イリディーマブル・プリースト ~穢れまみれの聖職者~

原田玄吾郎

脱走

「それでは、これより訓練を始める!」

閑散とした森の中で、おれたちと同じアーマーを着た兵士が振り返り、大声で言った。


 うっそうと生い茂った木々。葉が幾重にも重なって日の光は見えず、昼間とは思えないくらい暗い。足元には名前の知らない丈の短い植物か木の根があるだけで平坦なところが少しもなくて歩きづらい。時折鳥の鳴き声がどこからか聞こえてくるが、姿は見当たらない。

 おれたちはそんな中、さっきの兵士に連れられて縦長の列で進んでいた。そしてちょうど今、その先頭の兵士が立ち止まったところだった。横や後ろにも兵士がいて、さらにここから見える前方の木々、そこにも根元や木の幹の上にも散らばって待機していた。

 ――10人か。最後方が2人。多分あれが“最後の砦”になっているんだろう。

目で兵士の数や位置を確認し、頭に叩き込んでいく。さっきの兵士の声が続く。

「先ほども説明したが今回はフィールド・アスレチックの訓練だ。自然の地形をコースとしてそのまま利用し障害物を掻い潜って走破しろ。コースとなるところに目印を設置してある。木の枝にある場合はその枝に身体の一部が触れないと通過したとは見なされないので注意すること!」

見ると、ところどころにオレンジ色の布のようなものが地面や木の幹に取り付けられている。2つがペアのように並んでいて、その間を通過するようにというサインになっている。

「わかっていると思うがゴールにたどり着くことを優先すること。目印を通過できない場合は減点になるが、無理して通ろうとすれば怪我に繋がる。絶対に無茶をするな!それでは早速始める!」

訓練はすぐに始まった。

「1番、2番、3番!前に出てこい!」

列の最初の3人が前に出ていく。しばらく前に進むと3人は横に並んだ。なるほど、3人別のコースでやるのか。 じゃないと怪我するもんな。

 ――全部チェックしないとな。まず左が……。

おれは目を凝らしてコースごとに通過ポイントをひとつずつチェックしていく。

 残ったメンバーはその場で腰を下ろし、何人かは雑談を始めたが、目だけはしっかりとコースの方に向いている。

 最初の3人がスタートした。ダッと駆け出したかと思うと、一気に加速して生身の人間が出せる最高速度を越え、次の瞬間には木に向かってジャンプしたかと思うと身軽に幹枝を伝って森の中をアクロバティックに突き進んでいく。コースはほとんどが3パッスス以上の高さになっている。

 一番右、トムが早い。しかし、

「あっ、あいつ……」

誰かが思わずそう口にしたのは、トムが曲がりきれずに目印をひとつ飛ばして進んで行ったからだった。無理をしてスピードを出せばああなるんだろう。でもさらに無理をしてあそこを潜ろうとしたら、絶対に体勢を崩して下手をすれば猛スピードのまま木に激突することになる。すべての通過ポイントを落とさずに素早くゴールするのはかなり難しいようだ。

 トムのミスに皆がため息をついていると、

「次!4番から6番!」

兵士がまた3人が呼んだ。そうして次々とレースが始まっていく。しばらくするとコースを終えたメンバーが帰ってきた。頭を掻いて恥ずかしそうにしたり、悔しそうな顔でコースの方を睨み付けたりしていた。待機組と合流して、最初の列がバラバラになっていく。そうして段々と談笑の声が大きくなっていく。


「今日はえらく静かだな、テオ」

一人無言で前を見ていたおれに、さっき終わったトムが話しかけてきた。

 おれは表情を変えることなくトムの方を向いて、しばらく間を置いてからニヤッと笑って、

「見てろよ。面白いものを見せてやるよ」

と得意気に言い放った。トムは怪訝な顔で言う。

「おいおい、また何かやらかすつもりか?」

すると周りの連中が聞きつけて、

「なんだ?まーたバカなイタズラをやるのか?」

「いい加減やめときなよ」

「今度は何やるんだ、テオ?」

とにわかに騒がしくなる。

これだとやる前に警戒されてしまう。おれは苦笑して皆を両手で制した。

「おいおい、静かにしてろよ。お行儀よく待ってねぇと」

そのとき、再び兵士の声が聞こえてきた。

「28、29、30!」

やっと俺が呼ばれた。勢いよく立ち上がって、スタスタと開始地点まで小走りで進んでいく。皆の茶化すような声援が背中から聞こえてくる。

 途中、おれたちのやり取りが聞こえていたのか、二人組の兵士が並んでニヤニヤおれの方を見ていた。おれはそれを無視してアーマーの動作を確認しながら進む。

 全身が布地で覆われているが、関節部分は金属製の装置がついていて、動かしにくいが少しでも動けばそれに反応して装置が強く素早く動く。そして腰には小さな箱形の装置。ここにアーマー全体の動作の呪文プログラムを記憶させてあるけど……こんな日に限って間違えて詠唱プログラミングしていないだろうか?

 そんな心配を振り払うために動作を確かめる。膝の伸縮とともに、アーマーの関節が自動的に動いて軽い力でもグングンとスピードが出る。うん、大丈夫だ。



 間もなくおれの番が始まった。

 ばね仕掛けのように飛び出した身体は吸い付くように木へと飛んでいく。アーマーの自分の筋力以外の力で加速する感覚は、まるで見えない何かに突き動かされているようだ。おれはその“何か”に身を任せて、グングンと加速していく。それでいて無闇にスピードを上げず、丁寧にひとつずつポイントをクリアしていく。

 右、左、上、一度回ってまた右……。

 足だけでなく、雲梯のように手で枝を掴んで身体を支えたり、宙で一回転して飛距離を稼いだりしながら進んでいく。

 余裕ができてきたところで、おれは横目で周りの兵士たちを見回す。

 位置は確認してある。まずはこのまま、疑われないように普通に完走する。問題はそのあとだ。

「いいぞ、そのまま行けばベストタイムだ!」

途中で時計とクリップボードを持った兵士が、通りすぎる瞬間おれに声をかけた。おれは思わず顔を正面から横へ、そしてさらに後ろへと向けた。遥か後ろにみんなの姿が見える。

 ――ああ、いよいよか。

 その後ろで無邪気にはしゃいで俺たちを見ているみんな。その顔は昔とちっとも変わらない。相変わらずガキのままだ。ただ楽しむことだけが頭の中にあって、何も考えずにそれに身を委ねている。

 見えたのは一瞬だけだった。すぐさま視線を戻してコースに集中する。

 おれだけが変わってしまった。そこに後悔はないけれど、おれは独り暗闇に取り残されたような、あの感覚を思い出す。

 ――もうこれが最後かもしれない……いや、そうなる可能性の方が高いんだろうな……。

それでも、進み始めた身体は止まらない。

 そのとき、おれの頭にある人物の顔が浮かぶ。

 今まで一番見慣れてきた、あの顔。最近になって皺が目立つようになってきた。

 その顔が寂しそうに歪む。

 おれは頭を振ってそのイメージをかき消す。そして前を向いてまっすぐと進んでいく。

 ――きっと院長なら分かってくれる。これがおれの決めた道だ、って。



 ゴールを通過した。計測係と記録係の兵士が満面の笑みを浮かべている。

「よくやった!流石だな、29番!」

おれは黙ってその横をスピードを維持したまま通過する。そしてそのままぐんぐん前に進んでいく。

「おい、止まれ29番!」

ようやく異常に気付いたのはゴール地点よりも奥で控えていた、ちょうどいま通り過ぎた監視の兵士だった。

 それでも構わずおれは直進していく。事態を察知したのか、背中の方のほうで騒然となっているのが分かる。

「おい、命令に従え!」

「おまえ、何やってるのか分かってんのか?!」

「逃げられるとでも思ってるのか!」

怒号が飛び交い、見回すと左右からも走って追い付いてきた兵士が木を伝いおれに並走して今にも飛びかかろうとしている。前にいるのもいれて全部で8人。やっぱり単純な速度なら奴らに追い付かれる。

 ――だから“これ”を用意してきたんだ。

おれはウエストポーチに手を突っ込んで、中にあったを掴んで握った。

 並走していた兵士の一人が甲高い音で笛を吹いた。

「捕らえろ!」

それを合図に兵士たちが次々に方向を変えて突っ込んできた。

 おれは冷静に一人一人をかわしていく。今障害物を避けていたときの動きのように、進行方向にジグザグに動いて猛スピードで突進してくる兵士を欺いて回避する。

「クソッ……」

「こいつ!」

直前で動きを変えるおれに、高速で動いている兵士たちは微妙な方向転換をできずに空を切る。体勢を建て直そうとするが、木の幹を蹴ってターンすることができず、踏ん張ろうとしても勢いに負けて転落する。上手くいっても2度目の反転までで、次々と追跡の人数が減っていく。

 こいつらは、直線的な動きでは速いがこういう障害物の多いところでアクロバティックに動いて細かな方向転換ができない。あんなスピードを出していたらおれでも無理だし、どんなにスピードを緩めても連中にはできないということはもうおれにはお見通しだ。

 ――みんな見てるか?おれたちは今まで、自分ができないことを他人やらせる、こんな奴らの言いなりになってたんだぜ?

そのとき斜め前方から、一際大きな怒号がした。

「このクソガキがぁぁぁ!」

見ると、身体の大きな兵士が、手に長い槍のような棒を持っておれに迫ってきた。あれだとたとえタックルをかわせても棒の一撃を食らう。それにあの表情、もうおれに手加減をするつもりがなさそうだ。

 後ろからおれ以外にその兵士を制止する叫び声が聞こえ、おれは手の平を開いた。それを見て奴は驚愕する。

 消しカスを丸めた程度のサイズの小石。だがポーチの中に入れていたときとは異なり、独特の斑模様だったものが赤い光と熱を発している。

 おれはニヤッ笑みを浮かべた。

「悪いね。実はこの日のためにくすねておいたのさ」

そう言っておれは魔力を運動エネルギーに変える呪文を唱え、その石を勢いよく発射した。赤い光が宙を一閃し、それが奴の胸の辺りに届いた。

 強烈なフラッシュと雷が落ちたような轟音が森の中を駆け巡った。奴は宙に舞い、真っ逆さまに落ちていく。その空いたところを、おれが悠々と通り抜けていった。

 静まり返る森の中。おれが“豹石”を隠し持っていたこと、それを兵士の一人に当てたことで兵士の連中が衝撃を受けたんだろう。

 ――安心しろよ、死ぬような威力はないから。ほらどうした?かかってこいよ。

心の中で得意気に言い放ち、こうしておれは脱走した。

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