第4話

無気力。「人生は乱気流」なんてふざけたことを書いている、電車の広告。窓の外で走る別の電車は、まるで死に急ぐような超特急。視界と思考の狭間でチラつく僕の顔が、窓に映って、笑う。反射する彼はまるで僕じゃないみたいだ。引きつった笑顔に腹が立つ。「馬鹿な奴」と言って笑ったかつてのクラスメイトみたいな顔をしている。

「まもなく……………です。」

電車内に女声アナウンスが響くが、うまく聞き取れない。溜息を吐くように電車の扉が開く。電光表示を見て、慌てて降りて、人混みに揉まれすっかりやさぐれ、磨り減った靴の先を見て、思わず舌打ちをした。「お前もあの客と同じじゃないか。」僕の中の僕がそう言っているような気がして、頭を振る。違う。僕はあんな大人にはならないはずだ。いや、きっと大人にもなれない。階段を降りて、改札を出ようとICカードを使うが、残金不足でバーが閉じる。

「すいません、すいません。」

軽く頭を下げながら、つっかえる後ろの人たちに謝る。また自己満足。うるさい。肩を落としてとりあえず千円だけチャージし、なんとか改札を出た。さっき階段を降りたばかりなのに、北口の長い昇り階段がまた現れる。一歩一歩、階段の感触を確かめながら昇る。

 駅の北口は、バイト先のコンビニがある街よりかは人が少なくて、なんだかいつもどこか閑散としている。その静謐な雰囲気を、地元の寂れた駅のロータリーに重ねる。いや、あそこの方がもっと寂しいな。いつも暇そうにタクシードライバーたちが煙草を吹かしていた。今の政権はどうだの、景気がどうだの、そういえばこの前あそこの道で事故があっただの、話が尽きる様子はなかったあのロータリー。夜は光が少なくて、唯一眩しかったのは僕が中学生の頃にできた、コンビニの灯りだった。そんな景色を頭の中で思い描きながら、とぼとぼと自宅に向かう。思い出はいつも逃げられない現実の自分を悩ませる。いっそ思い出が消えてしまえば楽なのに、なんて考えるが、それはそれでどうなんだろう、と疑問に思う。そうやって考える暇もなければいいのに。何もすることがないから、やる気になれないから、ぼんやり考え事ばかりしてしまう。

ぴたり、足を止める。ぼんやり歩いていると、いつの間にかアパートの前を通り過ぎていた。そんな事もあるのかと辟易しながらも、なんだか情けなくて、おかしくて、笑った。鍵を開け、ゆっくり扉を開く。冷たい空気が一気に押し寄せる。疲れて帰ってきた家主を暖かく迎えてくれたっていいのに。

「ただいま」

誰もいるはずのない部屋に向かって言う言葉は虚しい。部屋は寒い。静寂が耳に痛い。キンキンする耳を塞ぎたくて、嫌な考え事ばかりする頭を空っぽにしたくて、久しく聴いていないバンドのCDを何枚か取り出す。確か実家から持ってきたラジカセが眠っているはずだ。イヤホンを繋いで、CDをセットして、再生する。こうやって音楽を聴いて一日が終わる事も少なくない。

そういえば、高校生の頃はよく聴いていたなあ。あの頃もうまくいかない人生から逃げ出したくて死にたくて仕方なかった。「人生これから」なんてほざく大人が嫌いだった。僕は苦しい今から逃げ出したいのに、大人はいつも未来の話ばかりする。逃げる事はそんなに悪い事なのか。僕の人生なのに。僕の命なのに。僕を心配する母にも、高校で無視して陰で笑ったクラスメイトにも、僕を面倒くさそうに義務感で励ます教師にも、死ねと毒吐いていた。けれど彼らを殺す勇気も、死ぬ勇気もない僕は「死にたい」を頭の中で囁きながら結局生きてしまった。好きだったバンドの新譜が楽しみで結局生きてしまった。付き合っていた彼女がなんとなく好きだったから結局生きてしまった。

今だって死にたい夜はある。いや、ほとんど毎晩死にたがりの僕が目を覚ます。さっきのバイトでの失敗がフラッシュバック。なんだ、あの頃も今も、人生なんてうまくいった試しがないと自虐的に笑う。もうやってみるか、首吊り自殺。「僕の人生だから僕自身のために生きたい。」そんな大口叩いて出てきたのに、結局諦めている。人生ってこんなもんなのか。もう死んだ方がいいのか。

自分を突然、理由も言わずに無視したクラスメイトを見返したい。自分をからかって遊んだクラスメイトを見返したい。恨みつらみはしっかりこの胸の中にシミを作っているのに、彼らの顔はぼんやりとしていて思い出せない。殺してやる、なんて当時は思ってたし今も法律がないなら殺してやろうと思うくらいには嫌いだ。けれどそんな勇気はないし、殺して自分の余生を刑務所で過ごすのは嫌だとぼんやり思う。もっと否応ない、拒否できない制裁の方がいい。できれば僕も罪悪感を背負わないで済む方法。そうか、世界が滅べばいいんだ。みんな一緒に消えれば、悲しむ人ももちろんいない、怒る人もいない。死にたいと叫ぶ人も死ねるし、生きたいと思っている人には残念だが、世界が滅ぶのなら仕方がないと思える。難病で自分一人が死ぬより、そういう巨大な暴力でみんな死ぬ方がいい。僕も諦観して死ねる。

死にたくなる夜は、世界を滅ぼす夜に変わる。世界が滅ぶとしたらどういう理由だろう?そんなことを空想しだすと、寝たいと思っていた頭が冴えてくる。

例えば核戦争。例えばバイオテロ。例えば、宇宙から隕石がたくさん降ってくるとか。これは空想の中でも一番くだらない空想だ。破り捨てる。もっと簡単に世界が終わればいいのに。神様が人間になって、彼を殺せば世界が弾け飛んで滅ぶ、というくらい簡単な。なら、神様は弱い人間の方がいい。不意に今日見かけた少女の姿を思い出す。いや、彼女が神様な訳がない。そもそも神様なんてもういないかもしれない。世界はこんなに非情だ。次第に夢と現実の境目が曖昧になっていく。はやく朝にならないかな、なんて、意識を完全に手放す直前に思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ぼこぼこ 無川石 @s_000k

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る