葬列

しゃくさんしん

葬列




 足が震え、アクセルを深く踏み過ぎているようでもあり、またほとんど踏み込めていないようでもあった。メーターは90キロを超えていた。横目に流れ過ぎてゆく、車も人もない街並みが、絶え間なく歪み蠢く。

 家へ帰ってから息もつかず、また車に乗った。そして元いた場所へ戻ろうとする。私は自分が滑稽でもあった。いや、やせがまんだった。笑える余裕もないのに、自分を滑稽がった。

 彼女を殺したのは、数時間前のことだった。

 いつものように、彼女は仕事から帰るなり、私を眠りからひきずり起こした。目が覚め、間近にある彼女から酒のにおいがした。髪に煙草のにおいが染みついていた。

「あんたのために、おっさんたちに手握らしてあげてきたんよお」

 酔っていると口にする言葉だ。店で飲まされ、酔いすぎ、憂鬱にひきずりこまれると口走る。

 横たわったままでいると、彼女が覆いかぶさるように倒れ込んできた。無理矢理に眠りを破られた吐気にも似た錯乱が、目をこするうち静まっていく。近づくと彼女の髪が顔に垂れてきた。煙草だけではなかった。汗ばむ肌のにおいがした。

「なにが、あんたのためじゃ」

 彼女の背に腕をまわしながら、私は言った。

 それは半ば真実で、半ば嘘であった。確かに、彼女の稼ぐ金で私は生きている。しかし、私が職に就くたびに、自分のそばに四六時中いろとせがみ、無理にでも仕事を辞めさせるのも彼女なのであった。

 私は笑いながら言い放ったのであるが、彼女はすぐに目を潤ませた。怒りや悲しみというより、子どもの愚図るのに似ていた。

「なんでそんなん言うんよ」

「うそや、わらってほしかっただけ」

 背に回した腕に力を込め身を寄り添わせるようにして櫛を通すように髪を撫でれば、満ち足りたように眼を閉じ、微笑んだ。見馴れた表情だった。悲しみの癒える瞬間、愛に溺れる瞬間に、彼女の幼い目鼻立ちの上に滲み出る。夜の終わりの、昇り詰める時にも、その顔がある。

 愛おしくて愛おしくてたまらない、とその顔を撫でながら彼女に囁いたことがあったのを、思い出した。出会って間のない頃だった。初めて目にするような顔だった。それは、彼女のあどけないのに溶け合って、やさしかった。そのような顔で昇り詰める彼女を天女のような女だと思った。青空や澄んだ海のようだった。全てが抱き込まれるようだった。私は、疼きを吐き出すように猛りながら、自分をけがらわしく感じ、その獣のような本性を許されていると思った。

 その顔を見て、私は彼女の首に手を伸ばした。いつもの顔だった。やさしかった。愛おしかった。それでいて憎かった。

 事切れた彼女を眺め、長々ただ呆然として過ごし、ふと思い立ったように私は彼女を抱え車に乗り込んだ。あてどなく走るうち、西成の辺り、人影がなく薄暗い、浮浪者の臭いが漂うだけの一角に迷い込んだ。私は車から降りることなく道端に彼女を突き落した。安らかに天を仰ぐような格好で地面に打ち付けられた彼女は、あのままの顔をしていた。美しいとは、思えなかった。私のけがれが溜まったか。




 混乱して無闇矢鱈に運転し、その末に迷い込んだところで彼女を捨てたせいで、再びその場所へ戻ろうにも手がかりがまるでないので困った。私は獣のように呻りながら、駆けるでも翔ぶでもなく、アクセルを踏むしかないのだった。

 身体のどこかでは、彼女の死体をどこかに処理しなければ、こんな人目につく場所ではなくもっと隠れたところへ、と焦りながら、残りの空隙には、なぜ彼女は死してやさしい顔をしていたのかという取り留めのない想いが浮かんでいた。死ぬ前に苦しみはしなかったのか。知らぬ間に逝ったのか。それとも、死がよろこばしかったか。

 なんとか、ついさっき見たような覚えのある道へ入り込んだ。一時間と経っていないが遠い過去あるいは未来のように朧げな記憶と、なにものかに引き摺られているような勘だけを頼りに、進んでいく。

 彼女を捨てたその場所だけは、目の前にしてみれば、強烈に私の中にこびり付いていた。ここ以外にあり得ぬ、世界でただ一つここでなければいけなかった、と思った。

 しかし、彼女は、そこにはいなかった。

 跡形もなかった。

 私は車をすぐさま停めると飛び降りた。そこに彼女のいないことが、眠りから覚める瞬間に見た夢の光景を忘れてしまったように、決して拭えぬ喪失感となって私を襲った。

 私は力なく歩き出した。彼女を探すのだ。

 なぜだ、蘇らせでもしたいのか、最後に許しを乞うつもりか。分からなかった。惑いながら彼女を求めて歩む私の空しい足取りが、まるで亡者のそれのようであった。薄らと消えかかった足の歩みだ。

 私は彼女に会いたかった。殺した私をも、いや、殺した私をこそ、あの柔らかな笑みで迎えてほしい。




 間違えて入ったような大学に行かなくなり、バイトを転々と変えてふらふらしていた時に、彼女と出会った。彼女も同じようなものだった。飲み屋でばかり働いていたが、店をよく変えた。ぐうたらなせいだった。そういう仕事の女には珍しく愛らしい幼さがあるし、気の飛んだような奔放な物言いも無邪気と映るのか客はよく付くらしかった。しかし、眠たいだけでも仕事を休み、それで怒りをかえば、すぐ嫌になる。

 窓から差す夕日に、乾いた瞼の裏を熱されるようで、目を覚ました。彼女は先に起きて風呂に入っていたらしく、濡れた髪を高くまとめ、下着姿のまま床にぺたりと座っていた。そうして、起きたのを察してかこちらを少し見やると、昨夜私にせがんで付けさせた首元のキスマークを、机の上に開いた鏡に映して見つめながら、ぼやくようにこぼした。

「あんたがこんなん付けるからうち今日も遅刻やわあ」

「お前が付けろ言うたんやないか」

「なによ、うちが付けろ言わへんかったら、付けたないの」

「付けたいことあるか、ガキでもないのに」

「うちのお客さんらに、自分の女やって言うたりたくないの」

 そう言って、私を睨むかわりのように鏡へ強く据えた瞳が、くずれそうに膨らんでいるのが見えた。私は仕方なく、

「うそや、うそや。お前に言われんでも付けてたよ」

 と言った。それでもいじけたままであったが、しばらく同じ言葉を私が繰り返すうちに、ゆっくりと落ち着いていくのだった。そして軽やかにこちらへ笑いかけた。

「でも、あんたがそんなん言うたって、隠していくけどね。残念でした」

 私が応えるように笑うと、彼女はまた眉根を寄せて、

「もう、なんで笑ってるんよ、嫌がってよ」

「嫌がってるよ、嫌がってる」

 私が宥めるように言うのを彼女はじっと聞き、諦めたようにため息をついた。

「はいはい、隠しますよ」

 自分から言い出したことだというのに、私に強いられているようなやるせない声音で呟くと、彼女はなにか化粧品を手に取った。細い筆のようなものを、首の痕へ這わせる。見ていると、痕が消えていく。それから、また別の化粧品を取り出し、それを中指の腹に掬って、上塗りするように痕を撫でる。

 少なくとも間近に見ていなければ、既に痕はなかった。女の魔法を目にするようで艶めかしく、私は目を見張った。

 彼女は鏡に首を映して、出来栄えを確認するように見やると、また顔を険しくした。

「どないしてん。ちゃんと消えてるやないか」

 私は、そう声をかけてから、彼女の胸の内を窺い知った。綺麗に消えたことが、悲しいのだ。

 彼女は今にも泣き出しそうにさっと立ち上がると私の隣に倒れ込み、熱い、震えたため息をもらした。

「もういや、仕事行かへん。キスマーク消えてしもて……」

「なんや、仕事行くために消してたんやないか」

 私がそう言って笑うと、彼女の唇が幼く歪んだ。こちらを仰ぎ見るように凝視した目には、とても幼いとは言えぬ、呪いがあった。

「なんでうちが泣く時に、泣いてくれへんの」




 ただ歩いた。捨て置いた死体が忽然と消えるとはどういうことかと、私は狐にでも化かされている気分になりながら、獣じみた匂いのする町の闇を歩き回った。そばを通ること、車で走ることはあっても、地に足を着け歩くのは初めてである。道々に寝転がっている浮浪者たちが、寝ていると思えば起きている者もいて、町に馴染まぬ私をじっと見ている。見返せば、怯えるように弱々しく目を落とす。あるいはそもそも私など見てもいないのか、ずっと遠くを見やるような眼差しをそのままこちらへ据えている。

 暗い中で、なにもかもが色あせて見えた。道にガラクタやごみがよく転がっている。錆びついたものばかりである。道端に、もう夏も終わりだというのに半裸で横になっている老人がいた。彼の肌も錆のこびりついたように暗く赤茶けていた。

 一軒の露店があった。立ち飲み屋らしかった。客はなく、ビニールに包まれてぼんやりと明るい内側は、ひっそりしている。私はビニールにかけた手を、はっとして離した。まさか、こんな町とはいえ、女の死体を見なかったかと聞くわけにもいかない。

 通り過ぎようとすると、店の脇に、青いバケツがあるのが目に留まった。水が満ち、よごれた食器類が浸されている。暗いから見えにくいが、今日の営業中ずっと換えていないのか、水がひどくよごれてしまっている。

 あれでは浸している方がよごれる、と苦笑しながら店を過ぎ、またしばらく歩くうちに、よごれた食器の山の映像が浮かんできた。

 さっき見たものではない。いつか、ずっと前に、家で見たものである。

 彼女は掃除が嫌いだった。というよりも、掃除ができないらしかった。なににつけても、整えるということができない女なのである。

 家事はほとんど、私がした。彼女は料理だけはした。とはいえ、私も綺麗好きでもないから、使った食器はいくらか溜まってから片付けにかかった。

 その時も、シンクが放っていた食器でいっぱいになり、私はようやく重い腰を上げたのだった。

 台所に立ち、水を出すと、彼女も立ち上がってそばに来た。洗い物は嫌いだが、洗い物を見るのは好きだった。水の流れるのを見ていると癒される、たしかそんなことを言っていた。

「あ、ちょっと、待って」

 スポンジを手に取った私の手を、彼女が掴んだ。

「どないした」

 私が聞いているのには答えないで、彼女の目はじっとシンクの食器を眺めている。私もつられて見る。乱雑に重なった食器の上を透明の水が伝っていく。よごれた皿やグラスの上で水はきらめいている。どんどん新しい水が流れては消えていくからか、水はいつまでも澄んでいた。流れそこねて皿の淵やグラスの底に溜まっていく水は、そうよごれに染まらず静止していて、けだるげだった。

 どこか生々しかった。プラスチックやガラスの食器の数々、流れ出ては溜まりあるいは消え失せる水が妙に懐かしいのだ。私自身の腕や、彼女の背中の手触りに近い。ぬくもりや、ひややかさが、あるはずだった。長くキスをしているとたちのぼるどちらのものとも言えぬにおいとも、それらは近親だった。二人の肌と髪の滲んだ枕のにおいとも近親だった。

 シンクを眺める彼女の目が、幸福にゆるんで輪郭を失ったかのようであった。

「しばらくこのままにしとこ」

 その囁きに、私と彼女とは、よごれたシンクに同じ心を傾けていたと直感した。

「虫わくぞ」

「いいよ。そういうもんやんか」

「そういうもん、か」

 彼女は頷いて、あの笑みをこちらへ向けた。私は見つめた。抱きしめるまでもないほど愛おしかった。

 彼女のやさしい顔は、愛から生まれていると、気づいた。

 愛そのものの顔をしていた。

 水の重みに耐えきれず、食器が崩れて、カタンと軽やかに鳴った。

 私は歩みを止めた。

 夜が白みかける西成の町の空をちらと仰ぎ見た。

 疲れ果てた。なにに疲れたかが曖昧だ。また、あの笑みが、目の裏に霞んだ。死の瞬間にさえ笑みは消えなかった。

 私は、電柱に背を預けるようにして座り込んだ。




 逃れるようにして眠りに落ちかけた時、私は足音を聞いたのだった。夥しい数だが力ない、ぞっとするような足音が地を這っている。

 澱んだにおいが鼻をついて、顔を上げると、たくさんの浮浪者たちが歩いていた。いや、歩いているというよりは、行進していると思った。道幅いっぱいに、みな同じ方角へと、頭を心もち垂らして、流れていく。

 目の前を過ぎて行く浮浪者の列の、その進む先を見て、私は跳ね起きるように立ち上がった。数人の浮浪者たちによって、彼女が高く担がれていた。仰向けに、手足と背中とを支えられて、手と足の先はだらりと垂れていた。首が後ろに折れ、頭がぽとりと落ちてしまいそうであった。笑みは、あった。

 私は、群れを掻き分け、走った。すぐに、浮浪者たちが、私を押し返した。

「どけ、俺の女じゃ」

 叫び、力任せに通ろうとする。浮浪者たちが数人がかりで私を阻んだ。

「俺の女じゃ」

 再び叫ぶ私の声が、むなしく響いた。浮浪者たちは静かだった。私は浮浪者たちを睨みつけた。生気のない眼だった。

 一人の浮浪者が、穏やかな声を、ぼつりともらした。

「お前の女じゃ。俺たちの女じゃ」

 他の浮浪者が言った。

「みんなの女じゃ」

 どこかで、別の浮浪者が、みんなの女じゃ、と重ねた。祈りのような、静かな声が、日の光がなにもかもを染めて広がるように、多くの浮浪者たちの口に伝わった。みなが、みんなの女じゃ、ともらし、一つの低いざわめきへと膨らむ。

 呆然とする私をよそに、浮浪者たちはまた歩き出した。分け入ろうとしたがゆるされない。列のどこかから、声がした。

「列に並んで、歩け。あの女は、誰も拒まん」

 彼女は俺の女だと私はまた胸の内に叫び、浮浪者たちのなかを突き進もうとした。浮浪者たちに阻まれた。生気のない眼をした、痩せ細った彼らになぜそのような力があるか。生気がないのは、私なのか。

 どうしようもなく、浮浪者たちに混じって歩いた。少し目を上へ向ければ、よごれた頭の波打つように並ぶ先に、彼女は掲げられている。彼女の上に広がる空は、朝の薄明で青白かった。あるかなしかの弱い光が落ちて、笑みに凍りついた彼女の面差しを照らす。その肌の冷たい白に、彼女を担ぐ浮浪者たちの腕の垢にまみれた黒さが浮き立つ。

 まるで違う笑みだ、と思った。私の腕の中で、幸福の極みに今いると訴えるように現れるのとは違う色をしていた。私に微笑みかけているのではなかった。誰に微笑みかけているのでもなかった。

 なぜか、なぜこれほど美しいかと思い、考えるまでもなかった。

 きっと死んでいるからだ。




 時折、心中という言葉が私と彼女との間に出た。

 交わりの後だけではなかった。彼女は、私に愛されていると極限まで感じる瞬間にこそ、心中を思いつくらしかった。

「今まさに一緒に死にたい」

 伊豆のホテルだった。といっても、温泉地からは離れたラブホテルであった。窓から海は見えた。温泉旅行に出かけ、帰る予定の日が来たがそれも味気なく、乗るはずだった電車を見送り駅前のホテルに入った。その夜が明けて、二人とも旅の疲れがあるはずなのに、ふと朝早く目が覚めた。

「なんや、それ」

 私は笑った。彼女から心中を持ちかけられることは度々あったが、今まさに、という言葉が彼女らしからぬ思いつめた言葉に聞こえた。

「あんた、今幸せ?」

「うん」

「じゃあ、一緒に死んでくれる?」

「幸せやのに、一緒に生きんのか?」

「幸せなうちに死にたい」

 なにもかもに絶望した女だと思った。しかし彼女は笑っていた。あの笑みだった。死にたくてたまらないようだった。

 昨夜、抱かれる時にも同じ顔をしたと思い出して、私ははっとした。抱かれる時、死を願う時、同じ笑みを浮かべるとは悲劇か。悲劇には違いないが、だからこそ愛おしい。

「お前、どんな死に方したいねん」

 私は、彼女の心中願望を、軽く扱ったことはなかった。いや、いつも軽く扱った。しかし真剣でない時はなかった。幸福の極みにたびたび発せられるとなれば、死を願う言葉は戯れじみる。しかし彼女は戯れに死ぬ女であろう。

「ううん、どんなやろう。どんな死に方あるかなあ」

「飛び降りとかちゃうか?」

「それは嫌」

「なんで」

「死んだ後、警察の人とかに、うちとあんた、引き離されるやん」

「死んだ後やのに、嫌か?」

「嫌や。なんで死んだんか分からへん、そんなん」

 誰にも引き裂かれぬ死などあるのか。死してなお、二人きりであれるものなのか。

 その時、海が鳴った。

 私は耳を澄ました。なぜか、彼女も聞いていると、確信した。

「海とか、ええんちゃう」

 彼女が言った。

「二人でカヌーみたいな小さい舟漕いでな、沖まで出るねん。ほんでな、舟の底に穴開けるねん。なあ、ちゃんと聞いて」

「聞いてるよ」

「そしたら、水入ってくるやろ。ちょっとずつじゃないとあかんから、小さい穴。それから、お腹ナイフで刺し合うねん。ほんなら、うちとあんた一緒に死ねるし、海に沈むから、誰にも見つからへん」

「お前みたいなぼうっとしたモン、腹刺したぐらいじゃ死なへんのとちゃうか」

「ほんなら何回も刺して。うちマゾなん知ってるやろ?」

 自分で言い、ころころと笑う彼女の可憐な声を聞きながら、その時には足に石でも結んで沈みやすくしなければいけない、と私は思案していた。私と彼女の身体をあらかじめ縄かなにかで一つに結び付けておく必要もあった。波で流されて離れてしまい、遠い遠い海底で藻屑となっては淋しいだろう。

 死に方を見つけて安らいだのか、彼女は私の胸に頭をあずけた。すぐに寝息が聞こえてきた。

 私は、胸の肌に彼女の汗ばんだ頭の重みと温もりを感じながら、重っ苦しい、と声もなく独り言ちた。私の生命は、私と彼女との幸福に捧げられる、供物だった。それが苦しかった。幸せだった。

 彼女にとってもまた同じことか、と考えが巡った。私は彼女からこぼれる寝息を、また聞いた。苦しみなぞ微塵もないのではないか、と信じすにはいられなかった。

 これほどまでに人間は愛に溺れられるものか。

 私は寝息を聞きながら、胸のなかで眠る彼女の、顔全体に流れた髪の奥に隠されているはずのあの笑みを、想った。

 不気味でもあり、不可解でもあり、神聖でもあった。




 浮浪者たちが行き着いたのは、狭い公園であった。細い路地を折れ曲がると、不意に幻が浮かびでもしたようにその三角形の公園が目に入ったのだった。路地を曲がる少し前から腐臭がひときわ濃密になるのは、公園のあるせいだった。そこかしこにごみが散乱していた。世間でごみと呼ばれるものを拾い集め金に換える浮浪者たちでも捨てるような類のものであった。どこから出たのか、生ごみらしきものの山があった。糞尿の跡があった。犬猫の死骸があった。視界いっぱいに飛び交う蠅が、昇りかけた日がどう反射するのか、ちらちらと銀色に輝いて、海面にきらめく光の粒のように見えた。

 列の先頭を歩く者たちが、担いでいた彼女を、公園の中心に静かに置いた。

「おい」

 私は隣の浮浪者に声をかけた。

「お前ら、あいつのこと拝むんと違うんか。なんでこんなけがらわしいところに捨てるねん」

 浮浪者は、肩を沈め、目を落としたまま、言った。

「けがらわしいところと違う。ここらで、最も、綺麗なところや」

 浮浪者の顔に蠅が止まった。男は払いもしなかった。私は、自分もまた彼のように落ちくぼんだ眼を地に注いでいるような気がした。

 彼女が生きている頃からそうだった。

 浮浪者たちは彼女を中心に円になった。私もその一人に加わった。私は一人の浮浪者だった。私は彼女を見つめた。彼女は私を見返しはしなかった。誰も見つめず、だからこそ誰をも見つめるように、仰向けに寝て笑っている。

 誰かが、手を合わせた。合掌が浮浪者みなに、伝わった。

 私も手を合わせた。目を閉じた。彼女の笑みが眼で見るよりも鮮やかに、むなしい闇の中へ浮かんだ。

 生きている面差しではなかった。死んだ面差しであった。憎くも、愛おしくもない。ただただ美しいばかりであった。

 目を開けた。合掌する浮浪者たちに囲まれて、彼女は微笑みをたたえたまま、いよいよ強くなりゆく朝日を一身に浴びて燦然と光を帯びた。

 私は、この瞬間をこそ願い、彼女を殺したのだった。


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葬列 しゃくさんしん @tanibayashi

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