それから

「お世話になりました」



二人そろって頭を下げる。結局、あれから五日ほども居候してしまうことになってしまった。久しぶりの安寧な時間。


 ……いえ、もしかするとあの時以来の、幸せな時間だったかもしれない。


 もう反乱のことを恐れ、不安に思う必要はなくなった。別の問題は確かにあれども、それはいずれ私たちの力で解決することができる。今はとにかく、こうしてまた二人になれたことを喜ぼう。



「もういっちゃうの? もう少しゆっくりして行っても良いのに」



 この女性には本当にお世話になった。同棲している男にも、また然りだった。男は絵描きのようで、暇があれば町や風景の絵を描きに出かけていた。それをこの女性が支えているらしかった。



「いえ、これ以上のお世話になると悪いですから」



 私の友達が応える。この子にもお世話になってしまったな、なんて横顔を見て思った。あの時から少し笑みを取り戻したとはいえ、まだ心中は複雑なのだろう。この子はまだ私を不幸にしたと思っている。だから隙があれば、私に謝ってばかりいる。許していると言った、なんて言葉もこの子には届かない。


 だからいつの日かのような笑みを、まだ見ることはできていない。でもいつかはきっと、この子を花開かせて見せる。今はそれが、私の目標だった。



「題材がいなくなっちまうな」



 ほとんど表情を変えない男が、珍しく微笑を浮かべていた。その横に立つ女性が肘で打っている。その関係がうらやましかった。



「また遊びに来ますよ」



 他意はない。邪魔をするのも悪いが、でも私たちを題材にして描きかけの絵がひとつある。その完成を待たずに私たちのほうから出て行ってしまうのだ。


 というのも、男はその絵を完成させるつもりはないらしい。筆の速さはかなり遅い。私たちを引き止める材料にしているのが見て取れた。それは決してヘンな意味ではない。私たちが居候できるだけの理由を与えてくれていた。


 それに甘えないために、私たちは出て行く決心をした。



「結局、アイツらはあれから姿を見せなかったな」



 男が言う。アイツらとは、あの双子の少年のこと。預言者とその兄のことだろう。この子を私の元へと導いてくれた。そのお礼も言いたかったが、気がつけば姿を消していた。


 今はどうしているだろうか。預言者は常に誰かの手元にあるという。だから今も、やはり予言を振りまいているのだろうか。また会えるだろうか。



「お礼も言えませんでしたね」



 同じことを考えていたのか。その子のほうを見ると、やはりその子も私を見ていた。



「いつか会えるよ」



 本音を言えば、今はあまり会いたくはない。この子のことは許したものの、まだあの二人はきっと許すことができない。でもいつかはきっと、許すことができるようになると思う。でもそれには時間がかかる。だから二人は私の前から姿を消したのだ。その時が来るまで。



「寂しくなるわね」



 女性が男に寄り添う。



「安定したら、またきます」



 負けじと、私たちも二人で寄り添う。絡みついたその子の腕は少し震えていて、けれども少しだけ暖かだった。



 -----



 それから何ヶ月だろうか。私たちは家を得た。恩人である二人が使っていたものらしく、今は空き家になっているらしい。自由に使って良いとのことだった。その代わりに、暇があれば顔を出すようにと言われた。



 まだあの絵は、完成していない。



 -----



 どう考えても時間がない。まだ書かなければならない手紙が十以上もあるというのに、もう空が白み始めてきた。こんなことならば、あの時に散歩に行かなければ良かった。振り返る。その子は良く眠っている。静かな寝息が少し疎ましい。

でもこの子に罪はないのだ。全ては安請負した私の責である。


 ……でも、起きたら文句ぐらいは言ってやる。いつものように付き合ってもらう。文字を書くことができる。それだけで、仕事はすぐに舞い込んできた。


 私がしているのは、手紙の代筆である。これでも私は、もともと貴族の娘である。だから文字は知っているし、綺麗な文字を書く練習もさせられた。まさかここで役に立つとは思わなかった。


 ……問題は、あまり早く文字を書くことができないということか。丁寧に書きすぎて、時間がかかってしまうのだ。



「……疲れた……」



 天井に向けて手を伸ばす。ぐーっ、と背を反らして身体を伸ばす。蝋燭もかなり短くなってきた。残りはあと何本だっけ。後で調べなければ。指先も痛ければ、肩も痛い。それにかなり疲れていて、ともすればすぐに眠りそうになる。


 もう一度、振り返ってその子を見る。毛布に包まれ、目を覚ます様子はない。十の手紙のうち、昼までに仕上げなければならないのが三件。とりあえずこれらは済ませてしまおう。そう思って頬を叩き、また机に向き合った。



 -----



 その三件はなんとか間に合った。とはいえギリギリで、もう二度とペンを持ちたくないと思えるぐらい指先が疲れていた。あと七件もある。幸いなことに期限まで三日もあるから、着実に終わらせていこう。日はもうかなり昇ってしまった。そろそろ起きるだろうか。



「……ん……」



 やはり時間通り、その子が起きる。



「おはよう。私のほうはちゃんと書き終わらしたよ」



 んーっ、と伸びているその姿が窓から差し込む陽光に照らされる。この子も今日は大変だな、なんて暢気に思う。なにせ、これから手紙を二十枚も配らなければならないのだから。お昼過ぎにいちど帰ってくるらしい。だからそれまで、私は眠ることにしている。



「……ん、おはよ……う……」



 不明瞭な言葉と目線。



「ほら早く起きて。朝食を食べたらさっそく出るんでしょ。早くしないとお昼になっちゃうよ」



寝ぼけ眼のその子をせかしながら、さっさと朝食の準備を進める。とはいえ用意していたパン以外に用意するのは白湯ぐらいか。本当は紅茶ぐらい用意してあげたいところなのだけれど……そこまで余裕はない。とりあえず火を熾して、古鍋でお湯を温めて……。


 そうこうしていると、後ろから抱きつかれる。またこの子は寝ぼけて……。



「……ゴメンね……」



 その言葉も聞き飽きた。もはや口癖になってしまったらしく、何かあるごとに「ゴメン」と言っている。



「はいはい寝ぼけてないで早く起きて―――……」



 振り払い、とりあえずこの子に三枚の手紙を渡さないと、なんて思いつつ書きかけの手紙や筆などでゴチャゴチャしている机の上に目をやると、それを見つけた。それは住所が書かれておらず、しかし私たちに宛てられた手紙だった。


 書かれていたのはこれから四日間の出来事。そしてその子たちに出会うという事実。紛れもなくあの子達からの手紙だった。



 -----



 胸が高鳴る。期待ではない。不安というのがもっとも正しいかもしれない。くるかこないか、ではない。くるのは決まっているのだ。ただ、まだ僕たちは許されていない、と弟は言っていた。だとすると、あの女から何を言われたものかわかったものではない。殺されなければ良いが。



「くるよ」



 弟の言葉。待ち合わせはあえて人の少ない場所にした。積もる話もあるだろうから。町外れの、だからこそ寂れてしまった小教会。壁さえ崩れかけたこの場所で、二人を待つ。並べられた椅子は元の姿のままであるもののほうが少なく、それらもまた埃や砂をかぶり、手か、なにかしらで払わなければとても座れたものではない。天井も穴が開き、陽光が壇上を照らしている。


 そんな場所で丁寧に砂埃を払って椅子に座り、二人を待つ。入り口からは背を向けているから、二人の参上を察するのは物音だけが頼りだった。僕たちには、あの二人に対して何も言うことはない。


 でもこうして会う約束をしたのは、弟がそう望んだからにすぎない。



「……きた、ね」



 足音が二人分。入り口に扉は存在せず、元は赤であろうカーペットは踏むと音が出る。やはり予言通り、二人は現れた。



 -----



「許せないよ。自分たちが何をしたか、わかっているでしょう?」



 人を惑わせて、反乱を起こさせた張本人ではないか。そもそもあなたたち二人がいなければ、私たちはあの生活を続けていたのではないか。決して幸せではなかったにせよ、安定していたのではないか。それに反省が見られない。私の人生をめちゃくちゃにしてくれた、その恨みも忘れられない。確かにこの子は許した。でも加害者の立場であるあなたたちを許すことのできるものか。



 なんて、少し前の私ならば言っただろうか。



「……って言われたほうが、きっとあなたたちは気が楽なのでしょうね」



 きっと、これまではずっと嫌われ者を演じてきたのだろうから。だからこそ私も許すことができる。嫌われ者のあなたたちの、せめてもの友達なのだから。



「そうでもないよ」



 預言者ではない少年が口を開く。



「確かに嫌われ者さ。でも、誰かに許されたほうがずっとずっと気が楽だ」



 盲目の預言者は少年のその言葉の間、ずっとうつむいていた。許すも何も、もともと二人に対して怒ってなんかいなかった。この二人も二人だけの事情があるのだから。私なんかが何か言える立場ではない。



「だから、許すの。これも予言されてたんじゃないの?」



 預言者は左右に首を振る。



「……僕は適当に言葉を繋げていた、だけ……」



 それを他の人が勝手に予言と称し、そしてなぜかその予言が的中しているだけだと言った。預言者は予言が嫌いと前に聞いた。それは不完全なものだから、と。その時は予言なんかどうでも良かったから気になんかしなかった。でも今は、二人のことが気になる。また、預言者として危険な旅を続けているのだろうか。


 もしそうならば、私たちと一緒に住まないか。決して豊かな暮らしとはいえないが、雨露を防ぐだけの家はあるのだから。



「……不幸になるよ?」



 そんな提案に対して、預言者が顔を上げる。



「予言は不完全なのでしょう?」



だったら大丈夫よ。横で微笑んでいるその子と顔を見合わせて、お互いに笑いあった。

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