皇女殿下と学なし冒険者の学園生活

阿倍野りん

プロローグ

 何の素材でできているか分からないツルツルの床。

 何を焚いているか分からない落ち着く香の香り。

 どうしてこれほど柔らかいのか不明なソファー。


「相変わらずいくらかかってるのか分からない部屋だ」


 素直な感想である。

 ガガーランド侯爵家の女当主、セリビア=ガガーランドの執務室に呼び出された俺は、とりあえずソファーに腰掛ける。

 そのまま飲み込まれるのではないかというほど体が沈み、気持ちいいどころか少し怖くなる。


「座ってよいと言った覚えはないが」

「俺が特別あんたの言うことを聞かなきゃいけない理由もないな」


 執務室の奥、壁際中央にしつらえられた机と椅子に腰掛け、何の意味があるかはわからない勲章を服にギラギラとつけた女。確かまだ24歳。その若さで当主なのだから大したものなのだろう。


 色々と事情があり、俺は今こいつの体のいいパシリとして扱われている。強気に『言うことを聞かなきゃいけない理由もない』などと言ったが、実際のところ俺の生殺与奪権は彼女にある。


「まあいい。【閃光烈火】のハルーシェス。君の実力を見込んでお願いしたいことがある」


「その呼び方はやめろ。俺は認めたことないからな。何が【閃光烈火】だよ。19歳だぞ俺は。そういうのはもう卒業した歳なんだよ」


「恥ずかしがることはない。冒険者の二つ名というのは、実力がなければつかないものなのだろう? 誇ることはあれども、無下にする必要はないと思うが」


「あんたに捕まってもう冒険者は廃業だよ。だからその二つ名もなしだ。勘弁してくれ、だいたいあんたがその呼び方をするときはろくな事を頼まないときだ。もう帰って『怪盗アリザレス7世の週末論』の続きが読みたい。じゃあな」


 ソファーから立ち上がろうとするが、なぜか体が動かない。こちらを見て笑うセリビアを睨む。何か仕掛けやがったな。


「わかった。話だけは聞こう。でも俺はあんたの部下ではない。協力者みたいなもんだ。断る権利はあると思う。それを念頭に置いてくれよな」

 その返答を聞くと、セリビアは立ち上がり、姿勢を正す。

 何だ何だと思う間もなく、閉められたドアに向かって声をだす。


「入ってきてください。エミリア様」


 ゆっくりと執務室のドアが開かれ、長い金髪の女がメイド2人を伴い入ってくる。

 動ける様になった俺は、よくわからないが、セリビアが立ち上がっているのだからと、とりあえず立つ。この女が礼儀正しくするということは、それこそ侯爵家以上の身分であるはずなのだ。目をつけられちゃたまったもんじゃない。


「お久しぶりです。セリビア様」

 スカートの裾をちょこんと持ち、挨拶をする女。動くだけですげえ花のいい匂いがする。何者だこいつ。


「エミリア様もご壮健で何よりです。ささ、こちらへどうぞ」

 これまで見たことがない低姿勢でソファーへ腰掛けるよう案内するセリビア。侯爵家より上の身分なのだろうか。そうなればもう公爵としか考えられない。この国の公爵家ってなんて名前だっけな……


「では、俺はこれで。ごゆっくりどうぞ」

 話の流れに乗り、面倒事に巻き込まれる前に華麗に退室を試みる。こういうことは聞かない、知らない、関わらないが長生きの秘訣だ。



「あら、私はあなたに用事があったのですが。ハル様。いえ【閃光烈火】のハルーシェスさん?」


 最悪だ。

 なんかもうすげえいい匂いがするキラキラした女が俺に声をかける。

 もうだめだ。ぜったいまともなやつじゃない。ハルという名前は普段使っているからまだしも、この国の人間で俺の顔をみて【閃光烈火】だと分かるというだけでもう厄介だ。

 この国で冒険者として活動したのは数日しかない。それなのに知っているということは、推して知るべしというわけだ。


「ど、どこのどなたかは存じませんが、私はその【閃光烈火】ではありませんし、人違いでは?」

「馬鹿なことを言ってないでお前も座っていいぞ。ハル」


 それは逃げられないぞの言い換えだろう。怖い女だ。


「ハル、この方がどなたか理解しているか?」

 知ってるわけない。この国の知り合いなんてセリビアと贔屓にしてる店の店員ぐらいだ。


「やんごとなき身分の方であることは雰囲気で分かりますが、何分世間知らずなもので……」

「気持ち悪い敬語をやめろハル。似合わないぞお前」

「バカにしてんじゃねえぞ。俺は依頼される側だよなあおい」

「ふふ、仲がよいのですね」

 それを聞いたセリビアはまったく、とつぶやき、椅子に座る。


「その方はエミリア=ローゼンハイツ様だ、これで理解できるか?」

 理解できるかと言われても、初対面で……いや……


「ローゼンハイツって……おい。男の兄弟がいることは知っているけど、いつの間に女になったんだよ。魔力器技術ってのは性別も変えられるようになったのかよ。冗談はよしてくれ」


 ローゼンハイツ帝国。俺が今いる国の名前だ。その名が家名にあるということは、つまりは皇族である。

 しかし、俺は今の皇帝に娘がいるという話は聞いたことがない。

 さすがの俺でも自堕落な兄と優秀な弟、皇位継承権は兄が先なものの、弟が継ぐともっぱらの噂な雲の上の話ぐらいは知っている。



 俺の発言からしばらく沈黙が続く。仕方がないので、続きを催促する。

「おいおい、セリビア。さすがに不敬だろう。娘がいるなんて話は聞いたことねえぞ」

「不敬は貴様だ。察せないか? そういうことだよ」

 ニコニコとこちらを見るエミリア嬢。否定もしないということは、本当に本当なのか。本当なら最悪のことを聞いてしまった。今すぐ頭をうって記憶を消すべきだ。


 そして、そのエミリア嬢がとうとう口を開く。

「はい。セリビア様が仰る通り。私の名前はエミリア=ローゼンハイツ。現皇帝アグリヴァル=ローゼンハイツの娘です。とはいえ、庶民の妾の子ですから、皇位継承権ないんですけどね」


「こ、これはご丁寧に……それでも、名前ぐらいは聞いたことはありそうなものですが……」


 母親が庶民だろうがなんだろうが現皇帝の娘だ。話題にはなるはず。つまり、考えたくはないが、国ぐるみで彼女は意図的に存在を隠されていたということになる。


 この国出身じゃない俺から見ても容姿は良いように見えるし、皇族と言われるとその所作もやはり皇族っぽい。俺はそういう権謀術数渦巻く世界について詳しくはないが、政治利用しようと思えばいくらでも使いみちがありそうだ。



「理由、聞きたいですか?」

「あ、聞きたくないです」

「そのうち知ることになっちゃいそうですけど。それなら仕方ありませんね」


 聞かない、知らない、関わらない。いまさら感はあるが、聞かないで済むならそのほうがいい。


「さて、ハル。肝心の依頼はこうだ」

 それでも、これまで存在すら知られていなかった皇女殿下の存在を知ってしまった以上、ただでは帰ることはできない。一介の元冒険者を何に使うのかは知らないが、この依頼はそもそも断るや逃げるという道は存在しなかったのだろう。


「皇女殿下はその御身分を隠し、グリバレスト士官学園に入学する。お前はそのお供をしろ。報酬はお前の自由に加え、この先の生活に困らないぐらいは金をやろう。期間はいったん卒業までだ」


 震える。執務室の窓から飛び降りたい。無茶苦茶もいいところだ。こんな依頼を冒険者ギルドに出してみろ、門前払いに違いない。


「最悪だ。最悪も最悪の依頼だ。不敬とかもう知らん。言わせてもらうが冒険者なら間違いなく受けない依頼だ。いったん卒業までってなんだよ。延長があるのかよ。お供ってのもぼんやりしすぎててよくわからん。何より皇女殿下と行動を共にするのがもうやばい。俺に礼節があると思ってんのかよ。こっちまともな教育なんて受けたことねえんだぞ」


 開き直る。ここで皇女殿下の怒りを買い、この話がご破綻になれば終わりだ。俺がこの国で生活できるのも終わりだが、それはそれだ。恥ずかしい二つ名だがこれでも【閃光烈火】のハルーシェスだ。なんとでもなる。


「あら、身分を隠すのですから、私のことはエミィとお呼びくださいな。私もあなたのことはハルとお呼びしますね。敬語も礼節も必要ありません。いち学友として、仲良く致しましょう?」

「致せるわけねえだろうが……」


 頭を抱え、ソファーにうずくまる。

 エミリア皇女殿下改めエミィについてきたメイドが、眼の前の机にひらりと紙切れを置く。グリバレスト士官学園入学案内。案内しないでくれ。


 それを見た侯爵様はこちらに目線をやり、ひとつうなずくと、満足そうに口を開く。

「手続きはすでにこちらですべて済ませている。あとは体ひとつでグリバレスト市に入り、学園へ行けばいい。喜べハル。倍率120倍の士官学園にコネで入学だ。未来は安泰だな」



 俺の枠のせいで落ちた人がかわいそうだ。辞退するから開けてやってくれよ。

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