Another Story

砂時計が落ちた後に

 ……暑い。


 冷房が壊れてとてつもなく蒸し暑い部屋に男子高校生が1人、ただひたすらに数式を呟きながら机に向かっていた。彼は受験勉強の真っ最中で額から流れる汗、しっかりとペンを握る手の汗、身体中にまとわりつく気持ちの悪い汗――とにかく全身の汗という汗を嫌という程感じながら必死にペン先を動かしていた。


 本当は折角の夏休みに勉強なんてしたくないし、アイス食べて涼しい部屋で一日中ラノベを満喫しながらゴロゴロして過ごしていたいけれども。

 生憎、オンボロエアコンはついに寿命が来てうんともすんとも言わないという有様である。しかもちょっとでも休憩すれば母親がしつこくうるさい。

 何時もは自室が天国のように非常に快適なプライベート空間に感じるけれども……流石の彼もこの状況じゃ地獄なのを認めざるを得ないのであった。


「超絶、暑いんですけどー! 俺もうヤやぁ〜!!」


 とまぁ、夏休みに入ってから常にこんな状態なのでもう大分前にやる気は底を尽きてしまっている。


「涼しいところに行きたいよぉ……。でも人に会いたくねー……家出るのダルいし面倒いし……。」


 さっさと近所の図書館にでも行けばいいものを、彼のニート思考がそれを完璧に邪魔していた。もう何時間にわたって何回『 暑い、涼しいところ行きたい、面倒い、人が多いとこやだ、やっぱりやめよ、暑い…… 』という思考回路をリピートし続けていることか。


 とうとう暇を持て余した彼は何か面白いものでも無いか何でもいいから、と隅まで部屋を見渡してみること数分。

 心無しか窓ガラスがガタガタと揺れて音を立てていることに気がついた。

 近くに寄っても、やはり小刻みに振動しているようだ。


 彼がなにかに気づいたのはその時だった。

「……にゃんこ?」

 窓ガラスの揺れの正体は黒い猫だった。目が琥珀のように透き通ったこの辺では見た記憶のない美しい野良猫だった。その猫が何故か自分の窓に向かってひたすらに猫パンチを繰り出している。


 そんな黒猫に気づくやいなや彼は今までにない素早い動きで窓を開けほれほれ、と猫を部屋に招き入れた。

 猫は指の動きに惹きつけられたのか、警戒する様子もなく足を踏み入れる。


「お前は別嬪さんやのー……どこから来たん?」

 先程までの苦しそうな呻き声とは打って代わり、優しく囁くように猫に語りかける様はまるで別人のよう。手慣れた手つきで猫の頭をただ一心に撫で撫で撫で……。黒猫も低くて安心する声にすっかり気を許したのか、彼にされるがままである。


「……警戒心ゼロやな。お前。」

 微塵も敵対心を見せてこない猫に彼は上機嫌になったらしく、あんなに汗だくになりながら一所懸命解いていたプリントをチラつかせている。

 ……想像に難くないと思うがプリントは引っ掻かれ、ただの紙切れへと変貌した。


 そうして野良猫と約2時間戯れた後には至る所に紙くずが不規則に散らばった変わり果てた彼の天国――もとい、地獄――と猫アレルギーを発症したため目を赤く充血させ、鼻をぐずぐず言わせている彼の姿があった。黒猫の姿はない。

 猫の背中に顔を擦りつけたりしたため、悪化してかなり酷い顔になっている。


「……やべ、流石に片付けねーと怒られる……。」

 急いでリビングから掃除機を運んでくると時々、盛大にクシャミをしながら真面目に掃除を始めた。

「久しぶりににゃんこと遊べたぜ!」

 ……猫アレルギーなのに猫と2時間も接触していたことに一片の反省の色も見えない。動物が好きなのかはたまたただの馬鹿なのか。


 掃除も終盤に差し掛かった頃。何かを見つけた。紙ゴミに混ざっていたため気づかなかったが、手紙が紛れ込んでいたらしい。

 キッチリと糊付けされている封筒に不信感を覚えたが、彼の好奇心が勝った。裏を返してみるとそこには3年間同じクラスの女子の名前がひっそりと書かれていた。


「なんであいつの手紙がこんなところに……。開けたらバレるかのー?」

 暫くじっ、と手紙を見つめて考えていた。

 最終的に意味ありげに自分の部屋に落ちていたし開けても仕方ないか、と自論で納得した彼は開封することにした。思っていたよりガッツリ糊がついていたのでハサミで素早く封筒を切ると


 中から1枚の便箋が落ちてきた。


 すぐさま床から拾い上げると2つ折りにされている紙を開いた。

 便箋はB5くらいの大きさだったが、文字が書かれていたのは真ん中の二行とちょっとだけだった。上には宛名が明記されており彼宛のものであるのは間違いない。

 そしてこう書かれていた。


『 たった一分。ううん、十秒でいい。貴方の声が聞きたかった……なんてね。』


 開いて読んでみたはいいものの彼女の意図するところが彼には全く理解出来ず、とりあえず封筒にいれて保管しておいた。

 変な手紙。

 休み明け、学校に行った時に聞けばいいや。……そう思っていた。


 夏休みも終わり担任の先生から彼女の訃報を聞いた時。初めて彼女からの手紙の意味に気づき、人目も気にせず泣き崩れたと聞く。


 その後、彼女のお墓には








 ――不釣り合いな赤い薔薇の花が一本、添えられていた。

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砂時計が落ちる前に 愛色まりん @aiiro_marine

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