤君の思った通りに事が運んだ。
『いろは歌』は消滅したとみんなに思い込ませることができたし、悪霊対策として三つの世界は協定を結んだ。
「……わたしのことは?」
今まで流暢に話していた斎藤君が、初めて一瞬だけ、口を閉ざした。
「君は一番重要な立ち位置にいた。どちらの世界からも関与を受けておらず、それでいて重要人物と近しい存在だった。君のようなポジションの人間は何人もいるが、今回の件をクリアできるパーソナリティの持ち主は君くらいだった。それに……」
斎藤君は、小さく肩をすくめた。
「君は僕に惚れていた」
ズキリと、心臓に何かが突き刺されたような痛みを感じた。
「利用するには、一番簡単な人間だったってことさ」
「……わたしの告白を受けたのは、それだけのため?」
「そうだね。だからもう、君は僕のことを忘れる方がいいだろう。それがお互いのためだ」
それは、斎藤君からの絶縁宣言だった。
わたしはフラれたのだ。
「その手紙は君に渡しておく。君なら間違った使い方はしないだろう」
「斎藤君は?」
さっさと踵を返そうとする斎藤君を呼び止めるように、わたしは言った。
「斎藤君はどうなるの?」
「僕はもう三つの世界で死んだとされる人間だ。表舞台に立つことはない。心配しなくても、もう君の日常を壊すようなことはしないよ」
そうか。
それなら安心だ。
きっとこれから、人々の顔を窺いながら、びくびく隠れて暮らすんだろう。
「最後にもう一つ質問。どうして、今回のことをしようと思ったの?」
斎藤君は小さく息をついた。
「君の言わんとしていることは分かる。僕が今回したことは、個人が行うにはあまりに何かを犠牲にし過ぎているし、あまりに独善的だ。……たぶん、僕はもう壊れてしまっているんだよ。この世界でたった一人になった時から、世界を憎むことすらできないほどに、僕は壊れたんだ。だから僕は、平和に暮らしていた君のような善良な人を、平気で巻き込むことができたんだよ」
斎藤君はニヒルな笑みを浮かべて、わたしに背を向けた。
「さようなら」
その冷たい言葉に、わたしは無理やり笑顔を作り、さようならと返した。
斎藤君と同じように、わたしも踵を返す。
どうやら、斎藤君にも色々と事情があるらしい。
けど、もう会わないなら別にいいか。
だって、会わないなら他人だし、何をしてようが知ったことじゃないしね。
これでもう、振り回されることはなくなるのだ。
よかったよかった。
わたしはぴたりと立ち止まった。
くるりと振り返り、ゆっくりと助走をつける。
徐々に徐々に早さを増していき、最高速度になったところで大きく跳躍する。
「平凡少女キーック‼」
その蹴りは、斎藤君の背中に直撃した。
突然の衝撃に受け身も取れず、ごろごろと転がる。
斎藤君は、驚いた顔をわたしに向けた。
何でも思い通りにして、いつでも余裕たっぷりだった斎藤君が。
誰がどういう行動を取るかまで綿密に全てを計算していた斎藤君も、このキックは読めなかったようだ。
ざまあみろだ。
この無様な姿を、みんなに見せてやりたい。
わたしたちは散々斎藤君に翻弄されたのだ。それくらいのことはしたって罰が当たらない。
斎藤君が、ゆっくりと起き上がる。
言ってやる。
好き勝手やって、人を翻弄して弄(もてあそ)んで。わたしが今まで、どんな思いでいたか。
胸の中で、溜まりに溜まった思いを吐き出してやる。
わたしは大きく息を吸った。
「好きです!」
わたしはラブレターを差し出した。
「わたしと、付き合ってください!」
色々な思いが、わたしの中で錯綜する。
今まであった様々なこと。そしてその中で、わたしがずっと考えていた斎藤君のこと。
「……今度は、嘘じゃないです」
自信なさげに、けれど心の中では自信たっぷりに、わたしはつぶやいた。
心臓がドキドキと高鳴る。
斎藤君がどんな顔をしているのかが怖くて、わたしは目を瞑っていた。
ふいに、誰かの手がわたしに触れる。
びくりと思わず震えて、ますます目に力が入る。
しかし、ふいに感じた、わたしの唇に当たる温かい感触が、その緊張を一気に溶かした。
思わず目を開ける。
そこには斎藤君の姿はなかった。
辺りを見回しても誰もいない。
……夢?
しかしそうではないことは、わたしの両手に何もないことが物語っていた。
これが、斎藤君なりの答えなのだろうか。
ほんの少しずつ、徐々に徐々にわたしの頭が状況を理解するのと同じくして、わたしの頬が緩んでいく。
その時、突然スマホが鳴った。
クミちゃんからだ。
伝えなければならないことができたところだったので、ちょうどいい。
わたしはスマホに出た。
「あ、もしもし。クミちゃん? この前言ってた親善大使の件だけど、やっぱりわたし──」
「リカ! 大変だ‼ 地底人からファーストコンタクトがあった‼」
「……what?」
「斎藤陽一に盗まれた『刻まれた地脈』を返さないと世界を滅ぼすと脅迫している! とにかく一度こっちに来てくれ‼」
そう言って、クミちゃんはさっさと電話を切ってしまった。
わたしは思わず、スマホを凝視した。
……なにそれ。
なにそれなにそれ⁉
そんな話、聞いてないんですけど⁉
……もしかしてあれかな?
こうなるのも全部織り込み済みで、またわたしを駒としてこき使うつもり?
身体がわなわなと震えてくる。
いい加減、イライラしてきた。
唇一つで何でもかんでもうまくいくとでも思っているのか。
わたしは欄干に手をかけ、大きく息を吸った。
「斎藤君の……バカヤローー‼」
あらん限りの大声で、周りの目も気にせず、わたしは叫んだ。
全てを吐き出すと、何故か、急に笑いがこみあげて来た。
今までずっと届かない位置にいたと思っていた斎藤君が、急にわたしの目の前まで降りてきたように感じたのだ。
斎藤君は、わたしのクラスの人気者だ。
イケメンで、文武両道で、いつもミステリアスな笑みを浮かべている大人びた男の子。
でも本当は、何も言わないで勝手に自己完結するし、面倒事を全部ほったらかしにしてどこかに行ってしまうような困った人だ。
わたしは斎藤君がやっていたように、欄干に両手を乗せて、そこから見える景色を堪能した。
斎藤君がどこにいるのかはわからない。あいかわらず何を考えているかもわからない。
けれど、私が愛した斎藤君は、きっと今もどこかで、ニヒルに笑っているに違いない。
Fin
わたしが恋した斎藤君 城島 大 @joo
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます