目覚め

「外の世界に出てはいけないよ。危険で一杯だから」



 昔からことあるごとに言われてきたことだ。“外”には危険な生き物や悪い人がたくさんいる、誰も自分を助けてくれはしない、神様も守ってくれない、そう言われてきた。


 外、と言っても、建物の外側のことじゃない。おれたちは昼食後は毎日、晴れていれば建物の外に出て遊んでいる。2組に別れてボールで遊んだり、ただ走り回ったりもする。ただ、いつもおれたちの少し離れたところには大人がいた。

 おれたちの誰かがうっかり遊び場から離れると、その人たちの誰かが近付いてきて、さっきのセリフを言うのだった。

 その顔はいつも穏やかで別に怒っている風ではなかった。でもおれたちはなんとなく叱られているように感じることが多かったし、他の仲間にその様子を見られるのは恥ずかしかった。だからおれたちは、その度に、

「はーい!」

と明るい返事をして元のいるべきところへ戻っていった。そして仲間に、

「何やってるんだよー」

とからかわれるまでが日常だった。


 けれど外の世界には実際には何があるのか、具体的なことは一度も教わったことはなかった。

 ここにやって来るものは外から来たのだということは明らかだった。毎日食べるご飯、おれたちが着る服、それ以前に、ここで暮らしているおれたち……。

 外の世界には、他にもいろんなものがあるはずだ。ただ危険なだけのわけがない。きっと色んなものがそこにあるんだ。

 

 気になったおれは、何人かを誘って夜中に抜け出したことがあった。

 そのときは脱走という大げさなものではなく、どちらかと言うと探検に行くつもりのほんの遊び心、ふざけ半分だった。夜中に皆が寝静まったあと、おれたちは窓から抜け出して、こっそりと建物から出ていつも遊んでいる庭の先、木々の立ち並ぶ森のなかに入っていこうとした。

 そのとき突然、おれたちはいくつものまぶしい光に照らされた。

「ダメだろ君たち。こんな時間にどこへ行こうと言うんだい?」

おれたちはいつも自分達を見守っている、アーマーを着た大人に囲まれていた。いつもにまして不気味な口調で、おれたちはすっかり腰を抜かしてその場から動けなくなった。こうして呆気なく見つかり、手を引っ張られて施設へと連れ戻された。


 言い出したのはおれだった、ただ外がどうなっているのか抜け出しただけだとおれは素直に説明した。

 施設に戻った直後は、何人もの大人がおれたちを取り囲んで、深刻そうな眼差しをおれたちに向けていた。おれがそう説明して、ようやくみんなそれぞれの部屋に帰されることになった。……おれ以外は。


「テオ、本当に遊び半分だったんだね?」

場所を移され、今までに見たこともない険しい表情で、院長がおれに話しかけていた。

 そこはまさしく牢屋だった。薄暗くて湿気が溜まり、石畳のつくりで、いくつかの個室に別れている。個室と外を区切るのはいくつもの細長い棒。檻の外からは何人もの大人が厳しい表情でこちらを覗きこんでいた。

 絵本のなかでしか見たことがなかったが、長年暮らしてきたにこんなものがあるとは知らなかった。おれは彼らの前で院長に朝になるまで同じ質問を何度もされ、ようやく解放された。たまに院長を怒らせることはあったが、あんな風になるのは初めてだった。


 部屋に返され、丸一日は出ないようにと言われた。おれは窓に近付くことなく、ベッドに横になって考え込んだ。


 おれはずっと監視されていたんだ。

 今までも大人に囲まれて視線は感じてきた。大広間でみんなと食事をしているとき、屋外で遊んでいるとき、大きな浴場に入るとき。どんなときも彼らの目はあったが、あまり気にしたことはなかった。


 監視は目に見える形だけではなかったんだ。

 あのときは絶対に見つからないはずだった。物音の一つも立てていないし、誰もヘマをやっていない。巡回があるにしても、廊下を見回るだけで部屋にまでは入ってこない。外を見回ることはあっても、おれたちと違って堂々と歩いているはずだった。だから察知はできたはずだった。なのに彼らは場所を間違えることなくいきなり現れて、おれたちを捕まえた。

 怒られて反省は確かにしていた。だからこんなことを考えるのはいけないことだと感じたが、なぜ捕まったのかを考えずにはいられなかった。そしてある結論を下す。

 おれたちは大人に監視されている。それも、みんなと一緒にいるときだけでなく、例えば個室で何をやっているかとか、普段何を考えているかとかを、見えないところから徹底的に監視されていたんだ。


 そこまで考え至ったとき、おれの中で何かが崩れ落ちた。そして、大人たちへ言葉では表しきれない感情、衝動が膨れ上がっていった。


 おれたちを都合のいいようにコントロールしようという連中の魂胆。それに気付くことなく、何も知らずに今まで生きてきたおれたち。


「外の世界に出てはいけないよ」

そう言っていた彼らの目には嘲笑の色が混じっていた。首輪に繋がれているとも知らずに、呑気に遊んでいるおれたちを見て、笑っていたんだ。



 いいさ、笑ってろよ。

 けどおれはもう無知なガキじゃない。お前らの考えていることなんてお見通しなんだ。

 おれはお前らの思っているようにはならないと、思い知らせてやる。



「おいクソガキ!おまえ何しやがった!」

兵士の一人がアーマーを着たままものすごい形相で睨み付けている。だがお仲間と一緒に地面に這いつくばり、ビクビクと痙攣して動けなくなっていて、おれはその無様な姿を仲間の前で大笑いしてやった。

 あるときは兵士の一人を散々からかって怒らせ、おれに攻撃するよう仕向けてそのすべてを無効化してやった。そいつは翌日から施設に姿を見せなくなった。


 そんな風におれはイタズラをするようになり、大人ども、とりわけアーマーを着た兵士の連中に反抗し始めた。

 あいつらの思うようにはならない。たとえ怒られようが殴られようが構わない。おれに服従や監視を強いるのであれば抵抗を続けてやる。



 同時におれは外の世界により強い興味を持つようになった。


 こんな現実から逃げ出したい。この世のどこでもない別世界に行きたい。危険で過酷であっても全く知らない、可能性に満ちた世界。


 そんな世界こそ、生きるのにはふさわしい。




 おれは仲間にも同じことをするよう促した。

 おれたちは都合のいいように扱われているんだ、あいつらはおれたちのことを馬鹿にしているんだ、このままでいてたまるか、外の世界には無限の可能性が詰まっているんだ、だから外の世界に出よう。


 けれどみんなには通じなかった。

「なにバカなことやってんだよ」

「院長が困ってるだろ」

「なんでわざわざ危ないところに出ていくんだよ」

「別にこのままでもいいじゃん」


 それはどんなに訴えても変わらなかった。みんなはおれがやっていることを面白がって眺めているだけだった。大人たちの反応も大して変わらなかった。

 おれは生まれた頃から、この仲間とずっと一緒に暮らしてきた。

 いつまでもみんなと一緒にいられたらいいと思っていた。それはいまでも変わらない。

 けどおれはみんなと繋がっているようで、実はそんなことはなかったんだと思い知った。


 イタズラをする度に、おれは怒られていた。ときには手を振るわれそうになったこともあった。そんなときにおれをかばっていたのが、院長だった。

「テオ……人の嫌がることをしてはいけないと教えただろう……?」

院長は全く変わらずに接していた。たとえどんなことをしでかしても。

 それをいいことに、おれはいつも院長に不満をぶつけていた。

「なんでおれたちはこんなとこで、あんな奴らに囲まれて暮らさなきゃいけないんだよ!」

「外の世界に出たっていいだろ!危険だろうがなんだろうが、おれたちなら大丈夫だよ!」

「おれたちに本当のことを教えてくれよ!もうわかってるんだよ、院長たちが何かを隠してるって!どんなことでも、おれは覚悟できてるよ!」


 昔は叱られるようなことはしなかった。院長に怒られるのが何よりも嫌だったからだ。だけど、おれがイタズラを繰り返すうちにそんな風に言い散らかすと、院長は口を閉じて黙ってしまうようになった。ぐっと奥歯で何かを堪え、目を合わせずに俯いてしまって、どちらが怒られているのか分からないような有り様だった。

 だから他の大人は示しを付けるためにおれを叩いてでも懲らしめようとした。それでも院長は変わらずに割って入ってくるのだった。


 おれにはもう居場所がなくなっていた。

 ここではないどこかに行きたい。

 もうこんなところはこりごりだ。

 みんなや院長……いや、いままでおれは必死に訴えてきた。それでも変わらないのなら仕方ないじゃないか。


 おれはここから出ていって、外の世界で、自分の力だけで生きてやる。

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イリディーマブル・プリースト ~穢れまみれの聖職者~ 原田玄吾郎 @harada_gengoro

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