その5 雅に染まれ、枯れ桜
「おぉい、遅いよ、守!」
遠くから真の声が聞こえる。
夕日が沈み始めて、辺りが暗くなり始めてきた。
「ごめんごめん、ちょっと準備に手間取っちゃって」
丘の上にある桜の大木についた僕。
ブルーシートの上には人数分の荷物がある。
もう、みんな集まっているようだ。
テキパキとお重を並べるシリウスと、ジュースのペットボトルを置いていく美玲。
桜の木を背もたれにして腰かけている幸助と、遠くで歌の練習らしきものをしている碧。
そして、僕に紙皿と紙コップを渡した真だ。
「はい、これ、守の分」
「あぁ、ありがとう」
「……別にサボってるわけじゃないよ? 俺も何か手伝おうとしたらさぁ、『真様は守様の話し相手になってください。あの方が一番ショックが大きいはずですから』って言われてさぁ……」
「なるほどねぇ……」
……シリウスも真も、僕に気を使ってくれたんだ。
……ありがたいなぁ。
「それよりもさ、ほら、海側を見てみなよ!」
真に手を引かれ、海側に連れていかれる。
ブルーシートが敷いてある方とは桜の木をはさんで反対側、そこから海が見えるんだ。
……近くで、碧がカラスの声みたいな歌を披露しているけど、気にしないでおこう。
「ほら、あそこ見てよ! 護衛艦『あおば』が整備してる!」
真が指をさした先には少し大きな船が止まっていた。
……どうやら、あれが、この前完成した海上自衛隊の護衛艦『あおば』らしい。
僕にはよくわからないが、船好きの真は、見分けがつくらしい。
「すごいよねぇ、あおば! 62口径の単装速射砲と対空砲を兼ね備えて――」
真が興奮気味に僕に話しかける。
でも、僕はろくにわからない。
こんなとき、蜜柑だったらどうするのだろう。
ちゃんと、受け答えできるのかな……?
『真ー、守ー、そろそろご飯食べるわよー!』
『早く来なさいっての! なくなっても知らないよ!』
裏から聞こえる碧と美玲の声。
僕はそれを聞いて我に返った。
真は僕の方を向くと、肩を叩いてこう言った。
「だってさ、早く食べに行こう! なくなっちゃうよ!」
「……」
僕は軽くコクンとうなづいた。
夜空に星がきらめき、ライトを照らしながらお花見を始める僕たち。
途中で突風が吹いてお皿が飛んだり、碧がソロライブを初めて耳栓が必須になったりすることはあったが、それなりに楽しく過ごせたと思う。
だけど、蜜柑は現れず、桜も全く咲かなかった。
夜が更け、時計を見ればもう二十三時半。そろそろ帰る時間だ。
「では皆様方、今宵はそろそろお開きとさせていただきたいのですが」
僕が皿を片付けていると、シリウスがみんなにそう問いかける。
「……姉ちゃんがこねーのは癪だけど、そろそろ帰らなきゃな」
幸助がぽつりとつぶやき、紙皿をビニール袋に入れ始める。
「幸助、やっぱり、蜜柑ちゃんは……」
「言われなくてもわかってるよ、美玲。俺だってそこまでガキじゃねぇ」
彼がそう言って紙コップもビニール袋に突っ込むと、桜の木に手を当ててこうつぶやいた。
「……でも、姉ちゃんと見た満開の桜が見られないのは残念だけどな」
そうか、この桜は開花するととてもきれいに花をつけるんだ。
でも、今回は桜は咲かず、つぼみすらつかない……。
僕も見たかったけど、残念だったな……。
そう思いながら片づけを続行しようとした時だ。
ぶわぁっと風が舞い上がり、皿も、紙コップも舞い上がる。
「うわっ!」
突然の出来事にみんなが目をつぶる。
そして、突風が止み、目を開けると……。
「うわぁ……!」
さっきまでつぼみすらなかった桜の木が、満開になっていた。
「きれい……だけど、なんで!? さっきまでつぼみすらなかったよ!?」
碧が慌てふためいていると、ふわぁっと柑橘系の甘い香りが辺りにただよった。
この香りは、僕は覚えている。
蜜柑がよくつけていた香水の香りだ。
―ありがとう、みんな―
どこからか声が聞こえてきた。
優しく、すべてを包みこむような声だ。
直後、桜の木に光がともり、光の球体が降りてきたかと思うと、
「み、蜜柑!?」
そこには蜜柑が立っていた。
「やっほー、守! みんな!
ちょっとだけだけど、あたしも会いたくなっちゃって来ちゃった!」
そうはにかむ彼女。
真たちは目を丸くして蜜柑の方を見つめている。
そんな僕らを見かねてか、蜜柑がため息をひとつついて
「もう! せっかくあたしが来たのに、なんでみんなそんなに辛気臭い顔してるのよ!」
と腰に手を当てた。
……いや、辛気臭い顔じゃなくて、みんな呆気に取られてるんじゃ。
そう言おうとした瞬間だ。
「ふざけないでよ、蜜柑!」
僕の後ろから叫び声が聞こえる。
声の主は……碧だ。
彼女は涙をぼろぼろとこぼし、両手と歯を食いしばっている。
蜜柑が近づくより前に、碧はさらに言葉をつなげる。
「なによなによ! 勝手にあたいを置いてどこかに行っちゃって……!
いるならいるで、ちゃんと言いなさいよ……!」
表情が崩れるのも気にせずに彼女は叫ぶ。
両手で顔を覆い、地面にへたり込む彼女。
「あたい、また、あんたと会えるなんて……会えるなんて……!」
直後、わぁわぁと泣き出す碧。
誰もが動けなかったその時、蜜柑だけはおだやかな表情で碧に近づくと
「……ごめんね。勝手にいなくなっちゃって、ごめんね……」
と、やさしく彼女の頭を撫でた。
一瞬泣き止んだ碧だったが、「……あだじごぞごめんなざいぃぃぃぃ!」と、嗚咽を漏らしながらまた泣き始めた。
それを見つめながら、蜜柑は「もう……碧は泣き虫なんだから……」と聖母のような表情で頭を撫でていた。
ちらりと真の方を見ると、シリウスが落ち着かない表情で真の方を見つめていた。
「……真様」
「いってきていいよ」
真のその声で、シリウスは戸惑いの表情を浮かべた。
目を丸くして口をぽかんと開けている彼女に、にこりと笑った真は、
「言いたいことがあるんでしょ? 主(あるじ)の権限で行くことを許すよ」
と手で彼女の背中を押した。
少しよろめいて蜜柑のもとに向かったシリウス。
「ん? どうしたの、シリウス?」
「……」
彼女はもじもじとして何か言いたそうにしているが、時折下を俯いたりして落ち着かない様子だ。
そんな彼女を見かねたのか、真が
「シリウス、主の命令だ。『お前の心の内をさらけ出せ』」
と命令を下す。
「真様……!」
「いいか、シリウス。これはボクの命令だ」
「……!」
にやりと笑う真。
シリウスも覚悟を決めたのか、真剣な表情で蜜柑を見つめた。
その表情は、いつもの瀟洒な彼女そのものだ。
「蜜柑様」
「な、なに?」
急な変化に戸惑いを隠せない蜜柑。
シリウスは二回か三回小さく深呼吸すると、蜜柑にこう言った。
「蜜柑様、ヘアピン、ありがとうございました。
あなたからもらえたものは、数え切れません。
このセイ・シリウス、たとえこの命が果てるまで大事にします」
そして大きく頭を下げる彼女。
蜜柑はその様子を見てクスリと笑うと、
「シリウス、ありがとうね。あげたあたしもうれしいよ。
そのヘアピン、大事にしてね」
と返答する。
「……はい!」
「そ~れ~と、もうひとつ!」
蜜柑がわざとらしく指を振ると、両手の人差し指をシリウスの口の両端にあて、くいっと上にあげた。
そして、笑顔でこう言った。
「シリウス、笑った方が、あなたはかわいいよ」
「……!」
直後、つーっとシリウスの頬を伝う雫。
それをポケットから取り出したハンカチでふいた彼女は、
「えぇ、かしこまりました、蜜柑」
と笑顔で答えた。
「ほぉら、幸助、行かなくていいの?」
「って、うっせぇな! 俺はいいんだよ!」
蜜柑の後ろの方で美玲が幸助の頭をバシバシと叩いている。
幸助は彼女の手を必死に払いのけようとしていた。
「あっ、幸助! 美玲に迷惑かけないの!」
「うるせぇ姉ちゃん! 迷惑かけてねぇよ!」
「いいんだよ、蜜柑。幸助はあたしが面倒見るから!」
「美玲は黙ってろ!」
どこかで見た、そんなやり取りが僕の目の前で繰り広げられる。
碧もシリウスも、真もそれを見て笑っていた。
「……じゃ、弟もいじり終わったし、次は守の番だね」
彼女は美玲に手を振ると僕の方へと歩いてきた。
そして、目をじっと見つめると、
「……守」
僕にギュッと抱き着いてきた。
突然の出来事で何が起こったかわからない僕。
「み、蜜柑……?」
僕が彼女に問いかけようとすると、肩がどんどん濡れていくのがわかった。
彼女の横顔を見ると、
「ま、守……」
ぼろぼろと、瞳から涙を流していた。
「……あたし、離れたくないよ! みんなと、ずっと一緒にいたかったよ!
こんなのってないよ……! あたし、もっと守と一緒にいたかったよ……!」
彼女は大粒の涙をこぼしながら叫ぶ。
僕は軽くうなづくと
「……僕もだよ」
と、優しく彼女のさらさらの髪を撫でた。
その感触は、生前と何も変わらない。
「まも……る……」
顔をくしゃくしゃにして、そうつぶやいた彼女。
直後、わあわあと大声をあげて泣き出した。
僕にできることは、せいぜい彼女の頭を撫でることくらいだった。
だいぶ泣いた後、蜜柑はゆっくりと僕から離れると
「ずっと、見守ってるよ。……また明日ね、守!」
と、屈託のない笑顔で笑いかけた。
僕も、泣きたいのを我慢して笑顔で
「うん、また明日! 蜜柑!」
と返した。
直後、蜜柑の体がふわぁっと浮かび上がる。
「……もう、十二時か。そろそろいくね」
「……うん」
彼女の言葉に僕はうなづく。
桜に引き寄せられる彼女。
笑顔で手を振る蜜柑に、幸助が手でメガホンを作ってこう叫んだ。
「おい! 姉ちゃん! ……お土産は期待してねぇぞ!」
「わかったよ、幸助!」
「姉ちゃん! 行って来い!」
「言われなくても!」
全員で蜜柑に手を振る。
桜に吸い込まれる直前、蜜柑は
「みんな、ありがとう!」
と泣きながら叫んでいた。
完全に蜜柑が桜に吸い込まれ、あたりに静寂が訪れる。
蜜柑が来る前と何も変わらない空間……
いや、変わった点が二つあった。
ひとつが、時間が十二時になっていたこと。
そして、もうひとつが……。
「ねぇ、見て!」
桜が、満開になっていたことだ。
美玲の声でみんなが感嘆の声を上げる。
そして、僕は気づいた。
そうか、書置きの最後……彼女はそれをはたしに来たんだ。
それは――。
『みんなで、満開の桜の下で、お花見がしたい』
春に咲く七色のクローバー 白宮 御伽 @siromiyaotogi
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