辛いのはお好きですか?

明智 一

プロローグ 

 さっそくだが、俺は人間という生き物が嫌いだったりする。


 何事においても自分勝手で、相手に迷惑がかかるかもしれないなど全く考えない。それを補うために決められたルールすら、その時々の感情で簡単に無視する。そんな自分本位で身勝手な行動が起こした結果の責任すら取らず、あまつさえ相手の責任へと転嫁することさえいとまない。そして、そのことを愚かと思いすらしない。そんな人間が大っ嫌いだ。

 できることならば、こんな碌でもない生き物とは極力関わりたくない。しかし、こんな自分の価値観を押し付けること自体が自分勝手だ。だから、俺自身も社会一般に従って生きることにしている。

 込み入った事情を言えば、せっかく進学した大学を無事卒業するために、学費を稼がなければならなくなった。


「いらっしゃいませー」

 初夏の日差しが窓から射す。数人の客が喫食しているところに、扉の鈴を鳴らした。あたりを見渡すと、カウンターに立っている店員に声をかけた。

「あのー、バイトの面接に来たんですけどー」

 申し訳なさそうに愛想笑いを浮かべると、店のバックヤードから年配の女性が満面の笑みで現れた。

「あー君ね! じゃあ面接するからその席に座って、座って」

「ありがとうございます」

 そういうと彼女は店の隅のテーブル席に座るよう案内すると、バックヤードに戻っていった。下座しもざの椅子に腰かける。隣の椅子に肩掛けカバンを置くと、背もたれに少しもたれかかった。すると、さっきの店員が水の入った湯呑を持って出てきた。

「どうぞ」

 湯呑が目の前に置かれる。互いに会釈をすると、店員は元の場所で作業に戻った。湯呑に汲まれた水を2、3口喉に流し、ふうと息をつく。丁度その時、バックヤードの扉がバタンと音を立てて開き、店長が書類を手に出てきた。

「なんでそこに座ってるの? 奥に座って」

 店長は椅子に座る俺をみて、首をかしげるとそう伝えた。こちらとしては「上手かみざに座っていいのか?」と一瞬気にかけたが、所詮庶民階級ではそんな知識は必要ないのだろう。「わかりました」と一言笑顔で答えると、荷物をまとめて奥のソファへと席を移した。

「履歴書は持ってきた?」

「はい! こちらです」

 店長から急かされる様に、事前に取り出しておいた履歴書入りのクリアファイルを机へ出す。

「珍しい名前だねー。なんて読むの?」

「葱野悟──ネギノ、サトルです。よろしくお願いします!」


 この時はまだ、前途多難の幕が開けていることに、俺が気付いているはずもなかった。

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辛いのはお好きですか? 明智 一 @araiguma_hazime

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