第55話 旅立ちの高速バス
以降の練習に、長井が顔を出す事はなくなった。一人分、空いた枠には長戸という一年生部員を入れて、新人戦に向けた練習が始まっていた。実質は、この間迄の全国大会の予選大会と、これから始まる新人戦は、メンバーは殆ど変わらない事になる。
藍子と千秋は進学を控えていたが、毎日とは行かなくても勉強と両立して、部には極力、顔を出す様にしていた。佳織はというと見事に就職の内定を貰っていた為、卒業迄の残り期間は何も無く、平穏に過ごせる事となった。特に、やる事が無いからと口調の悪さは相変わらずのまま、マネージャー業を二人と肩を並べて、欠かさず続けていたのである。
それも毎日なものだから、部員達からは、いい加減『帰れ』コールを浴びせられていた。今となっては、定期的に練習に顔を出している三年生は、もはや彼女のみとなっていた。どうして卒業迄の期間を本当に、平穏に過ごそうとはしないのかと、部員達からは不評と反感を買っていたが『刺激が無いよりはあった方がいい』と勝浦が容認してしまっていた。
そんな彼女と同様に長井も就職組なのだが、ある致命的な違いがあって未だ内定が無い上、今の成績のままでは卒業自体が危うい状況にいた。これでは、どこかの就職試験を受けたとしても、内定を貰える結果が残せないのである。仮にも遂この間、県大会で準優勝を成し遂げたにも関わらず、その余韻に浸っているヒマが無い現状は、有終の美を微塵も感じさせないものだった。
コーチ程度にでも部に顔を出したいのが本音で、それを勝浦や部員達も強く願っていた。一日でも早く呼んでもいない、小うるさいマネージャーとトレードして欲しかったが、放課後に補習を受けなければならなかった。帰ってからは夕刊配達という毎日から、とてもではないが実現は不可能だった。
「何なの!現状に納得できてないって訴える、みんなの目線は!ハハーン分かったわ、ズバリ当てて上げる…。長井が練習に参加していない事に不満があるんでしょう!」
『ズバリとか何とか言う前に、自分が事情を一番、良く知っているんじゃないか…。』
ある日の練習開始前、佳織が得意げに言うと誰も言い返せなかったというより、分かっているなら頼むから、さっさと帰ってほしかった。不満内容など指摘される迄もなく、内心は全員、そう言ってやりたかった。
「あいにくだけどね、知っての通り長井は毎日、補習授業に明け暮れているのよ。慕っている先輩が来れないから、こうして私が、代って面倒を見に来てんじゃないの!」
だから本当に誰も頼んではいないし、面倒を掛けた覚えも無い。それをハッキリ言う事ができたなら、どれだけ心が晴れ晴れするか知れないが、彼女が突き付ける『事実』とする主張には誰も反論できなかった。日頃から、長井の成績面が芳しくない事は周囲が察している通りで、ましてや中学時代から付き合いのある後輩達なら尚更、知りうる事だった。
彼女は長井とは対照的に、成績には何も問題は無く進路先も決定している為、何をやっても許されるという自意識があった。先輩である立場を用いて、後輩達を絶対服従させる様は、ある意味かつての大原そのものだった。
そんな中で新人戦が始まり、前回は大苦戦ながらも準決勝進出を果たした為、一回戦は免除のシード枠での出場だった。自分達を支えてくれていたリーダーが抜け、代わりに新たに加わった後輩達を、今度は支えなくてはいけない。そういった状況下の中、何の問題もなく順当に勝ち進んで行った。この間迄、上級生ばかりを相手にしていた事もあってか、試合展開が楽に思えてならないぐらいだった。
『たった一人の上級生しかいなかったチーム』は『たった一人の一年生しか持たないチーム』になった。環境が大きく変わったのだから、これで勝てない筈がない。長井は、卒業が懸かっている期末考査の勉強に手一杯で、どの試合にも応援には行かなかった。
唯一、勝ち進む度に引率していた上級生は、やはり佳織だった。そしてもう一人、クリーニング屋の仕事を蹴って迄、毎回ついて回っていた新山がいた。二人共、別に頼んでもいないのに、それどころではない長井の代わりとばかりに、勝手に同行していた。
やがて難無く準決勝を勝ち終え、決勝戦を控えるのみとなり、あと一つ勝ちさえすれば、果たす事ができなかった『優勝』の二文字が待っている。今迄、準決勝進出や準優勝という、後一歩止まりが限界だった。それは上級生ばかりを相手にしての結果であり、周りが同学年しかいなくなれば、その限界線は解かれるに違いなかった。
「さぁ次は決勝だぁ!余裕で勝っちゃうぞぉ、ハッハッハ!」
何を勘違いしているのか、意気揚揚とする新山を先頭に、部員達が準決勝会場から去ろうとしていた所へ、ある問題が入り込んだ。『決勝戦への意気込みを…。』
とある地元の新聞記者に迫られ、レポートとして後日、提出しなければならなくなった。部員達は、顧問である勝浦に押し付け様としたが、過去にレフェリーを一度やった程度で、代表としての立場は名ばかりだった。実質は、ただの引率者に過ぎず、結局は何を書いたらいいのかが分からなかった。
「先生は今から、このバスを運転しなくちゃならないから、誰か代わりに書いてほしい。第一こういうものは、本来はキャプテンがまとめるもんだ!」
そう言い返すと『監督が書く事で全員の意見が一致した筈』と部員達が反論し帰りのバスの中では、なすり付け返し合戦が始まった。
「今のキャプテンって誰だ?」
突然、橘が言うと場が静まり返り、みんなは互いの顔を見回し始めた。長井は、この間の全国大会の県予選の決勝戦が終わって以来、顔を出さなくなっていた。
『そう言えば…。』と続けて星が言ったが、新人戦に意気込む余り『キャプテンは?』と、いざ聞かれると誰も答えられないのだった。キャプテンとはポジション名ではない為、特に意識せずにいた自分達はエース不在のまま、勝ち上がり今日を迎えた。
「多分、自分かも知れない…。」
仲里は以前、長井から話しを受けてはいたので、何となく意識はしていたが、ここで名乗り出るのは気が進まなかった。本当にキャプテンが去って行くのが目前に迫ると、その役割が自分に見合うかどうかが、不安に感じるからだった。そんな彼に限らず全員が今日迄、長井一人に頼り過ぎていた傾向があった。
「それなら直接、本人に選んで貰えばいいんじゃない?」
機転を働かせてか佳織が言うと、仲里はホッと肩を撫で下ろした。みんなの前で決定さえして貰えば、説得力があるし不安も失せると思った。更に機転を働かせて言うと、バスの中は大歓声が飛び交った。
「これから、すぐ学校に向かった方がいいわ。きっと今頃、補習授業している筈だから、今から行けば彼に会えるのは確実よ。」
後輩達から日頃、非難しか浴びせられなかった彼女が、初めて支持された一面だった。
「この程度の事で何をそんなに喜んでいるのよ?ちっとも嬉しくないじゃないの!」
勝浦はバスを学校に向けて走らせたものの、どこに長井がいるのか迄は分からなかった。
「一体、どこで補習を受けているんだ?まさか校長室とか!?」
「バカねぇ、教室に決まっているじゃないの。彼の教室に行けばいいのよ。」
林が言った疑問を晴らすと、またしても大歓声が巻き起こった。普段なら彼女にバカ扱いされるなど、誰も望まない事だが今日は特別だった。こんな何気無い言葉を発する度に、いちいち後輩達から誉められるのは、何だか余計バカにされている気がしてならなかった。
本当に長井は教室にいたが、実は補習が追い込みに入っていたので、かなり精神的に苛立っていた。それを全く察していなかった部員達は…。
「キャプテン!次のキャプテンって一体、誰なのか、ここで決めてほしいんだよ。」
そう言った橘を先頭に全員、ガヤガヤと教室になだれ込んだ。タダでさえやりたくもない勉強の真っ最中、あまりの礼儀知らずな部員達の振る舞いに、一気に怒りが込み上げた。
「バカヤローッ!そんな下らない質問をしに、ここ迄、押しかけて来るなってんだ!俺を、卒業させない気か!」
「下らないって何だ!俺達たった今、決勝迄、勝ち上がったんだ。でも肝心のキャプテンを決めていなくて…。」
懇願する様に星が言った。
「だったら尚更だ!決勝迄、行ける頭があるなら、どうして最初からキャプテンを決めておかないんだよ!それで、よく勝てたな!?ホント、アッタマ悪いなっ!」
幾等何でも頭の悪さばかりは、指摘される覚えは無いと言い返してやりたかったが、この辺りでいい加減、自分達のしでかしている騒動に気付き始めた。一旦、全員で廊下に出ると対策を練り直し、今度は少人数で行こうという事になった。林と橘と星の三人で再び、教室へ入ったが少人数に変えた所で今更、自分達の悪い印象は変わらなかった。
「出たな、この三バカトリオ!」
入るなり、そう言い返され何も聞き出せないまま、みんなの所へ戻るしかなかった。全員から『スクラムで先頭を切っている割には当てにならない三人衆』と、はやし立てられる事となった。教室内では何度と続いた中断劇に、長井は強制的に今日の補習を打ち切られてしまった。
「畜生、あの野郎達…。」
元々、やりたくもなかったのは言う迄もないが、規定の時間分を受けなければ卒業に影響が出る…。込み上げた怒りを胸に廊下へ出ると、部員達に怒涛の如く怒鳴りまくった。
「キャプテンキャプテンって、そんなに言うなら俺の穴埋めで入った一年生にでも、やって貰えばいいじゃないか!えっ!?」
「あのねぇ…。短気を起こさないで、少しは後輩達に応えてやったらどうなのよ?」
やり過ぎた行動を反省してか、何も言い返せなかった部員達が不憫に思えて、佳織は黙って見過ごせなかった。ただタイミング迄は計り切れなかった彼女は、やはり後輩達にとっては、勝利の女神には『なってくれない女神』だった…。
「あの日以来、勉強が忙しいのは分かるけど、挨拶もナシに『ハイさようなら』は無いんじゃないの?それに決勝迄、行ったっていう話し、ちゃんと聞いた?どうして、おめでとうの一言ぐらい言ってやらないの?」
「まぁ、それは…。」
『もうじきいなくなる自分をこれ以上は頼りにするな』とでも言いたいのかも知れないが、それでも部員達は、こうして意見を求めてやって来た。どうして、それを分かってやらないんだと彼女は言いたかった。普段から品の無い口の悪さが性分ではあるが、思いやりの無い態度は嫌いなので、いつも叩いている憎まれ口とは、本人なりの愛情表現だった。
いつも部の中では決して、良くは思われていない筈の彼女が場を仕切っている事に、後輩達は『えっ!?』と揃って違和感を覚えた。
彼女の存在無くして、ここ迄の話しの進捗は有り得なかった。『頼んでもいないのに勝手に練習に介入され続けて来た』という、今迄の誤解を許してほしいとさえ、後輩達は思った。優しさを表すだけが全てではなく、紛れもなく佳織は、過去の試合をも支えて来た『勝利の女神』だった。
『次のキャプテンは…。』
全員が注目する中、仲里が適任ではないかと前々から思っていた、長井は切り出した。威張らないし何よりは敏速な決断力があるので、そのレポートとかいうものは彼に書かせたらいい。ただ自分一人の意見なので、あくまで『後は部を引き継ぐみんなが決めてほしい』と伝えるべき言葉は、それだけだった。
すっかり部は世代交代を迎え、今日から正式に仲里がキャプテンになり、いよいよ決勝戦当日となったが、このグランドにさえ長井は姿を現さなかった。しかし大会に出場する以上、誰かしらを事前にキャプテンとして、登録しておかなければならない。
守備名ではないが新人戦が始まった当初から、その立場を務めていたのは、メンバー表では一番上に記載されている、守備位置ではスクラム最前列で左側に立つ背番号『1』の林だった。特に『誰が?』との指定をしないまま選手登録をした為、先頭になっていた彼が、キャプテンだと勝手に解釈されていた。
提出した表の彼の名前の横に、丸印を付けられていたのは気になってはいたが『その立場』なのかは誰も自覚できていなかった。事実として今後、半永久的に残る事になり、長井から直接の意思を受け継いだ筈の仲里は、三代目のキャプテンという事になる。
決勝戦の相手チームは、遂この間、全国大会出場を賭けて戦った時と同じ、電々工業だった。大きく異なる所は、ごっそりと上級生が抜けた分、相手選手の面々が殆ど変わっている事だった。ほぼメンバーに変動が無い自分達にとっては、試合内容の条件が緩和されていると言うに等しく、前回と比べて実質、別チームを相手にしているも同然だった。
本当の意味での新体制は、この試合からスタートを切る事となり、開始の笛は鳴り、威勢良く相手チームに突進して行った。向こうも全員、自分達と同じ二年生なら怖いものは何も無い。初代キャプテンの埋め合わせ的に唯一、加わっている一年生の存在も、不安に感じるものではなかった。
「アンタ達って、こんなに強かった…?」
唖然とした佳織は不思議そうな表情で、グランドの出来事に目を奪われていた。前半は一方的な攻めのまま終了し、相手を無得点で抑えたばかりか、ワントライを上げていた。前回迄の対戦では、リードして試合を折り返すなど全く考えられなかったが、中学の時から数えればキャリアは上回っており、絶対に負けないという意気込みがあった。
「さっさとグランドに戻って、ウォーミングアップと行こう。休憩時間が勿体無い!」
ハーフタイムになってから、まだ一分しか経っていなかったが、そう前田が端を発すると全員、休む間も無く勝手にグランドに入って行った。敵味方を合わせても一人しかいない、こちらの一年生にしても、ヘタな休憩はプレーを低下させるという考えだった。
さすがに大量リードとは行かない迄も、後半は再びトライを一つ追加して、そのまま試合終了を迎えた。十四対ゼロというスコアは、決して簡単には勝てない勝負であった事を、十分に物語る結果だった。ただ今迄、一度も勝った事がなく、いい思い出さえ無かった分が悪いチーム相手に、初めて勝つ事ができた。
「優勝おめでとう!」
自分達の学校では、どの部も成し遂げられなかった『優勝』の二文字は、仲里の代で果たす事となった。佳織は珍しく笑みを浮べ、グランドから引き揚げる部員達を出迎えたが、その返答は冷たいものばかりだった。
「話しにならないな。」
「苦くて辛かったな。」
「しょっぱい試合だったな。」
前田と村田、そして山元が彼女の顔と擦れ違う度に、そう言い残して試合会場を去って行った。ここで初めて立場は逆転したが、部員達に喜びの顔は無かった。得点を上げたのが、前半と後半で一回ずつしかなかった事が、どうも腑に落ちない様だった。
しばらくして、ようやく長井が部室で、みんなの前に姿を現した。試験結果が卒業できるラインに達したのと、やっと就職先が内定した為、晴れて自由の身になったからだった。
「メンバーに自分が入っていなかった事が、口惜しいって思っているぐらいだから、みんな素直に優勝を喜ぼう…。」
有り得ない話しにはなるが自分に、もう一年あったなら願望は現実となったかも知れない。だから、たまたま勝っただけとか課題が残る試合といった、厳しい評価はしないでほしかった。結局は自分は必死になって、この後輩達の土台作りをしていたに過ぎなかった。そして気が付いたら、夢が夢で終わってしまっていたと、今更ながらに思うのだった。
『私達が作れなかった実績を、あなたの代で成し遂げてほしい…。』
そんな大原の言葉に応えられたのは、結果的に次の代という事になり、彼女が今回の試合を観に来ていたのかは、誰も姿を確認していないので分からないままだった。この場に絶対、不可欠だと思われていた自分の存在は、もう本当に必要無くなったのだと感じた。
自分抜きで、後輩達だけで頂点に立った現実を目の当たりにした今、安心して部を引き継げると思った。きっと大原も退き際は、同じ事を考えていたからこそ自分の前から、知らない内に立ち去って行ったに違いなかった。
ここでやるべき事は何も無く、後は来るべき日を待つだけとなったが、その卒業式の日が到達するのは意外と早く感じられた。男子として最初の入学生だった自分は、同時に男子では初めての卒業生という事になる。
涙ぐましいのは嫌いなので式が終わると、こっそりと正門を抜け出した。卒業式の終盤恒例の、在校生が互いに向き合い両手で作る人間トンネルなど、照れ臭くて潜れたものではなかった。『脱出大成功!』と油断したのも束の間、ただでさえ数少ない男子生徒の行動が、目立たない筈が無く見事に部員達には、あっさりと見つかってしまった。
「キャプテン…。このまま駅に行ったら、ここを離れちゃうんだろう?」
佐野が心細く言ったが『何故それを知っている?』だった…。滑り込みで就職先が決まった事もあって、卒業式後の余韻に浸るヒマも無く、上京しなければならなかった。そこで行事の全てが終わったら、そのまま直接、電車に乗り込もうとしていた。林が言った。
「駅迄、みんなで送って行くよ。」
勿論、断ったが部員達の数に押されてしまい、嫌々ながらも付き添われる事になった。実は、この時になって初めて気が付かされた事があって、学校から駅の間は意外に近く、それに電車に乗るのは中学校以来だった。
振り返れば自宅迄の片道十キロ以上の道のりを、入試試験の日から毎日、自転車で通学していた。『電車』という概念が無かったので学校から最寄の駅迄を今日、初めて歩いて、こんなに近いものなのかと感心してしまった。
「ここで、お別れね。」
「最後に、握手してくれる?」
改札口で藍子と千秋が言うと、三人で強く手を握り合った。将来を期待されていたにも関わらず、上級生からの反感を覚悟で、自分なんかの為に大事な陸上部を辞めてしまった。
この部の存在は、そんな二人の決断があってこそで、彼女達の笑顔が何よりの一番の支えだった。三年間の色々な出来事が、互いの脳裏を駆け巡った。二人は大学に行った後、改めて陸上を始めるのだろうか?
「何か全然、面白くないッ!私がマネージャー第一号なんだからね、分かってんの!」
佳織が言った。部に一番、貢献した自分を差し置いて勝手な妄想を抱かれる事に、とてつもない苛立ちを感じていた。
「分かってる、分かっているよ。」
みんなを押し退けて迄、目の前へとやって来た彼女に、そう笑顔で答えた。彼女には決して表面には出ない、優しさの一面がある事を誰よりも理解していた。
「所でアンタ、今朝は、自転車で来ていたんじゃない?『アレ』はどうするの?」
「あぁ『アレ』は…。次のキャプテンが、部活の後の買い食い用にでも使ってくれよ。絶対に無くすなよ!『アレ』が、ラグビー部のキャプテンである印なんだから!」
仲里にとっては、長井の象徴とも言うべき『アレ』がキャプテンのバトン代わりなど、いい迷惑だった。しかも『使いっ走り用』などと、今とっさに思い付いた、こじ付け以外の何物でもない。頼まれても持ち帰りたくはないし、仮に駅に放置したとしても、誰も盗んでさえ行かないのが目に見えていた。
「あの先輩も来れば良かったのに…。」
「今日は仕事の筈だよ。俺達の試合の日の度に結構、休んでいたらしいから、かなりのツケが回っているみたいだ。なんか悪い事しちゃったな。」
村田が言ったのは新山の事で、その問い掛けには山元が答えた。やがて電車の到着を告げるアナウンスが流れ出すと、勝浦が、下に置いていた長井のバッグを手渡そうとした。
「随分…、軽い荷物だな?」
「残りは宅配便、使ったから。じゃあ、みんな。機会があったら試合を観に行くよ!」
物静かな小さな駅から乗り込んだ電車は、走り出して行った。自分一人に向って、みんなが『さよなら』と振る手が、段々と小さくなって行った…。
「何時の新幹線に乗るのかしらね?」
千秋は電車を見送りながら、そう呟いていたが実際は…。乗り換えの主要駅に着くと、新幹線ホームではなく高速バス乗り場へ向かった。交通費は就業先持ちなので別に、こんな移動手段を使わなくてもいいのに、新幹線で行く筈の交通費を浮かせたい企みがあった。
今日中の東京行きのバス時間を考えると、卒業式の後、すぐに駅に直行しないと間に合わなかった。本当は自転車をバス乗り場迄、走らせ、その場に乗り捨てる計画でいたが、みんなに正門で見つかったのは計算外だった。
この駅迄の電車賃さえ節約するつもりが、初っ端から手痛い失費として出たものの、上京するにあたり見送られるという気分を味わえたので、結果的には良かったと思えばいい。
『人間トンネルなど照れ臭い』は建前で、異常に人目を気にした『校外脱出大作戦』は、この為だった。自転車を使わなかった分、予定より早く着いてしまったので、お陰でバスの出発時間には、まだ余裕があった。
「あぁ、やっと来た!」
バスが目の前に来ようとしている時、背後から突然、背中を掴まれる気配を感じ『ハッ!?』と振り返ると…。
「何で、こんな所に!?」
「よっ!腐れ縁だなぁ、俺も就職で今から東京に行くんだよー。」
それは中崎で、余りの奇遇に気が動転してしまいそうだった。確か進学して、そこでもラグビーを続けると風の噂で聞いていたが、その指摘通り彼は大学、短大をも志願していた。どこを受けるかという具体的な目標を持たぬまま、自分が受かりそうだと思った学校を、片っ端から受験しまくった。
どこもサクラが咲かず、これは大した勉強をしなくても、入れる学校を模索しようとした結果だった。三年前の『楽して高校受験をかい潜ろう』の二の舞を、またしても繰り返した彼の、いい加減さ極まる思い付き考案に、これ以上は関わるのはまっぴらだった。付き合わされると、どうなるかは既に自らが実証体験済みだった。
「どうせ新幹線を使うんだろう?こっちは、そんなに手持ちが無いから、このバスで行くんだよ。」
「えーっ、こっちも高速バスなんだよ。偶然じゃーん!」
声と体を震わせつつ言ったが、彼からの返答は大きく期待を裏切るものだった。どうか今のは聞き違いであってほしいと願ったが、差し出されたチケットを見せ付けられると、もはや疑う余地はなかった。
「十四時ちょうど発!?」
乗り込むバスが一緒なばかりか、番号が一つしか違わない為、座席は隣り同士だった。
「席が一緒だなんて本当に偶然だなぁ、世の中って狭いね。さぁ早く乗らないと。」
「嘘だ、偶然だなんて絶対に嘘だ!狙って買ったんだろう?正直に言え!」
平日の昼間に発車する高速バスは、そう滅多に混み合うものではないので、稀に座席を指定して買える場合がある。このバスに自分が乗る事を、彼は事前に知っていたに違いなかった。目を疑わずにはいられなかったが、新天地へ旅立つにあたっての爽快感は、一転して暗雲が立ち込め始めた。
「良かったら一緒に、お菓子でも食べないか。さっき買って来たから、これから数時間の長旅になるんだし、疲れない為にも楽しく過ごそうゼ!」
「何でさっきから低姿勢バリバリなんだ?」
こういう会話のやりとりなんか会った時から、一度も無かったが脱力感があったので、そう思ってはみても中々声には出なかった。向こうに着けば、お互い行く方向が違うので離れられるが、それ迄は行動を共にしなければならなかった。
今から社会人になる矢先、姑息な世間の信用を欠く蛮行が祟ってか、気持ち悪さから疲れが出始め、走り出す前から車酔いに襲われていた。素直に本来の交通手段を用いなかったツケが、こうも早く回って来た。
「それにしても、この間の新人戦は凄かった。優勝…、さすが君の後輩達だ。」
「やめろって、照れるじゃないか。」
一応、かつての親友同士という事もあって、一時間も経った頃には自然と会話が噛み合って来た。
「全国大会の県予選の決勝にしたって、結果こそ、こっちの圧勝だったけれど、次やったら分からないよ。絶対、うん。」
「いや、そうでもないさ…。」
そんな平穏な会話が、延々とバスの中で続いていた。『卒業』という言葉が、この三年間に渡って二人にまとわり付いていた確執を、綺麗に流し去ったのだった。
完
いつでもFACE TO FACE @itudemo
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