エピローグ
ぬぼー、とヴァースの頭はまだ活動を始めていなかった。
「何をやっているのだ。早くこちらへ来い」
イルナが丸い物体を投げつけてきて頭にあたってブラックアウトしたところまでは覚えているのだが、その後の記憶がまるでない。いつの間にか真っ黒の世界から戻ってきているし。
「う、うーん……」
助かった、のだろうか、とヴァースは寝ている状態から起き上がろうとして、体がだるくて動かないことに気づいた。
「またかよ……」
それを見かねてか、イルナが豪勢な宴会場から適当な料理を持ってきた。
「ほれ、どうせまた動けないとか言うのだろう?」
「ありがとう……だけど、俺こんなになるまでは魔力使ってないと思うんだけど」
まだ立ち上がって歩けるくらいの気力はあった気がする。まあ、そのあと素晴らしいほどの魔力を吸い取った者がいるのだが。
「そ、そうか? 連戦でそなたが考えているより疲れているのではないのか?」
その張本人はあくまでしらばっくれるつもりのようだ。
「そうか……じゃあ食べさせて」
それを察してか察せずなのかヴァースは口を開いて待つ。
どうやらもはや身動きが取れないくらいヤバい状態らしい。
(ええ、たしかにあの気持ち悪い場所から出る時は膨大な魔力を使用した気はするが、そこまで?)
イルナの頭には疑問符が浮かんだが、たしかに他人の魔力を使ってしまったことに関して罪悪感を感じないでもない。
素直に、ヴァースの口へ食事を運んでやることにした。
(で、でも、これって俗に言うあーんなのでは……。妾も聞いたことあるぞ。これはラブラブに愛し合う二人がするものだったような……)
様々な初々しい恥じらいにイルナは食事を右往左往させる。
「おい、早くくれ」
「す、少し待て」
(やばいやばい、これをしてしまったら妾とヴァースの関係はどうなってしまうのか。いやいやいや、何を焦っているのだ妾よ。ただ動けないヴァースに食事を提供してやるだけではないか。そういう深い意味などないはずだ。そう、決してあーんなどではないの――)
「はい、ヴァース様、あーん」
「ん!?」
「お、サンキュ、ヴィーナ」
ハム、っとヴァースがヴィーナのよそってきた食事を口にする。
「な、ななな……」
「どうしましたイルナ様?」
ヴィーナは何を焦っているのかと、心底不思議そうな顔でイルナを見た。
「もうちょいちょうだい」
「はい。ただいま。あーん」
またしてもヴィーナがヴァースの口に食事を運んだ。運びやがった。
これは引いてはいられない。ウブなお姉さんイルナはいてもたってもいられなかった。
「おい、ヴァース」
「ん、もぐもぐ、なんだイル――熱ッ!」
えいっ、とイルナは目を瞑りながら唐突にヴァースの口へ食器を押し付けた。
当然、見てなかったので食器はヴァースの口へ命中せず、頬のあたりに直撃した。
なんだか熱々おでんのような反応をしたヴァースはその場から飛び上がった。
「……お前、絶対俺を殺しに来てるだろ」
そこまで言われてしまったイルナお姉さんは肩を落としてとぼとぼとその場をあとにするのだった。
以前まで戦闘民族のような暮らしをしてきたせいで甘々なシチュエーションのひとつやふたつわからないイルナお姉さんにはまだラブコメは早かったようだ。
「……あの、ヴァース様」
イルナが去った後、ヴィーナは意を決したように呼びかけた。
「ん、なんだ」
まだ完全に回復していないヴァースは横になりながら反応した。
「あの……私はヴァース様たちとともにいていいのでしょうか。結局、私は悪魔に取り憑かれて迷惑をかけただけでした。こんな愚かな私が一緒にいて、いいのでしょうか……」
ヴィーナ自身、このセリフを発するのはとても勇気がいることだ。だってこれを口にしてしまったら拒絶されてしまうかもしれないという可能性が出てきてしまう。何も言わなかったらそのままスルーされていたかもしれないのに。
そしてヴィーナはこの返答が九割九分拒絶の反応が待っていると予想していた。いかに自分が望もうと望むまいとやってしまったことは取り消せない。そう、ヴィーナは許されなくてもしょうがないようなことをしてしまったのだから。
「なんだ、元気の無い顔してると思ったらそんなこと気にしてたのか」
だが、ヴァースはそれでも明るい声で言う。
「あれはお前のせいじゃないだろ。完全に悪魔が悪い。だからヴィーナ、俺はあの時言った一緒に来いよっていう言葉を取り消すつもりはないぞ」
こういうところは、ヴァースは優しいのだった。いや、そこまで善人ではないか。少年の考えることだ、一度宣言したことを途中で曲げるのは格好が悪いと思ったのかもしれないし、『命繋ぎ』を持っているおかげで、物事に対する許容範囲が普通より大きいのかもしれない。特に、命を脅かされた者には。今となってはあんなに親しくなっているイルナだって、たどってみればヴァースを一度殺しているわけだし。
だから、善人ではない少年は最後にこう言うのだった。
「あ、でもくれぐれも俺を優しいとは思わないように。俺はあくまで俺のために行動してるだけだ。正義感に燃えてとか、ほっとけないから、なんて理由じゃないからな」
それを聞いてもなお、ヴィーナの顔はパアッと明るくなっていった。
「……ありがとうございます!」
「いや、だから感謝されることじゃないんだって」
「それでもです。ヴァース様、大好きです!」
ヴィーナはヴァースに抱きついた。親愛の証なのだろう。
「え、えー……」
ヴァースはこう戸惑っているふうでいて、実際は嬉しかったりもしていた。まあ、やはりこういうところは少年なのである。
……後にこの光景をチラリと見ていたイルナからヴァースは大々的な仕打ちを受けるのだが……、それは語るべきではあるまい。ヴァースの人権的にも。
楽しい時間はすぐに過ぎ去っていくもので、ヴァース、イルナ、ヴィーナは翌日にはもう出立の準備を済ませてこの国を出ようとしていた。
「もう出てしまうのか。まだ一週間ほどはいたらいいのに」
王も王で、なんだかんだ楽しかったらしい。今まさに旅立とうとしている三人に名残惜しげな声をかける。
「うーん、そういう欲求はなくはないんだけど、やっぱり旅人っていう甲斐性なのかもしれない。常に動き続けたいんだよ」
「……そうか。たしかにお主はここで立ち止まるべき人間ではないな。進み続けるべきだ」
「じゃあな。ハチャメチャだったけど、それはそれで楽しかったかもしれない」
「おう。女帝とはまた決闘がしたいのう」
その言葉にイルナは獰猛に笑って、
「ふふ。いいだろう、今度は手加減なしでな」
狂戦士のような物言いに不穏な空気が漂いそうになったところでヴァースが襟首を掴んで制止した。
「はいはい。とっとと出ていくぞ」
もう一度、じゃあなと挨拶をしてヴァースはイルナを引きずっていく。ヴィーナはその後に続いた。
「……行ってしもうたな」
「はい」
「関われば関わるほど興味深いやつだったが……まあ、あれがあの少年を取り巻く特性なのだろうな」
側近の男は首肯して顔を綻ばせて言った。
「そうですよ。だって彼は英雄なんですから」
「さーて、次はどっちに行くかね……」
といいつつ、ヴァースは汗をダラダラと流していた。
忘れてしまっていたが、あの国は砂漠に包まれていたのだった。どうやら国内の快適さからして王の御加護とやらは本物だったようだ。
「やっぱもう少しあそこにいればよかったかも……」
格好つけてしまった手前、とんぼ返りもできないヴァースは嘆くしかない。
「大丈夫だ。おそらくきっとたぶんすぐに次の国が見つかるさ」
「それほとんど期待すんなって言ってるようなもんじゃん!」
「大丈夫です。ヴァース様が倒れそうになったら私がご奉仕しますから!」
「こんな暑い中世話されたら冗談抜きで干からびるわ! そもそもなんでヴィーナはそんな平気そうなんだよ!」
「舐めないでください。何年奴隷をやってきたと思っているんですか。環境適応スキルはレベルマックスです」
「なにそれずるい!」
……人が一人増えたぶん賑やかになりながら、彼の旅は続いていく。
この魔術という技術が発展したこのテクトニクスからは、争いが絶えないのかもしれない。現に、ヴァースはそんな国を数多く渡り歩いてきた。
だが、それでも。
思いやり、気遣い、そのような優しい思想が絶えたというわけでもない。善人はたしかにどこにでもいるし、ヴァースはそのような人々に助けられても来た。
善人でも悪人でもない。だがその善と悪を間近で見てきた少年が抱いたのは、果たしてどんな感情なのだろうか。
「やっとついた……」
それは、失望であったかもしれない。はたまた、感激であったかもしれない。
「ほら、言ったろう。すぐ着くと」
「絶対当てずっぽうだっただろ!」
「ヴァース様、汗がすごいですよ?」
それでも、どんな感情を持ったとしても。
未だに彼は仲間を手に入れて旅を続ける。
それがどういうことを意味するのか。それは彼自身にしかわからないことだ。
あるいは。
少年というあどけなさが、その行動が、その感情が、彼を英雄たらしめているのだろう。
「じゃ、行くか」
彼は立ち止まらない。
今日も、明日も。
善も悪も関係ない。
どんな困難が待っていようとも。
その英雄は突き進んでいくのだ。
起死回生の英雄 貴乃 翔 @pk-tk
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