第6話『幼なじみとの夜-後編-』
30分ほどして、明日香と芽依が部屋に戻ってきた。お風呂の中でたくさん楽しい話をしたのか、明日香は家に来てから一番楽しそうな表情をしていた。
「気持ち良かったよ、つーちゃん」
「それは良かった。じゃあ、僕も入ってくるね」
「うん。ごゆっくり」
僕は1人で入浴する。明日香と芽依の直後だからか、浴室にはボディーソープの甘い匂いがまだはっきりと残っていた。
髪と体を洗い、僕も彼女達と同じ匂いに包まれた状態になって、肩までしっかりと湯船に浸かる。お昼頃は汗ばむ陽気だったけど、夕方くらいからは涼しいのでお湯がまだまだ気持ち良く感じられる。
「嘘みたいな1日だったな……」
昨日、お風呂に入っているときには、まさか咲希が桜海に帰ってくるなんて微塵にも考えなかったから。咲希と再会し、頬にキスされ、彼女の新しい家に行ってアルバムを見せてもらったなんて。今日みたいな非日常を味わった感覚になる日はそうそう来ないだろう。
このまま物思いにふけていたら溺れてしまいそうなので、お風呂から出ることにした。
勉強もある程度やったし、明日は午前中からバイトだし……明日香次第だけれど、今日は早めに寝ようかな。そう思って自分の部屋の扉を開けたときだった。
「あぁ……つーちゃんの匂い……」
明日香はベッドの上でうつ伏せになり、僕の枕に顔を埋めてそう呟いていた。ちなみに、芽依の姿はない。
「ふふっ……」
明日香の笑い声が聞こえたと思ったら、彼女は何を想っているのか脚をバタバタさせる。それが収まると深呼吸をして、
「……ふふっ」
再び笑い声が聞こえ脚バタバタ。この繰り返しだ。
何だか、見てはまずいものを見てしまったような気がするけど……さて、どんな言葉をかけようか。
「……もう眠くなったのかな、明日香」
「ひゃあっ!」
悩んだ末に出た僕の言葉に対し、明日香は可愛らしい声を漏らして素早くベッドの上に正座をする。どうやら、今になってようやく僕が部屋に戻ってきたことに気付いたようだ。
「えっと、その……お風呂に入ったら眠くなっちゃったの。ごめんね、勝手にベッドに横になっちゃって。あと、芽依ちゃんもそうだったみたいで自分の部屋に戻ったんだよ」
「やっぱりそうだったんだね」
「……ちなみに、いつ戻ってきたの?」
「うん? たった今だよ。うつ伏せで動かないから、明日香が死んじゃったかと思って声をかけたんだ」
「……も、もう……つーちゃんったら、早とちりさんだね」
そう言うと、明日香はほっとした様子で胸を撫で下ろしていた。僕の枕の匂いを嗅いで喜んでいたことについては、心の奥にしまっておこう。
「明日香さえ良ければもう寝ようかなと思っているんだけれど、どうする?」
「うん、もう眠たいかな」
「じゃあ、寝よっか。あと、明日は僕、午前中からバイトだから。咲希もそれは知ってる」
「そっか、頑張ってね。ただ、さっちゃんも知っているなら……もしかしたら、一緒につーちゃんがバイトしている喫茶店に行くかもしれない」
「うん、分かった。明日は開店から3時くらいまでシフトが入っているから」
「そうなんだ。じゃあ、明日のためにも今夜はしっかりと寝ないとね」
明日香の言うことはもっともだけど、ひさしぶりに一緒のベッドで寝るのでちゃんと眠ることができるだろうか。
そんなことを考えながら洗面所で明日香と歯を磨いて、彼女と一緒にベッドの中に入る。
「ごめんね、つーちゃん。体が触れちゃって」
「気にしないでいいよ。明日香こそ大丈夫?」
「……うん。むしろ、今はこのくらいの方がいい」
僕のすぐ横には明日香の可愛らしい笑顔があった。今までほぼ毎日、一緒に登校して、学校生活を送っているからあまり思わなかったけれど、明日香って……いつの間にかこんなにも立派な女性になっていたんだな。
「……安心する。つーちゃんがすぐ側にいて、一緒の匂いと温かさを感じられて。高校生になってから、こうして寝たことが全然なかったから後悔しているくらい」
「絶賛してくれるね、明日香。でも、明日香の言うことも分かるかな。何だか懐かしくて僕もほっとしている部分があるから」
正直、緊張もしているけど、それでも幼なじみということもあって非常に居心地良く感じるんだ。
「……そうなんだ。つーちゃんがそう言ってくれると嬉しい」
小さい頃は芽依と3人でこのベッドに寝たこともあったな。あのときは3人でも余裕を持って眠ることができたのに、今は2人がちょうどいいくらいだ。咲希とも3人で何度か寝たことがあったかな。
「まさか、さっちゃんが桜海に帰ってくるとは思わなかったよ」
「そうだね。夢で見たからこそ驚いたよ。これが夢なんじゃないかっていうくらいに」
僕がそう言うと、明日香はくすくすと笑った。
「それ分かる。つーちゃんから、さっちゃんの夢をまた見たっていう話を登校しているときに聞かなければ、単に驚いただけで終わっていたと思うな。運命だって思ったよ」
「なるほどね」
「……さっちゃんが桜海に帰ってきてくれたのはとても嬉しい。さっちゃんがいることで残りの高校生活が楽しいものになるんじゃないかって思ってる。多分……ね」
すると、明日香はそっと腕を絡ませてくる。ただ、寝間着の袖は強く掴んでいることが分かった。それでも温もりや匂いはさほど変わらなかったけど、慣れない柔らかい感触を感じるようになって。今まで東京にいた咲希だけでなく、すぐ近くにいた明日香にも時が流れていたのだと実感する。
「つーちゃん。今夜はずっとこういう風にしていてもいい?」
「もちろんいいよ」
「ありがとう。じゃあ、お言葉に甘えさせてもらうね」
すると、明日香はしっかりと僕の左腕を抱いて肩に頭を乗せてくる。僕に見せてくる柔和な笑みはとても可愛らしい。その瞬間、キスはしないと照れた咲希を見たときと同じようなドキドキを感じるようになった。
「凄く気持ち良くなってきた。このまま寝ようかな」
「分かった。おやすみ、明日香」
「うん、おやすみ、つーちゃん」
明日香はゆっくりと目を閉じ、程なくして可愛らしい寝息を立て始める。彼女の吐息がくすぐったくも心地よく思えて。彼女の寝顔をここまで間近で見たのはいつ以来だろうか。
「つーちゃん、さっちゃん……」
さっそく明日香は夢を見ているようだ。そこには僕と咲希がいるようだけど、彼らは小学生なのか今なのか。いずれにせよ、現実でも3人で過ごす時間を作りたいものだ。
「おやすみ、明日香」
普段とは違って明日香の寝息や寝言を聞きながら、僕は眠りにつくのであった。
どこだろう、ここは。辺り一面、鮮やかな緑色の世界だ。どこに何があるのかさっぱり分からない。
「つーちゃん!」
「翼!」
振り返ると、すぐ目の前に純白のウェディングドレス姿を着た明日香と咲希が立っている。どうしてそんな格好をしているのか。
『3人で結婚しようよ!』
「……えっ?」
気付けば、2人は僕の両腕を抱きしめゆっくりと目を閉じる。そして、唇を近づけられたとき一気に視界が白んでいった。
「……夢か」
薄暗いけれど部屋の中が見渡せる。カーテンからの隙間から陽差しが入ってきているから、もう夜が明けているのか。
チラッと横を見ると、眠る前と同じように明日香が僕の腕を抱きしめて気持ち良さそうに寝ている。
「何ていう夢を見たんだ……」
昨日、桜海に帰ってきた咲希に告白されて頬にキスされたことや、ひさしぶりに明日香とこうして一緒に寝たことが影響しているのかな。
「つーちゃん。頭からコーヒーを被っちゃダメだって……」
寝言の内容はアレとして、笑いながら眠っている明日香は可愛らしい。一応、今日のバイト中に頭からコーヒーを被らないように気を付けよう。
部屋の時計を見ると、まだ午前5時半過ぎなのでもう一寝入りするか。今度はほのぼのとした夢を見たいものだ。そう思いながらゆっくりと目を閉じるのであった。
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