我輩はとんでもない阿呆である

 『冴えない男』とはまるで私の事である。

そもそもこの『冴えない』という形容詞は私が御歳24年の生を掛けてコツコツと生み出した産物なのだ。

 山本真純、24歳。私は都内の大学院にて生体テクノロジー的な如何にも理系チックなサムシングを研究している者である。色白長身に無精髭、常にボサボサの頭を見るからに、私がモテ、等というピンク色の色香に縁が無いことは一目瞭然だ。否、私はそのようなふしだらな物を欲したことなど無い。そもそも恋愛とは人間の性欲を高尚に言い換えただけのものであり、男が求めるのは結局のところおなごの柔肌、君の耳元でこっそりと甘く囁く全ての言葉は基本的には「性行為をさせてください。」という文言の言い換えなのである。もう一度言うが私はこの様な低俗な時間つぶしを求めたことなど無い。ただ、カップルがすれ違う際は歪んだ顔で舌打ちのマシンガン、誰かのゴシップ情報は聞けば聞くほど元気になるのだ。

当然私にとってのクリスマスとはイエスキリストの降誕祭なだけであり、研究室の高潔な勇者たちとともにフライドなチキンにかぶりつきながら桃鉄99年で夜を明かすと言うのは常である。そういえば去年、高潔な勇者の一員が何やら藁でできた奇妙な人形に火をつけていたが、それが何を意味するのか、余興としては十分に楽しむことができた。ちなみにバレンタインデーという、一年に一度だけチヨコレイトなる南蛮渡来の甘味が大量に売れる日があるらしいが、人々は購買されたチヨコレイトをただ食べるだけでは無いらしい。自分で食べる以外のその用途は未だ謎に包まれているのだが、そんな中、我が研究室の戦士の一人であった吉岡はその調査の際に惜しくも命を落としてしまった。彼の命日は2月の14日、亡骸は大切そうにハート形の小包を抱えていたそうだが、我が研究室員に見つかったが運の尽き、静粛されてしまったのである。私は知らなかったのであるが、奇しくもその日は世間一般で言うところのバレンタインデーであったらしい。犯人は決して私ではない。もう一度言う、犯人は決して私ではない。現在彼は以前とは変わり果てた見るも無残な俗なオシャレに身を包み、特定のおなごと手を触れ合わせて大学構内を闊歩している。研究室でも随一の誇り高き豪傑勇者(童貞)であった吉岡が、ただの甘味でコロリである。チヨコレイトとは恐ろしい食べ物に違いなかろう。ああ、南無阿弥陀仏。

 

 ご覧のとうり、私はそのようなおなごと作り上げるリレーションシップを必要とせずに芯を持って生き抜く勇者な訳であるが、夜ごと枕が涙で濡れるのは何故なのであろうか?


 ここで私は私自身を「モテない事に僻んでリア充を攻撃する残念なやつ」であることを説明しようとしたのではない。僕はただ少し、そういう事に縁が無かっただけなのである。岡山の田舎から上京する列車に身を預けていたあの時の私は、まさにフレッシュそのものであった。辞書で「フレッシュ」と引くといい、きっと「山本真純 18歳」と出るであろう。その隣の「フレッシュレス」という欄には恐らく「山本真純 24歳」と書かれているだろう。ちなみにその辞書の中には、「馬鹿」「ドジ」「あほう」「間抜け」などの欄にも私の名前を見ることができる。兎にも角にも、御察しのとうり灰色の高校生活を送っていた私にとって、環境を変えるということは今までの自分を変えるということに他ならなかったのだ。当然である。18歳の当時にしてこの私は岡山という土地に100数多のギルティと黒歴史を抱え込んでいた。その一つ一つ、今思い返すだけで胸がキュンと締め付けられる。代表的な逸話の中に私が動物と会話出来るというものがあったのだが、おのれ阿呆め、今すぐ死んでくれ。何がチュンチュンチュン、ケンケンケンだ。かような真っ黒な人間は即刻葬り去る必要があったのだ。そのため私は黒歴史を背にし、後ろ指さされない立派なシティーボーイにならんと未知の大都市TOKYOへと旅だった訳なのであるが、ついに始まった清く美しく眩しいキャンパスライフのスタートラインにて、私はとんでもなく誤った選択をしてしまったのである。

 兎にも角にもあに友人欲しざらんやサークルに入るべし、とインターネット大先生に堅強に教え込まれていた私が入部したのが「生物研究会」。確かに私は動物や微生物好きが高じ、この難関国立大学の生物科に晴れて入学できた訳であるが、その研究会に入ったことは確かな間違いであった。私の数少ない友人に聞けば私が大学2年生の一時、タイムマシン関連の書物を読み漁っていたことを知っているだろう。その理由は単純明朗、タイムマシンを開発できたなら、生物研究会に入部した入学式当日にまず戻り、私を7回ほどぶん殴る。そのあとに極めて穏やかな気持ちで写真部へと入部し直すのだ。その可能性を飽くことなく探求していた訳であるが無論、試みは失敗に終わった。その代わりと言ってはなんだが私はこの探求により「食堂でドラえもんをずっと読んでいる人」という、恥ずかしい代名詞を獲得してしまったのである。要するにこうだ。「今日もドラえもんいたんだけど笑」「まじ〜?やばくね?笑」「ドラえもんがドラえもんの服着てたwwwwww RT 45」と、こういうことなのである。

 結果的にその後の4年間をかけてじっくりコツコツと私の腐敗は進んでゆくのであるが、具体的な話はまた今度にしよう。あながち、人を不幸に陥れてゲラゲラ笑うというそのような集団だ。現生物研究会会長として、そこは察していただきたい。


 そういったわけで私の性格はチョココロネが如くねじ曲がってしまった訳であるが、若干24歳の春にして、ついに私は私の女神様と出会ったのである。彼女の名前は佐藤さん。なんてスイートな名前なんだ。英語にすればsugarじゃあないか。なるほど、英語に疎い君に説明しよう。sugarとは「砂糖」という意味であり、この人名の「佐藤」と「砂糖」で非常にうまく掛けた、私の渾身のユーモアなのである。面白いだろう?ネームプレートに下の名前は書かれていなかったが、きっとソーハニーで愛らしい名前をしているに違いない。要するに何を言いたいのかというと、「恋」と「愛」という日本語をこよなく忌み嫌う私が、あろうことかスーパーのレジの女の子に恋をしてしまったのである。


 以上のことから、この物語の主人公は私である。そしてこの私が、佐藤さんとお近づきにならんとあれやこれやと試行錯誤する様を、貴殿は遥か高みから虫けらを見るかのような目つきで傍観、嘲笑し続ければ良いだけの事である。

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れじに参るは馬鹿か阿呆か St @tamabi-s

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