06 雪の残響
前園彩(まえぞのあや)から手紙が届いたのは、彩の夫に会った一週間後のことだった。
彩は夫の芳明(よしあき)が不妊症であることを隠して結婚したと知り、離婚するといって実家へ帰っていた。「ずっと好きだった相手といっしょになりたい」と。
芳明は彩の相手が誰であるか、彩の「親友」である私に聞いてきた。私は芳明に答えを返すことができなかった。
清水一穂(しみずかずほ)様
飾りのない白い封筒に、丸文字で私の名前が書かれている。
彩が家出して以降、私に連絡が来るのはこれが初めてだ。ざわめく心を抑えながら鋏で封筒を開く。
私たちは互いにピントが合わないまま、想いを寄せ続けている。
高校のときから十年以上続くこの不毛な関係に、私たちはどこかで決着をつけなければならない。そう思いつつ、折りたたまれた白い便箋を開く。
便箋から黒い小さなメモリーカードが出てきた。便箋には何も書かれていない。
これはいったい何だろう。
私はしばらくメモリーカードを見下ろすと、PCを立ち上げてカードリーダーを机から取り出した。
メモリーカードをカードリーダーに挿入する。
メモリーカードのフォルダを開く。フォルダには無数の写真が収められていた。テキストファイルがないことを確認して、写真を開く。
見慣れた懐かしい風景が液晶画面に広がった。高校時代の教室の写真だ。写真の端に、茶色のブレザーを着た私が廊下に立つ誰かと話をしている後ろ姿が写っている。
黒いストレートの髪を背中まで流した私の笑う気配が聞こえてきそうな写真だった。
次の写真は、教室で机に突っ伏して寝ている私の写真だった。私のつむじを写して何が楽しいのだろう。そう思いながら写真を開いていく。
画像のすべてに高校時代の私が写っていた。が、私の顔をまともに捉えた写真は一枚もない。彩が私に内緒で撮り続けた盗撮写真だった。画像フォルダに延々と続く私の残像に、私は息を呑む。
このころから。
私は写真をスライドショーに設定して眺めながらため息をついた。
このころから私たちは互いを見てはいなかったのだ。
互いを意識しながらも、背中合わせで顔を背け続けて。
ほんとうに彩を好きになるのが怖かった。きっと彩も私と同じだったのだろう。
私は生まれたときから女性が好きだった。しかし彩はそうではない。
私は彩を一生自分に繋ぎ止める自信がなかった。だから私に淡い憧れを持つ彩に近づこうとしなかった。
私は酸っぱいぶどうを見上げる狐だった。彩の想いを無視しながら、自分の想いを抑え続けた。
彩は私にこの写真を送りつけて何が言いたかったのだろう。
――あなたを強姦したい。
私のマンションを訪れた夜、静かに泣きながら彩が呟いた言葉を思い出す。
――あなたを縛れるものを、私が産めればよかった。
底冷えのする部屋で、私は肩をふるわせる。
今彩はどこで何をしているのだろう。
そして本気で私といっしょになりたいとまだ願っているのだろうか。
彩の執着が私を取り囲んで、私の熱を奪っていく。音もなく降り積もる、やわらかな雪のように。
今でも私たちは互いの残像ばかり追いかけている。
本気で向かい合うのが怖くて避けてばかりいる。
いつか私たちは傷つけ合わなければならないのだ。
きちんと心臓まで届くような傷を。
私の残像が延々と流れる液晶画面を、私は遠い眼差しで見つめ続けた。
雨のむこう 千住白 @shoko_senju
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