祭囃子が聞こえる

そばあきな

祭囃子が聞こえる


 また、あの日の夢を見た。


「浴衣」「線香花火」「りんご飴」……「幼馴染」。


 単語ばかりが浮かんで、映像は途切れ途切れだ。もう一年経ったのに未練がましいと、自分の頬を叩きたくなる。けれど、また忘れかけた頃に同じ夢を見て、思い出してしまうのだ。まるで「ちゃんと覚えていろ」と君に言われたみたいに。目覚めた今すらも夢だったなら、今の痛さで目が覚めてきっと幸せな未来を送れるのだろう。嫌な事、全てを避けて。

 ……でも、そんな夢物語なんて無い。無いから、君と映った写真を忍ばせて、一人きりで眠るのだ。


 ――――明日は、夏祭りだ。


 ***


 祭囃子が聞こえた。その音で、俺は目を開ける。太鼓の音が近くの山で反響して鼓膜を震わせる。それに合わせて吊るされた提灯に光を灯されていき、何かが焦げるような香りが鼻孔をくすぐった。

 耳で、目で、鼻で。祭りを感じていく。

 そんなに大きくない、俺の町の夏祭り。

 一年ぶりで、一日だけの、夢物語。

 俺は小さく笑い、夏祭りへ出向く準備をし始める。


「なんでこう……祭りになると恋人連れが多いんだ」

 去年、友達の一人を見た時もそうだったし、声を掛けなかっただけで他にも見かけた。イベントを彼女と過ごしたいって事なのだろうか。

 そんな事を考えたのは、俺が出店の立ち並ぶ通りに着いて、ひと通り回った時だった。祭りが始まるのは七時からで、今は七時十五分。そんなに時間は経っていないのに、既に通りには、注意して歩かないとぶつかってしまいそうな程の人があふれかえっていた。去年は夏祭りの前日に雨が降っていたから、中止だと思って来なかった人が結構いたらしい。まあ結局当日が晴れていたから普通にやっていたけど。去年が少なかったからそう見えるのだろうか。ちょっと歩いただけで、俺は何人かの知り合いの顔を見つけていた。しかしその誰もが異性連れだったので、リア充めと苦笑してしまった。しかも相手は全然見た事のない子ばかりだった。どこの学校の子だかも分からない。いつ知り合ったんだよと思う。


 ――あの日から、ちょうど一年。久しぶりにこの場所に来たので、どうしても懐かしさを感じてしまう。俺の学年は、去年中学を卒業して高校一年生になった。祭りの様子は去年とあまり変わらなかった。変わったのは、去年見たはずの同級生を見かけなかったり、又は店の手伝いをさせられていたり、はたまた知らない奴らとつるんでいたくらいだろうか。橋の近くの出店でりんご飴を売る、三丁目に住む瀬野さんは、あいかわらず無精ひげを生やして二十代半ばなのに中年のオッサンみたいだし、学校前に住む有明さんの、何でも屋のような出店も、いつもの場所のまま店を続けている。出店は、その年の申請順で決まると聞いた事がある。だから毎年違った場所に構えるのが普通だ。しかし有明さんの出店は、俺が記憶している中ではずっと同じ場所だった。なにか裏があるとしか思えない。

 俺はそんなどうでもいい事に懐かしさを感じながら、又そわそわしながら人ごみをすり抜けて行く。特に何か買うことも無くほぼ冷やかしの状態で回り、きびすを返す。出店巡りも二週目に突入した。


 すれ違う人波の中、俺の探す人は見当たらない。今日来ているはずの、俺の幼馴染。去年この祭りを一緒に来て以来会っていない、あの幼馴染は今どうしているのだろうか。この場所に居なかった俺はそれを知らない。だから、ひたすらそれが知りたかった。離れた一年間何があったのか、今どうしているのか。そんな事だったけど、それが今の俺の全てだった。


 ――深衣菜みいな、今どこで何をして、今を楽しんでいますか。


 ***


 ――あの日……去年の夏祭りは、何をしたっけ。

 確か、有明さんの出店の前で待ち合わせをしたんだっけ。どうせ家は隣なんだから、別に待ち合わせする必要は無い気がしたけど、幼馴染の君は、あの日、あの年に限って待ち合わせにしようと言ってきたね。どうしてあの日そう言ったのか、君にもう一度会えたなら……。


 ***


 幼馴染の望月もちづき深衣菜からの手紙を見たのは、夏祭り当日の事だった。正直手紙なんて来ないと思っていたから驚いた。内容は夏祭りには来ますかとか、まあそんな感じの他愛もない話だった訳だけど、驚きだったのは昨日書かれた手紙だった事だ。そんな急に、よく届けたなと苦笑するレベルだ。だが実際問題、俺は夏祭りに行く予定だったのだから、意図せずして幼馴染の願いを叶える事になった。浴衣はあいにく手元になかった。シャツにジーパンというラフな格好だったが、俺はそのまま祭囃子の聞こえる方向へと足を進めることにした。


 ――――ドクン。


 心臓が、きゅっと締まったような感覚がした。人ごみの中、見た事のあるオレンジの浴衣が見えて、思わず立ち止まる。見間違いでありませんようにと、何度も目をこすりもう一度その浴衣の主を見た。

 幼馴染の、望月深衣菜だった。深衣菜は、去年のあの日と同じようにオレンジの浴衣を着ていた。オレンジジュースをぶちまけて、赤い牡丹をばらまいたような浴衣。一年前それを見た俺がふざけてそう形容した浴衣だった。

 その浴衣は、隣に誰かを連れていた。

 顔は、ここからは見えない。けれど……。


 ――久しぶり、涼……と、望月さん。


 ふと、あの日の光景が浮かぶ。今でもはっきり思い出せる、去年の夏祭り。確かそんな言葉を発しながら、アイツは俺と深衣菜に声を掛けた。俺より少し背が高いわりに、顔を俯かせて遠慮がちで。頬も少し赤かった気がする。

 それがどうしてなのか、俺はよく知っていた。


 深衣菜とその誰かは、どんどん俺のいる方へ向かってきた。確かめたいのに、足が震えて一歩も進められなくて、俺はその場に立ちすくんでいた。もうすぐすれ違いそうになる瞬間、フッと霧が晴れたように人の波が消え、その誰かの顔が見えた。


 ――――三浦久人みうらひさと


 やっぱりお前か、と一人思った。

 そうだよな。お前、深衣菜の事好きだったもんな。


 深衣菜達は、俺の姿に気付かず通り過ぎていく。


 ――ああ、おめでとう。


 どんどん離れていく背中を見ながら、どんどん滲んでいく背中を見ながら、俺は小さく呟いた。


 ――本当に、おめでとう。


 耐えられなくなってその場にしゃがみ込み目をこする。



 ――――願わくば、二人が幸せでありますように。


 ***


 待ち合わせ、君は随分早くから待っていたらしかった。しきりに時間を気にしながら、その後にりんご飴を買おうと言っていた目も、落ち着きなくキョロキョロしていた。

 ――誰かと会う予定を立てているんじゃないか。

 本当に微かだけど、そんな事を感じたんだ。


 ***


 三浦久人は、中学で最初にできた友達だった。同じサッカー部でなんとなく一緒に話すようになり、そのまま一番仲がいい友達になったのだ。サッカーが上手く顔のいい三浦は、よく女子に話しかけられていた。俺と話している時ですら、いつの間にか女子に囲まれてしまう程の人気ぶりだったことを覚えている。三浦が女子に囲まれるたび、俺は暇を持て余す事になり、友達を止めてやろうかと心にもない事を考えた事は一度や二度だけじゃない。しかし、最後には俺の方へ来てくれて「待ったか?」なんて気遣ってくれる三浦を見てしまうと、単純な俺はいつも許してしまうのだ。


 一度、三浦に訊いた事がある。

「付き合いたい女子とかいんの?」と冗談半分に尋ねたら、真面目な顔でこう返された。

「いたらお前と一緒になんかつるんでねえよ」

 多分、いたらその子と一緒にいるだろうからって意味だとは思ったけど、真顔でそんな事を言うもんだから笑うしかなかった。あれだけ女子に囲まれても、三浦はその女子の誰の事も気にしていない事実が面白くて、いつも俺の事を邪険にする女子達に復讐をした気になれて、ずっと笑っていられた。

 それからも、俺と三浦は友達であり続けた。時々深衣菜とも交えて話をしたり、三人で一緒に帰ったりもした。二人から三人になるのに、時間はかからなかった。


 けれど、今思えば。三浦は何で俺といてくれたんだっけ。

 ――いたらお前と一緒になんかつるんでねえよ。

 疑うなんて、できるわけがなかった。もしかしてと疑ってしまうような、三浦の目的はまさかと考えるような発想は、あの当時全く思いつかなかったのだから。


 しばらくあの場で泣いていた俺はどうにか復活し、何事も無かったかのようにまた人ごみに紛れ込んだ。目も鼻もこすり過ぎて痛い。今、鏡を見たら相当ひどい顔をしている事だろう。どうせ誰も見ていないし、気にされてもいない。祭りなんて人がめちゃくちゃ多いのだから、俺一人の事なんか気に掛ける人なんてきっといない。けれど、俺自身は恥ずかしすぎて消えてしまいたい気分だった。

 ……いや、消えるのはもう少し後だ。祭りの雰囲気を一人で楽しんでからだ。そうしたらまた、この町から消えてしまおう。

 そう勝手に意気込んで前を向いた瞬間、大量の汗が吹き出しそうな感覚に陥る。

 

 ――二人がまた、こっちに向かって歩いてきていた。


 ***


 君の言うとおり、二人で最初にりんご飴を売る瀬野さんの出店へ向かった。

「瀬野さん、りんご飴二つ!」

 そう高らかに宣言する君の横顔をじっと盗み見ていたら、瀬野さんがニヤニヤしながらこちらを見てきた。君も瀬野さんの表情に気付いたけど、なんでだろうと不思議そうにしていた。おまけに、「瀬野さん何か面白い事あった?」とか言う始末。後ろで苦笑してしまったな。

 ……やっぱり君は鈍い。

 普段の表情に戻った瀬野さんからりんご飴を受け取る君の背中に、小さくそう呟いた。


 ***


 昔から俺と深衣菜、二人でセットみたいなもんだった。

「だって幼馴染だし」

 そうとしか言えなかった。俺らは幼馴染だから。運動会も、遠足も、初詣だって。俺らはいつも一緒にいて、それが当たり前みたいに思っていた。それだと良くないこともあるって、一年前に気付いた。 気付かされた。

 二人から、三人へ。

 夏休みが始まる前日。放課後の教室で呼び止められるあの瞬間まで。俺らが一緒にいる事で誰かが困るなんて、想像もしていなかったんだ。


 ドクンドクンと、心臓が高鳴った気がした。

 思わずまた二人を見て涙腺が緩みそうになったが、何とか踏ん張り、また近づく二人をそっと眺める。また二人は気付かずに通り過ぎて行った。

 その時、俺は二人の持つある物に目が留まった。深衣菜の抱える大きな花束と、アイツの持つりんご飴と線香花火。


 ――――夏祭りに花束? 


 いくらなんでも計画性のない買い物だと思った。というより、関連性のない買い物だ。そんな事を考えていたら、ふとアッと気付く。

 それは、去年俺が実際に買った物だった。りんご飴は、深衣菜と待ち合わせしてすぐに。線香花火と花束は、アイツと会ったすぐ後に。


 ……でも、どうしてそれを?

 俺は興味を引かれて、二人の後ろを付いて行く事にした。


 中学に上がった頃から、よく訊かれる質問があった。

「涼と望月さんって、付き合ってんの?」

 一回否定しても大抵は納得してくれない。幼馴染だから。それ以上の意味がどこにあるんだろうか。

 だから、三浦に訊かれた時も驚いた。確か部活が終わってそのまま一緒に帰っていた時だったと思う。お前までそれを訊くかと思ったし、三浦は女子に興味が無くて気にしないタイプだと思っていたのに。

 いつも通り否定してから、なんでそんな事訊くんだと若干怒気をはらんだ声で尋ねた。そんな俺の様子にも三浦は動じる事なく、あの真面目な顔でこう言ってのけたのだ。

「いやだって、もし二人が付き合ってたら俺は邪魔者だろ。その辺察してやってんの」

 ……ホントにいい奴だと思う。そこまで心配しなくてもいいのにとも思うけど、それは野暮なんだろう。そんなんじゃないからこれからも仲良くしてくれよと三浦に言った。おう、と短い返答が隣で聞こえた気がした。


 二人はどんどん出店から離れていった。祭囃子が少しずつ小さくなり、人もまばらになってきて、俺は二人がどこに行くのか不安になった。提灯の光からも離れ、どんどん暗がりに進んでいく。その間、二人は何も喋らない。思えば、さっきすれ違った時も、二人は一言も話していなかった気がする。どこか引っかかった。さっきから心臓がドクンドクンとうるさく鳴っている気がして、気のせいだと自分に言い聞かせた。しばらく歩いた二人が、林の傾斜の前で立ち止まる。立ち入り禁止のテープと、不自然に蛍光を帯びた看板。

 この場所に来ると、胸が苦しくなる。だって、その場所に、俺は、俺らは――――。

 そんな俺の動揺とは裏腹に、二人はそのまま立ち入り禁止のテープをくぐった。躊躇のない様子の二人の後を、俺は少しだけためらいながらも付いて行った。


 あの時、深衣菜からの手紙を目にした時。封を開けると、そこには夏祭りの誘いが書かれていた。来てくれますかと幼馴染から言われたのだ。来ない訳にはいかない。読んだ事を示す為にその辺に落ちていた鉛筆を拾い、手紙の一番後ろに「分かった」と殴り書きをしておいた。ここに手紙があるという事は、きっとまた深衣菜は戻ってくるだろう。投函もせず手紙も鉛筆も放り投げ、俺は祭囃子の方へ駆けていった。


 あれから数時間も経っていないのに、もう随分昔のように感じる。そうだ、俺は目覚めた瞬間からこの街にいた。夏祭りのこの日だけ、帰ってくる事ができたのだ。確かめなければいけない事があった。

 だから俺は、今ここにいる。



 二人から、三人へ。

 でも、もう三人ではいられなかった。

 アイツが彼女の事を好きになったのだから。



 三浦久人に、深衣菜のことが好きだと告白されたのは、去年の夏休みの前日だった。あれからクラス替えをして離れても、俺達は変わらずつるみ続けていた。相変わらず三浦は女子にモテていたし、俺と深衣菜の関係も幼馴染のままだったけど、三人でいる事が楽しかった俺には何もかもがどうでもよかった。

 文化系の部活に所属する深衣菜と、運動部に所属する俺と三浦では、基本的に帰る時間が合わなかった。それでも時々都合が合う事もあったから、その時には三人で一緒に帰ったりしていた。

 その日は、俺と三浦の二人で帰る予定だった。情けない事に、俺は三浦自身からそう告げられるまで全く気付かなかった。言われても尚疑っていたんだから、相当だと思う。

 赤い夕陽を浴びた教室で、俺と三浦は互いの真意を探るようにして向かいあっていた。

「……で、お前に協力してほしいんだよ」

「……何を」

 なんとなく分かっていながらも尋ねた。

「告白だ」

 その声は震えていて、俺は三浦の本気さが、なんとなく分かった気がした。



 その日の夜、少しだけ俺と深衣菜の関係について考えた。その日決意した事が、今の俺の運命を形作っている。



 暗い林の中を進んでいた二人は、ある場所の前で立ち止まった。息をのむ。そこは俺が目覚めた場所だった。始まりであり終わりでもある場所。放り出した鉛筆も、深衣菜の手紙だって。暗がりで見えづらいけど、そこにまだ残されたままだった。

 二人はその場所に花火とりんご飴を置き、そこで手を合わせた。その時、俺は深衣菜の微かに漏らした言葉が耳に届いた。



「――涼、今も天国で元気にしていますか」



 もう動かなくなったはずの心臓が、また締まる感覚がした。


 ***


 りんご飴の包み紙を開けて二人で頬張っていると、不意に後ろから誰かの声が聞こえた。

「……久しぶり、涼……と、望月さん」

 振り返ると、同じクラスの三浦久人君が立っていた。私は、君――幼馴染の涼の友達の一人だったので、三浦君の事をよく知っていた。「こんばんは」と答えると、三浦君は照れくさそうにしながらも、こんばんはと返してくれた。だけど、友達のはずの君はどこか上の空みたいにしていた。そして不意に大きく深呼吸して、こう言ったんだ。


「――なあ、三人で花火をしないか?」


 ***


「協力って具体的に何をすればいいわけ?」

 夕陽を浴びた教室で、俺は三浦の顔をじっと見ていた。

「……思ってたより協力的だな」

 三浦が少しだけ面食らった顔をした。

「何だよ、俺が友達の頼みを断るほど薄情に見えんのかよ?」

「いや、そうじゃなくてさ……」

 そこで三浦は何かをためらった。

「何だよ三浦。ちゃんと言ってくれなきゃ分かんねえだろ」

 それでも三浦は中々口を開かなかった。数十秒の沈黙の後、三浦はようやく話し出した。

「……涼は、望月さんの事が好きじゃないのか?」

「俺? 恋愛的にってことか? 俺は……」

 なんだか昔にも同じような質問をされたような気がした。少しだけ懐かしくなるが、今とは質問の重さが違うだろう。

 考えるまでもなかった。

 すぐに答えは見つかった。

「深衣菜とはそんなんじゃないかな。だって幼馴染だし」

 その言葉で、三浦は少しだけほっとしたようだった。……そっか。もし俺も深衣菜が好きだったらライバルってことになるんだもんな。

「だから、俺は三浦を応援するぞ」


 その言葉に偽りはなかった。その先に待ち受ける俺の運命なんて、想像すらしていなかった。


「あの日、俺が協力してくれなんて頼まなければ。一年経った今でも、そう思う事があるんだ」

 二人が手を合わせてどれくらい経っただろうか。不意に三浦が口を開いた。置いた線香花火とりんご飴、そして花束から目を離さない。それからの言葉は、どこかにいるのだと信じている、実は後ろにいる俺にも、隣にいる深衣菜にも話しているような口ぶりだった。

「涼、本当にいい奴だったよ。夏祭りの前に予定練ってくれたんだ。自分たちはいつ待ち合わせするとか、どこで何を買うと思うとか」

 その瞬間、去年の記憶が脳裏に浮かびあがった。三浦の告白を聞いた後日、二人で教室に残った放課後。もう思い出すことが無いと思って記憶の底にしまっていた思い出。若干ノイズまじりの記憶が頭の中で再生された。


 ――俺らは今年、有明さんの出店の前で待ち合わせして、最初瀬野さんの出店でりんご飴を買うから。


 そんな言葉を言っていたあの時の俺の顔は、多分笑っていただろう。夏祭り当日に何が起きるかなんて、知らなかったのだから。


「俺の事、自分の事みたいに心配してくれてさ」


 ――大丈夫か、深衣菜は鈍いぞ? なんてったって、クラスのバカップルのあの二人のこと! あの二人が付き合ってるって事、全然知らなかったんだからな!


「そして最後に、頑張れって言ってくれたんだ……」


 ――三浦、頑張れよ。応援してるからな。


「本当酷いよな、俺。望月さんが好きな人を知ってるくせに、そいつに協力を申し出るんだもんな……」

 その瞬間、ザワザワと木が揺れて深衣菜が少し驚いた声を出した。あまり三浦の声が聞き取れなかったけど、もう一回言ってくれなんて言えない。


 祭囃子は、変わらず遠い。


 ――なあ、もうそんな所離れて出店でも見ようぜ。


 その声は、風の音に遮られて二人には聞こえなかったのだろう。


 ***


 和泉いずみ涼は、交通事故で亡くなった。

 夏祭りの会場になる通り。その周辺には林が広がっている。あの通りは元々人の往来が激しい。特に夏祭りの日は混雑するのが目に見えているから、ショートカットをしようとして林を突っ切ろうとする人がいない訳ではなかった。夏とはいえ、夜にもなれば視界は悪い。だから小学生の時には、先生から「むやみに林に入らない事」なんて注意がされていたくらいだった。


 彼は去年の夏祭りの日、その林を通りぬけようとして、そこで足が滑ったか何かして道路に飛び出したところをトラックにはねられた。

 それから、その林には立ち入り禁止のテープや看板が立てられるようになった。


 ***


 浮かれていなかったといえば、嘘になる。

 有明さんの出店で線香花火と、尚且つ三浦の告白が成功したら渡してやろうと花束まで買って、俺は帰り道を急いでいた。ちょうど林を抜けて道路に移ろうとする時だった。前日は雨が降っていた。だからだろう。足元の地面がずるりとむけるような感覚がした。ぬかるんだ土に足を取られて重心が傾いていく。下り坂で勢いがついてしまっていたのも悪かった。その勢いのまま、俺の体は道路に飛び出した。


 目の前に、トラックの影が見えた。二つの光が交差して、急ブレーキの音が耳元で響いた。


 それから先は、あまり思い出せない。


 ***


 三浦は、いつの間にか涙をこぼしていた。最後の方なんてほとんど聞き取れないくらいだったから、今じゃ二人からかなり近い距離で俺は聞いていた。でも、たとえ俺が二人のすぐ後ろにいても気付かれる事はないのだろう。あの時、すれ違った二人は俺に気付かなかった。しゃがんで泣いていた時も、周りにいた人は誰も俺に声を掛けなかった。幽霊だから、みんなには見えていない。目覚めた時から、ちゃんとそれは分かっているはずだったのに。

 ごめんな、と聞こえるはずもないのに二人に囁いた。その声も、吹いた風に遮られて届かなかった。


 どうしてあの日、俺は死んだのだろうか。そのせいで三浦は、深衣菜は、今も過去に囚われ続けている。


 ***


「そうだ、俺有明さんとこで線香花火買ってくるよ! 二人はそこで待ってろよ!」


 そう言いながら遠ざかっていく涼の姿が、なぜか消えてしまいそうに見えた。私も行く、という言葉は、浴衣の裾を引っ張られた時に消えてしまった。

 振り向くと、三浦君が顔を赤くしてうつむいていた。三浦君は女の子にモテる顔立ちだった。その表情に、少なからずドキリとしてしまう。でも私は涼の事がずっと好きだったから。三浦君に思う感情と涼に思う感情とは違う。

 裾を掴んだままの三浦君が口を開こうとした時だった。後ろの方から祭囃子の音に混じって嫌なクラクション音が聞こえた気がした。私は反射的に音のした方向へ駆け出す。


「望月さん!」

 後ろで私を呼ぶ三浦君の声を無視して私は人ごみをかき分けていった。



 ――あの日の記憶は、悲しいほどにぼんやりしていた。別にどうでもよかった記憶だって事じゃない。あの日の夏祭りにだって、楽しい思い出はあったはずだった。けれど、その後に起きたあの出来事が鮮烈に私の頭のほとんどを占め、それ以外の夏祭りの記憶のほとんどが途切れ途切れになってしまった。

「待ってろよ」と消えていく君の姿だけはありありと思い出せてしまうのに、それ以外の記憶がおぼろげで、まるで夢の中をゆらゆらと彷徨っているみたいだった。


 誰か教えてくださいと何度も願った。

 どうかあの日の事を、どうかあの日の事を……。

 願わくば、涼のあの日の行動の意味も。

 それを知る事が出来たのなら、きっと私はこの先を歩んでいける。ついこの前三浦くんが伝えてくれた事。涼に宛てた手紙に書いた事。色んな事に、ちゃんと向き合っていけるのに。


 ――涼に会いたい。


 ***


 辺りが暗くなり始めた。遠くに見えるぶら下げられた提灯が、役目を終えて闇に溶け込んでいく。祭囃子も終盤へと差し掛かり、帰る子供が俺ら、いや深衣菜と三浦の事なんて気にも留めず、水風船を手ではじきながら道路を渡っていた。きっとあの子供達は、誰かが去年のこの日に死んだ事も、このなんでもないような場所に花を置かれている意味も知らないだろう。

 夏祭りが、終わってしまう。昔の俺はその事に何を感じていたのだろう。まるで様々な出店から溢れる煙に巻かれてしまったみたいに記憶がぼんやりとして思い出せなかった。水風船、お面、光る腕輪、スーパーボール。そのうちゴミとなる物を買わなくなったのはいつからだろう。また来年、を信じていられたのはいつまでだろう。一人でそんな事を考えて、一人で切なくなった。また来年、なんてもう俺には存在しないのに。この夏祭りが終わる頃には俺は消えて、次の夏祭り――命日まで、眠りにつくだけなのに。


「……そろそろ帰ろっか、望月さん」

「うん、そうだね三浦君」


 結局三浦は、一度も深衣菜の事を名前で呼ばなかった。最初に見た時、二人が付き合い始めたと思ってうるっときてしまったのだが、三浦はヘタレなのだろうか。全然付き合っているように見えなかった。

 ……でも、時間が経てば二人は前を見てくれるだろう。俺が死んだという過去に囚われず、いつか笑顔を見せてほしい。

 二人が俺の目覚めた場所から離れ光の元へ向かう。下駄の音がカランカランと遠ざかっていった。


「――頑張れよ」


 遠ざかる二人の背中にそう告げると、二人は驚いたように振り返った。目を見開く二人の目には、きっと俺の姿は映っていない。だって俺は幽霊だから。生きている人には見えない存在だから。振り向いた理由も、きっとネズミか何かが動く音を聞いたからだろう。そうじゃないとおかしい。けれど幼馴染の口は、なぜか俺の名前を発音した。


 奇跡を信じても、いいのだろうか。


 でも、奇跡の時間は限られている。深衣菜がこちらに駆けてくるが、きっとそれまでに俺は闇に紛れて消えてしまうだろう。だから、本当に言いたい事だけ二人に向かって叫んだ。


「――お前らの事、応援してるっ! 幸せにな……」


 途中で声が途切れ、全てが暗闇に包まれる。完全な無の世界に放り出される。それでも、俺はよかったと思った。幸福感に身を預けるようにその場に倒れこむ。次に目が覚めたらまた一年が巡り、俺はまた去年と少し変わった夏祭りへ出向くのだろう。その時はまた深衣菜を全力で探したい。そして変わらずに隣にいる三浦を見てうれし涙を流したいと思った。目を閉じて意識が遠のくまで、俺はそんな事を考えていた。



 ――祭囃子が聞こえたら、また。



 ***


 あの夏祭りの日から、一年が過ぎた。セミの合唱が辺りを包む中、私はとある場所へと足を運ぶついでに散歩をしていた。まるで昨日の賑わいが嘘みたいに、大通りはすっきりとして片付けられていた。この光景を見ると、前は祭りが終わってしまったと悲しくなっていたけど、今はそうでもなくなったと思う。

 ……それを横目に、私は道を逸れてあの場所へと向かった。


 ――予想はしていたけど、受け取る彼を失った花束やりんご飴は、昨日と変わらずそのまま置かれていた。それを見ていると、昨日の事が本当だったかどうか疑ってしまう。あれは、提灯が消えた暗闇が見せた幻なのかと。けれど、一緒に居た三浦君も同じく彼が見えていたらしいので、幻では無かったという結論に落ち着いた。

 ……まあ、二人同時に「もう一度会いたい」と願っていた彼を同じ暗闇に見たのかもしれないが、この案は却下しておこうと思う。




―――――――――――――――――――――――


 ――涼、今天国で何をしていますか。向こうから、こっちの世界は見えていますか。私、望月深衣菜は今年の夏祭り、告白してくれた人と一緒に行こうと思っています。ちょっと過保護だった涼も、きっと認めてくれると思います。涼は鈍いので、こうでも書いておかないと「誰?」と聞きそうだからちゃんと書いておきました。だから、ちゃんと私の隣にいる人が誰か見てください。涼はきっと、祭りが好きだったから天国から覗いて来てくれると思うのです。それでは、夏祭りに。楽しみに待っています。


望月深衣菜


―――――――――――――――――――――――




 まだ色鮮やかな花束の下に、そんな内容の手紙が置かれている。三浦君と待ち合わせをして夏祭りに行く前日、自分の家で書いてここに置いた物だった。昨日、ここに花束やりんご飴を置いたけど、暗がりだったからか、三浦君は手紙には気付かなかった。

 だから、三浦君はこの手紙の存在を知らない。他の人も、もし気付いたとしても中を見たりはしないだろう。私は手紙を拾い裏返した。


 私は、私だけは涼の言葉の理由を知っている。

 だから、言える。「涼、ありがとう」と。


 裏返した手紙の封は切られていて、手紙の最後には「分かった」と見慣れた汚い字で書かれていた。



 私はもう、あの日の夢を見ない。



                    了

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