第22話 インゴットの正体
崖を登りきった彼女は、タヌキんど一世に会うため、赤レンガの家へ、全速力で向かっていた。それに合わせ、徐々に彼女の身体(したい)にも変化が生じ始めていた。
足は全速力で翔られるように、空を飛ぶためのジェット噴射(空気を足の下からめまぐるしい程のスピードで出し続けている)ができるように変化した。また、空気抵抗を極限まで減らすため、足の面積も小さくなり、赤ん坊程の大きさになった。
しかし、女の子として、素足をさらすことには耐えられないため、白い紐つきの赤いスニーカーを履いている。スニーカーの底(地面と接する部分)には、空気が足から噴射されるのを想定して、細かい植物でいう気孔程度の大きさの穴が全体にまんべんなく設けられている。
そして、臓器なるものは必要ないため、体は空洞になっている。ようするに、なにもはいっていないという意味である。そのため、極めて軽い。しかし、それでは、壊れやすいことにもなってしまうため、体を土器のように堅い土で覆うことにした。
しかし、それでは、自分の存在を安易に思いだすことができるかどうかタヌキんど一世自体に不安があったため、少女らしさの面を考慮して、身体は、土偶のようになるように頭の中で思い浮かべた。
また、少女といったら、王女になりたいという考えも多少あり、頭の上には、王女が被る王冠のような形がかたどられる。
眼は視力を極限まであげるため、大きくなっており、眼の中には、トンボの眼のようにたくさんの眼がある。それだけではなく、猫のように暗いところでも衛星の光りだけで昼間のように全体をまんべんなく見渡せる高感度の眼を要している。
だが、それだけでは、攻撃面が大変不足しているため、手がリング状になっていて、ぐるぐる回転するようになっている。また、ロケットパンチの要領で遠くにとばしたり、追尾したり、操縦することも可能である。
それだけではなく、修行の成果も考慮に入れられており、彼女が今まで取得した技や身体能力は損なわれることなく備わっているというとても高価な身体(からだ)に仕上がったのである。
でも、彼女はもう生前のことを覚えていない。タヌキんど一世と一緒にいたいという願いの元、タヌキんど一世に劣らない力を自分に授けるために身体(したい)を変化させたのである。
そのため、今、少女を彼女と認識できる唯一の要素は、声だけなのである。少女らしい高くやわらかい声―聖母が赤ん坊をあやす時に話されるようなやさしい声―。それが彼女の声の声域なのである。
それを彼女と理解できるかは、タヌキんど一世に託されているのである。
▲
彼女の眼の前には、取っ手のない開かない樫の木の扉が立ちはだかっていた。そいつは門番のように立ちはだかり、ぶきみにあざ笑っているかのように見えた。そのため、ほのかに全身が色鮮やかに様変わりする紫色だけでできた虹のような表情を帯(お)びている。
しかし、感情のない彼女には、木の中に病(やど)る表情など読み取れるはずもなく、生前と同じかはわからない―今の彼女には、生前の記憶など残っていないため―が、うんともすんともいわない扉の前でどうしたらいいかわからず、おおきな二対の眼の中に存在するはずのない―外見では、彼女の眼の中に瞳なるものは存在していないように観えるため―瞳をきょろきょろさせ、躰を石像のように硬直させていた。彼女の脳も、石になってしまったかのように今の状況を理解できず、硬直していた。
肘を折りまげ、顎の下にリング状の指を―現代の時の間隔でいえば、一瞬なる間にめまぐるしく回転させ、―添える。それは、考えるときのポーズのように親指と人差し指(長さが同じのため、指に名前を付けるのは忍びないが、読者にわかりやすく想像していただくため、敢(あ)えて名前を付けた。)の上に軽く自身の顎―首はないが、想像しやすくするために敢えて顎とした―をのせ、躰の割(わり)にどでかい頭を扉と接着させるほど離している。
人体用語でいえば、鎖骨(さこつ)なる部分と顎の間にあるはずの首がないため、頭だけが鎖骨から離れているように見える。
また、顎の下に添えられたリング状の指は、腕と手をつなぐリングから離れており、異様に艶めかしい。
リングも腕から少し間隙(かんげき)を開けて浮いており、恐いほど生々しい。
すると、まるで扉に意思が宿ったかのようにひとりでに開き、
「ぎぃーーーー」
と怪談話にでてくるようなかしいだ扉の開く音さえする。
彼女は、おずおずと開いた扉の中に入っていく。
「おじゃましまーす」
家の中は異様にしずまりかえっており、中の空気が冷え切っているのか、寒気で躰が震えてきそうだ。
彼女は、寒さから全身に鳥肌をたたせ、胸の前で組んだ腕をわなわなとふるわせている。背中も丸まっている。
部屋全体が真暗(まっくら)闇(やみ)なため、彼女の躰の色(土色)だけが異様にきわだち、それが雰囲気をさらに倍増させている。
すると、風で扉が閉じたのか、
「ひゅーーー」
という音が背中の方から聴こえ、
「ぎいーこ、ぎいーこ」
と不気味な扉の動き続ける音だけが部屋の中にこだまする。
「ぎゃーーーーー」
と耳をつぶさんばかりの甲高い嘆きの叫び声をあげ、彼女は、扉の前ではっとした表情でしりもちをつき、そのまま岩のように固まってしまう。リング状の手も、このときばかりは床と密着している。
どれくらい時がすぎただろうか?彼女はようやく平静をとりもどし、しりもちをついたまま扉のほうに顔を動かし、遅れて肢体も回転させる。そのまま後ろにすこしづつ手を使い、いざっていく。
「どんっ」
んっあったった?
彼女は頭だけ動かし、上をむく。
すると、そこには、出現させた懐中電灯で自身のかっこいい顔を照らす狸の顔があった。
「ぎゃーーーーー」
今だけは、眼の前に浮かぶかっこいい顔も少女には不気味としか感じられません。
「なにも見てない、なにも見てない。私は動かない石だ」
自分にそうささやき、即座に平静をとりもどそうとしますが、全く身体(したい)がいうことをきいてくれません。
「おーおどろかせてわるかったのー。今電気を付けるから少々待ってくれんかのー」
おじいさんのような低い声色の声が真暗闇の部屋から聞こえてきます。
「ぱちん」
と指をならすような音が聞こえたかと思うと、部屋全体が一瞬(いっき)に明るくなりました。動き続ける不気味な扉の音も止んでいます。
彼女はまぶしさに大きな眼を細めながら部屋全体を見渡します。
「あっそうだ。今日からお主はテマリではなく、インゴットと命名しよう」
なにがあっそうだなんでしょう。
『んっ?今私のことをテマリって呼んだ?』
少女には、そのテマリという言葉の意味がわかりませんでしたが、これだけはわかりました。それが私の生前の名前だということが。
『そしてこれからはインゴットという名が私の名前になるんだ』
と思ったら、突然身体(とつぜんからだ)の硬直がとけ、かってに躰が動いたと思ったら、もうかっこいい大きな身体(したい)の黄色い狸にとびついていました。
「タヌキんどいっせいー」
少女は幸せいっぱいの表情でタヌキんど一世に抱きついています。頬がほのかに赤く染まっています。
タヌキんど一世は、少女の小さな頭を子供あやすときのようなやわらかさとあたたかさを持った手でやさしくなでるのでした。
少女にはもう何も心配することなんかなかったのでした。
「タヌキんどいっせいー」
馬を引く者 江鋼 太値 @ekoutaiti
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