飴と傘 ~バス停にて~
佐賀瀬 智
バス停にて
「オーライ、オーライ、まだまださがれるよ」
「まだok?」
「大丈夫、オッケーまだ十分隙間ある」
「まだ、大丈夫?」
「オーライ、もうちょいバック」
「まだ、さがれる?」
「......」
「売れた!」
グワッシャ!!
「なっ!?」
「うそっ!?」
僕の車の後部は後方にあるガードの金属のポールにガッツリと当たってしまった。
僕の奥さんがスマホを持って車の後方で真っ青になって立っている。
僕は2か月前に車の免許を取ったばかりで、何が苦手って縦列駐車だろう。縦列駐車禁止条例とかどこかの政治家が発案してくれないだろうか。縦列駐車などこの世からなくなってしまえばいいと思っている。今日、スーパーに奥さんと買い物に来たら、運悪く恐怖の縦列駐車の場所しか空いてない。中古で買った車にはハイテクノロジーの後方モニターが付いているわけでもなく、僕は仕方なく奥さんに車から降りてもらって後ろを見てもらいながら駐車をしているところだった。何が売れたかって? 彼女のハンドバッグ。ネットオークションに出品したハンドバッグが売れたというお知らせが縦列駐車のガイドをしている最中にきたらしい。駐車のガイドをしている時にスマホ見るなんて信じられない。まったくあきれて言葉もでない。
新婚1か月半で離婚の危機到来。スーパーの駐車場は口論の決闘場と化した。だがしかし、このまま、ずっと口論をしていても凹んだ車はもとに戻るわけでもないので、スーパーの人にポールにぶつけた事を告げて謝り、奥さんの友達の旦那がカーガレージをやっているというので、そのガレージに連絡した。ラッキーにも今すぐ持ってきてもいいらしく早速、車を持っていった。
「あー、見たところ、バンパーいっちゃってますから、あと、凹みと、塗装も剥げてるので、そこ直してと、早くて一週間。まあ十日見といてくれればなんとか」
「一週間ですか」
「通勤、車ですか? 代車はいりますか?」
「あ、バス停が近くにありますから、一週間くらいならバスで大丈夫です。代車は要りませんから」
これ以上の出費は死活問題だ。一週間ならバス通勤のほうが安くつく。会話の後ろでローカルラジオが流れている。パーソナリティーが『気象庁の発表によりますと、関東地方は明日の月曜日から梅雨入りだそうです。みなさん、傘のご用意を。ついに梅雨入りですねー、雨、雨、雨。レイン、レイン、レイン。では次の曲はプリンスのパープルレイン、どうぞ』と妙にハイテンションでイライラする。こちとりゃ、車は凹むし、僕も凹む。そんでもって修理代はかかるし、バス通勤、おまけに梅雨入り。プリンスのパープルレインも僕のイライラを沈めてくれそうにもない。
梅雨入りと同時に期間限定バス通勤が始まった。
月曜日
僕はいつもより40分早く家を出て、最寄りのバス停に向かった。昨日のラジオの気象庁の発表は100%当たっていて、朝からじゃじゃ降りの雨でバス停に向かうだけでスーツの袖口や肩、そして僕のシューズはびっしょりと濡れてしまった。
アクリルのしきり、簡易な椅子4席そして屋根がついているので雨をしのげる。そんなバス停にはすでに4 人がバスを待っていた。一番奥に赤いスカーフに豹柄の帽子を被った80歳くらいの杖を持った小柄なおばあさん、ひとつ席を開けて、ヘッドホンをした女子学生、ハンカチを持った中年のサラリーマンが座っていて、そして端にOL風の若い女の人が立っていた。僕はその女の人を見て、ハッとした。なぜなら彼女は会社の総合受付の、同僚のあいだでも美人だと評判の佐々木さんだったからだ。ラッキー。これから一週間彼女と同じバス。中学生のように心踊らせた。奥さんのせいでこのうっとうしい梅雨時期にバス通勤、このぐらいのうきうきぐらい奥さんも許してくれるだろう。目が合ったので軽く会釈をしたが、完ムシされた。こっちは知っていても向こうは知らないか。まあ、いいか。
「おねえちゃん、おねえちゃん、あんた、ぬれるで。立ってへんと座りいや。ここ空いてるで」
奥に座っているおばあさんが佐々木さんに話かけているのだけれども、当の佐々木さんは完全無視している。
「聞こえてへんのかな、おねえちゃん、ちょっと」
ハンカチで頻りに顔を拭いている中年サラリーマンも、ヘッドホンで音楽を聴いている女子学生も佐々木さんの方を見ている。僕も、聞こえていないわけないだろうと思いながら彼女を見た。すると彼女は、話しかけるなとばかりにツンとしてスマホを手に取ってそっぽ向いた。
なんだあ、この女。人が話しかけているのに完無視はないだろう。絶対聞こえているはずだ。意思表示くらいすればいいのに。なんて失礼なやつ。佐々木さんのことはきれいな人だなと思っていたのに、急に醜い女に見えた。最低のドブスに見えてきた。
「ほな、にいちゃん、あんた座りなはれ。そこおったら濡れるがな」
「はあ、僕ですか?」
「せや、にいちゃんはあんたしかおれへんがな。あのおねえちゃんはすわりたなさそうやし」
「じゃあ、失礼します」
傘をたたんで1、2回振って水滴を落として簡易椅子に座った。
僕は、ドブス女のように人の行為を邪険にあしらうようなことはしたくなかったのだ。
「これから、会社行くのに濡れたらわややわ。にいちゃん、飴ちゃんやるわ、飴ちゃん。レモン味や、レモン味。あんたら若い人はビタミンとらんとあかん」
ごつごつした奇妙に曲がった指で着物柄の巾着袋を開けて包装された飴をひとつだして僕にくれた。
「あ、どうも」
僕はとりあえず受け取ってカバンのサイドポケットの中に入れた。横にいる女子学生も飴をもらったようで手には飴の黄色の小さな空の包装紙をリズムを取りながら折ったり開いたりしていた。
「今日は雨やから、バスは10分は遅れてくるな」
「はあ」
「今日から梅雨入りやで、知ってるか? うっとうしーな。ホンマに」
「はい」
「そやけど午後からちょっと晴れ間がでるらしいで」
「はあ」
「にいちゃん、今日、初めて見るなあ」
「はあ」
関西弁でマシンガンのように喋りたおすおばあさん。話を聞いて相づちを打つのも苦痛になってきて、僕はこの席に座ったことを少し後悔した。早くバス来ないかな。僕にとって助け船ならぬ助けバス。イエス!! バスがやっと来た。
プシューっとエアーを吐き出す音と共にバスのドアが開いた。佐々木さんが真っ先に乗り込んで、女子学生、中年サラリーマンと続いてバスに乗り込んだ。僕はおばあさん先に乗り込むよう順をゆずったけど
「あたしはねえ、乗らへんねん。ほな、いってらっしゃい」
とニコニコしながら手を振った。
「どうも」
プシューっとエアーの音と共にバスのドアが閉まり、満員のバスは動き出した。バスの窓は曇っていてはっきりと外を見ることはできなかったけど窓の外でおばあさんが手を振っているのがぼやっと見えた。
――――夕食時
「ねえねえ、千佳ちゃん、もし、知らない人がね、例えば80歳くらいのおばあさんが、ここ、空いてますよ、座りませんかって言ったらどうする?」
「他に立っている人がいなかったら座るかな。うーん、座らないかも」
「その人に何か言うよね、座る座らないにしても」
「そんなの当たり前じゃない、人として。すみません、とか、いいです。とか普通言うよ」
「そうだよね。完無視とかあり得ないよね」
「あり得ない。絶対」
千佳ちゃんが僕の奥さんで良かった。
火曜日、雨。
奥さんがレインコートを出してくれたので、昨日のように僕のスーツは濡れずにすむだろう。出掛ける時、玄関で「圭ちゃん、長靴履いていく?小学生みたいに」と奥さんがいたずらっぽく言った。長靴なんて持っていないのに。
バス停には昨日と同じ顔ぶれが昨日と同じポジションにいた。朝からまた関西弁のハイテンションはキツいな。僕はおばあさんに見つからないように、バス停の端にいる佐々木さんの後ろに立った。
「あっ、にいちゃん、にいちゃん、ここ座りなはれ。そこおったらぬれるがな」
あちゃー、見つかってしまった。と内心思いながら
「あ、いいです」
と断った。
「そない言わんと、ぬれるがな。......なあ、ぬれるのになあ」
と、おばあさんは女子学生に同意を求め、女子学生はヘッドホンをしたままおばあさんにうんうんと相づちを打った。僕はこの女子学生に"老人を邪険に扱う大人"という佐々木さんと同じような人と思われたくなかったので、
「では、失礼します」
と言っておばあさんの隣に座った。
「にいちゃん、ハイカラな上っ張りやな。雨ガッパかいな」
「ウワッパリ? アマガッパ?」
「上っ張りや。知らんの? 上っ張り。これはなんや関西の方の言葉やろうか、関東の方でもつかうやろ。上にはおる服のことや。雨ガ
ッパはレインコートっちゅう意味や」
「大阪の方ですか?」
「大阪やないねん。尼崎」
「アマガサキ? 」
「せや、尼崎や。あたしらアマゆうてるんやけどな」
「大阪じゃないんですか」
「ちがうがな。アマは兵庫県や。アマゆうたらあの人らや、あの有名な漫才の二人組の......なんやったかなー」
「ダウンタウン」
突然、横の女子学生が話に入ってきた。
「そうそう、そうやがな、若い人はよう知ってはるわ」
「ええ! ダウンタウンって兵庫県出身なんですか?」
「せやで。みんな大阪やと思とるやろ。アマやねん。飴ちゃんいらんか、飴ちゃん。今日はリンゴ味や、リンゴ味」
そう言って僕の手のひらに飴をのせた。
「あんた、さっきもあげたけど、ダウンタウンて言うてくれたから、もうひとつやるわ」
と言って女子学生に飴を手渡し、「おたくさん、飴ちゃんどうですか」と中年サラリーマンに訊いたが、彼は「あっ僕はいいです。どうも」と断った。「あの人はいるやろか、おねえちゃん、飴ちゃんいらんか?」と佐々木さんに言っているけど、また完無視だ。「ふふっ、いらんやろな、ああ、バスが来たわ。ほな、いってらっしゃい」
おばあさんは、手を振りながらバスに乗り込む僕たちを見送った。
――――夕食時
「ねえねえ、千佳ちゃん、ダウンタウンってどこ出身か知ってる?」
「なによ。急に。大阪でしょ」
「ブー。ハズレー、兵庫県でした」
「へえ、そうなんだ。で、兵庫ってどこ?」
「......」
水曜日
雨、しとしとと降る雨。僕は雨ガッパを着てバス停に向かった。あれ、今日は人が少ない。一番奥におばあさん、そして一番手前に中年サリーマンの二人だけだ。
「おはようございます」
と僕は二人のうちのどちらに言うでもなく、独り言のように挨拶をして、おばあさんの隣に座った。ハンカチで首筋を拭きながら中年サラリーマンは「あ、は...」と言葉なのか息なのかわからないことを言って、おばあさんは「おはようさん」とハキハキと言った。
「今日は女学生おらんやろ。なんやあの子、今日は、はよ学校にいかんといかんらしいわ。一本早いバスで行ったわ。あのしゅっとした女の人も早いバスで行ったなあ」
しゅっとしたという意味がよく分からなかったけれど佐々木さんのことだろう。彼女も早いバスで行ったのか。避けられてるかな。まあいいや、どうでも。
そこへ、若いちょっとポッチャリした女の人がバス停にやって来た。
「あんたさん、今日は一本早いバスで行くんか」
「おはよう、おばあちゃん。うん。そうなの。郵便局よって行くから」
そのぽっちゃりした女の人はにニコニコして僕の横に座った。
「そうか」
「今日は、なに味?」
「今日はな、ミカン味やミカン味の飴ちゃんや」
「わーい、私この飴好き。ありがとう」
「にいちゃんも、ほれ」
僕は飴を受け取った。
「おたくさん、飴ちゃんいらんか」
「あ、僕はいいです」
と中年サラリーマンはまた断った。
「なんや、あんたいっつもいらんゆうけど糖尿かいな? 体、気いつけなあかんで、働き盛りやさかいに」
「あの、虫歯でして」
「虫歯かいな。厄介やな、あたしらもう自分の歯ないわ。上も下もかっぽりや。はよ治しや」
「どうも......」
「せやわ、なんや、隣町のマンションに空き巣が入ったらしいで、あんた、知ってるか? ベランダの窓から入ったらしいで」
「ああー、知ってます、知ってます、気持ち悪いですね。4階なのにね」
ぽっちゃりした女の人はそう言いながら包みをピッと開けて飴を口に放り込んだ。
「そうやで、玄関だけ閉めててもあかんで、出かけるときはみな閉めていかんとな。にいちゃんらも気を付けなあかんで」
「あ、はい」
僕はこのおばあさんに、ちゃんとした話し相手がいることを知ってなんだかホッとした。話し相手のいない寂しいちょっとうざがられているおばあさんだと勝手に思っていたからだ。
「あっ、バスが来た。それじゃ、おばあちゃんいってきます。また明日ね」
「はいはい、いってらっしゃい」
このハツラツとした女の人につられて僕も
「いってきます」
と思わず口に出た。
「はいはい、いってらっしゃい」
―――夕食時
「ねえ、千佳ちゃん、仕事に行く時、ベランダの窓の鍵閉めてる?」
「閉めてると思うけど、あんまりチェックしてないかな。ここ4階だし」
「隣町で、4階のマンションにベランダの窓から空き巣が窓から入ったみたいだから、気を付けてね。戸締まり」
「へえ、そうなんだ。気を付けるよ、ベランダの戸締まり」
木曜日
じゃじゃ降りの雨
「圭ちゃん雨ガッパ乾かしておいたから。着ていってね」
いつの間にか奥さんまでレインコートのことを雨ガッパと言うようになった。
バス停にはおばあさんと女子学生と中年サラリーマン。今日はすでに女子学生と会話が弾んでいるようだ。
「今日の飴ちゃんはパイナップル味や。パイナッポー、ジスイズ アッ ぺーン ゆうて流行ってるやんなあ」
「ちょっと違うしー」
「ちがうことあらへんがな、何がちがうねんな」
「つかー、もう流行り終わってるしー」
「終わってへんがな、こないだもテレビでとったがな。なあ、にいちゃん、ここ座りなはれ」
急に振られて僕はびっくりした。椅子に座りながら
「あ、僕はあまりテレビ観ないのでちょっと」
とりあえず中立の立場をとった。
そこへ中学生くらいの眼鏡をかけた真面目そうな男の子がやって来た。
「あら、ぼくちゃん、今日は遅いなあ、どないしたん」
「寝坊」
「間に合うんか? 学校」
「たぶん無理。遅れる」
「まあ、そんなこともあるがな、人生、朝寝坊することもあるある。まあ、飴ちゃんでも食べなはれ」
「ありがとう」
「にいちゃんも、ほれ、パイナッポーの飴や」
「どうも」
「なんやで、パイナッポーのあの人、あたしのファッションまねしよったんや。豹柄の服着てるやろ。あんなもん、あたしら30年前から着てるがな。この豹柄の帽子かて50年前から被ってる。あたしのほうがずっと先やわ」
「おばあちゃんも、ユーチューバーになれば?」
と中学生が言って
「なんやそれ、ユーチューババーかいな」
「もう、ベタすぎるー」
と女子学生が言った。
「なんや、わからんわ。あ、バス来たわ。ほな、いってらっしゃい」
―――夕食時
「なんだか朝から漫才を聴いているみたいで面白いんだよ。バス停の人たち」
「へーえ」
「女子学生はヘッドホンしていてさ、人の話を聞いてなさそうだけど、一応おばあさんとも会話していて、真面目そうな男子中学生も一見つっけんどんで他人とは会話しそうもないタイプなのに、そのバス停では若い学生も老人と会話のキャッチボールをしていて、なんか、そういうのいいな」
「ふーん。楽しそうでいいね」
「うーん、でもバスはギュウギュウ詰めだよ。早く解放されたいよ
」
金曜日
久しぶりに晴れ。
「午後からまた雨らしいから雨ガッパと傘持って行った方がいいよ」
と奥さんが言った。
朝から日差しがじりじりときつく蒸し暑い。それでも久々の晴れの日の朝は気分がいい。
「おはようございます」
バス停には女子学生とおばあさんだけだった
「おはようさん、今日は晴れたな、そやけど午後から雷の大雨やっちゅうてゆうてはったで。なんや蒸せるなあ今日は」
「そうですね」
「今日は、バス、2、3分くらい早よ来るで、晴れやさかい。飴ちゃん、ミント味や。ほれ。スーッとするで」
「あ、どうも」
持っていた傘を置いて、もらった飴を腕にかけて持っている雨ガッパのポケットに入れた。
「あ、ほらな、バスもう来たわ。早いな今日は、早すぎるわ。ほな、いってらっしゃい」
おばあさんの言うとおり、バスは定刻より早く来た。プシューと、ドアがあいて、女子学生のあとに続いて乗り込もうとすると、
「ちょっと待ったってー、あの人が乗るさかいに」
とおばあさんが杖でこんこんと地面を叩き呼び止めて、その杖で後方を指した。
バスに乗り込む足をとめて、おばあさんの杖が指したバスの後方の歩道を見た。中年サラリーマンが小走りでこちらに向かって来ている。僕は片足をバスのステップにかけたまま待った。
「すみません、すみません」
と頭を鳩のように前後に動かし、ゼイゼイしながら中年サラリーマンはバスに乗り込んだ。
今日のバスの窓は曇ってなく、おばあさんがバス停から手を振っているのがはっきりと見えた。僕も手を振り返した。
午後、メールがきた。車が直ったとガレージからだった。イエス! これで、ギュウギュウ詰めのバス通勤から解放される!
僕は会社帰りにそのままガレージに車を取りに行くことにした。
4か月後
うっとうしい梅雨の季節やバス通勤をしていたことなどすっかりと忘れていた十月も下旬のある日。
帰宅して、リビングのソファーに座ると奥さんが僕の目の前に座った。
「圭ちゃん、傘なくしたでしょ。これ」
テーブルのエッジにかけていた傘を見せて言った。
それはまさしく僕の、柄のところに『二階堂圭』と名前を自分で書いた、バス通勤で使っていたコウモリ傘だった。車通勤になったので傘を使う機会がなく、すっかりその存在を忘れていた。
「今日ねえ、仕事先のスポーツジムまでこの傘を持って来てくれたのよ。ある人が」
「ある人?」
「バス停のおばあさんの娘さん。50歳くらいの方なんだけど」
「ああ、バス停の関西弁の豹柄の帽子のおばあさん、おもしろいおばあさんでね、覚えてるよ。元気かな。あのおばあさん」
「......それがね、あのね、そのおばあさん9月の始めにお亡くなりになったそうよ」
「え!?」
『飴ちゃんいらんか、飴ちゃん』
関西弁のおばあさんの声がふっと聞こえたような気がした。
「あー、そう。......亡くなったんだ、あのおばあさん」
「圭ちゃんがバス停に傘忘れたから、おばあさんが預かっててね、圭ちゃんのこと待ってたらしいよ。バス停にきたら渡そうって。でも、夏風邪をこじらせたらしくて......。傘に名前が書いてあったから、ほら、二階堂ってめずらしい名前でしょ、娘さんがバス停に行って、圭ちゃんのこと訊いてくれたみたい。そしたらバス停の人たちもいろいろと聞いてくれて、どなたかが、この町のスポーツジムの受け付けに二階堂さんっていう女の人がいるよって、めずらしい名前だからもしかして家族の人じゃないかって教えてくれたんですって。それでもしやと、わざわざ私の仕事先まで圭ちゃんの傘を届けに来てくれたのよ」
「そうなんだ......わざわざ探してくれたんだ」
「おばあさん、独り身になって関西の方からこちらの娘さん夫婦のところにいらして、話し相手も友達もいなかったみたいで、毎日バス停に座って人と話すのが楽しみで、一袋の飴をバス停の人に配り終わったら家に帰るというのが日課だったんだって」
「......ねえ、千佳ちゃん、飴、どうした? 」
「飴?」
「雨ガッパのポケットの飴」
「えっ、雨ガッパ?そんな前のこと覚えてないよ。クリーニングに出したからクリーニング屋さんに出す前にポケットチェックして棄てたんじゃ......あっ」
「......そっか」
「......」
「......!!」
思い出した。確かあのとき......
僕は通勤カバンのサイドの小さなポケットの中を探した。
「あった!」
「飴?」
「これ、あのおばあさんからもらった飴。レモン味の」
僕は黄色の小さな袋包みの飴をながめた。
「頂きなよ」
「うん」
僕は小さな黄色の包装をピっとやぶって飴を口に入れた。飴の表面はすこしベタベタとしていたけれど、清々しいレモンの甘酸っぱい味がした。
おわり
飴と傘 ~バス停にて~ 佐賀瀬 智 @tomo-s
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