モノクロドット*アンブレラ
小宮雪末
読み切り掌編
ねえ。
友だちが死んだらさ、お揃いの物をわざわざ買いたくなる?
私は買ったよ。
傘を。
けどね、ごめんね。
私が傘を買ったのは……。
――
―――
「いってきまーす」
晴れ晴れとした気持ちで出した声は、思ったよりも元気で、綺麗に青空に溶けた。
背中から追っかけてきたお母さんのあいさつも、明るさだけなら私とおんなじ。
だけどわかる。
お母さんの声と私の気持ちは、とても離れたところにあった。
気づいていないのは、私以外の人みんな。
「……。やっぱり」
一度だけ振り返ってみると、見送りに家の門まで出ていたお母さんの顔は、それまで私の後ろ姿をどんよりと沈んだ眼差しで見つめていたのに、はっとなって下手くそな笑顔を繕って、手を振ってきた。
それに応じて、前に向き直って呟いた私の声は、とても……。
私がこんなにも歪な日々を送るようになったのは、何日か前の雨の日がきっかけ。
クラスで一番私がよく話す女の子が、傘を忘れた。
つるんでいる率も高かったせいか、私の中には、高校二年目にして確かな情のようなものが、彼女に対して芽生えていた。
その日も、その情は彼女には優しくて、私の口を介して、こう彼女に提案したのだ。
――あのさ、家の方向一緒だし、帰る途中が私んちなわけじゃん?
――だから、貸すよ。この傘。
家の中じゃ必要ないからさ、などと冗談めかした口に、彼女はいつもの儚げな暖かい笑みをこぼして、私に頷いた。
それが間違いだった。
私の家の前で別れ。
私の傘を手に去った彼女は、その日その後、車に轢かれて死んだ。
通夜には行った。葬式にも行った。
みんな泣いてた。
私も泣いた。
だけど、ちょっと目が滲んだきりで、お葬式の帰り際に彼女の家族に呼び止められた時には、完全に私は「まあ、こういうものだよね」といっそ清々しさを感じながら、そう心の中で笑っていた程だった。
――いつも仲良くしてくれてありがとうね。
――これ、あの子大事にもってたのよ。
――あなたに謝ってたの。
涙しながら口々にお礼だったりなんだったりを垂れ流す、彼女の家族に、私はどんな顔ができていただろうか。
今でこそ、あの場にあった何か鏡の代わりになりそうな物でも探して、顔を作ろうなんて思えるけど、あの時の私は「これでもない。あれでもない。どの顔が一番悲しそうに見えるだろう」と内心四苦八苦していた。
そして、彼女に貸した傘だったものを、あの人たちから前に突き出された瞬間、その全部はゆっくり溶けた。
――あげますよ。
口がまた、勝手にそうしゃべった。
――お盆の日、天国からお家に帰るのに雨が降ってたら大変でしょ? だからそれはあげます。
ああ。だからか。
溶けるような感覚は、この口が逃げ道を作り上げた感触だったんだ。
そう悟ったのと、涙が一筋流れたのは同時だった。
たった一粒でも、その涙はその時、きっと周りには、慟哭のように映ったに違いなかった。
現に、私がその日の帰り道、同じ傘を買うと、皆が皆口を揃えたのだ。
――本当に大好きだったのね。
うん。好きだったんだろうね。
……ねえ。
それってさ、本当に「だった」んだよって言ったらさ、皆私のことどう思うんだろう。
傘の亡骸を差し出されてツンとした鼻奥は、私に喜びを与えたけれど、同時に怒りも生み出した。
「壊してもらうために貸したんじゃないんだけどね」
お葬式から家に帰りついて、誰もいない部屋に引き篭った私は、たちまち笑ってそう呟いた。
くつ、くつ、くつ、と。
喉よりずっと奥からこみ上げるような笑い声。
いつもの爽快感も、何もない。
吐き出されては床に落ち、吐き出されては床に落ちるような、ずっしりした嘲り笑いは、部屋に沈殿した。
痛感するのに時間は掛からなかった。
真っ黒な制服姿で握った、あの子とお揃いになってしまった新しい傘は、前の傘を見つけて買った時に抱いたドキドキも、喜びも私にはくれない。
ゴミ山から拾ってきたものを高く売りつけられて、まんまと買ったような。
そんな凍えるほど冷めきった感情が、傘を持つ指から心臓へゆっくり流れ込んできて、体中を巡った。
それは、あの日を過ぎた今も変わらない。
「あーあ。晴れちゃったなー……今日も」
澄みきった冬の朝の空。
薄い青が広がるそこを見上げて、私は薄っぺらく笑う。
あれから雨は降らない。
きっと今日が終わって、明日が来て。
明日が終わっても、ずっと、ずっと、ずっと。
誰かの目障りな心の色を押し付けられながら、私の傘はクローゼットで眠り続ける。
咲く日を待ち望んで。
2013/12/19 了
モノクロドット*アンブレラ 小宮雪末 @nukanikugi
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