始まりはウソ告だった。でもいまは。

「おいおい、だれが果樹農家のイケメン息子だって?」


 鴇田くんを見送った改札前から動けずにいたわたしの肩を叩いたのは涼介さんでした。困ったような怒ったような顔をしています。当然です。


「聞いていたんですね。……嘘ついてすみません」


 涼介さんのおじいさまは確かに果樹農家ですが、ご両親はふつうのサラリーマンですし、果樹園を継ぐ予定もないそうです。婚約もしていません。

 鴇田くんに告げたことのほとんどがウソです。そうやって自分の本心さえ偽ろうとしたのです。


「飲む?」


 涼介さんは缶コーヒーを飲みつつペットボトルのお茶を差し出してきます。心遣いはありがたかったのですが首を振って断りました。ウソをついて鴇田くんを傷つけた自分が受け取るべき厚意ではないと思ったのです。


「そう」


 涼介さんはダウンジャケットのポケットにお茶を押し込んでからコーヒーをすすります。その視線は改札の向こうを見ていました。


「良かったのか、あんな別れ方して」


 優しく尋ねられ、ちくりと胸が痛みました。


「……他にどうすれば良かったんですか」


 ついきつい物言いになってしまいました。気遣いのものだと分かっているのに、心がささくれ立って感情を抑えることができません。


「わたしが傍にいると鴇田くんはあの事件を思い出して苦しむ。わたしだって苦しい。鴇田くんにだけは幸せになってもらいたいんです。わたしなんかよりふさわしい人がきっといるはずだから。だからウソついて追い返したんです」


 いまはお互いにつらいかもしれないけれど、時がたてばそれで良かったと笑えるはず。わたしはそう思い込もうとしました。必死で自分にウソをつこうとしました。


「……あのさ、本人が幸せかどうか他人が決められると本気で思ってんの」


 低い声。

 涼介さんがフリースローの形で投げた缶は少し離れたゴミ箱に寸分なくおさまり、ガラン、と高い音を立てました。


「他人を思いやっているふりをして結局自分の主観でしか判断できないんだ。おまえはそう思っているはずだからって自分の考えを押し付けてくる。そういうの、うんざりだ。――俺は嬉しかったのに。ただただ嬉しかったのに」


 涼介さんは高校時代はバスケ部のエースでしたがケガが元で大会には出られませんでした。けれどチームは見事全国大会への切符をもぎとったのです。涼介さんは最後まで試合に出ることはできませんでした。


「なんてな。そんな俺の考えだって碧ちゃんにとっては押し付けだろうけど、顔を見ていれば分かるんだよ」


 わたしに向き直った涼介さんはガス抜きでもするように息を吐きました。


「そいつは何もかも覚悟の上で会いに来てくれたんだろう。ここまで来るのに何度も悩んだだろうし後悔したかもしれない。それでも来た。スゲーよ、尊敬する。ガチャとかの運任せじゃなくてちゃんと自分で選んで来たんだから。それに比べると碧ちゃんは逃げてる。自分が傷ついている振りしてラクしてるんだよ。傍から見ればズルい」


 返す言葉がありません。

 涼介さんはなおも言い募りました。


「別に碧ちゃんが構わないのならいいよ。婚約したっていい」


 にやりと笑った涼介さんがわたしの肩を掴んで顔を近づけて来ます。

 吐息がかかりそうなほど近くですがわたしは動けませんでした。自分が招いた事態です。涼介さんはじっとわたしを見ていましたがそれ以上顔を近づけず、そっと肩を引きました。


「ただし、ひとつだけ条件がある。スマホ見せて」


 言われるままスマホを渡します。

 涼介さんは指先で操作しています。なんとなくイヤな予感がしました。


「スマホの待ち受け画面だけどさ、いまは星空の写真にしてるけど前は別の写真だっただろう」


 心臓を射抜かれたような気がしました。

 ここに引っ越してきた当時、わたしのスマホにはいつも鴇田くんの寝顔がありました。お互いの写真を待ち受けにする、というガチャのアクションです。多くの人の目に触れることを考慮していまは無難なものに変えていますが、あの写真はいまでも大事にとってあるのです。鴇田くんが映るたった一枚の写真だから。


「あぁ見つけた。これ消してもいいだろう? 碧ちゃんには必要のないものだ」


 該当する写真を見つけた涼介さんが画面を見せながら訊いてきます。

 それはわたしの渾身のベストショットです。この一枚を撮るのは苦労したんです。

 休み時間でしたから他の同級生たちに怪しまれないよう少しずつ距離を詰めてスマホを構えました。机に突っ伏していた鴇田くんはまるで気が付きません。その寝顔のなんと無防備で可愛らしいことか。とろけそうでした。

 こんな人がわたしの彼氏なのかと思うと嬉しくて恥ずかしくて叫びたくなりました。幸せでした。

(よぅし、シャッターチャンス)

 いざ撮影ボタンを押そうとしたとき背後から「なにしてんの」と声をかけられたのです。小山さんでした。慌てたのと焦ったのでカメラがぶれてしまい、せっかくの写真が斜めになってしまったのですがこれはこれで素晴らしいと思い待ち受けにしたのです。


 あんなに人を好きになることって、あるんですね。

 こんなわたしでも、人を好きになれるんだ。

 母になにもかも否定されてきたわたしにとって、その気持ちだけは本心であり本物でした。

 運任せのガチャを繰り返した果てに掴んだ唯一の真実でした。


「……メ」


「ん?」


「ダメです。いくら涼介さんでもその写真だけはダメです。わたしの……わたしのたったひとつの宝物なんだから!」


 飛びかかるようにしてスマホを奪い取り、胸に掻き抱きました。

 わたしの思い出。わたしの青春。わたしの全部がここにある。


 わたしはまだこんなにも鴇田くんのことが好きなのだ。


「……車に乗りなよ、碧ちゃん」


 強く腕を掴まれました。暗い表情で告げられます。わたしは首を振って抵抗します。


「涼介さんごめんなさい、わたし」


「勘違いするなって」


 涼介さんは肩をすくめて笑いました。

 

「高速バスの乗り場まで送っていくよ。いまならギリギリ間に合うだろう。運転は荒くなるだろうけど、舌噛まないように気をつけてな」


 わたしは頷きました。おおきく、強く。


「――お願いします」




 ※



 高速バスに乗る前にコンビニでおにぎり二個とお茶を買った。明るい店内にいれば少しは気分転換になるかと思ったけどそんなことはなくて、ゾンビみたいに徘徊して店員さんを不審がらせただけだった。

 いまは高速バスの乗り場であるベンチに座っている。簡易的な屋根があるだけなので、ベンチのあちこちに雪が残っている。駅前の温度計はマイナス五℃だからめちゃくちゃ寒いはずだけど、脳がイカれたのか寒さも感じなかったしなにも食べたいと思わなかった。あたたかいお茶もすっかり冷めている。


 バスは定刻より遅れているらしい。暇だ。


(莉奈にメールしようかな、爆死だったって)


 そんなことを思いながらスマホを取り出した。


(駅前の風景でも撮って莉奈にメールするか。行ってきた証拠になるもんな)


 てきとうな風景をパシャリと撮って保存する。

 すぐに送ればいいのに、撮れ具合を確認していたらそのままアルバムの整理を始めていた。


(……あ)


 キッチンに立つ碧さんの姿をうつした写真が目に留まった。

 ガチャのアクションで待ち受けに設定したものだ。


 胸の奥にじわりと苦いものが拡がる。

 消せればいいのに、まだできない。


 ピロリン、とメールが鳴った。

 恋人アプリだ。

 文字が飛び込んできた。


『話したいことがあるの。わたしやっぱり鴇田くんのこと』


「鴇田くん!」


 聞こえた声は真正面からだった。

 驚いて顔を上げた先、道路の向こう側にハザードをたいた車と碧さんの姿がある。


「碧さ……」


「話したい。ちゃんと話したいの。もう逃げない。だから」


 こらえきれないように走り出した碧さん。その姿がライトで照らし出される。

 あっ、と思った。

 直線道路の向こうから車が突っ込んできた。


 おれは叫ぶ。


「来るな……いや、はしれ、走れぇ──!!」


 ライトの眩しさとエンジン音とブレーキ音。

 そして碧さんの声。






  静寂。






(……どう、なった)


 ひとしきりクラクションが鳴らされた後、猛スピードで車が走り去っていった。

 改めて目の前を見ると少し手前で碧さんが膝をついていた。


「碧さん大丈夫ッ!?」


 あわてて駆けつけて顔を覗き込む。碧さんは苦しそうに歯を食いしばっている。


「痛いのか? どこぶつかった?」


 街灯が暗くて状況がよく分からないのでスマホをつけた。

 しかし、血痕も轢かれたような痕跡もない。どうやら車とは接触していないようだ。


 状況が飲み込めないおれの手に碧さんの手が触れた。

 いたずらっぽい笑顔が浮かぶ。


「もう少しだったのに雪で転んぢゃった。鴇田くんの胸に飛び込みたかったのに」


 その笑顔にどれだけ安心したことだろう。と同時に怒りも湧いてきた。


「なんだよもう、心配させて」


「ごめんなさい」


「顔が笑ってるぞ」


「だって鴇田くんがあんまり心配そうな顔しているから」


「ったく」


 呆れつつも手を伸ばすと碧さんはしっかりと掴んで立ち上がった。

 眩しそうに目を細める碧さんを連れてベンチへと戻る。


「ほら座って、碧さん」


「……ううん、いい。それよりも」


 つないだ手が揺らされる。


「手、つないじゃったね」


 ぽつりと呟かれた言葉。覚えがあった。

 いちばん最初のガチャ結果は『手をつなぐ』。碧さんとの関係はここから始まったのだ。


「うん。つないだ」


 ぎゅっと握り返す。すると碧さんのほうからも力が加わった。


「もう離さないで」


 泣きそうな笑顔が目の前にある。


 そこへ高速バスがやってきた。扉が開いた運転手さんが乗客かと思っておれたちを見る。 

 おれは碧さんの手を握りなおしてから頭を下げた。


「すみません、行ってください。乗りません」


 乗客でもないのに停留所にいたことを怒られるかと思ったけど、運転手さんは軽く手を挙げると扉を閉めて走り去ってしまった。


 残されたのはおれと碧さん。

 つないだ手は焼けそうなくらい熱いのに、互いに言葉が出てこない。


 静寂を切り裂くようにププッとクラクションが鳴った。

 道路の向こう側に停まっていた車の窓が開き、男の人が顔を出す。


「氷点下の中いつまでそうしているつもりだよ。こっちも路駐しているとまずいんだ。早く乗れ」


 一方的に告げて窓を閉めてしまう。

 「だれ?」と唖然としているおれに碧さんが説明してくれる。


「あの人が涼介さん。わたしがお世話になっているうちの息子さんなの。さっき言ったこと、ほとんど全部ウソ。婚約もなにもしてないの」


「もしかして、追い返すために?」


「うん、涼介さんに怒られた。だからまずは謝罪させて。それだけじゃなくていっぱい、いっぱい話したいことがあるの。この一年半に起きたことや感じたこと、話したくてたまらなかったの。変わらないのは鴇田くんのことを好きな気持ちだけ」


(あぁ、おれは)


 おれの人生をかけた博打うちは無駄ではなかったんだ。


 おれは……。

 おれは。


「鴇田くん? どうしたの?」


 心配そうに覗き込んでくる碧さん。

 その顔を見ていて思い出したことがある。


「……たしかあのガチャは『手をつなぐ』だったよな。おれはそれを『手をつないだまま一時間話す』に修正したんだ」


「うん?」


「だからさ、話をしよう。これまでのことやこれからのこと。一時間でも二時間でも徹夜してでも、話をしよう。そして決めよう。ガチャじゃなくておれたちの意思で」


 碧さんはもうなにも言わず、指先を絡めて寄り添ってきた。


 華奢な体を受け止めつつ、手をつないで歩き出す。


 車までのほんの数メートルだけど、その先には未来が続いていると信じて。



 はじまりはウソ告だった。なにも始まらないはずだった。



 でもいまは――――幸せだ。




 おわり

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