友達
@nishiuri
友達
じめじめとした空気が満ちた薄暗い路地裏。普通なら気付かずに通り過ぎるか、気付いたとしてもまず近付かないようなその道に、四人の男たちが居た。
一人は壁際に追いやられ怯えた表情を見せる白いワイシャツ姿の少年。襟元に近所の高校の校章が入っていることから、学生であることが分かる。残りの三人は目付きと、ついでに雰囲気も悪いチンピラ風の男たちだ。
三人が三人とも、着崩した――というには、ただただ、だらしのないだけの――服装をしている。どれだけ友好的に見ても、友達同士で楽しく談笑しているようには見えない。ありていして言えば、学生はチンピラたちからカツアゲをされていた。
「だ、だから、持っていませんよ。お金なんて持っていません」
怯えながらも震える声で必死に訴える学生。しかし、そんなことでチンピラたちは追求の手を緩めたりはしなかった。
「ちょっと貸せって言ってるだけだろうがボケ! 後で返してやるからとっとと出せや! ぶっ殺すぞ!」
リーダーと思しき男が学生の返答に眉間を歪ませ凄む。何が面白かったのか、残った二人のチンピラがげたげたと下品な笑い声を上げた。
「だ、だから、持っていないものは持ってないんですよお」
「うるせえよ!」
怒声と共に無造作に振るわれた拳が学生の鼻にめり込んだ。悲痛な叫び共に鼻から盛大に血が吹き出し、白いワイシャツを真っ赤に染める。
倒れ込みうずくまった学生の姿に、チンピラたちが楽しげに笑い声を上げる。醜悪に顔を歪めたリーダー格が不必要な程に学生に顔を近付け睨みつける。
「そろそろ、正直になれそうか? あ?」
なんとか言えよと、リーダー格のつま先が学生の腹に深々とめり込む。体を九の字に折曲げ、学生の口から苦悶の声が漏れた。
「おら! 俺たちに何か言うことないのかよ?」
「お前、俺の友達にならないか?」
「そうだよ。俺らの友達に……は?」
突然割って入った声に、男たちの動きが数秒止まる。視線を巡らせると、学生を取り囲んでいた輪の中にいつの間にか一人の男が混じっていた。
さらさらとした茶色い髪に、知性の高さが伺える切れ長の目。こんな路地裏にいるのが場違いな端正な顔立ちの男だった。
突然の乱入者を前に、チンピラたちがちらちらと目配せをしあう。誰だ? という疑問が視線に込められていたが誰もそれに答える者は居なかった。
チンピラたちの訝しんだ視線に気付いた風もなく、乱入者は学生へと優しげに話しかけた。周囲の状況など一切関心がないと言わんばかりに。
「見たところ、お前はこの品性の欠片もない社会のクズ共に脅迫されているようだ。どうだ? 俺の友達になるなら、このゴミ共を今から焼却炉にくべてきてやる。もちろんタダだ! 完璧な人間である俺が、友達から金品を請求するような非道な人間な訳がないだろう? いやいや、お前がそんな非道いことを考えるような奴だと思った訳じゃない。こんな異常な状況では、お前の思考力が低下している可能もある! だからこそ、俺はあえて言ったんだ。お前がそんな奴じゃないことを俺はよく知っているつもりだ。だから、安心してくれ!」
地面に伏した姿勢のまま、困惑した視線を向ける学生。呆然とした顔で立ち尽くすチンピラたち。一方的にまくし立てる乱入者を前に、学生とチンピラたちの意思が初めて一致する。
何なんだコイツは?
「さあ、どうする友よ? どうせ生きていても害しかないウジ虫どもだ。遠慮せずに俺を頼るといい。どうした? 早く言うんだ。お前は何も心配する必要は…………いや、そうか! なんてことだ。お前はなんて優しい奴なんだ。こんなゴミ共の身まで心配するなんて」
満面の笑顔のまま、一瞬だけ向けられた視線にチンピラたちが我に返る。同時に怒りに顔を燃え上がらせた。自分たちが散々馬鹿にされていることに今更ながらに気付いたのだ。
「さんざん好き勝手言ってくれたじゃねえかコラ!」
一人が壁に立て掛けてあった鉄パイプを手に取り、思いっきり振りかぶった。
「死ねや!」
振り下ろされた鉄パイプが風切り音を上げ猛然と乱入者の頭へと迫る。次の瞬間に起きるだろう惨状を想像してか学生がぎゅっと目をつぶった。が、いつまで経っても乱入者の悲鳴が聞こえることはなかった。
「あ、ああ?」
代わりとばかりに間の抜けたチンピラの声が路地裏に響く。ニコニコと満面の笑みを浮かべたまま、乱入者は何事もないように鉄パイプを手の平で受け止めていたのだ。かなりの勢いで振られたはずだが、乱入者の手は骨が折れた様子もない。
それどころか、
「ひ、ひぃ」
彼は受け止めた鉄パイプを握り込み、そのまま握り潰してしまった。目の前で起きた事態に鉄パイプを持ったチンピラが悲鳴を上げるが、その悲鳴が最後まで口から出ることは無かった。
「がぺ」
奇妙な声と共に響く何かが砕ける音。無造作に振られた乱入者の鉄拳が、チンピラの顎を撃ち抜き、その両足が地面から離陸した。
何が起きたのか残った二人が理解するよりも早く乱入者が動く。鉄パイプから手を離し手身近にいたリーダー格の横っ腹に蹴りを叩き込む。衝撃で身体が九の字に曲がりそのまま壁に勢いよく激突する。それとほぼ同時に鉄パイプを持っていたチンピラが無様な胴体着陸を披露した。
「さて、残りはお前一人だが。どうやって始末されるかリクエストはあるか? 俺の大事な友は、お前らゴミの身すら案じる程優しい奴なんだ。無事にすませる気は無いが、友のためにリクエストぐらいは聞いてやろう」
「ふ、ふざ、な」
意味のない言葉を吐き出しながら、最後の一人となったチンピラが震える手を懐へと伸ばす。彼の勇気の源、絶対的な強者であると、捕食者であると彼を錯覚させてくれる物へと。
「い、いきなり出てきて! てめえは! な、何なんだよ一体! おい! 俺たちがお前に何したって言うんだよ! 何だってんだ!」
震える手で小ぶりのナイフを構え声を張り上げる。声は震えていたが、ナイフを持つことでパニックを起こすことだけは何とか回避できていた。突きつけられたナイフに欠片も興味を示すことなく、乱入者は実に不快そうにため息を吐いた。
その行動だけで、チンピラは背を向けて走り出したい衝動にかられるが、手に持ったナイフが何とかその衝動を抑える。いや、抑えてしまった。
「何? 何とは何だ?……そうか。お前、頭が悪いんだな? 俺が何者なのかなんてさっきのやり取りで分かるだろう? 俺は! そこに倒れている鈴木の親友だ! 親友が非道い目にあっているなら友として助けるのは当然のことだろう? そんなことも分からないから、お前たちは社会のゴミなんだ」
俯き呆れきった声で首を振る。ちなみに、倒れている学生は名前など名乗っていない。もう一つ言うなら学生の名前は鈴木ではない。もっとも、そんなことは彼にとってどうでも良いことではあったが。
さて、と顔を上げた乱入者を前にチンピラが身体を震わせる。狩られる! そんな言葉がチンピラの脳内を一瞬で埋め尽くした。
「ひ、あ」
一歩、また一歩。少しずつ距離を詰めてくる乱入者を前に、チンピラは足を震わせながらぎこちない動きで後退する。しかし、すぐに壁にぶつかってしまい退路が消滅してしまった。
「あ、あああ」
逃げ道を失い、目の前に迫る捕食者。次にチンピラが取った行動は恐怖にかられた反射的なものだった。
「う、あ、ああああああああああああああああ!」
獣じみた咆哮を上げ両手で握り込んだナイフで乱入者に向けて突進する。
「が、ぎゃああああああああああああ!」
咆哮は一秒と待たずに悲痛な絶叫へと変わる。いつの間にか乱入者の手に握られていた鉄パイプがチンピラの腕がたたき折っていた。
「武器の強さは刃があるかどうかで決まる訳じゃない。リーチの長さこそが重要なんだよ! 馬鹿め!」
侮蔑の言葉と共に放たれた打撃が膝を破壊し、続けて顎を砕く。ボロ雑巾のようになったチンピラの身体が地面へと沈み込んだ。
「ふむ。これで邪魔者はいなくなった」
周囲に動く影がなくなったことを確認すると、乱入者は満足気に頷いて鉄パイプを投げ捨てる。若干一名、リーダーがうめき声を上げているが、まあ動くことはできないだろう。
うむ、と一つ頷くと乱入者は満面の笑顔を浮かべ、未だに地面に横たわる学生へと身体を屈めた。学生から短い悲鳴が上がるが、まるで聞こえていないかのように、その怯え切った目を覗き込む。
ニコニコと暫く見つめた後、嬉しそうに、そして一方的に話し始めた。
「さあ、約束は守ったぞ、鈴木。早速友達になろうじゃないか。まずは、あだ名で呼び合うところから始めよう! 親友同士が苗字で呼び合うなんてありえないことだ! そう、親友といえばあだ名呼び合う。さて、どんな呼び方をするべきか」
そこまで話したとこで、唐突に彼の言葉が止まる。不快そうに眉根を寄せるとため息を一つ。飛び上がるように、うめき声をあげるリーダーへと近づき思いっきり顔面を蹴り上げた。
「うるせえ! こっちは、今大事な話をしているところなんだ。見れば分かるだろう? お前のやかましいうめき声をBGM替わりにしながらする話じゃないんだよ! 分かったら、そのままくたばっとけ!」
まったく信じられない奴だと呟きながら、学生へと向き直る。その姿勢のまま呪いに掛けられたように彼の動きが固まった。
路地裏には先程まで怯えて横たわっていた学生の姿が無くなっていた。彼がリーダー格に気を取らせた僅かな間に、学生は全ての力を振り絞ってこの場所から逃げ出していたのだ。実に懸命な判断といえる。
「な、な、なんてことだ! またしても、またしても逃げられた! 今度こそは! 今度こそはと期待していたのに! どうしてだ? 何でだ? あんなにも見事にチンピラ共を撃退して見せたというのに何故逃げる? あんなにもフレンドリーな雰囲気も出しいたのに!」
絶望に打ちひしがれ、彼は地面へと崩れ落ちるように両手をついた。
「理解できない。完璧な俺の頭脳でさえ理解できないなんて。くそ! 誰か、誰か答えをくれ! どうしてこんなことに……」
吐き出された絶望の答えが視界の端に映る。少なくとも彼には、それが答えであるように見えた。
「そうか。お前のせいか? お前が話を遮るようにうめき声を上げたから」
ゆらりと立ち上がり、リーダー格へと幽鬼のような足取りで近づいていく。さらなる制裁を加えるべく彼の足が振りかぶられたところで、ぴたり、と縫い止められたように中空で動きを止めた。
その奇妙な姿勢のままたっぷり十秒。彼の顔には名案が閃いたとばかりの得意気な表情が浮かんでいた。
「そうか。そうすればいいのか」
足を下ろすことも忘れ、彼はゆっくりと懐へと手を伸ばした。
目を開けると見慣れない天井が視界に飛び込んできた。タバコのヤニで茶色く変色した自室の天井とは似ても似つかない真っ白い清潔感のある天井。
状況を把握しようと身体を起こそうとしたところで、腹に焼け石でも捻り込まれたような激痛が走った。
「いぎゃあ!」
激痛に身体を折ったことで、さらなる痛みが彼を襲う。下手気に悶えることも出来ず彼は歯を食いしばって必死に痛みに耐える。どれだけ時間が経っただろうか。痛みが僅かに収まってきたころ、優しげな女性の声が頭の上から降ってきた。
「ああ、意識が戻られたんですね。よかった」
声の主を確かめようと涙で滲んだ目を向ける。白衣に身を包んだ女性看護師が、気遣わしげな顔でこちらを見つめていた。
「内蔵を痛めていたので、運び込まれるなり手術を行ったんですよ。あなた、丸一日寝ていたんです。何があったか覚えていますか?」
「びょう、いん」
痛みに耐えながら男は掠れた声を漏らす。
「はい。あなたの友人から通報があって、救急隊員が駆け付けた時には生死の堺を彷徨っていたそうです。本当に助かってよかった」
友人が通報? あの二人のどちらかだろうか? 彼はぼんやりとした思考で仲間が無事であることに安堵した。
「でも、本当に運が良かったですよ。通報が迅速だった上に、適切な応急処置があったから助かったようなものですからね。先生も驚いていましたよ。医者顔負けの応急処置だって」
感心した様子で頷く看護師。その様子をなんとなしに見つめていた男の顔が、怪訝そうに歪む。あの二人に医者顔負けの応急処置が出来るだろうか?
「ああ、そうだ。そこにある封筒。あなたの友人から預かったものですよ。手術が終わるまでずっと待っていてくれたんですけど、いつ意識が戻るか分からないって説明したら、せめて手紙だけでもって置いていったんです」
どうぞ、と痛みで動けない男のために看護師が封筒から手紙を取り出してくれた。手渡された手紙を読み進める内に、男の顔がゆっくりと青ざめていき、全身が小刻みに震え始めた。
「こ、これ、誰が置いて」
彼が看護師に尋ねるよりも早く病室のドアがゆっくりと開かれた。
「あ! 噂をすれば来たみたいですね。あなたの友達」
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