5 物言わぬ者の主
思考はまだ追いつかないが、目の前で可笑しなことが起きていることを青子はぼんやりと理解した。そこには真新しい封筒があるはずだというのに、あるのは古びた封筒なのだから。
記憶違いだろうか。もしかすると知らず知らずのうちに、青子の宝箱にしまった封筒と入れ替えていたのかもしれない。青子は記憶を手繰り寄せるが、やはりそんな覚えはない。
それに二度と開けないと誓った引き出しなのだ。中身を入れ替えているはずがなかった。では、なぜ入れ替わっているのか。
徐々に冷静さを取り戻しつつあった青子は、部屋をぐるりと見渡した。脳裏をよぎったのは、誰かが部屋へ侵入した可能性だった。そして、それは今日までの気付かないうちにではなく、今まさにこの部屋に誰かがいる恐れもある。
慎重に警戒しながら様子を窺うが、物音一つ気配一つしない。玄関ドアは鍵が閉まっていたし、窓ガラスが割られた様子もない。念のためにと窓の鍵を確かめてみるが、確かに閉まっている。部屋の中も荒れた様子は一つもない。ベッドの上に脱ぎ散らかされたパジャマはいつも通りで、これまた何も問題はない。
どうやら侵入者による仕業ではないらしい。よくよく考えれば、侵入者がわざわざ引き出しの中身を入れ替える必要もないだろう。
「やっぱり私の記憶違い──」
そこから先の言葉は出てこなかった。
引き出しから取り出した封筒は、まだ封が切られていない。つまりそれは、青子が見つけたあの日の封筒ではないということを意味する。
引き出しの中身は確かに入れ替わっていた。青子の宝箱にしまった封筒ではなく、全く別物の封筒と。
「うそ。新しい手紙だ」
以前のものとは違い、封筒には封蝋が施されている。
青子はすぐさまペーパーナイフを取り出して、封蝋の底面に丁寧に差し込む。壊れないようにと慎重を期したつもりだったが、無事に開封できたものの封蝋はボロボロに砕けてしまった。
封蝋とは、いわば未開封を示すためのもの。開封時は砕けて正解なのだが、そんなことは露ほども知らない青子は慌てて欠片をかき集めた。
それから封筒の中に手を差し込むと、一通の手紙がするりと落ちた。
「新しい手紙……っていうとなんだかおかしいな。こんなに古い手紙なのにね」
そう呟きながら、拾い上げた古めかしい手紙をそっと開く。
するりするり。見慣れないアルファベットの文字が、瞬く間に日本語へと姿を変えていく。目の前の光景にぎょっとした青子は、思わず手紙を取り落としそうになった。
二度目の出来事とはいえ、前回は気付けば日本語に変わっていた。先ほどのように変わっていく様を直に見たのは初めてだった。
手紙を持つ手は少し震えていたが、青子は手紙の文章に目を凝らした。
『手紙を書いた覚えはないが、ライティングビューローを譲り受けたという貴女からの手紙は大変興味深い。
ここへは私の案内なしにたどり着くことは、まず不可能だ。
引き出しに手紙を入れた貴女を知りたい』
手紙は前回同様にたった三文のシンプルなものだった。筆圧の力強さも角ばった文字も以前と変わらない。彼の手紙にちがいなかった。ただ、必要なことだけを簡潔に伝えるその文面には、気になる点がいくつもあった。どれから手を付けて、どう受け止めていいものかと青子は頭を悩ませる。
「えっと、待って。全然処理できない。そもそもこれは、誰に宛てた手紙? 私? いや、そんなはずないでしょ。そんなはず……ないんだけど」
戸惑う青子の言葉は次第に尻すぼみになっていく。
青子は彼に宛てて手紙を書き、ライティングビューローの引き出しにしまったその手紙は忽然と姿を消した。そして、代わりに現れた新しい手紙には『ライティングビューローを譲り受けたという貴女からの手紙』と具体的に記されていた。信じられないが、青子自身の存在に結びついてしまう。
しかし、その考えは一旦頭の隅に追いやって、手紙の内容だけを追って考えることにした。
二文目の『ここへは』が意味するのは、恐らくライティングビューローのある場所、彼の部屋。そこは彼の自宅なのか、仕事場なのか、隠れ家なのか、詳細まではわからない。ただ、訪れることがよほど難しい場所ではあるらしい。そんな彼の部屋にあるライティングビューローの引き出しに、誰かが手紙を入れた。
そして、『貴女を知りたい』と彼は言う。手紙の主が、彼の知らない誰かであるという確信だ。そう確信できる理由は、青子にはわからない。見慣れぬ筆跡だったからかもしれないし、あるいはたどり着くことが容易でないために彼の部屋を知る人物が極めて少ないからかもしれない。
もし、彼に届いた手紙が本当に青子からのものであったならば、彼の部屋を訪れる必要はない。また、彼が手紙の主を知らない理由にも説明がつく。
なぜなら青子はただ、自室にあるライティングビューローの引き出しに手紙を入れるだけで良かったからだ。青子側の引き出しが、彼側の引き出しと繋がった。それは偶然か必然か、それとも奇跡か。なんであれ、そこに彼が青子と知り合う余地はない。
「彼に届いたのは、私の手紙。そうなんでしょ?」
青子はライティングビューローに問いかける。返事はなくとも、青子の中で既に答えは出ていた。
いつの時代かは定かではないが、彼が生きた時代は封筒も手紙も色褪せてしまうほどに遠い。この先も会うことはないだろう。けれど、確かに彼はすぐそこで繋がっている。
「あなたの主は、そこにいるんだね」
返事のない手紙だと思っていた。こんな形で裏切られるとは思いもしなかった。
どうせなら手紙のように自分もあちらへ行くことができればいいのに。青子は遠い過去に胸を焦がしながら引き出しの底へと静かに手を添えた。
さて、なにから話そうか 夏野あゆ @ayu_skn
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