1章

第1話

「はい。教科書です。1学期は簡単な内容ですし、どの教科も問題なくついていけると思いますけど、大丈夫ですか?」


 帝国が誇る高速列車のプレミアムシートに座り、皇女殿下に士官学園で使用する教科書を手渡される俺。どうしてこんな人生になってしまったのか。


 ぱらぱらと手渡された教科書を見る。内容は数学。


「なるほどね。図形の面積を求めると」


 列車の外を見る。景色が吹き飛んでいく。さすがは帝国高速鉄道。士官学園のあるグリバレスト市までは2時間ほどで到着するらしい。


「聞いていた通り、しばらくは簡単ですね。これまであまり座学を学んでこなかった人への入り口として2~3ヶ月ほど使うみたいですし」

 皇女殿下ことエミリア様、身分を隠して今はエミィからすれば、この内容は簡単らしい。


「ところで、図形の面積を求めると、どんないいことがあるんだ」


 数学の教科書を閉じる。恐ろしい本だった。これまで読んだ本で一番無理だったのは『グリュッセル峠の人妻列車』というエログロサスペンスに見せかけたただのエロ本だったが、それに匹敵する。理解できないという意味では教科書のほうが危険とも言える。


 そんな馬鹿なことを考えていた俺の問いに、うーんとしばらくエミィは悩み、答える。


「そうですね。この辺りの内容は基本的に暗記ですし、単純に覚える練習と考えることもできれば、将来こういった知識が土台にないとお話にならない職業もあるでしょうね。抽象的な答えでもいいなら、考える訓練というのが私の答えでしょうか」


 なるほど。皇女殿下はやはり頭がいい。こんななぞなぞみたいな問いにも答えてしまう。


「すごいなエミィ。そんなこと考えてるのか。流石だ」


「えへへ、あんまり褒められると照れちゃいますね」


「しかし残念だ。こんな素晴らしいご学友に恵まれたというのに、俺は士官学園の勉強についていけそうにない。パラパラとこの教科書とかいうのを見た感じでは中に書いてあることがさっぱりわからん。今すぐこの列車から降ろしてくれ。俺には早すぎたようだ」


 本当にわからん。

 学のない俺にせいぜいできるのは数字を足したり引いたり掛けたり割ったりだけだ。金の勘定に使うから自然と覚えた。

 これでもまだマシな方だと思う。文字の読み書きや四則演算ができない人なんて世の中にはごまんといるはずだ。


「ふふっ、それでも大丈夫ですよ。つきっきりで教えてあげます。こう見えて私賢いんですから。ずっと勉強ばっかりしてきたんですよ」


 そういう重い話をさらっとされても困る上に、皇女殿下に教わるなんていつクビが飛ぶかわかったもんじゃない。


「い、いやあ。お手を煩わせるのもなんですし、私ではなく他の人をお供にするというのは……」


 俺よりも賢く、イケメンで、家柄があり、すごい同年代というのは山ほどいるはずだ。倍率120倍の士官学園、そのすべての男子生徒は俺よりも頭がよいことは確実だ。


「うーん、でも【閃光烈火】よりは弱いですよね、みんな。それじゃだめですね。士官学園で学ぶ座学は時間さえあれば誰でも学べますが、強さを身に着けられるかはわかりませんから」


 【閃光烈火】のハルーシェス。俺の恥ずかしい冒険者時代の二つ名だ。しかし、この国の人間は知っている人はほとんどいない。


 理由は単純で、冒険者時代の主な活動地域は今いるローゼンハイツ帝国ではなく、サーライト共和国だった。

 帝国とはお隣さんであるが、仲が悪いため人の交流はほぼない。それに則って冒険者も然りというわけだ。名前に似合わず冒険者は安全第一で、共和国で仕事をした人間は帝国で仕事をしないことが通例となっている。


「俺の冒険者時代のこと、どれぐらい知っているんだ? 帝国ではほとんど話題になっていないはずだ」


 その質問をした途端、エミィがぱぁっと笑顔になる。待ってましたと言わんばかりの反応だ。


「そうですね。14歳で共和国での内戦で傭兵として参戦、15歳のころ冒険者としてデビュー。内戦後荒れていた共和国内の治安維持のため騎士崩れや傭兵くずれの盗賊を次々とこらしめ、戦場跡にわいた魔物退治もお手の物。他にも武勇伝はたくさんありますが、二つ名の理由は『何かが光ったと思ったら敵が死んでいた』ことから【閃光烈火】と恐れられたそうですね」


 14歳のころまで知っているとは。

 エミィはここではざっくりとした内容しか語っていないが、経歴についてはすべてバレているといってもいいだろう。恐るべし皇族。


「死ぬほど恥ずかしいな。どこで知ったんだよ」

「実は私【閃光烈火】のファンガールなんです」

「なるほどね」


 これは言いたくない、あるいは言えないの意味だろう。そういうことについては聞かない、知らない、関わらない。長生きの秘訣を守ろう。


 俺のすげない答え方が不満だったのか、頬をふくらませエミィ抗議するが、騙されてはいけない。聞けば終わりということは世の中にたくさんある。

 実際目の前にその一例がいるわけだ。




「それはさておき、士官学園の特別実習というのはすごいな」


 当然仕事である以上、俺も情報収集はしている。パンフレットを隅から隅まで読み、わからないことはセリビアにもいくつか尋ねた。


 おそらく普通の学び舎、学園というところは、座学をして、たまに体を動かす体育のような授業があり、部活動で学友との親交を深め、立派な大人となる場所なのだろうが、士官学園となると一味違う。


「そうですね。帝国各地の魔獣退治ですか。ハルの力があれば楽勝そうですが、普通の学園ではなく士官学園ですし、実戦的な授業があっても驚くことではないですね」

「そうなのか? 貴族のお坊ちゃんお嬢ちゃんばかりだし、実際に戦うとなると危ない気がするけど」


 冒険者時代に関わりがあった偉い人というのは、どいつもこいつも使えるもんじゃなかった。言い方は悪いが、結果だけ待って偉そうに座ってもらっておいたほうがいい。


「ハルがこれまで活動してきた共和国はそうかもしれませんが、帝国は戦えない貴族は舐められますからね。どこも必死にご子息を教育しているはずです。それでも【閃光烈火】には敵わないことは間違いないですけど」

「度々その二つ名を出すのをやめてくれ、恥ずかしすぎる」

「あら、私は好きですけど……」


 嫌がらせなことは間違いない。こうやって身分の高いやつらは俺たち平民を攻撃する。


「そう言われれば確かに、同じクラスになる予定の方々はずいぶん武闘派揃いだった気がするな」


 皇女殿下のお供ということもあり、俺は事前に同じクラスになる他の3人についての情報は得ている。どいつも一癖ありそうで、人選に悪意が感じられる。

 間違いなく俺をここに入学させたセリビア侯爵様も噛んでいるんだろう。魔獣も逃げ出す下品な笑みで笑っているに違いない。


 エミィの希望で、クラスメイトについては実際に入学するまでは言わないでほしいと命令されているため、本人に詳細はまだ伝えてはいない。


「もう、入学した後のお楽しみですから、あまり言わないでください。いじわるです」


 さっと背筋に緊張が走る。皇女殿下の怒りを買えば走っている列車から突き落とされ、そのまま放置なんてことも十分に有り得る。

 言い換えれば、帝国においてそれぐらい皇族というのは絶対的なのである。


「も、申し訳ありません皇女殿下。以後気をつけますので……」

「むー、その態度が一番だめです」


 どうすりゃいいんだ。


 これ以上会話してもうまくいきそうにないので、手渡された教科書を読む。


 国語はいいね、昔の名作が読めるってわけか。数学はわからん。地理歴史は帝国史についてはまるで詳しくないため覚える必要がある。読むことは嫌いじゃないし、そのうち覚えるだろう。魔力器学は武器に使うから勉強して損はなさそうだ。


 おや? 意外と悪くないな士官学園。

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皇女殿下と学なし冒険者の学園生活 阿倍野りん @Agilest

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