ひとりごち
@snow371
第1話 孤独なコメディアン
ドアの向こう、リビングから両親が怒鳴りあっている声が聞こえる。
「こっちはクタクタになるまで働いてきてんだ!!なんで飯ぐらい用意できない!」
「私だって忙しいの!家事の苦労も知らないくせに!」
はぁ。高梨和也はため息をついてベッドに横になった。またか。
「なにが家事だ!毎日家でゴロゴロしてるだけだろ!人の金でな!」
「ならあなたが家事をやりなさいよ!私が働くわ!その服だって私が洗濯したのよ!」
怒鳴り声のトーンはどんどん上がってくる。あの2人の頭にはもう、一人息子の存在などないのだろう。
それだけではなく隣の部屋の住人のことなどもすっかり忘れているらしい。
「お前みたいな怠慢なヤツが働けるか!」
「なによ!!」
和也はため息をついて目を閉じ、いつもの妄想に耽ることにした。
『働くってのは大変なんだぞ。毎日早起きして、満員電車に揺られ、開店前の行列に並び、開店と同時に最良の台を見つけ』
『台?』
『見つけたら金を入れて、指先のハンドルに全神経を集中』
『ハンドル?』
『ハンドルを固定する人もいるが、やっぱり細かい動作をするにはしっかり握ったほうがいい。そしたら後は銀色の玉が落ちていく様子をじーっと見つめて…』
『うんうん…それで玉が穴に落ちてルーレット…お!確変きた!?ってそれパチンコだろ!!え!?あなたパチプロだったの!?』
『そうだぞ。今まで会社員と言っていたがあれは嘘だ』
『いや衝撃の事実!どうりでお菓子や日用品を大量に持って帰ってくる日があると思った…』
『とにかく働くのは大変なんだ。それに比べてお前は家でゴロゴロ…』
『いいえ、私だって内職をやってるのよ』
『ほぉ、そうなのか?初耳だな。どんな内職だ?』
『毎日決まった時間にパソコンをつけて、マスクをし、バストを強調した服を着て…初見さんいらっしゃい!』
『いやネット配信者!?しかもそれちょっとエロめのやつだろ!ババア!歳考えろ!』
『酷いこと言うわね!』
『とはいえ、パチプロとネット配信者の夫婦だったとは驚きだな。こうなると息子の将来も心配になってくるな』
『そういえばあの子、将来の夢があるって言ってたわ』
『お、なんだ?』
『猫よ』
『いや予想の斜め上をいく馬鹿!もういいよ!』
『ありがとうごさいましたー!』
和也はニヤリと口元を緩めた。
ガシャン。食器の割れる音がした。いよいよ喧嘩も佳境に入り、物理戦闘の様相を呈してきた。これでは流石に妄想に集中できない。
和也は棚にズラリと並んだDVDを眺めた。『ごっつええ感じ』『ガキの使いやあらへんで』『内村プロデュース』。その中から1枚を取り出しDVDプレイヤーに挿入し、ヘッドホンをつけた。瞬間、聞くに耐えない騒音は消え去り、至福の時間が訪れた。
8時15分。和也は家を出た。
8時30分からのホームルームにギリギリ間に合うように歩く速さを調整する。早めに学校に着いてもいいことはない。とはいえ遅刻して目立つのも嫌だった。
稲野瀬川第1高校に到着したのは8時25分だった。周りの生徒は焦って早歩きで校門をくぐるったが和也は落ち着いて歩いていた。 ちょうどいい時間だ。昇降口へ到着し下駄箱を開けると、そこにあるはずの上履きはキレイさっぱり無くなっていた。
和也は表情を変えず、慣れた様子で昇降口のすぐ側にある貸し出し用のスリッパが並んだ棚へ向かい、貸し出し表に名前を書いた。
9月20日 月曜日 高梨和也。和也はチラリと視線を上げ、今までの貸し出しリストを眺めた。
9月18日 土曜日 高梨和也
9月17日 金曜日 高梨和也
9月16日 木曜日 高梨和也
9月15日 水曜日 高梨和也
9月14日 火曜日 高梨和也
9月13日 月曜日 高梨和也
こんな調子で貸し出し表はほとんど和也の名前で埋まっていた。
和也は教室の後側のドアから教室に入った。誰にも視線を合わせないようにして自分の席を見る。
机の上にヤツが座っていた。そいつはいつも通り大きな声でくだらない話を垂れ流していた。
不思議なことにヤツの周りには人だかりができていて、笑い声が起きる。
チッ。和也は心の中で舌打ちをし、教室の外に出て、チャイムが鳴るのを待った。
ホームルーム開始のチャイムが鳴るとようやくあいつは和也の席を離れ、自席についた。和也はホッと一息ついて教室に戻り、自分の席についた。
机にあいつの熱が残っていてひどく嫌な気分だった。
カバンから教科書を取り出して机の中に入れようとすると何かに突っかかる。中をのぞいて見るとそこには和也の上履きがあった。
あいつの席の方から笑い声が起こる。中にはクスクスと女子の笑い声もあった。
なんて、なんて下劣な笑いだ。弱者を嘲る笑い。自己の強さに酔いしれる笑い。安全地帯から酷い目に合ってる人を見て、自分の安心を確かめる笑い。全て和也が憎んでる笑いだった。
しかし和也にとって学校にいる時間は退屈ではなかった。
休み時間になるとイヤホンをつけ、スマホで動画サイトを開きお笑いの動画を見る。それだけで辛い現実は全て消え去る。
後は口元を手で覆い隠し、笑みが周りにバレないように気をつけるのに注意するだけだ。
他にも楽しみはある。イヤホンで音楽を聴いてるフリして周りの会話を盗み聞きすることだ。
とはいえクラスの奴らの会話なんて聞いててもなにも面白くない。それならナインティナインのオールナイトニッポンを聴いていたい。
要は妄想だ。周りの会話を和也流にアレンジして面白くするのだ。
ちょうど後ろの席から女子の会話が聞こえてきたので和也はそちらに耳をすませた。
「マジで部長おかしくない?自分で時間は大切に、とか言っておきながら遅刻するしさ〜」
「わかる〜あいつマジでムカつくわ〜」
まぁどうでもいい悪口だ。こいつらは裏では悪口を言うクセして本人目の前にしたらニコニコニコニコ。二重人格か?怪盗二十面相か?いや二十は多いわ。二重と二十をかけたんだ。まぁこれはつまらないか。
「部長この前もさ〜」
和也は目を閉じた。妄想開始だ。
『この前も、どうしたの?』
『うん、この前もね、命は大切に、とか言っておきながら野良猫を虐殺してるしさ〜』
『いやサラッと凄いこと言ったよ!?虐殺!?急に怖いよ!』
『家が葬儀屋のクセに連続殺人鬼だしさ〜』
『サイコだよ!これで人死んで葬儀屋も儲かるし〜って最悪のマッチポンプだよ!』
『糖尿病のクセにスイーツバイキング6時間コース行ってるしさ〜』
『1番ダメ!!糖尿病の人が1番やっちゃダメなこと!6時間!?それはバイキングの終了時間だけじゃなくて人生の終了時間になっちゃうから!ほとんど余命だから!』
和也は1人ニヤついていた。
席の目の前を通った女子がきみが悪いといった目で和也を一瞥して行った。まずい、口元を手で覆い隠すの忘れていた。
和也は妄想を中断した。
オチまで行きたかったな。でもどんなオチにする?部長だから部活を絡めたいな。とすると……。
和也はまた妄想の世界に落ちていった。孤独ではあったが、賑やかな世界だった。
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