体育座り

山本二胡

一話完結

「やっぱり、光化学スモッグが世界を汚してるんだ。」

 私は知ったように、呟いた。空は青いのに、青いのに。

 最近のお気に入りの場所、陸上部の部室の裏で。

 空はやっぱり青い。

 雲が浮いてる。


「第二次高度成長期〜」、先生が何度も強調してる。先生の話を聞いてる人は誰もいないのに、先生って、ほんと強いと思う、誰も聞いていないのに話し続けるってスゴく体力がいるから。

「今日からアイツ、シカトね」

 私への最後の審判は、一週間前に下された。その日の夕焼けは、とてもキレイだったっけ。マリが私をシカトするって決めた理由は一つだけ、彼が私に告ったから、そして私はそれに対して、「ちょっと待って」って、言ったから。それだけ。

「気取ってる」

 それだけ。

 私は別に気取ってるから待って欲しかった訳じゃない、むしろ逆。私は付き合ったことなんてなかったから、緊張したのと、私は好きな人とはまるっきり話せないっていう、特異な体質だから。要するに、自信がなかった、彼と、仲良くできる自信が。自信がない時、待って、って言うのは別に悪いことじゃないでしょ? そうでしょ? でもマリは、許さなかった。

 シカトシカトって簡単に言うけど、シカトする方も、相当体力使うって思うんだ。私は誰かをシカトしたことはないけど、ほんとそう思う。

「おはよう」から始まる、一連の私の攻撃。「ねぇねぇ、今日ね、昨日ね、明日ね、今ね、そっかそっか、ふーん、へー、だってマリが悪いんでしょ、うんうん、ねぇ、聞いてる? 聞いてない? そう? おはよう。おはようったらおはよう、こっち向いてよ! おはよう! おはよう! おーはーよーおー!」、マリは1分以上に渡る私の攻撃を、無視し続けた。見事だと思う、攻めも守りも匠の技なり! 賞賛、自画自賛。

 マリが彼を好きなのは知っていた。

 だから私はマリに言った。

「どっちが彼と付き合うか、勝負ね!」

 女と女の、公平なキレイな勝負だったのに、なのに。


 この数日、家を出て、家に帰るまで、話した人は肉屋のキィちゃんだけ。「おっ! おはよう!」、「はい」、それだけの会話、でもキィちゃんに救われる毎日。キィちゃんは今日も真っ赤な顔で、きっと息は酒臭い。でもキィちゃんは明るい。お父さんは二日酔いになる度にこの世の終わりのような顔をするけど、キィちゃんはそんなことない。いつだって笑顔だ。

「この世の終わりだって、楽しめる人がいるんだ」

 私は空っぽの空っぽの息で言葉を飲み込む。声にならない声。

「だいたい、私はまだ終わってないし」


 今日、私はいつもより二十分早く家を出た。私が避け続けていた、7時22分始まりのバス、に乗ってやろう。意気込んで家を出た。始まりのバスを何故私が避けるかと言うと、始まりのバスの最後尾には、いつだって彼が乗っているから。そう私は、敵前逃亡をし続けていた。

 それには言い訳があって、マリとの約束だったから。私達はいつまでも、二番目のバスに乗ろうねって、一緒に乗って学校に行こうね、って。もうそんなのどうでもいい。彼に会って、返事をするんだ。付き合ってください、って、よろしくお願いしますって、精一杯の笑顔で。

 7時30分になっても、始まりのバスは来なかった7時40分になって、ようやくやって来た二番目のバスに私は乗った。なんでだろうと思ったら、マリの甲高い声が聞こえてきた。

「バスで人身事故なんて考えられるー!? ねぇー! 事情聴取だって! 岬くん大丈夫かなー! 死んだオッサンはどうでもいいけど愛しの岬くーん!」

 オッサンの命は重要に決まってる、世界の歯車はオッサンが担ってる! そうに決まってる! 今ひとつの歯車が外れたのに! 頭が足りないんだからマリって! もう!

 二番目のバスは、秒単位に当たり前の時間で、学校に到着した。


 授業では、「世界恐慌!」、先生が叫んでる。

 私の世界は揺るぎない安定性。だって一週間も経てば、もう当たり前なんだもん。

 許すとか、許さないじゃない。マリのいない世界も、安定してる。

 人生に波があるとして、今はどれくらいの位置なんだろう。多分、良い位置、だよね、マリなんてどうでもいい。だって考えてみなよ! 彼に告られたんだよ!? あと返事するだけなんだよ! どう!? これ!!! 私はだんだんテンションが上がってきた。


 そう。

 彼に会おう。

 彼に言おう。好きって言おう。

 彼に笑おう。笑いかけよう。

 そして私は、手をつないで、彼と歩いて。

 花が咲いていて、青空で、雲が、太陽を隠した隙に、隙に、隙に。


 私は妄想マックスで、お昼まで時間のレーンを突っ走った。あっという間に、お昼休みになった。

 彼にいつ会うかは、もう決めていた。お昼休みは、彼は人気だからダメだ。男にも人気の彼、隙間なんてない。放課後がいい。帰宅部の彼は、いつも15時31分のバスに乗る、そう、家庭教師が来る水曜日は。今日が狙い目、今日、彼に返事をしよう。

 私はゆっくりと、お弁当の梅干しを噛む、赤くて丸くて、酸っぱくて、どこか甘くて、甘酸っぱい梅干しって日本の心ねぇと思って、口の端だけ笑って、大丈夫、まだ笑う余裕がある、まだ、まだ。


 お昼休みの終わり頃、マリの甲高い声が響いた。

「成功でーす!」

 成功?

「愛しの彼が!」

 え?彼が?

「オーケーだってー! 放課後うちに来ないかだってー!!!」

「えー!」

 二重三重の甲高い声の渦巻き!

 え? 彼って。彼? 嘘だって。え? ちょっと! マリ! え?

 私の困惑を他所に、チャイムが鳴った。


 斜め後ろから見るマリは、ずっとケータイを弄ってる、彼と? 彼と?

 私は叫び出したい気持ち。

「ちょっとどうゆうこと!?」

 今にも叫んでしまいそう。

 マリがチラッとこっちを見た。

「三角関数!」

 先生が叫ぶ。あぁ。

 マリがもう一度こっちを。そして、笑って。


 あっと言う間の放課後、掃除が終わったら、私は最近のお気に入りの場所に来た。ここから20メートルほど先に、私達の、バス停が見える。この一週間、ここから、彼を眺めた。そして、マリを……。

 授業が終わったら、マリはまた甲高く叫ぶんだろうなと思ったら、そんなことはなく、ずっと目を伏せていた。覚悟を決めた目! なにそれ!? もう!

 それでも私は、見届けたかった、彼と、マリを。二人になった、彼と、マリを。


 私は体育座りで、前を見る、フェンス越し、バス停が見える。今、15時20分、ちらほらと、生徒が列を作る。そして、待って、そして、マリが、彼が……。

 気づいたら、私は顔を伏せていた、膝小僧に顔を埋めて、両手で光さえ遮って覆って、真っ暗にして、もう前を見ないって、決めて、叫びたくて、でも諦めて、前を見たいのに、見たくない! あぁ! 泣きたいのに! 泣けない!!! 世界って! 世界って!!!



少女は体育座りで空を見つめていた

風が雲を運んでいく


私が雲なら

けして流されはしないし

太陽だったら一点を照らすだろう

でもそんなだから

私は嫌われるんだ


少女は体育座りで空を見つめる

うっすらと

涙をこぼして


でも

負けたくない



 気づいたら空は焼けていた。  

 泣きはらした目で見る夕日は、赤くて円くて、ほんのり淡くて、とても優しい色合い。

 私はこの空があるから、前に向かって歩いてるんだ、そう思った。

 キィちゃんの顔が、遠くに見えた、お客さんに手を振ってる。キィちゃんにどんな顔して会えばいいかって思ったけど、べっつにいつも通りなんだ、私はなにも変わらない、笑顔で、ただいま! って言えばいいんだ! 私はズンズン歩いていく。

「キィちゃん!」

 私はいつもより大きな声で、キィちゃんの大きな背中に言う。

「あぁ、ユウちゃんじゃないの! お帰り!」

キィちゃんの声はとても大きくて、でも軟らかくて。

「マリちゃん! どうしたの!?」

「え?」

「ユウちゃん知らないのかい!? マリちゃん大泣きして、よくわかんないこと叫びながら帰ってきたんだよ?」

「マリ。」

 どうしたんだろう。彼と、なにかあったのかな? マリ。

「ユウちゃん、ちょっとユウちゃん」

 私は、キィちゃんの声が、もう半分聞こえていなかった。ぼんやりしながら、でも確実に、家に向かって歩いた。


 家の前に来ると、門扉が開いていた。

お客さんかな、思いながら歩いて行くと、ドアの前で、マリが体育座りしていた。さっきの私みたいに、顔を埋めてる。


「マリ。」

私は自然と口にした。

マリは顔を上げて、「ユウ!」、溢れる涙と一緒に叫んだ。

「ユウ! ユウ! ごめん! ユウ!」


マリを家に上げて、ホットミルクを二つ、テーブルに置いた。

とびきり甘いのを。


マリはぽつりぽつりと話してくれた。

彼のうちに行くまでは優しかった。

彼の部屋に入った途端、彼は変わった。

ヤラれた、何度もそう言った。

初めてなのに、ヤラれた、ヤラれた、ヤラれた。

ヤリチン、クソッタレ、クソチン!


「ユウちゃん」

 マリは子供の頃のように言った。

「マリ」

 私は、おかしいけどちょっとマリより大人のつもりで、言った、「おいで」、手を広げる。

「ユウちゃん! ごめーん! ごめーん!」

 マリは何度も叫んだ、私は、あたたかく優しく、を心がけて、マリを抱きしめた。


今日の夕焼けは、いつもより少し長く燃えてる。

あたたかい光はマリの影を長く伸ばしてる。

手を振るマリが、なかなか遠くへ行かないみたいで、心地よかった。

「また明日!」

マリが遠くで叫んだ。

「また明日!」

私もすごく大きな声で、叫ぶ。


今日の空は、いつまでも赤い。

でもいつかは暗くなるから、私は家に入った。

音楽でも聞こうか、とびっきり甘酸っぱいヤツ。

ヘッドフォンで、音量を上げて。

赤く染まる部屋で、体育座りして。

顔を、いつまでも、埋めて。





                お終い。

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体育座り 山本二胡 @niko1985sb

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