12-2(終)僕たちには、未来がある

「スバルさん、僕……スバルさんが、」


「ただいま。今日の夕飯はなにかね?」


 まぁたえらくタイミングよく博士が帰ってきた。スバルさんはすっと立ち上がり、


「碁会所に行くって清さんから聞いてたんですけど、ずいぶん早かったですね」


 と、まるで主婦みたいなことを言いだした。


「ウム、一局打っただけで帰ってきた。こっぴどく負けてしまったものだから。おかしいな、どんどん弱くなっておる」


「たまたまでしょう。気にしちゃだめです。弱くなってるんじゃなくて強い人と当たっちゃったんだと思えばいいんです。それにお父さんの本業は碁盤をみることでなく星を見ることです」


「わかっちゃいるんだがねえ。腹が減ったよ」


「あたしと清さんは適当に焼き飯だったんですけど、ひき肉くらいしか……そうだ。ハンバーグステーキ作ってみよう。パン粉あったかな」


 スバルさんは台所でえらく手間のかかる料理を作り始めた。博士は自分で酒を燗して飲み始めた。アツアツの熱燗を、おいしそうに飲んでいる。


「清君もどうかね?」


「じゃあ遠慮なく」


 僕も一口もらう。あ、あっちい。身体がほかほかする。やっぱりお酒っていいなあ。


 しばらくしてスバルさんがハンバーグステーキを持ってきた。博士は珍しいものを見る顔でそれを眺めまわしてから、箸で割って食べ始めた。


「うむ、うまい。これも割烹の授業で習ったのかね?」


「そうです。なんか洋食の勉強が多いです」


 博士はのんびりハンバーグステーキを食べてから、酔っぱらった顔で僕を呼んだ。

「なんですか?」


「スバルをもらってはくれないか」


 あ、博士だいぶ酔ってるな。スバルさんは流しで食器をじゃぶじゃぶ洗っているので気付いていないようだ。博士は赤い顔と座った目で僕をじいっと見て、


「清君が婿ならなんも心配することがない。どうかね。この家屋敷だけでなく、津軽にも土地がある。どうかね。星野清。わるくないんじゃないかね?」


「それはスバルさんに訊かないことには。それに博士、だいぶ酔ってるみたいですけど、しゃんとした頭のときに考えるべきことでしょう」


「むむ、言われてみれば確かに。ああ……疲れたぁ。やっぱり仕事の帰りに碁会所に寄るのは疲れるなあ。いおがいたらいくらでも相手してもらえたのに」


「いおさん――奥様はどんなひとだったんですか?」


「聡明で美しくて、優しい女だったよ。ちょっと病がちなのが玉に瑕だったがね」


 博士は、いおさんについて、あまり語ろうとしない。


 博士のなかの美しい思い出を、僕らは垣間見ることしかできない。博士はため息を吐き出して、クリスタルの灰皿をもってきて煙草をモクモク吸い始めた。


「お父さん、煙草は体によくないですよ」


「そんなの百も承知だよ。スバル、清君をどう思う?」


「どう思う、って……働き者で明るくて面白くて、すごくいい人だと思いますけど?」


「ほら。どうかね清君」


「ですから博士、酔っぱらってますって」


「……うむ、そうだな。まあ……明日は金曜か。明後日には蓉子さん……よっちゃんと勝負なのか。早いうちに寝よう……明日も碁会所にいくから先に食べていてくれたまえ。それじゃあおやすみ」


 博士はのろのろと自分の部屋に向かった。茶の間には、僕とスバルさんが残された。スバルさんは難しい顔をしながら宿題をしている。僕もレポートを書く。


「夢とか、希望とかって、あたしも持ってもいいんでしょうか?」


「なにを唐突に。夢とか希望とか持っちゃダメってだれかに言われたのかい?」


「いえ。のんちゃんがお嫁に行ったとき、のんちゃんは女高師に行って学校の先生になるって夢を諦めたわけで。あたしも、夢とか希望とか、そういうもの、持っていいんでしょうか?」


「いいに決まってるさ。どんな夢?」


「そうですね。えーと。だれかのいいお嫁さん、だれかのいいお母さん……でもこんなの夢って言わないですよね?」


「それが夢でもいいんじゃない? 夢はどんなものでも夢だ」


「清さんには、夢ってありますか?」


「うん、……楽しく生きること」


「楽しく生きる。不思議な夢ですね――もしかして二十三世紀って、楽しく生きられないところだったんですか?」


「楽しいって感情自体、そんなに湧いてくるものじゃなかったな。そもそも感情なんてだれも持ち合わせてなくて、みんな心なんか持っちゃいなかった」


「この世界があと何百年かしたら、そうなるってことですか。ええ……」


「でも何百年も先じゃ僕ら生きてないからね。無責任なようだけど、はっきり言って無関係だ」


「清さんは、面白いですね」


 面白がられてしまった。スバルさんは宿題を片付けて部屋に戻った。僕もレポートをいったんやめて、寝ることにした。


 せんべい布団をひっかぶって、明日がどんな日か考える。


 考えたところでわかるはずもないのだけれど、明日がどんな日か、考える。


 もぞもぞ、布団から這い出る。


 朝だ。東側の障子がぼんやり光っている。うすら寒い。もう九月も末だ。


 浴衣一枚で寝るのも寒くなってきた。とりあえずシャツを着て、着物を着て、袴を締める。


 台所に向かうと、もうスバルさんが起きてきて料理を始めていた。味噌汁とご飯。それから菜っ葉のおひたし。至っていつも通り。


「おはよう」


「おはようございます。清さん、牛乳取ってきてもらえます?」


「わかった。ちょっと待ってて」


 玄関先の箱から牛乳瓶を三本もって戻ってくる。一本スバルさんに渡し、僕も一本飲む。


 うん。おいしい。体の中に元気が巡ってくる。空き瓶を流しですすいで箱にもどす。


「牛乳はやっぱりいいですねえ。これでカスタードプディングがあれば最高なんだけどな」


「あれって作れないの? 要するに玉子と牛乳と砂糖を混ぜて蒸して固めるんだよね」


「え、そ、そんな簡単な材料で作れるんですか」


「たしかそうだよ。もしかしたら学校に製菓の本とかあるんじゃないかい?」


 そうやって話していると、いつも寝坊する博士が茶の間にやってきた。


「スバル。清君。おはよう」


「おはようございます。お父さん、早いですね」


「おはようございます博士。朝ごはんもうすぐできます」


「うむ、ちょっと言いたいことがあってね。……スバル。いまからなら十分間に合う。勉強して女高師にいきなさい」


「……はい?」


 スバルさんは完全なるポチ目でそうリアクションし、しばし考えてから、


「わかりました」


 と強く返事をした。この時代は父親の権力というものが絶大である。断る筋はないのだろう。スバルさんなら十分間に合う程度の学力が自分にあることも把握しているだろうし。


 スバルさんがちゃぶ台に朝ごはんを並べて、みんなでつっつく。博士はいろいろ考えている顔だ。その日もいつも通り、弁当を持ってみな家を出た。僕はふと、スバルさんの顔を思い出す。


昼に弁当を開けると、おいしそうなヒジキの煮物が入っていて、それだけでなんとなく、うれしくなった。


 スバルさんなら間違いなくいい奥さん、いいお母さんになるだろう。博士もそれを知っているだろう。それをあえて女高師に入れるのは、スバルさんが病弱だからだろうか。お嫁に行く、ないし婿をもらうまで時間を稼ぐ、ということなのだろうか?


 なんとなく、スバルさんと結婚することを想像するけれど、僕はこの時代の結婚式、要するに祝言というものをよく知らない。


 さて、その日も特になんの問題もなく家に帰った。


 博士はやっぱり碁会所に行ったらしく、スバルさんは一人で豆大福を食べていた。


「ただいま帰りました。おいしそうな豆大福だね」


「清さんの分もありますよ」


 豆大福をすっと差し出すスバルさん。豆大福を受け取り口に入れる。餅がやわらかでとてもおいしい。


「あの、清さん。……父が、あたしに「女高師にいけ」って言ったじゃないですか」


「そうだね」


「それで、あの……きょう、学校の進路相談で先生に相談したら、星野さんの成績なら、もうちょっとだけ頑張れば入れるだろうし推薦の枠もひとつある、って言われて。清さん、お忙しいとは思うんですけど、勉強……教えてください」


「うん、わかった。あれ、推薦の枠って二つじゃなかったっけ。やっぱりすごく勉強家の同級生っているのかい?」


「よっちゃんです。よっちゃんがもう一人だっていうから、よっちゃんに結婚しないの、って聞いたら、結婚なんて人生の墓場だ、って言ってました。うふふ、よっちゃんは小説家になるために勉強するんですって。よっちゃん、最近はなんだか漢詩の本読んでるんですよ」


「漢詩……ねえ」


 僕がそう言うと、スバルさんは天井を見上げて、


「きっと父のことだから、清さんとあたしを結婚させたいんですよ。清さんが大学を終わるまで、ただぼーっと花嫁修業をさせるのが嫌だから、女高師にいけなんて無茶言うんですヨ」


「それでいいのかい?」


「当然です。あたしは清さんよりカッコいいひとを知りません」


 照れ臭かった。顔がぼっと赤くなる。スバルさんはけたけた笑った。ひとしきり笑ってから、


「何年か先の話になりますけど、あたしを、もらってくれますか?」


 と尋ねてきた。僕は頷いた。かああーっと顔が熱い。


「ちょ、き、清さん鼻血!」


「うおおっ」


 慌ててちり紙で鼻を押さえて、ふらふらしながら部屋に戻る。


 天袋から、ぽーん、とこの時代にそぐわない音がして、鼻を押さえたまま天袋を開けた。


 時空通話機に着信だ。


 とる。見てみると、第二十六条の発動、と表示されていた。


 エージェントが仮に転移先の時代への永住を決めた場合、エージェントを監視するための二十三世紀の文明はすべて取り去られる。時空通話機も、目に通してある人工視神経も、すべて。


 だんだん存在の確かさを失っていく時空通話機をもって、僕は台所に向かった。


「スバルさん、これ」


「あ。強化ぷらすてっくと強化すらみっくのやつ」


 もう訂正するのも面倒だし、訂正する必要もなかろう。


「消えちゃいますね」


「そうだね」


 時空通話機はぼんやりと存在を失い、最終的にそこから消えてなくなった。


「――これで、僕はこの時代の人間になれた。もうエージェントじゃない。この、一九二二年の人間になれた」


 特に、悲しいともつらいとも思わない。安堵。もう滅びの二十三世紀を思い出す必要はない。


 横で微笑むスバルさんに、「やったぜ」と言ってやった。スバルさんは穏やかに笑って、


「かぐや姫なのに月に帰る必要がなくなったんですね。あれ? 姫じゃないな。かぐや王子? とにかくおめでとうです。これからも、ずっと一緒にいてください」


 と、答えた。僕は急に恥ずかしくなって赤面しつつ、スバルさんをちらりと見る。機嫌のよさそうな顔で、夕飯の献立を考えているようだ。


「そろそろサンマの季節も終わりですし、サンマおさめします?」


「なんだいサンマおさめって。魚屋のタケちゃんに報告するのかい? 女高師に行くって」


「あー! そうだ! それ報告しなきゃ! まだ試験通るかわかんないけど!」


 スバルさんはゲタをつっかけて家を飛び出した。その後ろ姿をしばらく眺めて、ああ、この時代に残ることにしてよかった、とそう思う。


 その日、博士はわりに機嫌よく帰ってきて、碁会所でものすごい戦略を考えてきた、とニコニコしていた。夕飯にみんなでサンマをつついていると、


「お父さん。あたし、女高師を出たら清さんと結婚したいです」


 と、非常にダイレクトにスバルさんがそう言った。博士はサンマがのどにつかえてむせている。スバルさんが博士の背中をばんばんたたく。


「なにむせてるんですか。お父さんはもとよりそのつもりだったんでしょう」


「い、いや、そういうことを女のほうから言うというのは、相当文明が進んだのだなぁと」


「清さんもなにサンマかじってるんです、ちゃんと言ってください」


「……はは。あの、博士。僕は、その――スバルさんが、好きです」


 やっと言えた。やっと言えたことに、とても安堵した。博士は穏やかな顔だ。


「若い人同士でそうやって決められるというのはよいものだね。もちろん許そう。二人とも、ちゃんと勉学に励んで、きちんとけじめをもって暮らしなさい」


「はい!」


 スバルさんはそう明るく返事をして、僕のほうをちらりと見た。


 僕は、笑顔で頷いた。未来がある。僕たちには、未来がある!

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大正たいむましん奇譚 金澤流都 @kanezya

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