4. When the Lace Comes Loose

 奇妙な足跡の終点が墓だと分かった瞬間、世界がその一か所に吸いこまれたかのように青ざめ、冷たくなった――ように感じたのは、いつの間にか日が山林に隠れ、自分の体がすっかり影に呑まれていることに気づいたからであった。

 妙な焦燥感に駆られ、その影から逃げるように、まだ日の当たっている反対側の歩道に向かって小走りで道路を横断する。心臓がとくとくとうるさく鳴り、にわかにのどの渇きを覚えた。そういえば、昼食時以来水を飲んでいない。見回すが、もちろん自動販売機などありそうもなかった。代わりに、歩道から分かれて山林へと伸びる、細い上り坂が視界に入ってきた。竹林に挟まれて薄暗い奥の方から舌を伸ばすように、青白い雪が路面を覆っていた。

 その坂道に沿って築かれた擁壁の低い突端が目に入る。ちょうど腰かけるのにいい高さな、と思ったときには、実際に腰かけていた。棒のようになった両足にどくどくと血液がめぐり、凝固した疲労物質がじんわり溶けていくような感覚に、ため息が漏れる。気持ちは焦っているはずなのに、一度降ろしてしまった腰は岩と化し、二度と持ち上がらない気がした。

 そしてふと、静寂が耳につく。それまで漫然と流れていた音楽が、いつの間にか耳掛け式ヘッドホンから聴こえなくなっていることに気づいた。コートのポケットからデジタルオーディオプレイヤーを取り出してみると、画面が消えている。再起動を試みると、バッテリー残量がないと訴えるアイコンが表示され、またすぐ眠りに落ちてしまった。

 「この子も落ちちゃったか…」落胆のため息まじりにひとりごちる。実はすでに、スマートフォンの電池が切れ、全く連絡が取れない状況にあった。以前からまれに、何もしていないのに異常に早く電池残量が減るという不具合は起きていたが、しばらくは問題なく使えていたので、すっかりそのことを忘れていた。まさか、旅先で、しかもコンビニも見当たらない辺鄙な山間の道の途上で、その不具合に見舞われるとは……序盤で調子に乗って写真を撮りまくるなどしていたのも原因かもしれないが、本当についていない。

 そんな中で唯一心の拠り所となっていたのが、聴きなじんだ音楽だった。メインは最新曲も手軽にチェックできるスマートフォンのメディアプレイヤーを利用しているが、普段から、今ではめっきり見なくなった12年物のデジタルオーディオプレイヤーを肌身離さず持ち歩いている。16ギガバイトの容量も既に満杯になってしまっており、新たに曲が加わることもなければ消えることもない。その中だけは自分の学生時代のままで時が止まっていて、聴くたびに懐かしさと安心感に満たされる。持ち歩ける卒業アルバムのような存在だ。

 そして今回も、スマートフォンが使えなくなった後、小さくともそれはしっかりと精神的な支えとなってくれていた。が……その電池も切れてしまった。宿を出たときには完全充電されていたはずなのに……とうとう寿命だろうか。それならば仕方がないけれども……今このタイミングで切れることないじゃないか……。

都市部であれば電源を使用できる喫茶店はいくらでもあるし、コンビニでモバイルバッテリーを買えばいい。しかしここには、そのどちらも、少なくとも1キロ圏内には、ありそうもなかった。

 やりきれない思いでヘッドホンを外し、プレイヤーとともにポケットに突っ込む。覆っていたものがなくなってしまった耳に、冷たい空気と寂しさがすかさず貼りついてくる。それを振り払い自分の身を守るように、安っぽいフェイクファーのついたフードをかぶり、両足を胸につけて体を小さく丸めこんだ。

 なんて静かなのだろう。遠くから残響を伴って聞こえる、犬の吠え声。冴えわたる青空の彼方を行く、航空機の低い唸り。吹き付ける冷たい風の音。音にあふれた都市部で生まれ育ち、四六時中音楽に浸るボクにとって、たったそれだけの微かな環境音は、無音に等しい世界だった。見知らぬ世界の中、万物が完全に口を閉ざす、絶対的な孤独感。ボクはただ自分の体温に救いを求めるように、より一層体を縮めた。

 そこでふと、ここまでボクをひたすら前進させ続けてきた“呪いの”黒いスニーカーの靴紐が、ほどけていることに気が付いた。半年前に購入して以来、毎日履いているミドルカットのスニーカー。出かける前に洗ってはきているのだが、すでに泥汚れがびっしりと付着し、有名ブランドの威厳などみじんも感じえないような状態だ。

 何度目かのため息をつきながら、すっかり冷えた指でひもを摘まんだとき、奇妙な、不快な感覚が、黒煙のごとくもわりと脳裏に立ち込めた。思考の秩序を監視し続ける理性の目を覆ってしまうような、名状しがたい違和感と、記憶がきつくしまい込まれている箱の底を引っ掻き回されるような既視感。

(なんで今来るかなぁ…)妨げられていく視界の中、理性がぼんやりとしたその正体を捉え、警鐘を鳴らす。

 PTSD——心的外傷後ストレス障害。幼い頃目の当たりにした交通事故が、文字通り心の傷として深く刻まれている。事故直後のおよそ1年間は、深刻な精神疾患を発症していたようだが、治療により徐々に回復し、中学生になる頃はパニック発作などの顕著な症状は一切現れなくなった。おそらく周囲は、その時点でボクが障害を克服したと思っているだろう。しかし、度々、とりわけ疲労や睡眠不足などで体調に隙ができたときに、フラッシュバックの予兆である、今のような言いようのない不快感に見舞われることがある。まるで爆弾のようなそいつは、日常のあらゆる場所に転がっていて、ふとした瞬間に、思いもよらないタイミングで、導火線に火が付いてしまう。いわゆる侵入症状だ。

 その火を消すのに最も有効なのが、やはり、音楽だった。寝ていても起きていても、耳は常に開いている。意識的にしろ無意識的にしろ、常に何かしらの音を脳に送り込んでいれば、脳も過去の記憶を引き出して再現する暇がなくなるだろうと、勝手に分析した。事実、そのことに気が付いてから、少なくともパニックは起こしていない。とにかく無音の瞬間が生まれないように、部屋のオーディオはつけっぱなしにし、浴室にも防水のものを置いている。外出中は先に述べたように、予備のオーディオプレーヤーを肌身離さず持ち歩き、電池残量に気を配る。遮音性の低い耳かけ式のヘッドフォンをあえて愛用しているのも、歩行中でも自転車に乗っていても危険のないよう、周囲の音も確認できるようにするためなのだ。ラジオやテレビなど、選別できない情報がひっきりなしに入ってくるメディアは、爆弾が紛れ込む可能性があるため、避けていた。やはり、良質な音楽が最も安心安全な精神安定剤となり得ていた。

 音楽さえあれば、大丈夫。音楽さえあれば……。しかし、それはつまり、音楽がなくなってしまえば、だめだということ。今、オーディオプレーヤーは、あいにくどちらも、うんともすんとも言ってはくれない。

 最近起きたとある事件によって、再び、自分の精神状態が不安定になっていることを危惧していた。だから、仕事もやめて、気分転換のため長旅に出ようと決めたのだ。

 それなのに。まさかその旅先で、こいつに見舞われるとは……。

 導火線がじりじりと焼かれ短くなっていく。とにかく振り払わなければ。しかし、ただ焦燥感が募るばかりで、心臓が激しく早鐘を打ちだし、冷や汗がにじみだす。呼吸が浅く速くなる。だめだ、どうにかして、気を紛らわさなければ。きょろきょろと辺りを見回す。片側一車線の道。ガードレール。茶畑に降りる坂。まっすぐに墓に向かう、奇妙な足跡。カラスの声。じわじわと足元に忍び寄る、おぼろな影。昼下がり。靴紐。電信柱——現実と空想の境目が曖昧になり、実際に見えているもの、記憶から再生されるもの、それらは等しく鮮明な絵や音声となって、次々と脳裏に浮かんでは消える。

 顔を横に向ける。竹林に挟まれた、細い坂道。青白い舌のような残雪、その奥から――。

 突然、猛烈な恐怖の念に駆られ、全身ががくがくと震えだす。ぐらぐらと視界がゆがむので、きつく目を閉じる。息を吸っても吸っても、苦しい。車の走行音。車がくる。呼吸ができない。苦しい。来る。車が――死が――。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

Blowin' in the Wind 午后野たまも @gogono

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ