第13話『一人分には多過ぎる』
■
「幽霊の正体見たり枯れ尾花、か」
執務室の高い天井を見上げながら、ジム=ビーム・ヘイデンはそっと呟く。
大戦終結から八年。権力者達は常に”亡霊”の姿に怯えていた。
終戦の決め手となったあの火星沖会戦。火星地表に落下する衛星を尻目に、”亡霊”達はその姿を眩ませた。タカ派の火星政府高官達を生贄に、戦後の処理を全て地球連邦に押し付けて、とっととトンズラこいたというわけだ。
「報告ご苦労。引き続き頼む。機体や補給に関しては動けるように手配はしておくが、イチノクラ君から要請を出させるよう持って行ってくれ。――ああ、そうだ。方法は任せる」
潜り込ませている駒からの定時連絡を終え、ジムは煙草に火を点けた。そして、椅子から立ち上がり、巨大な窓の前に立ち、眼下に映る街を眺めた。
山を削りだして作られたその街は、棚田のように建物が裾野へと広がっている。かつて、ここがまだある国の一部だった頃、海面の上昇と大規模な地震で、沿岸部の平野はほとんどが海に沈んでしまった。
その沈む前のこの国を、彼は見たことがなかった。
それもそのはず、彼は火星生まれで、火星の開拓が軌道に乗り始めた頃には、旧来の国家という概念は崩れ去る一途だった。先進国と呼ばれる国ほど、崩れる速度は尋常ではなかったのだと、かつて12家族の長である老翁が語っていたのを覚えている。その目には、少しの郷愁と、虚しさを携えた憂いを感じたものだ。その時の彼は、グラスに注いだワインに口を付けようともしなかった。
ふと思いつき、ジムは椅子から立ち上がり、執務室の一角にそえつけられたガラス戸の棚へ向かい、そこからワインのボトルを一本取った。ここの土地で古くから作られている名産品の一つだった。そこから、適当にグラスを見繕い、机に戻り、引き出しの中からソムリエナイフを取り出す。先の老翁から、いつだったか餞別として受け取ったものだった。
封を切り、コルクを抜くと、並べたグラスの三分の一ほどワインを注ぎ、一つを手に取って、もう一方のグラスと打ち鳴らした。空調の音だけがひっそり響く室内に、甲高い音が響く。
「何に、乾杯すべきなのかな」
グラスを二つ並べた理由など、特になかった。ただ、思い付いただけだ。老翁の事で、貰い物のワインの事を思い出した
「ついで、か――――」
手に持ったグラスを空けると、すぐさま秘書を呼び出した。
「
必要事項を告げ終えてから、手荷物を乱雑に鞄に詰め始めた所で、ジムは思い付きで再び秘書を呼び出す。
「年代物のワインの封が空いているんだ。処分は君に任せる。――――そう、以前から君が狙っていたボトルだよ」
鞄を持って、ジムは部屋を後にした。
◇
大小様々な
PM社の本部もこのベルトにあり、旅団規模のドックと兵舎を備える指折りのPMCの一つだ。
そんなPM社本部の社長室で、スズネはかれこれ一時間も人を待っていた。
遡ること三日前、本部に物資の補給の要請と復職の申請を出した時だった。係官の「社長が本部に向かっている」という言葉に、彼女は何も考えられずに居られるほどの楽天家ではなかったのだ。
案の定『ベルト9』に入港するや否や、社長室に呼び出され、お茶の一つもないままに待ちぼうけを食っているという寸法である。
あまりの落ち着かなさに、普段は滅多に吸わない煙草に火を点けた時だった。
ドアが開き、社長室に入ってきたのは一人の小柄な少女だった。
「スズネ、ようやく帰ってきた」
少女は嬉しそうに呟き、スズネの横に座ると、彼女の口に咥えた煙草を取り上げ、高そうな灰皿に押し付け火を消した。
「煙草、よくないよ」
「ごめん、落ち着かなくってさ」
そう口に出しながらも、隣に座った少女のお陰で落ち着きを取り戻していることに気づく。
「ほんと遅くなってごめんね、ミオ」
「良いよ。待ってる間はリハビリで忙しかったし」
少女の名前はミオ・シラクラ。スズネの最初の部下であり、副官でもある、彼女のかけがえのないルームメイト。
ミオはスズネの眼を真っすぐに見つめ、言った。
「おかえり、スズネ」
スズネもまた、眼を逸らすことなく答える。
「ただいま、ミオ――――」
と、和やかな空気を、咳払いが遮った。
「あー、感動の再会はそこら辺で良いかな? 申し訳ないけど、煙草を吸わせてくれ。急行便が完全禁煙でね。二日は吸ってないんだ」
ごほん、という咳払いと共に、煙草に火を点けた男は、何を隠そうPM社の代表取締役社長、ジム=ビーム・ヘイデンその人であった。
ゴースト・イン・ザ・マシン 虚田数奇 @erotaros
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