飴と傘

七味

飴と傘


ポツリポツリと降る雨。朝は思いっきり快晴だったのに。

そういえば昨日梅雨入りしたってテレビで言っていたなと思い出す。今日は友達とランチしてショッピングして。夕方、最寄り駅を出るとこのざまだ。当然傘なんて持ってきていない。このくらいならいつもは走って帰るところなんだけど、なんせ荷物が多いし買ったばかりの服を濡らしたくなかった。


家でくつろいでいるであろう彼にLINEする。すぐに、了解と簡単なスタンプ返ってきた。そして10分後。


「なんで一本」


にっこり笑って、迎えに来たよーという彼の手には傘が一本。私がいつも使っている猫のビニール傘だ。しっかり者の彼のことだから、うっかり忘れてきたなんてことはありえない。絶対わざとだ。

何を考えているんだろう、もう付き合って3年、同居し始めてから半年も経っているというのに。


「これしかなかった」

「嘘つけ!ひなたの傘あるじゃん!紺のやつ!!」

「別にいいじゃん」

「よくないよ!その傘そんな大きくないし、二人も入ったらどっちか濡れちゃう…」

「〜〜っああ、もう!」


照れたように彼が頭を掻き毟る。と、ばっとこっちを向いて真剣な目をした。


「相合傘したかったんだよ。たまには、恋人っぽいこと?したかったの!…ダメ?」


ずるい。そんな風に言われたらダメなんて言えない。


「…今日だけね」


熱くなる耳なんて気づかないふりして、彼の隣に並んだ。







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いつもの帰り道を歩いているというのに、なんだかいつもと違う感じがする。彼との距離がいつもより近くて落ち着かない。下を向けば、普段一人で歩いている時より小さくなってる歩幅とか、泥が跳ねてるズボンとかが目に入る。歩幅あわせてくれてるんだと、走って迎えに来てくれたんだと気付いてしまって。彼の優しさが嬉しいのと同時にめちゃめちゃ恥ずかしくて。

このままじゃダメだと、無理やり他のことに思いを馳せる。

雨が傘を叩く音とか、水たまりに映る街とか、いろんなデザインの傘とか。雨の日はいつもと違った景色が見える。いつもと違う空気が流れる。


雨は、嫌いじゃない。


「ねぇ」

「っはい!?」


いきなり声をかけられて声が裏返った。

笑う彼。右肩が、少し濡れている。


「そんな驚かなくてもいいじゃん。今日何買ったの?結構重いんだけど。」


彼が左腕に引っ掛けていた紙袋を目線まで引き上げた。私の今日の戦利品だ。


「スカートとトップス、ジーンズ…、あと…」

「どんだけ買ってんの」

「いいじゃん、思ったより安かったし久しぶりの買い物だったんだもん。…あ、そう、ひなたが欲しがってた靴あったから買ってきたよ。」

「え、本当に!?」

「うん、もうすぐ誕生日でしょ?だから、いいかなと思って」

「やったーありがとー、って、なんか食べてる?」


嬉しそうに笑っていた彼がふと首をかしげる。

ああ、そういえば。


「飴だよ、いちごミルクの」

「ああ、はるが好きなやつか」

「うん、駅で待ってる間、なんか退屈で」

「へぇ。そういえば俺食べたことないな、それ。一個ちょうだい」


どうしよう。最後の一個だった気がする。

ちょっと待ってと立ち止まり、いつも飴を入れているポーチを開ける。

案の定、包み紙しか入ってなかった。


「ごめん、もうないや」

「あら、残念。」

「また今度買ってくるからその時に」

「でもいいや」

「へ?」


しゃべっている途中だったのに、言葉を遮られて。

傘が私の頭の位置まで下がってきていた。








「味見なら、できるし」




一瞬。本当に一瞬。

彼が何を言っているのか理解する間もなく、彼の顔が近づいて遠のいた。

明るくなる視界。








「ごちそうさま」


ペロリと、悪戯が成功した子供のように楽しそうに笑う彼。思ったより甘いなぁなんて。

こっちはそれどころじゃない。目を瞑る隙も覚悟する時間もなく、彼の長い睫毛が近づいたと思えば、私の唇に彼のそれが触れて。たった一瞬が、触れた感触が、何度も何度も頭の中で反芻されてしまう。

全身が、特に頭が、沸騰したように熱い。

頑張って紡ごうけど、うまく言葉にならない。


「そ、外で、な、何して…!」

「だから傘で隠したじゃん」

「そういう問題じゃっ」

「はいはい、ごめんごめん」


何だかそういう気分だったの、と頭をグシャグシャに撫でまわされる。

そういう気分ってなんだ、いきなりやられるこっちの身にもなってほしい。

胸焼けしそうなこの空気の甘さよりも、湧き上がった熱の方が気になって仕方がない。早く覚ましたくて首を振ると、何してんのと笑い声が聞こえた。

お前のせいだと睨んでやる。けれど、横の彼の耳が私と同じ色に染まっているのが目に入って。

あ、彼も照れているんだと。私と同じなんだと。やったはいいものの恥ずかしくなったんだろうなと気付いてしまった。


「…私の飴だったのに」


照れ隠しの代わりに不満そうに唇を尖らせてみた。


「いいじゃん、味見くらい」

「予定変更。これから近所のドラックストアに向かいます。」

「え、今から?」

「そう。で、横取りした罰として私にいちごミルクの飴を買いなさい!」


ビシッと指をさせば、きょとんとした彼。

ニヤリと笑ってみせる。


「で、帰ったら一緒に食べよ?」


そういえば、向こうもふわりと笑って。

ゆっくりと変わらない歩幅で歩き出す。曲がるつもりだった道は曲がらずにまっすぐ。


「飴ひとつでケチだなー」

「うっさいよ、あんなことしたひなたが悪い」

「えー…。あ、そういえば財布…」

「持ってきてないの!?」

「あるよ」


ばっちり目があって、二人して吹き出して笑う。

普段だったら甘ったるすぎてしんどくなるはずのこの空気が、今はなんだか嬉しくて、幸せで、でもやっぱりちょっと恥ずかしくて。

でも、こういうのも、たまになら悪くないかな。

そう思いながら彼の手を握った。

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飴と傘 七味 @shichimi73

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