人毒

鈴森光彩

人毒

大学に入学してもう一ヶ月が経とうとしている。サークルに入ったおかげかそれなりに友達もできて、今の所充実した大学生活を送っていると言ってもいいだろう。

 入学してすぐというのは互いに距離を測りあい、なかなか友達を作るのが困難なため、自然と学籍番号の近い人と話すことが多くなるわけだが、困ったもので時が経つにつれてそいつよりも仲のいい奴ができてくる。

 山口がそうだった。最初に座った席が隣で、生粋の大阪人ということもあり地元の親近感からか、最初の一週間ほどは行動を共にすることが多かった。しかし、彼の髪が明るい茶色に染まり、耳に小さな穴が増えていくにつれて、俺とは本来交わることはない別世界の人間なんだと気づいた。なにより誘導するような会話がどうしてもうざったく感じてしまったので、今となってはなんとなく避けるようになった。

 しかし、そんなことには全く気づいていない山口は授業が同じになった時はこちらに近寄ってくるので、自然と彼の話し相手を務めることになるし、こちらとしても発見された授業では彼の隣に座らざるをえなくなる。特に火曜日は二人で受ける授業があって地獄だ。永遠と彼の機嫌をとるかのように誘導に乗って、聞いてほしそうな模範的質問を送り出す力が求められる。

 この角を曲がれば教室はもうすぐそこだ。

 スライドドアを開けて教室を見渡す。遥か後方に携帯をいじっている山口の姿を発見する。無視して一人で授業に臨めたらどれほど楽だろう。そんな勇気はないけれど。

 特に声をかけることもなくいつも通り隣に座った。

「昨日さ、塾講のバイトやってんけど賢い子でめっちゃ楽やってんなー」

 そのまま授業が始まるまで口を閉じといてくれてもいいのに、と思いながらも始まってしまったものはしょうがないので重い口をゆっくりと開く。

「へー、賢い子の方が大変なような気もするけどな」

「いやいや、ちょっと説明しただけで理解してくれるから、しょーみ俺はほとんど何も言わんでもええし、楽やねん」

「なるほどな、でも塾講って準備とかも大変そうやし、しんどそうやな」

 と、ここまでテンプレのような会話をする。

「まあそれはあるかもな。でも月曜は、だから昨日の子は中二の子やねんけどめっちゃ可愛い子やねん」

 山口の嫌になるところ其の二。可愛い子、特に女子中、高生が好き過ぎて知り合ってそれほど経ってないにも関わらず、可愛い子についてもう二十人以上は話を聞かされている。この状況での模範解答はテンションを合わせて、マジで!どんな子なん、写真とかないん?だろう。

「あー、それは確かにいいな。そういえば何教えてんの?」

 興味のない女の話は聞きたくたい。

「国語」

「え、国語って何教えんの?」

 無事まだ聞けそうな話を振ることに成功した。

「なんか、ここに注目するんやで。とかかな?でな、その子田中さんっていうんやけどな、昨日授業終わった後一緒に帰ってん。あ、最寄り駅までやで」

 こっちの振った話題の返事はそこそこに、無理やり「田中さん」の話をねじ込んでくる。おまけに最寄り駅までなんて求めいない情報付きで。別にお前が家まで連れ帰ったなんて思ってないし、仮にそうだとしてもどうでもいい。

 どうやら女の子の話を無視できる世界線はなさそうなので、模範解答で会話を終わらせにかかる。

「え、生徒と一緒に帰るとかあるんや」

「たまにやけどな。ほんだらな、別れるときに『お疲れ様です』って言って手振ってくれてん。もう中身も可愛い子やわー」

「いや、それは確かに可愛いけどメロメロすぎん?」

「だって可愛いんやもん。やっぱり可愛い子はいいで」

 授業が始まるまであと五分。目の前に一人で座っている男子生徒は先ほどからイヤホンをしてYouTubeを見て、授業の開始を待っている。俺もこんな風に一人で平和に過ごしたい。

 ここ二週間ほどで気づいたことだが、大学生は案外一人で過ごしている人が多い。だから何もそこまで気の合わない人と一緒にいなくても自然と景色に溶け込んでいるのだろう。

 田中さんの話は一区切りついたことだし、もう会話が始まらないように祈るばかりだ。

「でもな、明日は嫌やねん」

「なんで?頭悪い子なん?」

 もうなんとなく先は読めていたが、俺の願いを全く聞いてくれなかった無慈悲な神に最後の小さな抵抗のつもりであえて容姿については聞かない。

「それもそうやで。確かに頭悪い子やねん。でもな、それで可愛かったらやる気もでんねん。可愛くないねん」

「どんだけ可愛さ重要やねん」

「いや、やったらわかるって。可愛い子の方が準備とか最低限プラス大変でももうちょっとやったろかなとか思うもん。しかもその頭悪い子な俺がめっちゃ頑張ってはなしかけたりしてもいつまでたっても頷いたりするだけで、はなしもはずまんからなかみもかわいくないねんなーじゅぎょうちゅうにかいわがはずまんせいとってそれだけでもしんどいもんしかも……」

 こいつの将来が不安になる。いつか本当に手を出してニュースで報道されたりしないだろうか、俺が友人としてメディアにインタビューをめちゃくちゃ申し込まれたりするんじゃないか。そうしたら初のテレビデビューがそれになるかもな。

「……絶対そうじゃない?」

 変なことを考えている間に話はひと段落ついたらしい。はは、乾いた相槌をうつ。

「聞いてた?」

「聞いてたよ」

 授業開始の時を知らせる鐘がなって先生の声が教室に響き始める。俺は久しぶりに自分から言葉をこぼした。

「あー疲れた、早く帰りたい。ほんまずっと話聞いてんのだるいわー。マジ誰が聞いてんねんって言いたくなるわ」

「ほんまこの授業おもんないよな、あの人がずっと話してるの聞いてるだけやもんな」

 波風が立たないよう平和に維持していた大海原に垂らした一滴の毒は気付かれることなく、溶けて無くなった。

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