第5話「ウンコ……おまえ……」

「雲子は……ずっとご主人様を見てきました」


 ぽつぽつと、雲子は語りだした。


「ご主人様はいつも雲子のことを考えてくれました。普段から健康的な食生活を心がけて、雲子がキレイになるのを応援してくれました。雲子を気遣って、トイレの掃除も毎日かかさずにやってくださいました。毎日、雲子の写真を撮って、そのうえ観察日記までつけてくれていたのを、雲子は知っています」


 ……。

 俺は何も言えず、ただ黙って雲子の告白に耳を傾ける。

 あの騒がしい女神ですら、どこか母性を含んだ目で愛おしそうに雲子を見つめていた。それほどまでに、雲子の言葉のひとつひとつに、真剣さがこもっていた。


「雲子はだれよりもご主人様のことを知っています。だから雲子は……女神さまにお願いして、こうして1人の女の子として、あなたの前に立っています」


 雲子は顔をあげ、はっきりと俺の目を見つめて言った。


「雲子は、ご主人様を愛しています……」


 その瞬間。

 雲子の潤んだ瞳に、俺の顔が映った。


「ご主人様にとって、雲子のこの気持ちは……迷惑、ですか?」


 そのときの俺は、ひどく情けない顔をしていたと思う。

 雲子の顔を正面から見れなくて、思わず顔をそむけた。


「お、俺は……」


 俺は……どう答えるべきなのだろうか。


 雲子はかわいい。

 だが、雲子はウンコだ。

 雲子は俺のことをだれよりもよく知ってくれている。

 だが、雲子はウンコだ。

 雲子はこんなにも一途に俺のことを想ってくれている。

 だが、雲子は――。


 ああ、ダメだ。

 頭が混乱してきた。

 考えがうまくまとまらない。

 とにかく、今の俺が言える、確かなことを。

 雲子に伝えなければ――。


「迷惑じゃない」


 さんざん悩んだ末に出てきたのは、その一言だった。


「結婚とか言われても、俺はよく分からん。お前ってウンコだし。……でも、お前の想いはよく分かってるつもりだ。だから……迷惑なんかじゃない」


 雲子はウンコだ。

 でも、ウンコにだって感情はある。こうして、俺のことで一喜一憂してくれる。

 だったら、ウンコだからと言って彼女を拒絶するのは、間違っているのではないか。少なくとも、1人の人間と変わらず、彼女の感情を真摯に受け止めるくらいは、構わないのではないか。

 俺は、そう思った。


「ご主人様……ッ!!」


 ほろりと、雲子の頬を涙が伝った。

 俺はどうしようもなく恥ずかしくなって、視線を逸らす。


 ――と、逸らした先には、変な顔でニマニマしているクソ女神の顔があった。


「あらあら? なんだかんだ言って、あなたもまんざらじゃないってこと? そうよねそうよねー、なんたって雲子ちゃんはこんなに可愛いんだもの!! あなたがクラっと来ちゃうのも仕方ないわよ!!」

「べ、別にクラっと来たわけじゃねーよ!!」

「んもう、照れなくてもいいのよぉ? 素直になりなさい?」


 くっ……!!

 なんだこれ!? なんの罰ゲームだ!?

 とりあえず、この目障りな女神をぶん殴って下水道に流したい……ッ!!


「ほらほら、雲子ちゃんを抱きしめてあげたらどう?」

「なっ! なんで俺がそんなことっ!」

「えー、だって『迷惑じゃない』んでしょう?」


 くそっ! 悪ノリまで始めやがった!

 やめろ!! 肘で突くな、うざったい!!


「ご主人様……」


 雲子も雲子だ。

 そんな眼で俺を見るんじゃない。

 いくら期待のこもった眼を向けられても、やらんぞ俺は。


「……」

「……」

「わくわく、どきどき」


 ……逃げ場がない。


 ええい!! ままよ!!

 抱きしめるために手を伸ばす。


 ――と。


 ポンッ。

 なにかが弾けるような音がした。


 と同時に、雲子の姿がかき消えた。


「なんだっ!? 何が起きた!?」

「あー……」


 声のしたほうを見ると、女神が「やべっ、やっちゃったー」みたいな顔をしていた。

 何をやらかしたんだ、とばかりに睨みつけると、女神は申し訳なさそうな顔でちょいちょいと下のほうを指で指し示した。

 言われるがままに足元へ視線をやる――。


 そこには、座布団の中央に堂々と鎮座する――茶色い、艶のある物体。

 ほかほかと湯気まで立っているそれは、誰がどうみても間違いなく。


「ウンコ……?」


 さっきまで雲子がいた場所に、ほっかほかのウンコが落ちていた。



 ***



「おいクソ女神!! どうなってんだ!?」

「あはは……いや、実はね――」


 女神の説明に、俺は驚きのあまり脱糞しそうになる。


「『ウンコが女の子の姿になれるのは、3時間だけ』……だと?」

「……うん」

「なんでそういう大事なことを先に言わないんだ!?」


 危うく俺はウンコそのものを抱きしめるところだったんだぞ!!

 どうしてくれるんだ!!


「いやー、お二人さんがいい雰囲気だったから、邪魔するのもヤボかなと思ってねぇ……『ウンコが排泄されてから三時間しか女の子の姿になれない』ってこと、うっかり伝えそびれちゃった」


 てへぺろ、とクソ女神がかわいらしくベロを出した。

 ごまかそうとしても無駄だ、俺は騙されねえぞ。


「ほら、わたしって所詮トイレの神様じゃない? 神様としての格もそんなに高くなくて、力も弱いから……雲子ちゃんをずっと女の子に変え続けられるほどの力は無かった、みたいな??」

「……おい」

「だ、大丈夫、大丈夫!! またあなたがウンコをすれば、そのウンコをわたしが雲子ちゃんに変身させてあげるわ!! そのときも三時間くらいしかもたないだろうけど……雲子ちゃんの人格や記憶は引き継がれているから問題ない問題ない!!」


 けらけらと笑う女神を見て、俺の頭のあたりでプチッと血管が切れる音がした。


「……って、あれ? どうしたの? なんで突然、わたしこと女神の顔面にアイアンクローを?? 痛いんだけど、ねえ」

「だまれ便所女……お前のせいで、俺は……俺は……ウンコとの結婚を真剣に……」

「ちょ、ちょっと?? ねえ、顔が怖いわよ? あ、やめて。どうして無言でわたしをトイレに、え、待ってまってまってぇええええ!!」


 ――ちゃぽん。

 女神の頭部が、便器の中に沈んだ。


「ぶごごごごご(だめ、息できない、女神、息できない!!)」

「大丈夫だろ、女神なんだし。死にはしないって」

「ぶごご!?(そんな!?)」


 そのまま格闘すること、五分。


 ――じゃー、と水の流れる音が、我が家の清潔なトイレに響く。


「ふぅ……これで平和になったな」


 トイレに湧いた害虫を駆除し終えた俺は、軽く伸びをして、自室へと戻る。


「あとは……このウンコを片付けるか」


 座布団の上で、今なお「ほっかほかですよー!!」とばかりに、元気に湯気を上げている愛すべき茶色い物体を見て、俺は小さく嘆息した。

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君、もしかして俺のウンコ? あれっくす @alex

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