第3話避暑地にて

 ある年の夏のこと、暑気しょきあたりですっかり体調たいちょうくずした奥様にともなわれて、わたくしは海辺うみべまちおとずれました。

 わたくしが海を見るのは初めてでした。

 それまでわたくしの知る水辺みずべといえばせいぜいが池か大川おおかわですから、向こう岸の無い膨大ぼうだいな水のはらというのは胸がくような、それでいてどこか恐ろしいようなながめでした。

 わたくしたちの宿は海を見晴みはるかす高台たかだいった立派りっぱ日本家屋にほんかおくで、なんでも土地の有力者の別宅べったくとのこと。そして、その有力者とはどうやら奥様のお客の中のひとりの様なのです。奥様はよそのおたくまるふうではなく、先方せんぽうもまたお客を歓迎かんげいするというよりも不意ふいに戻って来た主人をむかえる風で、仰々ぎょうぎょうしいところはまったくありません。奥様の気質たちをよく心得こころえているようでした。

 ところで、わたくしまでぜんえ膳のもてなしようには戸惑とまどいました。

 あまりの手持無沙汰てもちぶさたに落ち着きを失くしているわたくしの様子ようすを見た奥様はおっしゃいました。

“家では使用人でもここではお客なのだから、きちんともてなされてあげなさい”

 そうでないとここの使用人が困るのだとさとされました。なるほど、そのとおりです。わたくしが普段ふだん引き受けているM家の談話室でも、お客に付きしたがってきたよその使用人がたまに、わたくしの仕事を取り上げてしまうことがあります。その時のわたくしはまるで役立たずと決めつけられたような嫌な気がしたものです。

 とは言え、気詰きづまりが急にほぐれるわけもありません。人をもてなすのも難しいけれど、もてなされる方もむずかしいものなのだと、その時わたくしは思ったものです。

 さてどうしたものか。

 とりあえず奥様を手本てほんとして、その様子を真似まねてみようかと思い立ちました。

 朝起き出したら簡単かんたん身支度みじたくをして朝食前に散歩、朝食後の一腹いっぷくを終えたらM家から転送てんそうされてくる手紙にひととおり目を通し、必要であれば返信へんしんをしたためて郵便局へ使いを出す。手紙が無ければ読書かふたたび散歩に出る。

 昼食を済ませた後は風通かぜとおしの良い涼しい座敷で午睡ごすい目覚めざめた後はおつをいただきながら、ぼちぼち現れる客を交えて歓談かんだん

 この時訪れる客というのはM家を訪れるお客たちとは別ものです。奥様をこの地に招いた人にけられた良家りょうけ子女しじょたちで、奥様をもてなすためのはからいなのでしょう、やって来ては土地のめずらしい話や面白おもしろおかしい話をして帰って行きます。

 夕飯もお風呂も済ませた後はくつろぎながら少し書き物を片付けて就寝しゅうしん。奥様の一日はおおむねこんな具合ぐあいでした。

 奥様の様子をつぶさに見るのはこれが初めてです。

 奥様の日々のかなめはどうやら読み書きのようでした。

 その頃のわたくしといえば、ひらがなが書けて読める程度ていど。しかしM家に来てからこっちはそれもあやしいものです。何しろ住込すみこ奉公ぼうこうということで、持込もちこ私物しぶつひとつひとつに自分の名前をしるしたのが、手づから文字を書いた最後でした。

 ためしにわたくしは、散歩に下りた砂浜すなはまで自分の名前を書いてみる事にしました。

 ひらがなでたった二文字の名前。

 やすいもののはずでしたが、どうにも得心とくしんがいかないのです。それどころか正しく書けているものかどうかすら、わたくしには判断はんだんがつきかねたのでした。

 しゃがみこみ、しきりと首をひねっているわたくしの手元てもとのぞんだ奥様は、サッとうでばすと、わたくしの書いたみみず文字のとなりととのった二文字のひらがなを書き出しました。

 ああ、分りました。

 片方かたほうのかながひっくり返って鏡文字かがみもじになっていたのです。

 その日の朝の散歩を終えると、奥様は真っ直ぐとその家の家令かれいに二冊の帳面ちょうめん数本すうほん鉛筆えんぴつ所望しょもうしました。帳面のうち一冊には奥様が五十音ごじゅうおんのお手本てほんを書き、もう一冊はまっさらのままとして、わたくしに二冊とも寄越よこして来ました。奥様からは特にどうしなさい、こうしなさいと言うような指図さしずはありませんでした。

 このような事は日常茶飯にちじょうさはんです。

 奥様にとっては五十音のお手本帳を作ることも、練習帳を用意する事もただの“思いつき”だったに違いありません。ふと思い立ち、その思いをかたちあらわしたところで満足してしまうので、わたくしに二冊の帳面と数本の鉛筆を与えた後には、奥様の中には何も残っていないのです。

 別に奥様が気紛きまぐれな方であったとは申しませんが、今にして思えば、奥様はまだまだ少女の気配けはいを残しておりましたし、実際じっさいにまだほんの少女であったのです。これが、我儘わがままいっぱいのお嬢様でもあればやりようもあったのでしょうが、腹の読めぬ、しかも小娘こむすめの「奥様」となれば、M家の面々めんめん遠巻とおまきにされるのも無理からぬ事でした。M家においてのわたくしの取柄とりえは、奥様よりも年若い唯一ゆいいつの女中であると言う事と、知恵が足りないおかげで何事につけても“こんなものか”と丸ごとんでしまえるおろかしさでしたでしょう。

 日がな一日何することも無く、ひまをかこつ事にうんざりしていたわたくしにはもっけのさいわいです。すことが出来た事を素直すなおに喜びました。

 わたくしはまっさらな方を練習帳として、その日から字の稽古けいこを始めました。

 他にすることもありませんし、時間だけはたっぷりとありましたから来る日もくる日も稽古を続けました。取り立ててわたくしに勉学べんがくへの熱意ねついがあったわけではありません。始めてみたら、終わらなくなってしまったのです。

 字の稽古をしている子供の姿など、そう珍しいものではありません。

 でもそれは、ぎゃくに考えると誰にとってもなつかしいものであったのでしょう。この家の家令をはじめ、使用人から奥様を訪ねて来るお客やらまでがわたくしのかたわらに寄り集まって来てはあれこれと教えを与えてくるようになりました。

 とりわけ熱心だったのは、奥様のお客のHさんです。

 この人は本当に学校の先生でした。

 気がつけばわたくしは、それまで思いもよらなかったむずかしい漢字の書き取りをしたり、文章をつづったり、日記までつけ始めていました。

 わたくしに日記をすすめたのはH先生でした。そうして日記用の“カイエ”までわたくしに与えてくれたのです。

 わたくしは“カイエ”には何をどのように書けば良いのかと、先生に聞きました。

 まずは日付。それからその日の天気模様てんきもよう。あとはその日の出来事できごと、あるいはその日に思った事、または見聞みききして面白いと思った事や物、悲しい事でもくやしい事でも何でも良いとの事でした。描くべきことを何も思いつかなければ、その日の食事の献立こんだてを書いてかまわないのだと仰いました。

 何やらでたらめな話をされているようでした。

 そんな事を毎日、いちいち帳面に書きつける事に何の意味があるのでしょう?

 わたくしは思った通りの事を先生に聞きました。

 その時、わたくしと先生のすぐそばで書き物をしていた奥様が小さくき出しているのが横眼よこめはしに見えました。

 H先生は日向ひなたの猫のようにきゅうと目を細めてわたくしに仰いました。

“それは分らない。役に立つものなのかどうか。必要なものなのかどうか?それはやってみなければ分らない”

 そこまで仰ってからH先生はふっと微笑ほほえみみました。

“必要なものなら続くだろうし、必要ないものなら途中とちゅうで投げ出されてそれきりだろう”

 益々ますます良く分りませんでしたが、わたくしは先生のすすめにしたがってみる事にしたのでした。やってみるまで分らないものなら他にしようはありません。

 それではさて、何を書きましょうというだんになったところで、わたくしはたちまちこまり果てました。この地を訪れたのは物見遊山ものみゆさんのためでなく、奥様の療養りょうようねた避暑ひしょのためなのですから、はんで押したようなおとなしい生活が淡々たんたんと続くだけです。特にこれといった出来事できごとは起こりませんし、海辺の生活にもすっかりれてめずしさを感じるたねきていました。

 近所に居る同年輩どうねんぱいの子供にじって遊びにでも行っていればまた事情じじょうは違ったのでしょうが、それはいけません。奥様は常日頃つねひごろからやかましい事を仰るような方ではありませんでしたから、わたくしをそとに遊びに出す事くらい二つ返事だったでしょうが、奥様のお下がりを着たわたくしは一体どこのお嬢様かという身なりです。近在の子供たちとは様子ようすが違います。それにはどうにも気後きおくれがしてしまい、わたくしはずっと奥様のそばにくっついていました。

 それでわたくしはいたかたなく、その日一日の食卓しょくたくでの光景こうけいに思いをめぐらしました。

そう言えば今朝、奥様が卵をもうひとつ余分よぶんっていたのを思い出しました。食がほそってひさしかった奥様に、避暑がようやくこうそうし始めたのでしょう。それだけの事が何とはなくわたくしの心を浮き立たせました。

 わたくしはハッとしました。

 今日の事なのに、ついさっきまですっかり忘れていたのです。日記をつけるとはつまり、そういう事なのでしょうか。うまくは言えませんが何かが胸の中の真ん中にれたような気がしました。

 こうしてわたくしの日記の第一日目は奥様と卵と避暑の話と相成あいなりましたが、翌日以降よくじついこうからはただの献立表が続きました。代わり映えのしない毎日の中で、日々違うのは食事の献立くらいのものだったからです。

 しかしこれもしばらくして沙汰止さたやみとなりました。

 食卓の上にはたまご海苔のりなどお馴染なじみのものから、この地でしかお目にかれない名前も知らないような魚や野菜ものぼります。それらを毎日ひとつひとつ給仕きゅうじの女中にただしているうち、何を勘違かんちがいされたものか、野菜の名称の後にはそれにそなわっているとされる滋養いじょうの種類や効能こうのうを、魚の名称めいしょうあとにはこの土地特有とちとくゆう調理法ちょうりほうについての講釈こうしゃくいてくるようになったのです。それがまた、とてつもない長広舌ちょうこうぜつときています。子供ながらにわたくしはすっかり閉口へいこうしてしまいました。

 そんな行く立てで、わたくしが日記につける事といえば日付とその日の天候だけとなっていったのでした。

 晴れ。雨。くもり。これに時たま夕立ゆうだちなどがわりますが子供の書く事ですから単純明快たんじゅんめいかいです。無味乾燥むみかんそうとも言えるでしょうか。ですが、あながちそうとも言い切れません。海辺の町を去った後に読みかえしてみると、こんなにも日々に変化が有った事に気がつきおどろきを感じたものです。わたくしの思い出の中では毎日が晴天せいてんでしたから。ただ一日の例外れいがいのぞいては。

 その日の日付の横には“しけ”とあります。

 時化しけとは正確には天候状態てんこうじょうたいあらわす言葉ではありませんが、それがどのようなものなのかを知っているわたくしにはそれで充分でした。いまからでもまたたく間にその日に逆戻ぎゃくもどりできるのですから。

 その日は朝からがたのように薄暗うすぐらく、生温なまぬる粉糠雨くぬかあめがしょぼしょぼと降り続いていました。奥様とわたくしは日課にっかの散歩に出掛でかけるわけにもいかず、すっかり雨に降りめられた格好かっこうです。奥様は読みさしの本を取り出し、わたくしは練習帳を開きました。

 大人しか居ない家の中は非常に静かです。しかしそれは間断かんだんなく続くひそやかな雨音あまおとのせいだったのかも知れません。わたくしは昼食までの時間を思わず知らずうつらうつらと過ごしました。

 昼を過ぎる頃には雨に風が付き、外の様子ようす徐々じょじょはげしさがくわわっていきました。そんな具合ぐあいですからいつもならぼつぼつ来客がある時間になっても誰もあらわれることなく、その日はひっそりとれていきました。

“今日は余程よほどひど時化しけのようで”

 めずらしく魚のおさいがひとつも乗っていない夕餉ゆうげの食卓を給仕しながら、女中がぽつんとつぶやきました。

 耳慣みみなれない言葉を得々とくとくとしてカイエに書きつけてしまうと他にすることもありませんからわたくしはさっさととこいたのですが、一向いっこうに眠れそうもありませんでした。

 いつか本降ほんぶりとなった雨が風のいきいを借りて屋根と言わず壁と言わず荒々あらあらしく水のつぶてたたきつけてきます。きそうように家全体をする風が恐ろしい雄叫おたびを上げていました。そしてそれとは別に、遠くからとも近くからともつかない低くうなるような声がひっきりなしと聞こえてくるのです。

 わたくしはまんじりともせず、じっとりとし暑い座敷ざしきべられた床の中、頭から足先まですっぽりと夏掛なつがけにくるまりちじまってよこたわっていました。

 そろそろ深更しんこうったろうかと思われる頃大きな物音がして、家が大きくたわんだように感じられました。素早すばや居住いずまいをただす柱やはりの立てるきしみにられ、わたくしの口から小さくうすさけびがころがり出ました。

 奥様がわたくしの名を呼ぶのが聞こえました。外の騒ぎなどどこ吹く風とあっさり退けてしまうような、しっかりと落ち着いた声でした。

 わたくしの顔をご覧になった奥様は、カイエと鉛筆を持ってこちらに来るようにとわたくしに命じました。

“さあ、これからおまえをおびやかしている者の正体を見てやろう”

 おまえがいま恐ろしいと思うものを帳面に書いてみなさいと奥様が仰いました。

 風

 わたくしが書き出しますと、いままでおまえからそのようなことを聞いた事は無いが、先から風が恐かったのかと奥様がおたずねになりました。風は嫌いかとも。

 身を切るような冷たい風や歩みをはばむ強い風をいとう気持ちは確かにありましたが、み嫌うというほどではありません。それどころか、夏の熱い空気の中でどこをどう渡ってきたものか時々、喉元のどもとをするりと通り抜けていく細いひものような風など不思議で心地良ここちよく、このもしく感じていました。

 ―それではおまえがこわいのは風ではない

 風は関係しているが他のものだろうと言う事になり、わたくしと奥様の探求たんきゅうが始まりました。そうしてつまりは風の立てる音がわたくしの癇に障り、風にられる家の様子がわたくしをおびえさせるのだろうという結論にいたりました。

 正体が知れてしまえば何の事はありませんでした。そう言えばこの家に居る者には微塵みじん狼狽うろたえる素振そぶりなどありませんでしたし、女中が夕餉ゆうげの食卓の貧相ひんそうにちょっとこぼしたきりなのです。ここいらではありふれたものをわたくしが勝手にこわがっていただけの話でした。

 散々さんざんこわがらされたのだから、それらに一体何ほどの事が出来たのかを見てみようと言う奥様の提案ていあんにわたくしは真っ直ぐと賛成しました。

 奥様とわたくしは息を合わせた忍び足で、家人かじんの寝静まった家の中を順繰じゅんぐりと検分けんぶんして回りました。これと言って特に変わった様子は見当たりません。家内かないまった無事ぶじのようです。では、家の外はどうでしょう。

 立て切られた雨戸あまど静々しずしず開くと、うっすりとした隙間すきまから湿しめった風が吹き込んできました。昨日の昼からあらぶっていた風もようやく静まり、時折負ときおりましみのように 強く吹き付けてくる空気の中からも騒々そうぞうしい気配けはいは抜けていました。

 奥様もわたくしもぢくぢくとぬかるんでいるはずの表に足をみ出そうとまでは思っていませんでした。昼日中ひるひなかに検分した方がはっきりとあたりの様子ようすが分ります。ですからまだ夜分やぶんだと言うのにわざわざ雨戸を開けて外をのぞいたのは、言わば悪乗わるのりというものでした。

 外には星空が広がっていました。

 それこそめたような。

 奥様はての音にもかまわず雨戸を大きく開いて外に飛び出して行きました。

 わたくしはそのあとを追いました。

 天の川が本当の川のように流れていました。

 空をあおぐとこめめられたような真っ黒の一面が見え、この世にふたをしているように感じられました。思わず奥様の手をつかむと、奥様はわたくしの手を強くにぎり返してくれました。

 奥様と手をつなぎ、見下ろした先にはやはり満点の星空が敷き詰められているのです。

 目の下で天の川が、ゆったりと美しい光を放ちながら流れてゆきます。

 普段は天に在るはずの星々が荒ぶる風に吹き散らかされ、強い雨によって地上に向かって洗い流されてしまったのでしょうか。今からこの後は天に星を見る事は無くなってしまうのでしょうか。

 おびえる気持ちが矢継やつぎ早にわたくしをさいなみましたが、この時わたくしの目の前に広がっていた光景はうっとりするほど美しく生涯しょうがい忘れ得ぬものでした。

だんだんに夜が明けて、雲が切れて当たり前の空が顔をのぞかせ、何事もない一日の始まりを見届けた後に、奥様とわたくしは再び床に就きました。

 二人ともに大寝坊おおねぼうで、その日初めて向かったのは昼食の食卓でした。

時節外じせつはずれで、頃合ころあいよりは味が落ちますけれど”と、給仕の女中が注釈ちゅうしゃくを付け、“何をトチ狂ったんだかなぁ、まぁこんな事もたまにはあるわな”縁先えんさきに腰掛けた漁師のおじさんの合いの手を耳のはしにしながら、奥様もわたくしも小さな烏賊いかを使ったおさいの乗った小皿こざらめつすがめつながめていました。

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夢あわせ @Aomi_kins8149

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