閏9話 標準時の軛

 暦の話をもう少し。


 今回は暦とは切っても切れない縁のある時刻の話。閏7話(*1)でも触れたが、暦を作るのにも時刻というものは大変重要になるし、深夜0時に日付が変わることを人々は当たり前に思って生活している。


 しかしではこの時刻とは誰が決めているのだろうか?


 そう。時刻は暦同様にものである。

 現代日本で暮らす私達は時計の時刻を合わせようとすれば、NTTの時報を聞いたり、NTPサーバに問合せたり、電波時計の同期スイッチを押したりする。そして校正された時刻を手に入れるわけだが、当たり前のように日本全土で同じ時刻が表示される。

 俗にいう日本標準時(*2)であるが、実はこれは明治19年勅令第51号「本初子午線經度計算方及標準時ノ件」によって、東経135°を日本の標準時と定めたことによる。

 時刻は地球の自転に基づいていて、それは本来連続的なものである。24時間で一回転であるから、経度15°で1時間、1°で4分ずつ時間が違っているのが「自然」である。東京は東経139°20′から45′くらいの間にあるので、日本標準時の東経135°から見ると17~19分くらい進んでいることが「自然」である。北海道の納沙布岬などは145°49′だから現地の「自然」な時刻は日本標準時より43分ほど早い計算になる。逆に沖縄の与那国島は東経123°0′であるから、標準時に対して48分遅れている。


 しかしそれでは社会生活上不便があるから、という理由で標準時が定められ、日本国内の各地点での実際の時刻と多少ズレた時刻で私達の多くは生活しているわけである。


 しかし前述したように、それは明治19年に定めたもので、それ以前は日本には標準時がなかった。

 標準時がなかった頃はどうしていたのか?

 どうしていたかというか、どうもしていなかったわけである。標準時がないのであれば現地の自然な太陽時に合わせるしかなく、現地の太陽時に合わせるなら南中時刻(太陽が真南に来た時刻)を昼の12時に合わせておけば取り敢えず事足りるわけである。


 それでは東京と、たとえば大阪との時間がズレてしまうのではないか?


 まあ、多分ずれていたと思われるのであるが、それで特段の不都合もなかったんである。

 当時最も高速な移動手段である鉄道もさほど敷設距離が長くなかった時分、遠く離れた土地との間で時刻を一致させなければならない需要は殆ど無かった。それこそ、鉄道運行事業者が「鉄道時間」などと呼ばれる企業・業界標準時を採用していたくらいだ。

 もちろん、鉄道先進国では鉄道ダイヤに社会が合わせる形で「鉄道時間」が事実上の標準時化していったのだが、それが法的に標準時とされるのはどこの国も大体19世紀末になってからである。日本の明治19年(1887年)は世界的に見ても決して遅い方ではない。


 さてここで暦の話に戻る。

 標準時がなかった時代の暦はどんな時間に合わせて作られていたのだろうか?


 それはもちろん観測地点の観測時間である。つまり「観測地点をどこにするか」が時間と暦を掌握することになるわけである。江戸時代に日本で作られた各種和暦は京都を基準にしていたし、最も広く利用された天測用の航海暦を編纂していた英国のグリニッジ天文台の経度が0°と定められたわけである。


 標準時普及以前の時刻というのは、計測基準が不明瞭であることが珍しくない。江戸時代の日本では寺が鐘を撞いたりして民衆に時刻を知らせていたわけではあるが、ではその時刻が一体どこを基準にした時刻だったのかという話になると、実に心許なくなるわけである。そもそも、皆時計を持っているわけではないので、大元となる寺や城からの時報の鐘や太鼓を、聞いた人がまた次の鐘を鳴らすというシステムだったそうなので、正確性など推して知るべしである。秒単位どころか、分の単位で誤差があっても驚きはない。

 そういった時代の文献に時刻が記載されていたとしても、時刻の基準、制度、精度、感覚の違いなどが絡みあい、迂闊に「現代なら○○時」などと断言できないわけである。


 いい加減だった時代に合わせて適当な変換しかできないのである。


*1

https://kakuyomu.jp/works/1177354054886223897/episodes/1177354054888387191


*2

この名称については実は法に定まった名称がない。

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