その4 永遠の……
ホウスキー山の頂上は刃物のように鋭いばかりでなく、きつい傾斜がついていた。九十度、とまではいかないが、それに近い。このような危険な峰を登った者は、これまでにいないと言われている。
シーグラムは背中にオーラフとルートを乗せて、山の北側の側面を飛んでいた。山を迂回して行くのだ。このような危険な場所を登るのは、さすがに危なかったからだ。
峰は、岩の小山がいくつも集まって形成されていた。シーグラムは横目で山道を見て、さすがにこの道を歩いて行くことは不可能だと思った。獣さえ通らない道だ。それに、ここまでの標高に来ると、さすがに酸素が薄い。自分は大丈夫だが、人間二人は簡単には耐えられないだろう。彼はスピードを速めた。
五分ばかり飛んでいると、岩壁の影から、ぽつぽつと緑があらわれてきた。そして、完全に峰を通り過ぎ、緩やかな下り斜面に出た。点々と岩肌についていた緑は、次第に群れをなしていき、そして、完全に草原となった。今までの灰色の世界が嘘のように、山風に揺らめく緑の絨毯が広がっていた。
その中に、青紫色の波があるのを見つけた。それは、花だった。よく見ると、紫色の花と青色の花が集まっており、それらが風にそよいでいるのだった。花畑の脇では、山間から湧いた水が小川となって、下へと流れていた。
「やっと、目的の地へ着いたようだな」シーグラムがほっと息をつき、高度を下げた。
「じいさん、あれが永遠の命の花か?」ルートは、オーラフに訊いた。
「………。ああ…、そうだ。これが、それだ……」オーラフは言葉を途切れさせながら答えた。疲れたのだろうか。それにしては、目がしっかりしている、とルートは思った。
シーグラムは花畑の中に降り立った。ルートとオーラフも降りた。
「いや、こりゃすげぇな。じいさん、それで、この花をどうすれば、永遠の命を得られるんだ?」ルートはオーラフの方を振り向いた。
「ああ、この花びらをな、煎じて飲むと、効果が得られるんだ」
「へぇ、なるほどな」
「もしかしたら、これが乱獲されないようにということで、立ち入り制限が設けられた可能性もあるな」
「確かに、あたりに人里なんて見当たらないもんな」ルートは花畑を歩き回った。
「しっかし、これを売りさばけば、俺たちは大儲けかもしれねぇぜ」
「だが、このようなもの、誰かしら先に見つけて、商売していそうなものだが——」と、彼は花に顔を近づけて匂いを嗅いだ。その時、なにか違和感を覚えた。
「ルート、この花、どこかおかしいぞ…」
「うん?どこかって、どこだ?俺は特に何も感じないけど。匂いもいい匂いだし」
「私も、何がおかしいのかわからないんだ。だが、この匂い、自然のものではない感じがするというか……。甘い匂いでも、しばらく嗅いでいるとピリピリしてくるというか——」
「じいさんなら何か分かるんじゃねぇか?なぁ、じいさん…」と、二人が彼らを見渡しても、オーラフの姿は無かった。
「じいさん?いつのまに、どこ行ったんだ?」
「ルート、オーラフ殿の様子におかしいことはなかったか?」
「疲れてはいたけど、しっかりした様子だったし……、あ、でも、ここに来た時、どこか思いつめているような感じだったかもしれない……」
「もしかしたら、この花は永遠の命を与えるなんてものではないかもしれない。急いで探すぞ」
それから彼らは、手分けしてオーラフを探した。花畑は広く、どこまでも続いていた。川を挟んだ向こう側を探していたルートは、シーグラムからオーラフを見つけたという連絡をもらった。それは、川の下流の方だった。ルートが小川に沿って降りてゆくと、やがてシーグラムの姿を右手に見つけた。すぐ傍には、こんもりと盛り上がった小さな土の山ができていた。そして、その山の傍にはオーラフが倒れていたのだった。
「じいさん!」ルートが駆け寄って呼びかけたが、返答はなかった。草原に寝そべる老人は青い花びらを一枚食み、目を閉じて眠っていた。
ルートはシーグラムの方を見たが、彼は首を振るだけだった。
「くそっ。もう少し早く見つけてりゃ——」
「なぜ、このようなことを——。我々に嘘をついていたのだろうか……」
「でも、黙って行くことはねぇだろう」
「おや、これは…」彼らは、老人の右手に紙が握られているのを見つけた。ルートはそれを手にとって読んでみた。
シーグラム君、ルート君、本当のことを黙っていてすまない。この花は、本当は人工的に作られた毒の花なのだ。ここには昔、小さな村があった。だが、三十三年前に村人は私を除いて全員死んでしまった。家屋も全て焼き払われた。この花を作った者たちの仕業だったのだろうが、遂にその証拠は見つけられず、私は長い月日を生きながらえてしまったのだ。だから、せめて、この地で果てたかった。先に逝ってしまった妻と共に——。ここまで連れてきてくれてありがとう。本当に感謝している。せめて君たちには、孤独でない人生をまっとうしてほしい。
オーラフ
手紙は、整った、穏やかな字で書かれていた。ついさっき書かれたものではないようだ。いつの間に書いたのだろうか。北からの山風が、紙を激しくはためかせた。ルートは、それが飛んでいかないように、しっかりと握っていた。
「永遠に細君と添い遂げたい、という願いは、叶ったわけだな」
「こんなもん、本当に叶えたとは言わねぇよ……」
それから五十余年が経ち、北に位置する、とある共産圏の国が解体された。百数十年分の政府の機密書類も公開された。その中には、花弁に致死性の毒を含ませた花の研究書類もあった。少人数での調査隊が組まれ、その花の栽培場所であったホウスキー山での調査が行われた。しかし、調査隊が該当の場所へ赴いても、その花畑は見つからず、草原が広がるばかりであったという。だが、その周辺で二つの塚が発見された。一つは土の山になっており、中には数十名分の白骨死体が埋められていた。穴の中へ乱雑に投げ入れられたようで、骨はみなバラバラになっており、一体一体の修復は不可能だった。もう一つの塚は、そのすぐ隣にあり、一人分の白骨死体がきれいに収められていた。この塚の発見によって、毒花の研究は半ば裏付けられたようなものだったが、決定的な証拠には至らなかった。そして、この研究の責任の所在はいまだに明らかになっておらず、戦地で実用された例が無いことや、誰も知らない小さな村が無くなったということで、すぐに人々の記憶から忘れ去られていった。
裏道のルート なすのにくみそ @nikumiso
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