肥溜の中で

白川津 中々

第1話

 溜息と舌打ちの協奏曲はエンターキーとノートPCを閉じるスタッカートにて幕引きとなった。


「愚劣極まりない!」


 自室の隅に設けられたデスクセットでそう叫ぶのは角太郎である。

 彼は長く無職で童貞であったが齢三十を越える今更ておくれに「これではまずい」と就職を決意したのだが、意志薄弱かつ薄情な人間である為昼間外に出て働く真っ当に稼げる仕事を断念。内職業に募集し、何の間違いか合格。只今絶賛職務遂行中なのであったが、絶叫と共にそれは中断されたのであった。


「惰弱な精神! 呆れて物も言えぬ!」


 角太郎は憤慨していた。其れ程までに彼を激昂せしめたるは、果たして件の内職業が原因なのであった。


 彼が採用されたのはwebに広がり伝わる風評の調査である。それは詰まるところ各媒体に書き込まれた投稿内容の監視業務であり、企業や個人の有る事無い事を覗き見続けることが、彼の仕事となったのだった。

 誰彼が悪いだの、首相が無脳だの、差別だの、逆差別だの、表現の自由だのと、各々が勝手に憤慨し、勝手に喚き、勝手な権利を主張し、一文の価値もない言葉を、やはり勝手に並べ立てている掲示板や呟きの広間はまさに糞の塊であり、精神の汚物をり飛ばす吹き溜まりそのものであった。それを一々漸々いちいちぜんぜんと読み込み、これは善意。これは悪意。これは中庸と分けてまとめて報告するのが角太郎が担う一日の作業なのだが、何処の馬の骨かも分からぬ凡庸凡骨なる人間の戯言などを見ていると、角太郎の暗い気分が益々と影を濃くし、マウスを持つ指がワナワナと震え、然るに彼は、勝手な送信者達に対し届かぬ罵詈雑言を浴びせなければならない事態となっていたのだった。


 良心と正義を愛する角太郎には電波の海で日夜繰り広げられる賎害行為は信じ難かったし、また、自らが執る、豊臣奉行の如く卑劣な所業も我慢ならず、角太郎は引き篭もりの分際で熱い血を滾らせていたのである。


 だが、その彼の血潮は加速度的に移り変わる世界の様相に呑み込まれ、一片の塵に等しい価値しか持たなかった。そして、webに氾濫する有象無象の木っ端の方が、角太郎よりはるかに認知され、言葉の力を得ていた。


 角太郎はそれを認めながらも見て見ぬ振りをした。悪意と害意に塗れた醜悪なる人間達の在り所に唾棄をするも、そこでさえ自らが芥であるという事から目を背けていたのだった。




 舌打ちと共に、再び開かれるノートPC。角太郎は今日も塵の前で、塵のような命を燻らせている。

 繋がる汚物の輪を眺める彼もまた、その汚物の一部なのである。







 障子を開けてみよ、外は広いぞ。


 豊田佐吉はそう言った。


 人間達は障子に穴を開けて外を見た。

 

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