第10話『梅雨寒の温もり』
高校3年の6月という時期に突然、咲希が桜海高校に転入してきたけれど、持ち前の明るさが功を奏して、すぐにクラスに溶け込むことができた。
一日一日があっという間に進んでいき、今年も桜海市は梅雨の時期に入った。このことでジメジメする日が続くのかと思いきや、今のところは曇りや雨の日は意外と涼しいことが多い。毎年こんな感じだといいのにな。
「今日も雨だね、翼君」
「そうですね。涼しいのでいいですが」
雨の降る今日のシー・ブロッサムは、普段と比べてあまりお客様が多くない状況。それでも、常連の方やご近所の方、平日の夕方ということあってか桜海高校の制服を着た生徒が来店してくれている。
雨の日にお客様が少ないのは、喫茶店問わずどのお店も同じようで。雨の日キャンペーンを実施して、今日のような天気でも来てもらおうと考えるお店もある。僕は今のようにゆったりとした雰囲気も好きだけど。
「今日みたいな涼しい日のことを梅雨寒と言うんだよ、翼君。だから、6月に温かい飲み物が多く注文される年もある」
「そうなんですね」
「マスターの言うことが分かる気がします! あたしも、今日のお昼ご飯は食堂で温かい山菜そばを食べましたから」
「山菜そばか。いいねぇ、鈴音君。ちなみに、私は今日のお昼は温かいきつねうどんにしたよ」
メニューにない料理で話が盛り上がるとは。
でも、温かいそばにうどん……今日のような日に食べると美味しいだろうな。僕はいつも通りお弁当だけれど。
そんなことを話していると、店の玄関が開く。すると、
「蓮見、生徒会のみんなと一緒に来たぞ」
「そうか。でも、生徒会全員でどうしたんだ? ここで何か話し合うのか?」
「いや、違うよ。今日はこの時期にしては珍しく仕事があまりなくて早く終わったんだ。それで、蓮見がシフトに入っているのを聞いていたし、みんなでここに来ようって話になったんだ。5人だが大丈夫か?」
「もちろん。……5名様、ご来店いただきありがとうございます。席までご案内いたします」
僕は桜海高校の生徒会メンバー5人を席まで案内する。羽村だけだったり、羽村が明日香や常盤さんと一緒に来たりすることは何度もあったけれど、生徒会全員でここに来るのは珍しい。今年度になってからは初めてかな。
羽村が生徒会長になったからか、現在の生徒会の評判はかなりいい。
これまでたまに生徒会室に遊びに行っているので、羽村以外の生徒会メンバーとも面識がある。その中でも一番多く話したことがあるのは、副会長で2年生の女子生徒である
「蓮見先輩、3年生になってもバイトを続けているんですね」
「うん。でも、さすがに受験勉強に集中していきたいから、今月末で終わりだけどね。本当はもっと早いはずだったんだけど、先月バイトを始めた方の指導があるから、今月までってことになったんだ」
「そうなんですか? 勉強の方は大丈夫ですか?」
「今のところは大丈夫だよ。受験勉強も捗っているし、この前の中間試験もいつも通り学年2位だったから」
それを学年1位の男の前で言うと、何とも言えない気持ちになるけど。
「相変わらず凄いですね、蓮見先輩は」
「ありがとう、三宅さん」
「そんな蓮見先輩に一度も1位を譲らない羽村会長も凄いですよね。生徒会の仕事もあるのに」
「勉強は好きだからな。それにちゃんと気分転換もしているのだ」
ははっ、と羽村は楽しそうに笑う。思えば、生徒会の仕事もあって大変なのに、特に疲れた様子を見せたことが全然ないな。今は受験勉強もあるのに。きっと、趣味の時間をきちんと設けて、そこで気分転換をしているんだろうな。
羽村達に水を出して、僕はカウンターに戻る。
「お話をしていたけれど、あちらの方々は翼君のお友達?」
「ええ。僕の通う桜海高校の生徒会の生徒達で、メガネをかけている彼が1年からずっと同じクラスの親友です。ちなみに、彼が生徒会長です。あと、成績がずっと学年1位です」
「へえ、そうなんだ。いかにも生徒会長って感じの子だね。真面目だけじゃなくて人徳もありそうで。それにしても、男子2人に女子3人の生徒会か……」
なるほどねぇ、と鈴音さんは呟き羽村達のことをじっと見ている。いったい、何を考えているんだろう。
「同じクラスってことは彼も受験生か。彼も桜海大学に受験してくれるのかな?」
「桜海大学は分からないですけど、以前から東京の国公立大学を目指しているとは言っていますね。法律や経済について学びたいそうです」
羽村の頭の良さなら、東京にある国内トップクラスの大学でも十分に通用するだろう。あと、東京には秋葉原などの素晴らしいところがたくさんあると言っていた。彼が東京の大学に進学したい一番の理由はそれなんじゃないか?
「そっかぁ。うちにも法学部も経済学部もあるけど、東京の方の大学に比べたら偏差値低いからね……」
鈴音さんは自虐的に笑うけど、桜海大学も国公立だけあってなかなか偏差値の高い大学だと思う。文系クラスにいることもあって、桜海大学への受験を考えているクラスメイトは何人もいる。
「翼君は?」
「はっきりとは決まっていないんですけど、文系学部・学科なら日本文学か日本史を学べるところがいいなと思っています」
「へえ……じゃあ、あたしの後輩になる可能性もあるわけだ」
すると、鈴音さんは急にウキウキとした様子になる。確か、桜海大学の場合、文学も日本史も両方文学部の学科だもんな。咲希が桜海大学を志望としていると知ったときも喜んでいたし、僕まで後輩になったら……と考えると楽しくて仕方ないのかも。
「相変わらず、蓮見は女性と楽しそうに話す姿が絵になるな」
「羽村、どうしたんだよ」
気付けば、羽村がカウンターまで来ていたのだ。特に不満そうな様子はなく、いつものように穏やかな笑みを浮かべていた。
「メニューが決まったのだが、蓮見がそちらの女性と談笑していたから、興味本位でここに来てみた」
「そうだったんだ。何かごめん。彼女は宮代鈴音さんで、桜海大学の文学部に通っているんだ。先月からここでバイトを始めて、僕が指導している方だよ」
「そうなのか。初めまして、桜海高校3年の羽村宗久といいます。生徒会長をやっています。蓮見がお世話になっております」
「宮代鈴音です。よろしくね、羽村君。翼君にはここでの仕事を優しく教えてもらっているけれど、学校でもそんな感じなの?」
「ええ。特に定期試験前だと、クラスメイトに勉強を教える姿をよく見ますね。頼りになる人間ですよ」
「へえ……」
鈴音さんに学校でのことを話されると、何だか恥ずかしいな。
「羽村、注文するんでしょ。今からそっちに行くからさ」
「ああ、大丈夫。覚えてきたから。じゃあ、言うぞ。チョコレートパフェ1つ、抹茶パフェ1つ、パンケーキ1つ。飲み物はホットティー3つに、ホットコーヒー2つ。以上をお願いできるかな」
「はい、かしこまりました。少々お待ちください」
「ああ。よろしく頼む」
羽村は生徒会メンバーのいる席へと戻っていった。梅雨寒ということもあってか、全員温かい飲み物を頼んだな。
「では、私が飲み物を作るから、翼君と鈴音君はスイーツを作ってくれるかな」
「分かりました。じゃあ、鈴音さんにはパンケーキを盛りつけまで任せます」
「はい、任されました!」
鈴音さんに料理やスイーツの作り方も教えていき、パンケーキについては1人で作ることができるようになっていた。頼もしい存在になってきている。
「お願いします。僕はチョコレートパフェと抹茶パフェを作りますね」
僕らは羽村達の頼んだスイーツを作っていく。
僕の隣で鈴音さんがパンケーキを作っているけれど、慣れたのか落ち着いているな。パンケーキのいい匂いがしてきた。
ふと思ったけれど、スイーツとホットティーは女子でホットコーヒーは男子かな。そういった想像を勝手にしながら、僕はチョコレートパフェと抹茶パフェを作っていく。
「……よし、完成」
「パンケーキもできました。どうですか?」
「……OKです。パンケーキはもう完璧だと思います」
「ありがとう、翼君」
鈴音さん、とても嬉しそうだな。
「飲み物も淹れたから、私と翼君でお出ししましょう」
「はい」
僕はマスターと一緒に羽村達が待っている席へと向かう。
「お待たせいたしました。まずはホットコーヒーとホットティーになります」
「ありがとうございます。コーヒーは男子で、紅茶は女子です」
「……私の予想通りですな」
ははっ、とマスターはご満悦。きっと、予想が当たっただけでなく、女子高生が3人来店しているのが嬉しいのだろう。
「ということは、このスイーツもお嬢さん達が?」
「ええ、そうです」
僕の予想通りだったか。
「チョコレートパフェ、抹茶パフェ、パンケーキになります」
「蓮見先輩。この抹茶パフェって先輩が作ったんですか?」
「お見事! 正解です、三宅さん。2つのパフェは自分が作り、パンケーキはあちらの可愛らしい彼女が心を込めて作りました。では、ごゆっくり」
僕とマスターはカウンターの方に戻る。
きっと、彼女達も勉強や生徒会の仕事で大変だろう。スイーツを食べて少しでも元気になってくれると嬉しいな。
「楽しそうにしているね、羽村君達」
「ええ」
中でも一番楽しそうなのが三宅さん。楽しくお喋りしながら、僕の作った抹茶パフェを幸せそうに食べてくれている。
和気藹々としている彼らを見ていると、今年の生徒会の評判がとてもいい理由が分かるような気がする。
「蓮見、コーヒー美味しいぞ」
「抹茶パフェもとても美味しいです! チョコパフェもパンケーキも!」
「はーい、ありがとうございます!」
他にお客さんがあまりいないから、羽村や三宅さんはきっと大きな声で言ってくれたんだろうな。店中のお客さんが楽しそうなので、恥ずかしさよりも嬉しさが勝った。
「何だか、高校での翼君を見られた気がして嬉しいよ」
「……楽しそうですね、鈴音さんは」
「うん!」
最初こそ緊張していたけど、今は本当に楽しそうに仕事をしている。そんな彼女を見ていると、残り20日ほどでバイトを終えることが名残惜しくなってきた。それだけ僕もここでのバイトを楽しめているということなのだろう。
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