最終章 紅い弾丸が撃ち抜く

 スポットライトが消され、通常の照明が入ったホールの中、私たちはノブこと板倉伸輝いたくらのぶてると対峙していた。彼が所持していた銃弾類は丸柴まるしば刑事が押収した。手ぶらになったノブは、


「深夜にした話、あれは嘘だったんですね。キャットウォークが狙撃場所だという間違った推理を聞かせて、その推理を補完するための証拠である火薬を、犯人、すなわち僕が残しに来ることを見越して。僕はまんまと罠にはまってしまったわけだ」


 小さな笑みを浮かべたノブに、理真りまはちょこんと頭を下げた。


 私たちは、休憩中に席を離れた観客、大西美千代おおにしみちよなる女性に話を訊いた。彼女は確かに過去、マサキと付き合い、振られていたが、傷心のまま帰郷したここ新潟でジーリオンの公演が、しかも初日として開かれることを聞き、気持ちを完全に振り切るためにチケットを購入したという。気持ちを振り切るという目的を達するには、公演前半までで十分だった。かつての彼氏――彼にとっては自分は大勢いる彼女の中のひとりでしかなかったわけだが――がステージで躍動している姿を見て、目が覚めたような感覚を味わったと大西は語った。「こんなに多くの女性に歓声を浴びせられて、得意気に体をじたばたさせながら歌っている姿が、異様なほど滑稽に見えたんです」大西美千代は公演が休憩に入ると、憑き物が落ちたようになり会場をあとにしたという。


「でも」ノブは笑みを消して、「どうして……僕だと?」


 自分の名前を言い当てた素人探偵に顔を向けた。


「私は、まず、今回の犯行が公演におけるあらゆる条件を味方に付けた、周到な計画のもとに行われたということに注目しました。その条件とは、以下の四つです。銃創を覆い隠す、めまぐるしく変わる照明。銃声を掻き消し、火薬の残渣も誤魔化せる特殊火薬効果。激しく体を躍動させながら歌う、マサキさんの〈クレイジーダンシングシャウト〉。そして、マサキさんの口パク。これらの条件のうち、どれかひとつでも外れていたら、銃弾の発射方向、もしくはその正確なタイミングが明らかにされていた可能性が非常に高い。従って、犯人はこれら全ての条件が重なるのが、『紅い弾丸』が披露される間しかないと知り、そこをまさに犯行の瞬間に選んだはずです。事件の性質上、容疑者の枠はバンドメンバーや裏方スタッフだけでなく、観客にまで広がりました。ですが、いま挙げた四つの条件が全て揃うことを犯行の絶対条件としていたのであれば、まず観客と、バンドとの繋がりの薄い裏方は容疑者から除外されます」

「……どうしてですか?」

「口パクです。河合さんの話では、今回の公演中、『紅い弾丸』が口パク処理されるということは、バンドメンバーを中心としたごく限られた人たちしか知り得なかった情報です。当たり前ですよね。ライブで口パクだなんて、醜聞に近い話ですから。そんな重要な情報が、観客や裏方スタッフにまで漏れていたはずがありません。もしかしたら、実際に公演を見て『紅い弾丸』が口パクだと見破る目ざといファンがいた可能性もあり得ますが、今回のツアーはここ新潟が初日のため、披露される『紅い弾丸』が口パクになるということを事前に知り得たはずがありません。犯行に口パクという条件が必須であったのであれば、容疑者はバンドメンバーかマネージャーの河合さんくらいに絞られてきます」

「その中でも、僕に的を絞った理由は?」

「まず、マネージャーの河合さんに犯行は極めて困難だろうと思いました。河合さんは裏方スタッフの手伝いをしていて、忙しくステージ裏を駆け回っていて、いつどんなタイミングで捕まって仕事を言いつけられるかも分からなかったそうです。そんな状態に置かれた人が、『紅い弾丸』が披露されている時間に犯行を行おうとしても、確実性に薄すぎます。残るはバンドメンバーの四人ですが。ここまで来れば犯人を絞ることは容易です」

「……どうしてですか?」

「凶器の問題です。銃撃は曲が披露されている、まさに最中に行われました。私も映像で確認しましたが、マサキさんが撃たれたと思われる前後は、ギター、ベース、ドラム、キーボード、全ての楽器が演奏されている時間帯でした。つまり、犯人は銃を撃ちながら楽器も演奏していたはずです。そんなことが可能な楽器は、キーボード以外にはありません。ドラムもギターもベースも、演奏時には両手が完全に塞がってしまいますからね」

「そういうことですか……」


 ノブは、ふうと大きく息をついて肩を落とした。しばらく無言だったノブは、


「動機は? 僕がマサキを殺した動機には辿り着いているんですか?」


 それを聞くと、今度は理真がしばし口を閉じてから、


「……槇村まきむらさんの遺書を読ませていただきました」


 理真の口から槇村の名前が出ると、ノブは一瞬目を見開いた。


「今回の殺人はやはり、自殺した槇村さんの復讐が動機だった。槇村さんがマサキさんに振られたあと、彼女とあなたは付き合い始めたんですね」

「どうして、そう思うんですか? 僕は彼女の遺書を読ませてもらっていません。彼女は何を書いていたっていうんですか?」

「遺書には、こう書かれていました『彼が演奏しながら掛けてくれた言葉、とても嬉しかった。握った手、温かかった』と」

「それは、マサキのことなんじゃないんですか? あいつは趣味でサックスをやっていたし」

「あり得ません」

「どうしてですか?」

「先ほど話した凶器の問題と同じことです。だって、『言葉を掛け』て『手を握る』なんて、サックスを演奏しながら出来るわけはありませんから。口も両手も塞がってしまいますからね。

 同時に文面からは、槇村さんが付き合っていた男性は、間違いなくジーリオンのメンバーのひとりだということも分かります。演奏しながら『言葉を掛け』て『手を握る』ことが可能な楽器は、ジーリオンを構成する中でひとつしかありません。キーボードです」

「さすがですね」


 ノブは再び小さな笑みを浮かべ、やはりすぐにそれを消すと、話し始めた。


「槇村さんとマサキの仲がうまくいっていないらしい、という噂を聞いたのは、三年くらい前のことでした。僕は、高校当時からおくびにも出さなかったですけれど、密かに槇村さんのことを好きでいました。探偵さんには、当時は付き合っていた彼女がいたと言いましたが、あれはその場を取り繕うための嘘です。その噂を耳にした僕は、すぐに槇村さんに連絡を取りました。そして、付き合いが始まったんです。彼女が失恋で憔悴した隙を狙って奇襲をかけたみたいで、ちょっと罪悪感はありましたけれどね。でも、僕は嬉しかった。彼女のために曲を作ってプレゼントしたりもした。遺書に書いてあったというとおり、キーボードで演奏しながら間奏中に甘い言葉を掛けて、手を握ったりもしました。でも、そんな幸せな時間は長くは続きませんでした。僕たちが付き合い始めてすぐに、彼女と連絡が取れなくなってしまったんです。今から思えばそれは、彼女が死を選んだ時期と一致します。槇村さんは、僕に何も告げないままに命を絶ってしまっていたんですね……」


 ノブはそこで言葉を止めて口元を歪めたが、すぐにまた話を続けた。


「僕も気が気じゃなかったですけれど、僕たちの関係はバンドメンバーはもちろん、誰にも秘密にしていたから、誰かに槇村さんがどうしたのかを訊くことは出来ませんでした。その頃はバンドも売れ始めて多忙だったこともありましたし。僕以外のいい男を見つけて、どこかで幸せになっているんじゃないか。そう思い込んで心の片隅に留めておくだけにしていたんです。ですが……」

「同窓会の案内で、槇村さんが自殺したことを知ったんですね」


 理真が言うと、ノブはゆっくりと、強く頷いた。


「ジョージたちと一緒に噂話を掻き集めて、彼女が自殺した理由が男に振られたことが原因だと知りました。やっぱり槇村さんは、僕と付き合ってくれていながらも、マサキのことが忘れられなかったんだ。そうとしか思えませんでした。僕はマサキを憎みました。一旦そういう感情が芽生えてしまうと、今まで納得してきたマサキの横暴振りも看過できないようになって……特に、今回の新曲『紅い弾丸』のことでした」

「あの曲が、どうかしたのですか?」

「探偵さん、『紅い弾丸』を通して聴いたことは?」


 理真は首を横に振った。


「そうですか。聴いてもらえれば分かるのですが、あの曲の歌詞は、未練がましくも振られた彼女のことを忘れられない男が、彼女がかつて見せてくれた笑顔や、かわした言葉を思い返すたび、まるで弾丸に胸を撃ち抜かれるような傷みを味わう、という内容なんです」


 事件資料として見た映像が頭に浮かんだ。

――君の笑顔も

――やさしい言葉も

――あかい弾丸となって

――僕を撃ち抜く


「ふふっ」ノブは笑みを漏らした。今まで何度か見てきたそれと違い、嘲りを含んだ笑みだった。「どの口が言ってんだって、最初に曲を聴いたときは思いました。あいつが女性にだらしないことはみんな知っていましたから。アーティストは実体験をもとに曲を書く、というのは嘘ですね。あのマサキが女性に振られた経験なんて持っているわけない。あいつが作詞作曲する歌の中には、そういったものがたくさんあります。いかにも弱者の立場に立って、そういった人たちの声を代弁するような歌が、たくさん。あいつはいつでも強者の側にいたっていうのに。アーティストは皆、作家ですね。見たことも聞いたこともないような荒唐無稽な話を平然とする。平気な顔で嘘がつける――あ、すみません。探偵さんも本業は作家なんですってね」

「いえ……」

「まあ、とにかく、最初はただ、馬鹿にした気持ちで聞いてただけでした。でも……槇村さんの自殺のことを知ってからは……そこに憎悪が加わりました。マサキに対する殺意は増幅していく一方でした。何かきっかけさえあれば、僕はマサキを殺す覚悟は出来ている状態だったんです。そこに……きっかけが生まれました。この新潟公演の前日、会場の周りを散歩している途中に……」

「拾ったんですね。凶器に使用した拳銃と弾丸を」

「……はい。最初は玩具だろうと思ったんですけれど、それにしては異様な迫力と重み――物理的にも、持った手触りから伝わる感覚も――を感じました。その日の深夜、僕はこっそり部屋を抜け出して、ホテル近くの海岸でその銃を撃ってみたんです。まさか……本物だとは……。警察に届け出ようという考えは、一瞬だけ頭に浮かんで、そしてすぐに消えました。このタイミングで、僕がこんなものを拾ったことは、まさに天の配剤としか思えませんでした。何かの抗えない力が僕に味方しているんだと。

 数発練習で撃って、すぐに銃の感覚は掴みました。数メートル程度の距離で、標的が人間程度の大きさであれば確実に当てられる……。自信を持った僕は、頭の中で一気に計画を練り上げました。公演の照明。特殊火薬効果。マサキの〈クレイジーダンシングシャウト〉。そして、マサキが体調を崩して、このツアーで『紅い弾丸』を口パク処理することになったこと。プロ意識の高いマサキに、こんなことは初めてでした。これらの条件を味方につけ、僕がキーボード演奏中にマサキを撃って、すぐに拳銃を投げ捨てれば、銃がどの段階で、どこから撃たれたかを完全に秘匿できると踏んだんです……!」


 その目論見は見事、功を奏した。彼は撃ってしまったのだ『紅い弾丸』ならぬ、復讐の憎悪を乗せた、黒い弾丸を。


「もし、可能であれば……」ノブは力なく口を開き、「槇村さんが残した遺書を、読ませてもらうことは出来ませんか?」


 理真は懐から四つ折りにしたコピー紙を取りだし、ノブに渡した。遺書は短い文面であったが、ノブは長い時間、紙に目を落としていた。何度も心で反芻しているのだろう。やがて、咀嚼しきれなかった想いが溢れ出るかのように、涙の粒がコピー紙を濡らした。


「板倉さん」理真は芸名ではなく、本名で呼びかけ、「槇村律子さんは確かに、マサキさんに振られたことから完全に立ち直ることが出来ず、傷心のまま死を選んでしまったのだと思います。あなたと一緒になっても、その気持ちを振り切ることは、心を癒しきることは出来なかった。このことは、あなたにとって残酷な事実であり、痛恨の極みでしょう。ですが、彼女は最後まであなたたちのバンド、ジーリオンのファンであり続けました。板倉さん、もしあなたが、この遺書を目にしていれば、どんな天の配剤としか思えないきっかけに巡り会ったとしても、マサキさんを殺害するなどという選択はしなかったのではないでしょうか。私は、それが残念でなりません」


 板倉伸輝は、ホールの冷たい床に崩れ落ちた。まるで、弾丸に撃ち抜かれたかのように。



 マサキ殺害の犯人が、同じバンドメンバーのノブであったという事実は、ファンのみならず世間に大きな衝撃を与えた。かつて、メンバーたちやマネージャーの河合が口にしていたように、ジーリオンはこれで終了、と誰しもが思っていたが。


「ジーリオン、当面は活動を休止するけど、残ったメンバーで再始動を目指しているんだってね」


 丸柴刑事が言った。彼女と私、そして理真の三人は、新潟市内の喫茶店でお茶をしている。


「私もテレビ観たよ」と理真も「『ジーリオンの名前は絶対になくさない』って、ギターのジョージさんが会見で言ってたね。何だか、私が聴取をしたときとは全然違って、責任感というか、強い意志を感じる目をしてたな」


 私も同感だ。それは同席した他の二人、ベースのリキ、ドラムのリョウタも同じだった。三人とも、初対面では、どこか学生気分の抜けきらないような印象を持ったが、会見で見せた口調と態度からは、成熟した大人の責任と覚悟のようなものが感じ取られた。


「また、新潟にも公演に来てくれるといいね」


 私が言うと理真が、


「そうなったら、三人で観に行こうよ」

「理真、ロックバンドのライブに行ったこと、あるの?」


 怪訝な顔で丸柴刑事が訊く。「全然」と理真は首を横に振った。


「それじゃあ、いきなりジーリオンのライブはハードルが高いわよ、きっと。理真も映像で見たでしょ。あの観客のノリと会場のテンションについて行ける? もう若くもないんだし」

「ちょっと! 丸姉に言われるとは思わなかった!」

「あら、私はロック好きよ。仕事柄、忙しくてなかなかライブとかには行けないけど」

「なんだ、丸姉もライブ初心者じゃん」

「そうね……じゃあ、予行演習も兼ねて、今度どこかのロックバンドのライブに行かない? 私が理真や由宇ちゃんでもついて行けそうな、軽めのバンドを見繕うから」

「なにおう!」


 理真は眉を釣り上げているが、正直私は助かったと思った。ロックバンドライブのノリに一番ついて行けないのは、この中で断然私がぶっちぎりだろう。私もロックバンドのライブに足を運んだことなど、今までの人生で一度もない。というか、そういったコンサートに行ったこと自体、一度もないのだ。私は、事件の聞き込みで行った、往年のフォークソング歌手のコンサートなんかがいいな、と思ったのだが、そんなことは当然内緒だ。


「どれどれ……」と丸柴刑事は、喫茶店に置いてある地元タウン情報誌を持って来て、コンサート情報のページをめくり、「ここしばらくはロック系のライブの予定はないわね……あ、これなんか、どう?」


 彼女が指さしたのは、これまた往年のフォークソング、ムード歌謡の歌手たちが集う、対象年齢層高めの公演情報だった。


「……楽しそうじゃない?」


 意外にも理真が食いついてきた。おっ! であれば、ここぞとばかりに私も、


「いいじゃないですか! まず、コンサートというのがどういうものか、ジャンル関係なく肌で味わってみるのが必要だと思うんですよ!」

「……そう? 由宇ゆうちゃんがそう言うなら」


 半ば冗談で口にしたのだろうが、理真と私が乗ってきたためか、丸柴刑事は意外そうな顔をして、


「この日、休み取れるかな……」


 誌面に記された平日の公演日を睨んだ。

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紅い弾丸 庵字 @jjmac

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